(73) 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。

私が通っていた幼稚園は『恵み幼稚園』という名前でした。それはキリスト教会の付属幼稚園だったわけではなく、「お寺の付属幼稚園」そして園長先生はお坊さんでした。毎朝お寺で「ありがたいお話し」を聞いてから1日がスタートするのですが、その中で、私が卒園してからもずっと覚えていたお話は「お釈迦様はいつでもあなたのことをご覧になっています」というものでした。私は当時「鼻くそをほじるクセ」があったので、この「お釈迦さまがいつも自分のことを見ている」ということは、『見守られている』というより、むしろ『監視されている』という気分がして、とても辛かったのを覚えています。 ところで「恵み」とは一体何でしょう?少なくとも次の3つのことを含んでいると思います。 ①一方的に与えられる物。 ②自分の努力によってではなく、神の憐みによって与えられる物。 ③自分の力で奮闘している間は手が届かず、「もうダメだ」と思った時、いつの間にか手にしている物。 聖書には次のような言葉があります。「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 ここで言う『へりくだる者』とは、自分の弱さ・足りなさを認め、「神なしには決して成し遂げることはできない」と考える者です。それと反対に『高ぶる者』とは、自分の力で成し遂げることによって「名誉を我がものにしたい」と望む者であり、このような人たちにとっては「神からの恵みを受け取る」ことはおろか、プライドの故それを求めることさえできないのです。 使徒ペテロは「恵みにおいて成長しなさい」と言っています。私たちが「恵みにおいて成長する」には、それを『受け取る』経験を重ねる以外にありません。そしてそれを受け取るには、神の愛と約束を信じ、日常生活の中で神が与えて下さっている物を見出し、それを感謝し、またあなたが助けを必要とする場面でそこに神が介入してくださることを期待し待ち望む姿勢が必要です。実際、「神の恵みなしに私たちが生きることのできる日」なんて、1日だってありはしません。そしてまた、私たちの必要を満たすために、神に「足りない」などということも、決してないのです。

(72) ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、

おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 「努力はいつか報われる」という価値観を握りしめて今日までの人生を送ってこられた方は少なくないと思います。何を隠そう、私自身も『中学校卒業記念文集』の寄せ書きに、「努力はSome Day報われる」と力強く書き込みました。「人間たるもの、努力を怠ったら、もはや生きる資格はない!」などと確信していたと思います。ですから「何の苦労もなく手に入れる」とか、「タダでもらえる」などと聞くと、時には軽蔑したり、「タダほど高いものはない!」などと言って敬遠してきた気がします。 ところが、一見この「人生の美学」とも思える『努力至上主義』が、「神の恵みを受け取る」という状況になると、大きな障害になりかねない、ということも事実です。神は私たちを最高の愛で愛しておられ、ご自身の許にある祝福を私たちに注ぎたい、といつも願っておられます。そして私たちがその祝福をいただくための正しい姿勢は、「何とかして手に入れる」というのではなく、「ただ感謝して受け取る」というものなのです。 イエス・キリストは、私たちを「人生における悩み・束縛・プレッシャーなど」から解放するためにこの地上に来てくださいました。何も『クリスチャン』という名のもとに私たちを新たな「悩み・束縛・プレッシャー」の中に閉じ込めるためではありません。私たちは、すべての神の祝福は「恵みによって無代価で与えられるもの」であって、それを受け取るために必要なたった1つのものは「神はそれをくださる、という信仰」だけだということをはっきりと心に刻まなければなりません。神の目にあなたは一体どれほどに尊い、価値ある存在なのか、あなたはまだよく分かっていないのです。このお方こそ「世界で最もあてになるお方」であり、その祝福をいただくことを妨げている物こそ、今まで「これこそ1番大切で、どうしても手放せない」とこだわってきた『古い価値観(習慣)』なのです。 私たちの『古い価値観』は言います。「1人前になったら、いつまでも他の人に頼ってちゃいけないよ!」 しかし「私は古い価値観で頑張ってきて、ダメでした。もう自分に頼ることはやめて、全面的にあなたに頼って行きます!」と言う者こそ、神が最も祝福を注ぎやすい人々なのです。

