(194) “イエスは彼に「あなたは何という名か?」とお尋ねになった。”

「自分で自分のことをどんな人間だと思っているか」ということは、私たちの日々の歩みに大きな影響を与えます。たまに「実際以上に自分のことを偉大な人物」と思っている『誇大妄想』的な人もいますが、多くの場合私たちは実際よりも自分のことを低く見積もってしまいがちです。 イエス・キリストの代表的な弟子の1人で『ペテロ』という人物がいますが、彼は初め『シモン』と名乗っていました。それが親の付けた名前なのか、それとも人々から呼ばれていたあだ名なのかは定かではありませんが、はっきりしていることは『シモン』という名は「風に揺れ動く『葦』の葉」のことであり、このシモンに向かってある日イエスは、「あなたの名はもはや『シモン』ではない。今日から私はあなたを『ペテロ(岩)』と呼ぶことにする。」とおっしゃったのです。これはすなわち「あなたは今まで人生の目標の定まらない『葦の葉(シモン)』のように生きてきたかもしれないが、これからは私と共に生きることによって『岩(ペテロ)』のように、多少の試練や逆境には動じない者と変えられていくのだ」という、イエスのペテロに対するメッセージだったのでしょう。 私たちが「自分のことをどんな人間だと思っているか」は、生まれてから思春期に至るまでの成長過程で「周囲の人々からどのような評価を受けてきたか」に大きな影響を受けています。もちろん良い家庭環境に育った方であればそれなりの良い評価を受け、ある程度健康な『セルフイメージ』を抱いておられることでしょうが、私たち1人1人の真に正しい評価を下すことのできるお方は、私たちを絶対的な愛をもって形造ってくださった『創造主なる神』だけです。だからこそ聖書を読むことによって、この神様があなたに対して抱いておられる『正しい自己像』を知り、それをあなたの人生の土台として生きることが重要なのです。

2015年12月27日 「祝福の基」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「祝福の基」      (27/12/2015) ◆イエスがもたらした大革命 ・『罪の赦し』だけではない。「祝福の異邦人への拡大」 ― 『使徒の働き』の中心トピック *ユダヤ人であった使徒たち(当時のクリスチャンたち)にとっては、とんでもない意識改革! ◆神の選び [創世記12:1-3] ― 他にこんなことを言われた人物はいない ・アブラハムを通して世界が2分された(「祝福する側」と「受ける側」)と同様に、今やイエス・キリストによって 世界は2分されている。(『クリスチャン』と『未信者』) ◎私たちが持つべき自意識 = 『祝福の基』となるために選ばれた ・しばしばクリスチャンは「霊的イスラエル」と呼ばれる。[ガラテヤ3:8-9] ・イスラエルの民の失敗を繰り返してはならない。 彼らは「祝福を与える側」としての使命を見失い、「神に選ばれた民」として自分本位に生きるようになった。 ◆聖書理解のカギ(上記の視点は聖書や神様に対する理解を深める) ①神は何故イスラエルが他の民族と交流を持つことを禁じたのか?[ヤコブ1:17] ・「自分を神から引き離す習慣」から守り、「すべての良き物の源である方」を十分体験させるため。 ②ユダヤ人は何故イエスを迫害したのか?[マタイ23:23] ― イエスが説いた「律法の真髄」を理解しなかった。 ③イエスの最高の律法[ヨハネ13:34] ・イエスが御父から受け私たちに与えられたように、私たちもイエスから受けたものを互いに与え合う。 ✰まず『神からの良き物』をトコトン求め、受け、体験することが重要。イスラエルの民のように「戒めを守る (立派になる)」ことに捕らわれ過ぎるな!「神から受けること」を正しく知れば、正しく与えられるようになる。   Outline of the sermon         “Chosen to be ‘a blessing’.”    (27/12/2015) ◆A great revolution Jesus brought to the earth. ・Not just “forgiveness of Read more…

(193) “キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。”

多くの方々がご存知のように、『クリスマスの由来』は、今から2000年前にイエス・キリストが処女マリアからお生まれになったことから始まりました。でもちょっと考えてみてください。ある日天使が突然マリアの前に現れ、「あなたはまもなく男の子を生む。その名を『イエス』と名付けなさい」と告げたのです。もしあなたがマリアだとしたらどうしますか?全く心当たりがないのに、突然身ごもるのです。いくら天使のお告げだからと言って、簡単に受け入れられるはずがありません。しかしマリアは答えました。「どうぞ神様のみこころの通りにこの身になりますように。」 恐らく私たちはマリアのような経験をすることはないでしょうが、今日でもイエス・キリストは私たちの心の中に生まれ、そして私たちを通してご自身の豊かな命を現すことがおできになります。この記事を読んでくださっている方々の中で、心に苦々しさを抱えている人、悩みを負っている人、悪い習慣から逃れられないでいる人、心の平安を求めている人がおられるなら、イエス・キリストは今日あなたの心のドアをノックしておられます。もしあなたが彼に対して心を開いて、「イエス様、私はあなたの助けを必要としています。どうぞ私の人生に入って来てください。」と迎え入れるなら、その瞬間イエスはあなたの心の中に生まれてくださり、あなたと共に人生を歩み始めてくださるのです。 この2015年のクリスマス・シーズン、あなたが単なる「この世の余興としてのクリスマス」ではなく、「真の意味でのクリスマス」を迎えることができますように。

