聖書

(105) “私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。”

「家庭崩壊」という言葉が使われるようになって久しいですが、一体『最大の親不孝』とはどんなものだと思いますか?「非行に走ること」?「親より先に死んでしまうこと」?確かにこれらは大きな『親不孝』と言えるかもしれませんが、やはり何よりも親を悲しませるのは、「親を親と認めないこと」すなわち、親に向かって「アンタなんか知らねぇよ。アンタなんか親でもないでもねぇ!」と言うことではないでしょうか? 昨年全世界で話題となった『The Vow』という映画をご存知ですか?(日本ではバレンタインデーの頃に『君への誓い』というタイトルで上映されました。)これは「新婚の奥さんが事故で記憶を失ってしまい、夫のことさえ分からなくなってしまう」という、実話を基にして作られた映画です。「新婚の妻にそっけない態度を取られ続ける夫の苦悩と、それでも結婚式の時に神の前で誓った『誓い』の故に示し続ける、真実の愛」を描いた、なかなか胸を打つ作品です。 この映画はやや「他人事」に思えてしまいますが、実は私たちも「同じような態度」を神様に対して取り続けているのです。神はこの天地全宇宙を造られ、そして私たち1人1人をもお造りになられました。ところが私たちはそんなことをすっかり忘れ、あたかも自分1人の力で大人になったかのような態度で、「神様?そんなもの要らねぇよ!」と自分勝手に人生を浪費しているのです。そんな私たちに「わたしがあなたを造ったのだよ。わたしはあなたを愛しているのだ。わたしはあなたのために大いなる計画を持っている。わたしの許に来なさい!」そう私たちに知らせるために、今から約2000年前、神は人の姿をとられてこの地上に姿を現わされました。これが『クリスマス』のストーリーなのです。 話は変わりますが、今年の9月に、我が家の24歳になる長男が婚約いたしました。『婚約』といっても、「婚約指輪」を渡したわけでもなく、「結納」を交わしたわけでもありません。こちらニュージーランドの習慣では、男性が女性にプロポーズをし、それが受け入れられたら『婚約成立』ということになるのです。日本人の方々からは「それではずい分簡単すぎる!」と反論が出そうですが、実はこの男性が女性にプロポーズをする前に、必ず「女性のご両親からの承諾を得ていなければならない」という大前提があるのです。息子はプロポーズをする前夜に(彼女のご両親は遠方に住んでいるので)相手のご両親に電話であらかじめ了解を得ておいたそうです。そして一世一代のプロポーズに踏み切り、見事受け入れてもらえたわけです。 ある意味、クリスマスというのは、「神様から私たちへのプロポーズ」ということができると思います。神はご自身のひとり子であるイエス・キリストをこの世に人として遣わすことにより、私たち1人1人に対する深い愛と関心を表現なさいました。そして本来なら私たちの側からへりくだって『和解』をお願いすべきところ、神ご自身から『和解の申し出』を差し出して下さったのです。私たちはこの「神からの和解の申し出」を受け入れることもできますし、断ることもできます。あなたはどちらを選びますか?

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2013年12月22日 「理由の要らない愛で」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「理由の要らない愛で」     (22/12/2013) ◆神様がくださるものは、「誰も考え付きっこないほど素晴らしいもの」 [Ⅰコリント2:9]   ・神様は何も「私たちを驚かせたくて」私たちが思いつきもしないものを与えてくださるわけではない。私たちに    対する愛が余りにも深すぎて、「自分勝手な私たち」と波長が合わないので、私たちの思いが届かないだけ。     *私たちは「自分に優しくしてくれる人」は好きになるが、不親切な人のことは好きになれない。                   神はそうではない!     *私たちは「自分にとって得になること」は進んでしようとするが、損になりそうなことはやりたがらない。        神はそうではない!     *私たちは「自分の予定に差し障りがなければ」助けるが、他に用事があれば見て見ぬ振りをする。           神はそうではない! ◆私たちは、知的に納得しようとする(「OOなのだから、XXしてもよい」など)   ・それ故、自分の知識や経験を超えた出来事を極力避けようとする。しかし、神が私たちを招くのは、しばしば    そういった「知的に納得できないこと」 = 私たちから信仰を引き出すため(例:ペテロに対するチャレンジ) ◆何がフェアなのか? Read more…

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聖書

(104) “あなたの名は何というのか?”

