(215) “人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。”

あなたがもし、はしごを登って高いところの壊れた部分を修理しようとして、てっぺんまで登ってから、間違った方向にはしごをかけていたと気づいたらどうしますか?ガッカリしますよねぇ。登ったはしごが長ければ長いほどその落ち込みは激しいのではないでしょうか?それでも単なる『はしご』ならば、またちゃんとしたところにかけ直して登りなおせば済みます。 ところがこれが「人生のはしご」だとしたら、どうでしょう?半ばまで登った時点で「どうやらこのはしごは、間違ったゴールへ向かっている」と気づけば、また登りなおすことも可能でしょうが、終わりまで登りつめてから「しまった!はしごをかける場所を間違った!」では遅すぎます。 私たちはこの『人生のはしご』をそれぞれの「基本的価値観」に基づいて登って行きます。「食べ物の好み」や「学歴」また「職業」などはこれに含まれません。もっと基本的なもの、すなわち「どうしてそういう考え方をするのか」また「何故あえてそちらを選ぶのか」など、私たちの人生の方向性を左右する基準がこれです。 この『基本的価値観』は次のような3つの性質を持っています。 ①生涯共に過ごすパートナー ②状況や気分に左右されることのない『方位磁針』 ③時代の流れや他人の言葉などに振り回されるのを防ぐ『錨』 誤りのない「基本的価値観」に基づいて生きることは、人生において最も重要なことの1つです。そしてその「正しい価値観」を私たちに提供してくれるのが、私たちをお造りになられた『神』であり、またその神が私たちに与えてくださった「人生の取扱説明書」である『聖書』なのです。

(214) “愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。”

『怒り』という感情は、私たちに必要なものとして神から与えられているものですが、私たちはこの感情に「振り回される」のではなく、きちんとコントロールできる者でなくてはなりません。何らかのきっかけで怒りが爆発しそうになった時には、ぜひ自分自身に次の2つの問いかけをしてみてください。 ①「この出来事は、本当に自分の怒りをぶつけるにふさわしいことであろうか?」 ・多くの場合、私たちは物事や人々の「一面だけ」しか見ないで判断してしまいます。誰にでも失敗はあります。たまたまその人の悪い面を見てしまったからといって、そのことだけで相手を評価してしまわないように気を付けなければなりません。 ②「ここで自分の怒りを表すのが、最も良い時・場所・方法であろうか?」 ・頭に血が昇ってしまっている時にこのように自問自答するのは難しいことですが、感情のままに行動するのは真の人間らしさではありません。誰かに不当な扱いをされた時や、物事が思った通りに運ばない時、私たちが自問自答すべきことは「自分にはここで『怒りを表す権利』があるだろうか?」ではなく、むしろ「自分にはここで『怒りを表す権利を拒否するだけの度量』があるだろうか?」です。 私たちはしばしば「ここで黙っていては、相手から甘く見られる」と思いがちです。しかし真の強い人とは「落ち着いて判断する心」を持つ人です。そしてそのような強さは私たちを「要らぬ後悔の念」から救い出すことができるのです。

2016年5月22日 「『祈り』に関する神の真理」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『祈り』に関する 神の真理」    (22/05/2016) ◆『祈り』の基本概念 ・クリスチャンにとって『祈り』は、「神の子としてのいのちの営み」。決まった形式があるわけではない。 ・『祈りの課題』があるから祈るわけではない。神が「ご自身との交わり」へと私たちを招いておられるから。 ・「求める相手をどれくらい知っているか」 また、「求める相手とどれくらい親しいか」が祈る内容を左右する。 *『祈り』と「神との個人的な関係」には、密接な関わりがある。 ◆『祈り』の本質 ①祈りとは、「神に何かを求める」というよりは、むしろ「神を求める」ことである。 ・祈る内容は単なる『媒体』であって、重要なのは「祈りの中で神と出会うこと」である。 ②祈りの目的は「私たちの目標実現」ではなく、「神の目標実現」である。 ・神の目標 = 神の愛と正義による支配が地上にもたらされること。[マタイ6:33] 『祈り』は、この目標達成のために「天からのリソース」を引き出すためのツール。 ③祈りの原動力は「私たちの熱心さ」ではなく、「私たちの信仰」である。[マタイ21:22] ・神の心を動かすのは、神を『良い父』と信じて疑わない「幼子のような信仰」。(ダビデの信仰 [詩篇6:8-9]) ・時に神は頑として譲らない。 →  私たちをご自身の心に引き寄せようとして。 聖霊の助けをもらいつつ、『神の心』へと近づく。[ローマ8:26-27] ◎神は、ご自分と心を1つにして祈る『祈り手』を今日も捜しておられる! [Ⅱ歴代誌16:9]   Outline of the sermon       “God’s truth about ‘Prayer’.”      (22/05/2016) ◆Basic ideas of “Prayer”. ・“Prayer” for believers is ‘a natural activity as Read more…

(213) “あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。”