2015年12月20日 「人生の指針」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「人生の指針」      (20/12/2015) ◆人生の指針 ・ロバを連れた親子の話 *はっきりとした人生の目標・指針がないと、その人の歩みは安定しない。 「あなたの人生の指針は何ですか?」 ◆しぶけんの人生の指針 = 「自分が関わるすべての人が『自己最高の人生』を送るようになること」 ・なぜ『福音を伝えること』ではないのか? → もちろん、それも含まれている! 「自己最高の人生」を送るために、救い主イエスと出会うことは『必要最低条件』。何故なら、1人1人に とっての「最高の人生」は、神がその人のために抱いておられるご計画と切り離しては考えられないから。 ◆2016年JCF年間聖句 [Ⅰペテロ 4:10] ◎神のご計画が自分の人生に成し遂げられるための2つの目安 ①自分自身をささげる祈り ・「神様。私は私の望むところではなく、あなたが私に望まれる人生を歩みたいです。あなたは、 私がどのようにしてあなたの栄光を現すように願っておられますか?」 ②仕える心 ・神は「私たち1人1人の自己実現」のためのご計画ではなく、ご自身の独自の偉大なご計画を 成し遂げるための各パートを、私たち1人1人が担うようにと招かれる。 ✰神がこのJCFを通して成し遂げようとしておられることのために、私たち1人1人を どのように用いたいと願っておられるのかを、一緒に探り求めて行きましょう!   Outline of the sermon          “The aim of your life”     (20/12/2015) ◆Importance of the aim of life. ・A story about a father and his Read more…

(192) “信者となったものたちはみないっしょにいて、いっさいのものを共有にしていた。”

『幸福の条件』とは何でしょう?ある人々は「もう少しお金があったらもっと幸せになれるのに…」と言います。本当にそうでしょうか? 『幸福感』に関する研究を重ねたある調査結果によると、より幸福感を経験しているグループと経験していないグループを分ける決定的な要因は「経済力」でもなく「健康」でもなく「安定した生活」でもなく「魅力的な容姿」でもなく「知能指数」や「経歴」でもないそうです。 では一体何なのでしょうか?それは、豊かで親密な『人間関係』です。自分が何らかのコミュニティに属しているという意識、「存在を認められている・必要とされている」と実感できることは何よりも私たちに充足感と幸福感を与えてくれます。 イエス・キリストが天に帰られた後、地上に残された弟子たちによって「キリスト教会の営み」がスタートしました。迫害下にあった彼らが周囲に押しつぶされてしまうことなく、かえって次々と信者を獲得し大きく成長して行った大きな要因として、彼らを通して行われた「奇跡的なみわざ」が挙げられますが、それとともに忘れてはならないのは、彼らの間にあった『親密な交わり』です。それぞれが持てる時間・財産・労力を分かち合い、互いを支え合う中で生まれる一体感、これこそ神によって造られた私たちが真の『幸福感』を味わうための秘訣なのでしょう。 高度経済成長を遂げ「万民中流意識」にすっかり甘んじてしまっている日本人。誰もが自分の必要(以上?)を満たすことに夢中になり、もはや他の人の助けをほとんど必要なく感じている今日。そのようなよどんだ空気の中に一石を投じるのは、きっと「親密な関係の中に幸福感を見出そう」として行動を起こす人々ではないでしょうか?

(191) “隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか?”

ある小学校の運動会で、子供たちが元気よく入場行進をしています。ふと1人の母親が自分のカワイイ1人息子の行進する姿を見て、彼だけが他の子たちと手足が逆になっているのを見つけて思わず叫びました。「ちょっと見てください。ウチの子以外は全員、手足を逆に動かしちゃってますよ!」 私たちは自分の事は棚に置いて、ついつい他の人の過ちや失敗を批判してしまいがちです。自分では「相手の間違いを正してあげようという善意のつもり」でも、実は相手のことを深く傷つけてしまっていたり、ひいては周囲の人々を自分から遠ざけてしまうきっかけにもなりかねません。 では、どうしたら良いのでしょうか?まず第1に、他の人を批判しやすいタイプの人は「自分のやり方・考え方が1番正しい」と思い上がっているのだということを自覚しなければなりません。その上で「あなたの立派さの故ではなく、ただご自身の恵み深さの故にあなたを受け入れてくださる神」を知ることです。そしてその神様に次のように祈りましょう。 「神様。私の高慢の罪をお赦し下さい。そして、あなたが私に対して恵み深いように、私も他の人々のことを『さばきの目』ではなく、『恵みの目』によって見つめ、また受け入れることができるように助けてください。」