もうすぐクリスマス。クリスマスと言えば「プレゼント(?)」私たち日本人は誰かに何かを差し上げるとき、よく「つまらない物ですが…」と言いながら渡す習慣がありますが、謙遜な表現にしてもちょっと変だとは思いませんか? 物ならばまだいいのですが、これが『自己紹介』だとしたらどうでしょう?「あなたはどなたですか?」と尋ねられて「いえ、つまらない者ですよ…」などというのは謙遜でも何でもなく、単なる大きな誤りです。 「自分で自分のことをどんな人間だと思っているか?」ということは、ある意味「現在の自分の実際の姿」以上に重要と言えるかもしれません。ビジネスマンは初対面の人に名刺を渡すのが常ですが、私たちは「名刺に書かれている自分」以上の存在です。名刺に書かれているのは単にその人の職業や地位だけであり、実際のその人は父親や母親であったり、妻や夫であったり、弟や妹またはたったひとりの息子・娘であるかもしれません。 聖書に『ヤコブ』という人が出てきます。その名前の意味は「だます者」という意味でした。しかし神は彼に新たな名前を与えました。それは『イスラエル(神の王子)』という意味です。それ以来彼は以前の名を捨てて、自らを「神の王子」と呼んだのです。 聖書の中で神は私たちにこう語りかけます。「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」と。言わば私たちも『神の王子であり、王女』なのです。 フランス革命の時に、国王であったルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチン死刑になったことは有名ですが、その息子に関してはこんな逸話が残っています。革命家たちは年端もいかない王子を殺すにはしのびなく、かといって将来親の敵討ちをたくまれても困るということで、街のならず者の一味に預けたそうです。このならず者たちは彼らの習慣に従ってこの少年を盗みや暴力などの様々な悪行のためにしつけようとしましたが、そのたびにこの少年は「ボクは王の子供なのだから、そんなことはできません!」と拒んだそうです。 どうぞ次のことを忘れないでください。私たちも、この天地をお造りになられた『王の王』の子供たちなのです。誰一人「つまらない、不必要な人間」などいません。もちろん、傲慢な態度をとる必要はありませんが、「自分は高価で尊い存在である。くだらないことに身を染めるべきものではない。世界は私を必要としている!」 神様はアナタがそのような自覚を持って生きることを今日も期待しておられるのです。

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2013年12月15日 「福音の真理に向かって」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「福音の真理に向かって」     (15/12/2013) [ガラテヤ 2:11-14]  ◆アンテオケで何があったのか? [11~13節]   ・ペテロが「割礼派の人々」の目を恐れて、異邦人との交わりを避けた。    *問題点は何か? = 『福音の真理』に向かって歩んでいない![14節] ― 私たちも再吟味が必要 ◆『福音の真理』とは?  ⊚イエス・キリストを通してのみ与えられる「神との特別な関係」に生きること 〈5つの目当て復唱〉    ・『信仰』とは、日々「神との関係」の中に生きること。(『罪』とは「神との関係」に対する不誠実。[ローマ14:23])    ・ペテロは、神からの啓示と実体験によって「異邦人に対する無条件の救い」を教えられた人物(使徒10-11章)     それ以来ペテロ自身、自分の「古い習慣」に敢えて逆らい、「神への信仰と誠実さ」の故に、異邦人とも何の     差別もつけず交流していた。それが、アンテオケに来た時、割礼派の人々の目を恐れて「本心を偽った行動     (13節)」すなわち「信仰による歩みから外れて、古い習慣に従った」。    これをパウロは非難した! ◆どのようにして「周囲からのプレッシャー」を克服するか?   ⊚「キリストへの愛」を第1にする [Ⅰヨハネ4:18-19]       ・本当に『最優先すべきこと』がはっきり定まると、あとの選択が簡単になる。       「喜ばせる相手(誰に文句を言われても、はねつけられるほどの対象)」を1人に定める = 主イエス・キリスト     ・主イエスを愛し、その御顔を真直ぐに見つめながら生きる。[ガラテヤ5:6] その上で取捨選択すれば良い。 ✯あなたは「主イエスを最もハッピーにすること」に心を定めて生きたいですか?    Outline of the sermon Read more…

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2013年12月8日 「私たちが注目すべきもの」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「私たちが注目すべきもの」     (08/12/2013) [ガラテヤ 2:6-10]  ◆エルサレム教会との一致の回復 [9節前半]   ・アンテオケを起点とする異邦人主体の教会と、エルサレムを中心とするユダヤ人主体の教会の和解。 ◆一致回復の要因は?(私たちJCFの“一致”のためにも参考になる)   ①人に注目しすぎない [6節]     ・確かに神は人を器としてお用いになるが、「人」や「現象」に注目しすぎると分裂・分派の原因にもなる。   ②『委ねた方』に注目する [7節]     ・割礼を主張する人々は、「パウロが教えていること」に注目したが、エルサレム教会のリーダーたちは      「パウロがそれを誰から委ねられているか」に注目した。     ・私たちも、今していることを「何故しているのか?」吟味すべき。= [Ⅰテサロニケ2:4](人に媚びるのでなく)   ③主はただ1人だが、働きはたくさんあって良い [8~9節]     [Ⅰコリント12:6-7]       ・私たちは「働きに仕えている」のではなく、「生ける神に仕えている」のである。『主の働き』に優劣はない! ⊚JCFのビジョンは「OOを成し遂げること」ではなく、「1人1人が日々しっかりと神様につながり、   それぞれが神様から与えられている可能性へと、主にあって恐れず大胆にチャレンジしていくこと」。      Outline of the sermon    “What we should be Read more…

