(68) そこで、彼らは言った。「あなたはだれですか?」

今から2千年前、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていたヨハネに対して、人々が「あなたはだれですか?」と尋ねた時、ヨハネは迷うことなく次のように答えました。「私は預言者の書の中に書かれている『荒野で叫ぶ者の声』であり、『主の道をまっすぐに整えている者』です。」 当時ヨハネには多くの弟子たちが付き従っていましたが、やがて『来たるべき方』であるイエス・キリストが現れた後、彼の弟子たちの多くはイエス・キリストの許へと移って行きました。ヨハネはガッカリしたでしょうか?いいえ!なぜなら、彼は自分が一体何のために生まれてきたかをよく知っており、その役割を忠実に果たすことができたことに満足していたからです。 あなたは、「自分が何のために生まれてきたか」を知っていますか?もちろん生まれつきそのことを知っている人はいません。しかし、人生半ばに差し掛かってもそれが何であるか皆目見当がつかないなら、それはチョッピリ悲しいことではないでしょうか? 聖書の記述を見る限りでは、使徒パウロはあまり雄弁な説教家ではなかったようです。しかし彼はそれを埋め合わせて余りある『著述家』でした。彼は神の霊に導かれて、多くの説教者を生み出すに至った多くの『著作』を残しました。彼はその生涯の中でたびたび牢獄に入れられましたが、そんな中で彼は、弁護士や美味しい食事を欲しがりはしませんでした。ただ彼が欲したのは「紙とペン」だったのです。彼はそのいのち尽きるまで、書いて書いて書き続けました。その結果、今に至るまで、人生の意味を見出し、神に献身して生きる人々を輩出し続けているのです。 あなたはどうでしょう?あなたは「何のために生まれてきたのか」をもう見出しましたか?「私は生涯かけて、この一事を成し遂げたい!」と心を燃やすものを持っていますか?次のバーナード・ショウの言葉に耳を傾けてみて下さい。 「人生とは、ロウソクの火ではない。それは燃え盛るたいまつに似ている。私はそれをほんのしばらくの間預かり、私がそれを手にしている間に、できる限りそれを赤々と燃やして、やがてそれを次の人へとバトンタッチするのだ!」

(67) 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。

『アメリカ宇宙プログラムの父』と呼ばれる、NASA宇宙局の初代所長であるウェーンハ―・ブラウン氏は、その著述の中で次のように述べています。「もしあなたが宇宙の遠大さとそれを支える綿密な法則を知ったなら、これが偶然な爆発によって形造られたなどという寓話を信じる余地はない。そこには間違いなく、人知を超えた恐るべきデザイナーが背後におられると信じざるを得ないのである。一体どんな偶然が人間の脳や視神経を形成すると言うのか。進化論者たちは『神はいない』ということを何とかして科学的に証明しようとするが、それはあたかも『太陽を見るためにはろうそくの灯が必要だ』と言っているようなものである。彼らは『目に見えないものは信じられない』と言う。しかし一体どこの物理学者が『電子は目に見えないから、存在していない』と言うだろう。」 この世に存在しているものは皆、それを生み出した『デザイナー』がいるのです。すべての書物が存在するのは、それを出版した人がいるからです。建物が存在するのは、設計者や建築家がいたからです。芸術作品の背後には芸術家が、素晴らしい曲には作曲家がいるのです。ならば、この壮大な大宇宙と美しい大自然、そして私たち人間1人1人の存在は、それらすべてを崇高なご計画の下に生み出された、『創造主なる神』がおられることを示しているとは言えないでしょうか?

2013年2月3日 「愛すること・信じること」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「愛すること・信じること」      (03/02/2013) [ヨハネ16:25-33] ◆私たちの使命    ・イエスが地上に来られたのは「父なる神を世に示すため」。(その愛・力・権威・聖さ・恵み・義など)    ・私たちが地上にいるのは「キリストを世に示すため」。[ヨハネ20:21] ◆どのように?  ・「個人の働き」よりも、むしろ「キリストにある者同士の関係」によって。[ヨハネ13:35] ・キリストの至上命令は、キリストの愛を経験した者同士が、互いに愛し合うこと。[Ⅰヨハネ3:23] ・私たち(教会)は「キリストのからだ」であり、1人1人は各器官。[Ⅰコリント12:27] それ故「共に集まる中」にこそ キリストご自身が現わされる。 ◆愛すること・信じること [27節] ― その共通点は?    ①1人では成り立たない。私たちは『関係』の中で生きるために造られた。    ②どちらも「ナチュラルにそれができない時」にこそ、本物が現わされる。(「~だから」に支えられていない。)  *まず『家族』の中で、そして教会(JCF)の中で、この1年「理由の要らない愛と信頼」 を育てよう。 ◆「愛と信頼」の原動力 [32~33節]   ・イエスが弟子たちに見捨てられても動じなかったのは、「決して見捨てないお方」に結び付けられていたから。 そしてイエスが私たちに「患難の中でも勇敢であれ」とおっしゃる根拠は「御父が示されたのと同じ愛と信頼を 私たちに示す」と決めておられるから。聖書もはっきりと次のように約束している。➝ [ローマ8:35-39] ★この同じ愛を、この2013年、JCFの中で、一緒に育てて行きましょう!   Outline of the sermon    “‘Love’ and ‘Trust’.”     (03/02/2013) [John 16:25-33] ◆ Our ‘Mission’.    ・Jesus came to the world to “reveal the Father Read more…

(66) 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 動物園でクサリにつながれたゾウを見たことのある方は、次のように感じたことはありませんか?「ゾウだったら、あんなクサリ簡単に引きちぎって逃げ出してしまえそうなのに…」 実際その通りです。ただ、動物の調教師たちはちゃんとわきまえていて、まだほんの小さな子ゾウの時からクサリにつないでおき「このクサリは決して引きちぎることはできない」と思い込ませることによって、ゾウが逃げ出すのを防いでいるのです。 さて、ゾウが逃げ出せないのは良いことですが、同じようなことが私たちの人生にも多々あります。すなわち「私たちの思い込みが、私たちの可能性を制限してしまう」ということです。もっと具体的に言うなら、「私たちの心の中にある『恐れ』が、私たちの夢の実現を妨げる」のです。 私たちは皆「失敗」を恐れます。ある人々は「拒絶されること」を極端に恐れます。また、人から笑われたり、バカにされたりすることを歓迎する人はいません。しばしば私たちは、やってみる前から「どうせできっこない」とあきらめてしまいます。全くその通りです。やってみる前から「できっこない!」と固く信じている人がチャレンジしたところで、成功することは恐らくないでしょう。しかし実のところ、私たちが抱いている『恐れ』というもののほとんどは、全く根拠がない、漠然としたものなのです。 ところが聖書は、「私たちは『恐れ』を乗り越えることができる」と教えます。その第1の秘訣は、「神が私たちに何かを与えようとしておられる時、それを妨げることのできるものは何もない」と信じることです。「恐れを乗り越える」とは、「もう失敗することはなくなる」ということではなく、「神が与えようとしているもの以下で甘んじてしまおうとする誘惑に、『No』と言う」ということです。 神は私たち1人1人に特別(ユニーク)なご計画を持っておられます。しかし悪魔は何とかそれを計画倒れにさせようと、必死になって私たちの心に『恐れ』を投げ込んでくるのです。ですから「神が用意された優れた人生」を歩むのは、心から神に信頼して生きる者たちだけに与えられた『特権』なのです。