(71) 私たちは真実でなくても、神は常に真実である。神にはご自身を否むことができないからである。

使徒パウロは聖書の中で、次のような人々は神の国に入ることはできない、と書いています。「性的な罪を犯す者、偶像を拝む者、酒に酔う者、強奪する者、…そして『すべて偽る者』」。 「それじゃあ、ちょっとした『でまかせ』を言うことや「見え透いたお世辞」を言うことが、不倫や強盗と一緒だって言うのかい?」と問われるかもしれません。でも、そういうことになります。神の前には「税金の支払いをごまかすこと」も、「他の神々に対して膝をかがめること」と同様にその心を痛ませるのです。 どうしてそんなことになるのでしょうか?何故神はそこまで私たちの『不真実』を嘆かれるのでしょう?それは『不真実』は、神のご性質に真っ向から反するからです。神は「ウソをつかない方」でも「ウソをつかないようにしている方」でもなく、「その性質上、ウソをつくことのできない方」なのです。神が私たちに何かを約束されるなら、それを守らずにはいられない方であり、神が何かを語られたなら、それは必ず文字通り理解されるべきです。そして彼が聖書の中で私たちに語られている数々の言葉は、すべてそのまま信じるに値するものなのです!神の辞書には『あやふや』という文字はありません。彼の言葉はいつも白黒はっきりしています。 今日、もし私たちが「本気で神と共に人生を歩もう」と言うなら、私たちはまず「常に心からの真実を神にささげて生きる」ということをしっかりと心に刻まなければなりません。

(70) 人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

人生は『選択・判断』の連続です。たった1つの誤った判断が、私たちの人生を台無しにしてしまうこともあります。ですから、私たちが祝福に満ちた人生を送るために『正しい判断力』は欠かせません。ところがこの『正しい判断力』というものが「生まれつき身に着いている」という人は誰もいません。また「普通に生活していれば、いずれ身に着く」といったものでもありません。『勇敢さ』『高い教育』『年を取ること』がそれを得るのに役立つとも限りません。「日々正しい判断を行なっている人」と一緒に時間を過ごすことは、助けになることもあるかもしれませんが、かと言って「一緒に居さえすれば、やがて移ってくる」というわけでもありません。 「正しい判断力」を身に付けるために、私たちにできることが2つあります。 ①「1つ1つの選択には、必ずその結果がついてくる」ということを肝に銘じる。 ・自分の苦労や失敗を『環境』のせいにする人はたくさんいます。しかし実際は「環境そのもの」がその人を追い込むのではなく、「それらの環境に対する対処の仕方や態度」があなたの人生に影響を及ぼすのです。自分の周囲の環境を呪っても何も事態は好転しません。その環境の中で「あなたができる最善を見出そうとする姿勢」が、あなたの内に『正しい判断力』を育てるのです。 ②「他に方法はない」と決めつける考え方を捨てる。 ・私たちはしばしば「これは必ず正しくて、これは必ず間違っている」という考え方に偏りがちです。「この方法は以前やってみてダメだった。だからもう1度挑戦する価値はない!」 本当でしょうか?もしかしてもう1度チャレンジしてみたら、うまくいくことはあり得ないでしょうか?みすみす可能性を狭めてしまうのではなく、『ダメ元』で、以前失敗した方法であっても、多少愚かに見える方法であっても、はたまた1度も試みたことのない道であっても、わずかな可能性を探ってみてはどうでしょう?「必ず何か他にも方法があるはずだ」という姿勢を育てること、これが私たちに「更に豊かな判断材料」を与えてくれます。

2013年3月24日 「『この世』とのバトル」

メッセージをダウンロードして聴く マイクさんの証しをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『この世』とのバトル」     (24/03/2013) [ヨハネ17: 14-19] ◆この世のものではない。[14節]   ・私たちは『神の子ども』として、イエス同様「この世のものとは相容れない」。しかしサタンはあらゆる手を尽くして我々を「この世と妥協させよう」とする。それ故イエスは「彼らが悪い者から守られるように」と祈られた。 [15節]   ・「神は良い方だから大目にみてくれる」のではない!神が『大目にみる方』だったら、十字架は必要なかった。「神は良い方」だから、いつでも私たちが『神の最善』の中に招き入れられることを期待しておられる。 ◆『真理のみことば』によって、聖め別たれる。[17節]    ・イエスが私たちをこの世から取り出すためのツール = 「神のことば」(真理) ・イエスこそ「生ける神のことば」(この世との妥協がない) ― 神のことば無しの信仰は、世と混合する。 ・私たちは時々「自分のアイディアをバックアップするための聖書のことば」を捜す。      ➝ 大切なのは「私たちの願いの成就」ではなく、「神の最高・最善のご計画の成就」。 ◎そのためにどうしても必要なこと = 『神に対する絶対的(不動の)信頼』と『そのみことばに対する従順』。 ◆陥りやすい落とし穴   ①聖書は『急ぐ』ことは教えていない     ・それが『神の』計画であるなら、あなたの生涯の終わりまでに成就する必要はない。[へブル11:13-16]   ②『状況』から神のしるしを見出そうとするな![マタイ16:4]     ・私たちが頼りとするのは「不動の神のことば」。 状況なら、サタンでも変えられる。 ☆みことばに徹底的に従うことによって、『この世とのバトル』に打ち勝って行きましょう!     Outline of the sermon    “Our battle against the world.”     (24/03/2013) [John 17: 14-19] ◆ We are not of Read more…

