聖書

(110) “互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。”

「隣りの芝生は青く見える」ということわざがあります。最近の日本ではあまり『芝生の庭』が見られなくなったので、いまいち馴染みの薄い言い回しですが、要するに「同じものであるはずなのに、何故か人のものは自分のものよりも良さそうに見える」という意味です。隣りの家とか、友人の車とか、知り合いの旦那とか、近所の子供とか…、挙げていればキリがありませんが、「何でウチのは、あの家のようではないのだろう…」とグチをこぼしたくなることがよくありますよね? そこでよぉく聞いてください。実際は「隣りの家の芝生が青く見える」のは、目の錯覚です。そのように見えるのは、「自分のものは良く知っているけど、他人のもののことは良く知らないから」、または「自分のものをキチンと面倒看ていないから」のどちらかです。 こんな話があります。あるハンサムな大金持ちが、大した魅力もない女性と結婚しました。周囲の人々は次のようにウワサしました。「あの結婚は絶対長続きしやしないわ。」 さて、数ヵ月後この新婚夫婦がハネムーンから帰ってきたとき周囲の人が見たのは、この大金持ちが全く見栄えの違った女性を連れていることでした。「ほら、前の女より、今度の女性の方がずっとこの人にふさわしいじゃない!」と周囲の人々は思ったのですが、驚いたことにこの女性はあの『冴えない女』と同一人物だったのです。この金持ちの男性はその妻を心から愛し、折にふれて励ましと賞賛の言葉をかけ、彼女の存在がどんなに自分の喜びであり、支えになっているかを日々告げていたため、この新妻は日々自分の価値を再発見しては、その上に自分自身を築き上げていったのでした。 もうお分かりですね。他の人のものを羨ましがってばかりで、自分のものの真価を見出せない人は、決して『青い芝生』を手に入れることはできません。それよりも、自分の芝生にかかさず栄養を与え、しっかりと面倒を看ることが大切なのです。あなたの妻や夫、子供たちに日々励ましの言葉をかけ、その努力を評価し、彼らの存在があなたにとってどれほどかけがえのないものなのかを伝えてください。言わば彼らの『チアリーダー』になってあげるのです。そうすれば、やがてあなたの家の芝生が、他のどの芝生よりも青々と輝いているのをあなたは発見することでしょう!

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2014年1月26日 「アブラハムの信仰に倣う」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「アブラハムの信仰に倣う」     (26/01/2014) [ガラテヤ 3:1-7]  ◆私たち(キリスト者)とアブラハムの類似点3つ  ①「他の人々の祝福」のために選ばれた。[創世記12:1-3]    ・ユダヤ人たちは「自分たちはアブラハムの子孫であり『神に選ばれた民族』である」という自負がある。その     こと自体は正しいが、大切なことを見落としている。それは「他の民族を祝福するため(3節)に選ばれた」と     いうこと。  私たちも同様である。[Ⅰペテロ2:9]  ②『信仰』によって義と認められた。[6~7節,創世記15:5-6]    ・ユダヤ人は「神はアブラハムに『割礼による契約』を与えた。だから割礼を受けなければ救われない!」と主     張する。しかし実際は、形だけの割礼は行うものの、「他の民族を祝福する使命」を忘れてしまった彼らこそ     『契約違反』を犯している。    ・私たちはアブラハムに倣い、固く『信仰』に立たなければならない。 [ローマ4:18-25]  ③「肉による完成」を求めやすい。[3節]    ・アブラハムにも、私たち同様、弱さによる失敗があった。[創世記16章]    ・私たちは「神の方法・神の時」を待てずに「自分の都合や方法」で事を成就しようとする。しかし神が私たちを     敢えて「待たせたり、試したり」するのは、「主こそ神である」ということを私たちの心に深く刻み付けるため。 ◆アブラハムが『信仰の父』と呼ばれるゆえん [創世記22章] ✯「神様どうして???」 さえも越えて、神に信頼する者となろう!   Outline of the sermon   “Real children of Abraham.” Read more…

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(109) “すべての営みには時がある。… 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。”

神を信じ、神を求めつつ歩む人生は、しばしば「受けること」以上に「待つこと」が多い、と言えるかもしれません。そして待ちに待っていたものが与えられる頃には、もう『何か次のもの』を求め始まっているのではないでしょうか?ということは、もし「喜びをもって待つ」ということを知らなければ、相当イライラする人生になりかねませんね。 神様にとっての『ベストタイミング』と、私たちに都合の良い『ベストタイミング』は異なっている場合がほとんどです。神様は私たちにとっての「本当に必要なもの」をご存知で、またそれを「いつ・どうやって」私たちに与えるべきかも知っておられます。ですから、私たちはひたすら「神様は良い方で、私にとっての最善をなさる」と信じて待つべきです。 では、私たちは神様からの応答を待っている間、一体どうしていれば良いのでしょう?答えは「神様に対する『信頼』をひたすら育てる」ということです。私たちは何か新しいものが欲しくなると『今すでに与えられているもの』の価値を見落としがちです。「無いものねだりの心」は喜びを奪います。反対に「今あるものに対する感謝の心」は私たちに失われることのない喜びを与えてくれます。 神様と歩調を合わせ、その時その時神様が与えてくださっているものをじっと見つめて、その真価を見出しながら、「待つことの喜び」を味わう者となりたいものです。

