聖書

(177) “ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼(息子)を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。”

聖書は『ただ1人の神』について語りますが、しばしばそれは読み手である私たちが抱くイメージによっていろいろに様変わりします。ある人は『神様』と言えばすぐに「雲の上におられる白いヒゲの柔和なおじいさんで、何でもお願いを聞いてくれる」と思い描きますが、別のある人は『神様』と聞くと反射的に「怒りっぽい大王で、手にムチを持っていて、いつも私たちを見張っていて、失敗するとバチをあてる」とイメージします。 しかし聖書が私たちに伝えようとしている『神様』はそのどちらとも違います。イエス・キリストはまさに私たちのそのような誤解を解くためにこの世界に来られ、その教えと生き様とを通して『正しい神のイメージ』を私たちに伝えようとされたのです。彼が伝えた神のイメージ、それは言うなれば『愛に病む父』です。 神は私たち人間をお造りになられました。それは私たちが神との「愛の関係」を保ちつつ、この地上に増え拡がって行くためです。ところが私たち人間は「自分の益」に心を奪われ、神を見失い、他の人々への思いやりも忘れて「自分のこと」に終始するようになってしまいました。そのような私たちの様子をご覧になり、私たちの生みの親である『天の父』は日々心を痛めておられるのです。 神の求めておられるのが、単なる『従順な子供』としての私たちではなく「私たちとの愛の関係」であるため、神はそれを「無理強いする」ことができません。ただひたすら私たちがその愛に気づいてご自身の許に帰ってくるのを「待ち続ける」しかないのです。この『神の愛』に応えるためにあなたにできることは「一生懸命『良い子』を演じること」ではなく、この天の父の愛に向かって振り向いて「今までお待たせしてごめんなさい。これからはぜひ一緒に生きて行きますから、どうぞよろしく!」と言うことなのです。

メッセージ

2015年8月2日 「正しい神のイメージ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「正しい神のイメージ」     (02/08/2015) ◆神のイメージ ①柔和なヒゲのおじいさん(どんな願い事も叶えてくれる。いて欲しいときだけいてくれる) ②ムチを持った怒りっぽい大王(いつも私たちの行動を見張り、ちょっとでもミスをすると罰を与える) *聖書に描き出されている神のイメージは『愛に病む父』。 ・私たち1人1人をこよなく愛し、私たちからも愛されることを望んでいる。 ・『愛による関係』を望んでいるが故に、強制することができない。ひたすら待ち続ける父。[ルカ15章] ◆罪に対するイメージ ①罪を感知できない ― 何が罪だか解らないし、自分のどこがいけないのか、自覚がない。 ②自分で何とかしたい ― 罪の自覚はあるが、自分の責任なのだから、自分で解決しようとする。 ③あきらめ ― 「自分はどうせデキが悪い」とあきらめている。悩みたくないから放っておいて欲しい。 *「神の正しいイメージ」が「罪に対する正しい理解」へと導く。 「自分の今の状態が、神を苦し(悲し)ませている!」 ・そして『神の痛み』を理解するなら、その解決のために「神の側から差し出された和解」をも受け入れられる。 ◆「神の子」としてのイメージ  「良い子でいる限り大丈夫」? ・『神の子』とされているかどうかは、「私たちの立派さ」によるのではなく、「私たちの内に主イエスがおられる  かどうか」による。[ヨハネ1:12]  そしてイエスの約束は、「決して離れず見捨てない」。[へブル13:5] ・『神の子として生きる』というのは、「見放されないためにどうしたら良いか?」ではなく、「決して見放されない からこそ、どう生きたら良いか?」ということ。 ✯クリスチャン・ライフは、「いつも神を笑顔に保ち、その笑顔に笑顔で応えていくこと」   Outline of the sermon   “Have Read more…