2013年3月17日 「あなたは、わたしの愛する子」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「あなたは、わたしの愛する子」     (17/03/2013) [ヨハネ17: 9-13] ◆神がイエスに与えた名[11節] = 『神の子』の称号 過去に他の誰もその名で呼ばれたことはない。[へブル1:5]    ・イエスは生まれる前からそれを受けていた。[ルカ1:35]  公生涯の初めにも。[ルカ3:22] ◆この称号は私たちにも受け継がれた。[ヨハネ1:12-13, ガラテヤ3:26]   It is amazing!    ・今や私たちは神の前に全く新しい存在。[Ⅱコリント5:17] ・神は私たちの『功績』の故ではなく、「私たちが誰であるか」の故に祝福する。[Ⅰヨハネ4:17] ◆イエスの願い。[11節]  ― 私たちの内に「神の子とされている」 という事実が不動のものとなること。   ・イエスはご自分が去った後も「子に対して注がれる御父の愛」が地上で証しされることを望まれた。それ故、私たちを地上に残された。[ヨハネ20:21-22] 聖霊は私たちを通してイエス(神の子)を証しするために遣わされた。 ◆『神の子として生きる』とは?    ①御霊に導かれて生きる。[ローマ8:14-16]     ・聖霊は私たちに「神の子としての自覚」を与え、「子に対して向けられている御父の愛」を知らせる。[ルカ3:22]     ・あなたを『子』とするつもりがなかったら、初めから神はご自身の霊を人に注いだりはしなかった。[ヤコブ4:5]    ②神の財産を相続する。[ローマ8:17a, Ⅰコリント2:12]     ・今や私たちは、キリストが地上で用いていた『神の富』を、同様に用いることができる。    ③キリストと共に苦難を相続する。[ローマ8:17b] ・苦難は「神に忘れられているしるし」ではなく、「子として扱われているしるし」。[へブル12:7-8] ・イエスはそれが起こる前に予告され[ヨハネ16:33]、そして私たちのために祈られた。 [14~15節]     ・苦難はいつでも、私たちが「父の許へ走るため」であり、「この世のものではない」ことを確認するため。   Outline of the sermon    “You are my children, whom I love.”    Read more…

2013年3月10日 「あなたは、誰のもの?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「あなたは、誰のもの?」     (10/03/2013) [ヨハネ17: 6-8]  ・[6節]を読むと、イエスが私たちのことを「父のもの」とか「わたしに下さった」とか言っているのが少々気に障る。   一体私たちは「誰かのもの」なのか? それとも「自分のもの」なのか? はたまた「神のもの」なのか? ◆キリストを信じる者は『神の所有とされた民』 [Ⅰペテロ2:9-10] ➝ では何故そう言えるのか?    ①神によって造られたから。[詩篇100:3]    ②キリストの代価によって買い取られたから。[Ⅰコリント6:19-20]    ③自らの意志によって、自分自身を神にささげる。[ローマ12:1-2] ・「自分をささげる」というと、損するような気がするが、実は逆。 「所有されている」=「面倒を看てもらえる」 ・神にとって「信仰者」は特別な存在。イエスは言われた。[マルコ9:41] アブラハムへの約束。[創世記12:1-3] ◆イエスは誰に所有されていたのか?[Ⅰコリント3:23]    ・キリストは地上に於いて全く貧しかった。[マタイ8:19-20] すなわち、完全に「面倒を看て下さる方」に依存して いた。(「神から与えられたもの」以外何も持っていなかった!)これこそ「キリストは神のもの」と言えるゆえん。 ◆私たちは、誰のもの? ・あなたが「どこから与えられた物を持っているか」で、あなたの所有者が決まる。悪魔は、神からあなたを奪う ため「この世の物」(お金・名誉・人など)であなたを誘惑してくる。名実共に「神の所有とされた民」となるために 「神の与えて下さるもの」だけに目を留めよう!   ・主イエスが「わたしのためにそれを手放しなさい」と言われて、即座に「はい、主よ。」と手放せるものこそ、主からのもの。     Outline of the sermon    “Who do you belong to?”     (10/03/2013) [John 17: 6-8]  ・We feel a bit uncomfortable when we read Read more…