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(108) “どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。”

あなたにとって「満足いく人生」とはどんなものでしょう?高級車に乗ること?豪邸に住むこと?流行の最先端の服を着て街を闊歩すること、また一流の職場で働くことでしょうか? 「物質的に満足する」ためには、次の2つの方法があります。1つ目は、とにかく得られる物は限りなくトコトン手に入れること。もう1つは、ほんのちょっとだけしか欲しがらないことです。共産主義ソビエト時代に、その信仰の故何年も刑務所で過ごしたある牧師は、家族からも友人からも、唯一の趣味であった読書からも引き離された時、「本当の自由を体験した」と告白しています。またある探検家は、南極での何カ月もの孤独な生活を通して「人間が本当に必要にしているものは、真にわずかなものにすぎない」ということを発見したそうです。 現代人ほど「所有物に侵されてしまっている世代」は今までに無かったのではないでしょうか?「これさえ手に入れば、きっと満足する」と考えていた物も、実際に手に入れてしまうと、すぐにまた他の物を欲しくなってしまう。あたかも、物を追求すればするほど、満足感は遠ざかって行くかのようです。では、一体どれだけの物を得られれば『満足感』を得ることができるのでしょうか? ある大金持ちの青年がイエス・キリストのもとを訪れて、こう尋ねたことがあります。「先生、永遠のいのちを自分のものとして得るためには、どうすれば良いのでしょうか?」 その時イエスはこう答えました。「あなたの持ち物をすべて売り払って貧しい人々に施しなさい。そうすればあなたは天に宝を積むことになります。その上でわたしについてきなさい。」 これを聞いた青年はさぞかしショックを受けたことでしょう。 それでは、神様は私たちが物質的に豊かになることを好まれないのでしょうか?いや、そうではなく、それらの物が私たちの『心の王座』を神から奪い取ることを好まれないのです。イエスはこうも言われました。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのです。」 あなたが「神様よりも大切にしてしまっているもの」は、何ですか?

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2014年1月12日 「まず信じ、そして愛する」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「まず信じ、そして愛する」     (12/01/2014) ◆「行いによるのではなく、信仰による」[エペソ2:8-9]のつまずき (今日は、ガラテヤ2章までの総括)  ①「行いによる」方が分かりやすい    難点: 人に栄光を帰してしまう。 誰も神の基準に至らない。     ・神が求めているのは「立派な人」ではなく、「神を求め、頼る人」     ・『規則』があるのは、それ自体に注目させるためではなく、実際にそれらが守られた時に生まれる「自由や      調和」のため。しかし「規則それ自体」に注目し、それに反発して調和を乱す人間があまりにも多い。  ②「信仰によって生きる」のは分かりにくい    ・神は目に見えない。 ・具体的にどうしたら良いか分からない。     それ故、神は人となられた!    ・イエスは私たちに『神』を見せ、また「どう生きるべきか」の模範を示された。(わたしが~したように…) ◆信仰生活最大の障害 = 「分かっているのに、できない!」(これが『罪』)    *何故? ― ①恐れ(未経験・疑い) ②他にやりたいことがある(『肉』の性質)     ・これを乗り越えさせるのが「十字架に向かう愛」[ルカ9:23](イエスご自身も歩まれた道)      『愛』とは、「ロマンス」ではなく「献身」。(パウロの決意:[使徒21:10-13]) ◆『神の恵み』の真意   ・神の最大の素晴らしさは、「お願いを聞いてくれること」ではない。「共に歩みたい」と願う者に対して(その人が    どんなに失敗ばかりでも)、決して「あきれる」ことも「あきらめる」こともなく、トコトン一緒に歩んでくださること。 (別の言葉で言うなら、「神の私たちに対する『献身』」) 私たちは、これを『恵み』と呼ぶ。 ✯あなたはこの方を「信じ」ますか? そして彼を「愛し」ますか?   Outline of the sermon   “Have faith in Jesus, Read more…