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聖書

(103) “あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神が、あなたがたのことを心配してくださるからです。”

1つのなぞなぞを出します。「それをしても少しも得をしないどころか、損をする一方なのに、ついつい時間や力をたっぷり費やしてしまうもの、なぁんだ???」 何だか分かりますか?その答えは『思い煩い』です。 私たちは、いくら考えてもどうしようもないことを、ついつい思い煩ってしまいます。「受験に失敗したらどうしよう?」「このまま結婚できなかったらどうしよう?」「会社をクビになったらどうしよう?」などなど。どれも悩んだからといって事態が好転するものではなく、また実際に起こったからといって、命を失うような大事でもありません。では私たちはどうしてこのような『思い煩い』に捕まってしまうのでしょうか? 次の3つの理由が考えられます。 ①私たちは『現在』にしか生きられないから ・『思い煩い』はみな、「過去」または「未来」に関することです。「あんなことをしなければ良かった…」とか、「こんなことが起こったらどうしよう…」などなど。私たちにはどうしようもないことがらなので、ただ思い悩むことしかできないのです。 ②自分が『人生の主人公』だと思っているから ・人間は基本的に『自己中心的』であり、「自分の人生がどうなってしまうのか」が最重要事項になっています。ですから、たとえ家族や友人が幸運に恵まれていても、かえって自分の状況が心配になってしまうのです。 ③『出来事』に興味が集中しているから ・「人間は環境の動物」などと言われる通り、私たちは自分の内面を整えることより、外側の環境(外見・経済状態・持ち物など)を整えることにほとんどの時間と労力を費やしているので、それらを思い通りにできない時、対処する知恵がありません。 聖書は私たちに「思い煩うな!」と告げています。ということは、私たちが「思い煩わないでいること」が神のみこころなのです。言葉を変えて言うならば『思い煩い』とは、神を信じない(不信仰の)姿勢から発生する弊害です。神はこの全世界を創造され、今日もそれらすべてを支配しておられます。また彼は時間や空間に縛られてはいません。今ここで私たちと共におられると同時に、100年前や100年後にも存在することのできる方なのです。この神が「私こそアナタの人生の主役だ」とおっしゃるのです。私たちの人生は「私たちがどれほどの人間か」を顕示するためではなく、「私たちの神はどれほどのお方か」を表現するためのものなのです。そして聖書は「人はうわべを見るが、神は心を見る」と宣言します。出来事が問題なのではなく、その背後にある『人々の心』こそ重要なのです。敬虔な神のしもべとして有名なマザー・テレサは言いました。「『どれだけのことをしたか』は問題ではありません。大切なのは『どれだけ心を込めたか』です。」 この聖書の神をあなたの神として、このお方に全面的な信頼を置いて生きるとき、初めて人間は『思い煩い』から解放されるのです。

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2013年12月1日 「神からのアプローチ」

ごめんなさい!メッセージの録音を忘れました… 説教あらすじ        「神からのアプローチ」     (01/12/2013) [ヨハネ1: 10-12] ◆「忘れられてしまうこと」の悲しさ   ・竜宮城から帰ってきた『浦島太郎』は、故郷に戻ったにも関わらず、誰も知っている人に会えなかった。   ・実話を基にした物語『The Vow(君への誓い)』では、新婚の妻が記憶を失ってしまう。昔の恋人のことは覚えているが、夫のことは忘れてしまう。夫の苦悩は大きかったが、それでも夫は『誓い』の故に踏みとどまる。 ◆神に対する拒絶 [10~11節]    ・神がこの世界のすべてをお造りになったのに、人々はそれを忘れている。仮に神の気配を感じたとしても、     自分の都合の故に、敢えて「創造主なる神」を認めようとしない。 ・『最大の親不孝』とは何か? ― 「非行」? 「先に死ぬこと」? 親を親として認めないこと ・神はなにも私たちを支配したりコントロールしたいと思っているわけではない。(親と同じ)  ただ、自分の存在を認め、神として敬って欲しい。そして日々私たちとコミュニケーションを保ちたい。    『罪』とは「神に対する拒絶」 ➝ その行く末は、「永遠にわたる神との断絶」。 ◆神からのアプローチ [12節]    ・今から約2000年前、神は究極の方法で私たちとのコミュニケーションを試みた。(『イエス』=「神は我が救い」)     そして私たちからの応答を強制せず、「私たちの選択」に委ねた。それは『愛によるアプローチ』だから。 ☆あなたはこの『神からのプロポーズ』を受け入れますか?     Outline of the sermon    “The approach from Read more…

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