2013年2月24日 「『永遠のいのち』に生かされる」

説教あらすじ        「『永遠のいのち』に生かされる」     (24/02/2013) [ヨハネ17:1-5] ◆[1,4~5節]   ・イエスは本来持っておられた『神としての栄光』を捨てて、この地上に来られた。[ピりピ2:6-8]   ・そこには、他には変えられない、重大な目的があったはず。[2節] ◆「永遠のいのち」とは? [ヨハネ3:16, 6:40, 12:50] ➝ それは単に「永遠に生きながらえること」ではない! ・人間は元々『永遠の存在』。すなわち、私たちの行く末は「永遠の死(神との断絶)」または「永遠のいのち (神との親しい交わり)」のどちらか。 そして神は何としても私たちにこの『永遠のいのち』を与えたい! ◆それは「父なる神」と「イエス・キリスト」とを知ること。    ・どのように知ること? その違いを知ること? No!この2つが「いかに1つであるか」を知ること。 ・この2つは「同じいのち」で生かされ「完全な愛と信頼」で結ばれている。その関係を妨げるものは何もない。 ◎「キリストのからだの1部」である我々も「1つのいのち(聖霊によるいのち)」で結ばれている。[ローマ8:2] それはあたかも体を流れる『血液』のよう。これがつまるといのちに関わる。[レビ17:11] ◆血の巡りを良くするために   ・私たちが力んだからといって血の巡りが良くなるわけではない。ただ「健康な生活」をしていれば良い。健康な 食物(神のことば)を食べ、良い空気(祈り)を吸い、適度な運動(キリストにある交わり)の機会を持つ。   ・もし血管が不純物(赦せない心・告白していない罪・つまずき 等)によってつまっているなら、取り除かなければならない。     Outline of the sermon    “Live in eternal life.”     (24/02/2013) [John 17:1-5] ◆[Verses 1, 4-5]   ・Jesus surrendered his 『Divine nature』 and came to the earth. [Philippians Read more…

2013年2月17日 「1つとされるため」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「1つとされるため」      (17/02/2013) [ヨハネ17章] ◆この章は丸ごと「イエスの祈り」。この祈りは大きく3つの部分に分けられる。   ①1~5節は、「自分に関する祈り」[5節]   ②6~9節は、「弟子たちのための祈り」[9節]   ③20~26節は、「やがて信じるものたちのための祈り」[20節]    *「信じる者」[8節] = 神のみことばを受け入れ、「イエスが神から遣わされた方である」と信じている。 ◆この祈りの重要ポイント = 「イエスと御父とが1つであるように、私たち(信じる者)も1つとされること」 [11,22節] ・「1つとされる」とはどういうことか。「同じようになる」ことなのか? しかし神は私たちをユニークに造られた。 ・私たちはキリストの『各器官』。[Ⅰコリント12:27] そしてそれは『御霊』によって1つとされる。[同12:12-13] ・[Ⅱコリント13:13] 「キリストの恵み」「神の愛」は分かるが、『聖霊の交わり』が分かりにくい。これは「聖霊こそ が私たちに『一致』をもたらす」ということ。 ◆自分の力ではなく…    ・「1つとされること」を含め、すべてのキリスト者としての歩みは、私たちの努力にはよらない。[ガラテヤ3:3]    ・私たちの生まれつきの性質は、神の御霊とは相容れない[ガラテヤ5:16-17]。私たちが「御霊によって互いに1つと される」には、お互いに調子を合わせようとするのではなく、キリストを見つめることが必要。[Ⅰコリント6:15-17] ★神との親しい交わりに身を浸しつつ、互いに1つとされることを求めて行こう!     Outline of the sermon    “To be one in spirit.”     (17/02/2013) [John chapter 17] ◆ This whole chapter describes “Prayer of Jesus”.  There are 3 Read more…