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2014年1月5日 「パウロの大発見」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「パウロの大発見」     (05/01/2014) [ガラテヤ 2:15-21]  ◆ユダヤ人の誇り [15節]   ・異邦人 = 罪人(神を恐れることを知らず、律法[割礼]を持たない)   ・『割礼』は律法のほんの一部にすぎないが、「目に見える神の民のしるし」であるがために重視された。               パウロの反論[ガラテヤ5:3]  律法全体を完全に守っている者は誰もいなかった。[16節] ◆信仰義認   ・神は「律法を守ることによって」ではなく、『キリスト・イエスを信じる信仰』によってのみ義と認めてくださる。     このメッセージは「素晴らしすぎる」故に、反論もあった。[17~18節]   ・キリストが罪人をそのままで救うのは「罪を肯定(見過ごしに)しているから」なのか? そんなのは甘い!やはり律法が必要だ!     決してそうではない!!! ◆パウロの大発見 [19~21節]  ⊚「キリストを信じる信仰」とは、「自分がどう生きるか」の問題ではなく、「自分が死ぬこと」にある。     ・『罪』も『律法』も「私たちの『肉(願望)』に訴えかける」という点では、同じ。 「善悪の知識の木」に由来する。     「神抜きに、自分で」という思いに目覚め、結局「他者との比較による優越感や劣等感」に陥った。 ◆何を誇りとして生きるのか?   ・あなたが「誇りとしているもの」は何ですか? [エレミヤ9:23-24]   ・キリストが死なれたのは、罪のためだけでなく、律法も含めた「私たちの肉の誇り」を打ち壊すため。[ガラテヤ6:14] ✯あなたはキリストと一緒に十字架につけられましたか? それとも単なる傍観者ですか?   Outline of the Read more…

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(107) “主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。”

日本からニュージーランドにいらっしゃる方々の中には「日本での生活に疲れた。もう1度自分自身を見つめ直したい」というような『自分発見』を求めてくる方が多くいらっしゃいます。どうしてそのような方々が多いのでしょう?それはきっと、日本の社会の流れのスピードがあまりにも目まぐるしく、「自分自身を見つめる間」を見つけられないのではないかと思います。 私たちが日本から離れて生活するようになって20年近くの歳月が流れました。時々一時帰国をするたびに感じるのは、やはり「日本は複雑でめまぐるしい」という印象です。こちらが考え付く以上の品物の山、放っておいて欲しいと思っても、後から後から人や物に追いかけられているようなプレッシャーがあります。 私は、本来人間はあまり多くの物を必要としていないと思います。「衣・食・住」があって、「心を分かち合える仲間(家族?)」がいる。それで十分なはずなのに、「もっと豊かに、もっと便利に」と追求した結果が、この慌ただしい社会と、それに振り回されることに疲れ切った人々なのではないでしょうか? 日本の慌ただしさを逃れてニュージーランドにやって来た方々の多くが、こちらの雄大な自然やゆったりとした生活ペースの中で『創造主なる神』、そしてその神に形造られ、また愛されている存在としての『自分自身』を見出して帰国されます。「人は『何かができるから』、また『何かを持っているから』価値がある」のではなく、「偉大な神に形造られ、愛されているからこそ、そのありのままで価値がある」 たったこれだけのことが、私たちに本当に必要な『心の糧』なのです。実は多くの人々が心の奥深くで何となくそのことに気が付いているのに、『忙しさ』や『宗教的なことに対する嫌悪感』か何かで、それを認めることを拒んでいるのではないでしょうか? 年が改まり、気分一新して新しい年のスタートを切るにあたり、「唯一まことの神に造られ、愛されている自分」を見出すことから、歩みを始めてみてはいかがでしょうか?

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(106) “信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。”

ワシの母鳥は、小鳥たちが成長してきたとき、自分たちで巣立つまでのんびり待っていたりは決してしません。もしそんなことをしていたら、いつまで経っても巣立っていかないことを知っているからです。母鳥は時が来ると彼らを巣から蹴落とします。「そんな冷たい!」と思ってしまいそうですが、それが小鳥たちに自分自身の人生を全うさせるための最も良い方法なのです。 私たちは、自分の力の限界を超えた挑戦をすべきではないかもしれませんが、いつでも「コンフォート・ゾーン(居心地の良い場所)」からは出て行くべきではないでしょうか?何故なら『コンフォート・ゾーン』に安住し続けた人で、大いなることを成し遂げた人は1人もいないからです。 正直なところ、誰も『コンフォート・ゾーン』から出て行くことを好みません。私たちは安全で落ち着いた場所が好きなのです。敢えてリスクを犯すよりは「現状維持」にとどまりたいのです。そんな私たちのことを評して、劇作家のバーナード・ショーは次のように言っています。「オレは『分別のある人々』にはもう飽き飽きした。アイツラはいつだって『しなくたっていい理由』ばかり捜してやがる!」 『信仰』はいつでも私たちに「コンフォート・ゾーンから飛び出す」ように促します。そして『疑いのドア』を押し開け、神が私たちのためにデザインしてくださった人生の航海へ出発させてくれるのです。真にエキサイティングな人生へのドアは、ノックをして「開けてくれるのを待つ」ものではなく、いつでも「押し開けて」いくものなのです。

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