2015年12月6日 「内なるキリストを目覚めさせて!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「内なるキリストを目覚めさせて!」   (06/12/2015) ◆パウロの祈り [エペソ1:17-19] ・「・・・知ることができるように」  何を?      『神から与えられているもの』と、『その価値』 *神から与えられている最大の『宝』 = イエス・キリスト [コロサイ2:3, 9-10] イエスの模範(「イエスがなさったように」がカギ) ◎御父(神)の栄光を現すため ― 人々が「神の愛と力」を体験するため ◆『私たちのガンバリ』ではなく・・・ [Ⅱコリント4:7] ・熱心なクリスチャンほど「一生懸命」に奉仕するが、『神の力』が現されるために必要なのは次の2つ。 ①信仰(御父への深い信頼) ・「あなたが私を通してなさりたいことなら、私の好みに関らず何でもなさってください!」という態度。 ②聖霊 [Ⅰコリント2:12] ― イエスと聖霊はワンセット。聖霊が私たちをイエスに結び付ける。 ・聖霊はあなたから主導権を委ねられるのを待っておられる。 ◆内なる方を目覚めさせる ・「クリスチャンって堅苦しそう・・・ 個性がなくなるのでは?」 イエスを信じ、イエスと共に生きるなら、「皆同じようになる」のではなく、キリストのからだの各部分として 「神の栄光を現す」という『同じ目的』のために、1人1人が違った役割を担うようになる。 ・聖霊の活性化スイッチを入れる(目覚めさせる) [Ⅱテモテ1:6] もしあなたの『内なる方』が、悪魔によってこの世への興味に埋もらされ眠っているなら、目覚めさせよう!   Outline of the sermon          “Awake Christ in me!”     (06/12/2015) ◆Paul’s prayer. [Ephesians1:17-19] ・“so that you may Read more…

(190) “すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”

聖書の巻頭にある『創世記』という書物に、神が6日間で全世界をお造りになったくだりが出ていますが、神はその6日目の最後に人間をお造りになり、そして「7日目に休まれた」と書いてあります。すなわち人間にとっては第1日目は『休日』だったわけです。 日本人は一般的に『勤勉』です。それは良いことですが、しばしばそれが高じて「働きすぎ」になる傾向があります。毎日夜中まで残業したり、土日も休まず働いたり…、あたかも「休むことは無駄である」とか、休息をとることに後ろめたさを感じているかのようにも見えます。こちらニュージーランドに来たワーキングホリデーの若者の中にも、時々「日本の忙しさから逃れて精気を回復するために来た」はずなのに、仕事場の事情で『12連勤(12日間連続して休みなく働くこと)』などを余儀なくされている人がいたりします。本当に残念なことです。 こんな話があります。ある日2人の木こりが「1日のうちにどちらがよりたくさん木を切り倒せるか」を競うことにしました。1人は少し年をとっているが熟練した木こりで、もう1人はまだ若くて未熟ではありましたが体力にはめっぽう自信がありました。若い木こりは夜明けから日が暮れるまで休まずに斧をふるい続け、1日の終わりまでに25本もの木を切り倒しました。「これだけ切り倒せば、アイツに負けるはずがない。きっと今頃スタミナを使い尽くしてぶっ倒れているに違いない。」 一方熟練した木こりは「1時間ごとに10分間の休憩時間」を取りながら働きました。当然斧を使うのに費やした時間は若者よりもずっと少なかったわけですが、何と彼は1日の終わりまでに40本もの木を切り倒していたのです。若者は愕然として言いました。「こんな馬鹿な!アンタは俺よりも力がないばかりか、1時間ごとに10分もの休みを取りながら働いていたのに、俺の倍近くもの木を切り倒してしまうなんて?!」そこで熟練した木こりは答えました。「私は10分間の休憩時間に2つのことをしていたのさ。1つはゆっくり休んで体力を回復させること。もう1つは歯が鈍くなりつつある私の斧を十分に研ぎ直すことだよ。」 神は私たちを「休みなく働くように」とはお造りになりませんでした。私たちが与えられた才能や潜在能力を十分に発揮するためには「心身共に休養が必要」なのです。今日もイエス・キリストは私たち1人1人を招いて言われます。「わたしの許に来て十分に休息を取り、また『真の自分自身』を取り戻して、もう1度出て行きなさい」と。