“コンフォート・ゾーン”という言葉があります。日本語に訳すと「居心地の良い場所」となるでしょうか。例えば普通の人にとっては「自分の家」「安心できる職場」「親しい友人たちに囲まれた状態」などがこの“コンフォート・ゾーン”にあたるでしょうし、またそこから1歩踏み出すのには少し勇気が要ります。 “コンフォート・ゾーン”は通常年齢と共に少しずつ拡げられていきます。例えば、生まれてから3~4歳までは母親の許で過ごしていたのが、幼稚園へ行くようになり、また小学校へ上がり、徐々に「学外活動」へも参加するようになり、やがて親元を離れて暮らすようになります。ところがこの“コンフォート・ゾーン”から踏み出すのを恐れ、「自分は学校へ行かず、ずっと家の中で家族と過ごしたい!」となると、その人の成長は止まってしまいます。 神が私たちの人生におけるご自身のご計画を成就なさろうとする時、神はしばしば私たちをこの“コンフォート・ゾーン”の外へと踏み出すように招かれます。何故なら、私たちが『現状維持』に満足しているうちは、神が私たちのために用意しておられる「ダイナミックな人生」を真の意味で体験することができないからです。そして実際、10年後20年後に自分の人生を振り返ってみる時、私たちが感動を持って振り返ることができるのは「コンフォート・ゾーンから踏み出した経験」であり、逆に深い後悔の念を感じるのは「コンフォート・ゾーンから踏み出る機会を拒んだ経験」なのです。 今から20年前、私たち家族は『宣教師』としての人生へと踏み出しました。3人の子供たちはそれぞれ6歳,4歳,1歳半でした。何人かの知り合いは、私たちのむこうみずな決断にあきれていました。しかし私たち家族が今喜びと感動を持って振り返るのは、神の祝福に満ちた『並外れた20年間』なのです。一方ある家族は「神が自分たちを宣教師として働くよう招いておられる」と感じていたにも関わらず、周囲の強い反対に負けてその道を断念し、大きな後悔の念にさいなまれつつ晩年を過ごした、と聞いたことがあります。 初めにも書いたように、「コンフォート・ゾーンから踏み出すこと」は簡単ではありません。しかしそれは決して単なる「危険な賭け」ではなく、「共に歩んでくださる神への信頼を行動に現すこと」なのです。そして私たちの『真実な神』は、ご自身に信頼して敢えて“コンフォート・ゾーン”から踏み出す人々に、特別の祝福を注いでくださるのです。

2016年5月15日 「『信仰』に関する神の真理

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『信仰』に関する 神の真理」    (15/05/2016) ◆真の『信仰』とは? ・「自分勝手な対象」に対してではなく、「愛とあわれみに満ちた、唯一まことの創造主なる神」に対して。 ・「自分の力で生み出すもの」ではなく、「神を知ること」に啓発されて内側から生じるもの。[ローマ10:17] 『信仰』とは、「神のあわれみを知り、それにふさわしく応答すること」 ・「信じない」人々は、『不信仰』というよりは、「分かっていない」。 しかし、分かったのに応答をためらっているのは『不信仰』。 ◆信仰と行動 ・私たちの「救い」は、この『信仰』だけによる。[エペソ2:8-9] 『宣教』はこの「救い」のため。[ローマ10:11-14] ・「救われた後の歩み」も、『信仰』による。 目的は「神を知ること」だけではなく、「それにふさわしい応答」。 *「見切り発信」や「人からのプレッシャー」にご注意を! ◆信仰は「個人的な神との関係」 ・「神への応答の仕方」は、私たち1人1人の「神のあわれみの理解度」によって異なる。それ故、他人に強いら れるべきではない。しかし誰もが「神の豊かさをもっと知ろう」とするべき。また、知っている人々は、「知ろうと している人」の求めに応じられるよう、備えていなければならない。 ◆なぜ『仲間』が必要か? ・私たちの成長を喜ばない悪魔は、「恐れ」を持って来て「信仰の歩み」を妨げる。 それ故、私たちは「他からの励まし」「見える模範」「祈りのサポート」を必要としている。[エペソ1:17-19] ✰互いに励まし合い、祈り合いながら、この『信仰』において成長して行きましょう!!   Outline of the sermon       “God’s truth about ‘Faith’.”      (15/05/2016) ◆What does “faith” really mean? ・It is not in ‘random things’ but in “the only true Creator Read more…

(212) “熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。”

私たちの人間関係にしばしば混乱をもたらすものに「勝手な思い込み」というものがあります。私たちは元来自己中心的な性質をもっていますから、相手を「思いやろう」としているにも関わらず、自分勝手な考え方で相手の気持を察しようとしてしまい、思いやりが裏目に出て、感謝の代わりに恨みを買ってしまうことがあるのです。結果的に、本当なら関係が更に親密なものになるはずだったのに、お互いの心に深い傷を残すことになります。 しかしこのような悲劇は、ほんのちょっとした機転で回避することができます。それは「自分勝手な推測に頼らず、思い切って本人に尋ねてみる」ということです。あなたが本当に心から相手にとっての益を求めているなら、相手が今本当に必要としているものを教えてもらう時間(手間)をかけてみたらどうでしょう? 物質社会に生きている私たちは、つい『人助け』を「物を与えること」で片付けてしまう傾向があります。でも実際は『物』よりも価値があるのは『時間』です。仮に相手が打ち明けてくれた必要が、あなたが具体的に応えてあげられないものであったとしても、相手はあなたが「聞いてくれた」ことによって励ましを受けるでしょうし、聞いたあなたもその人の必要のために祈ることができるし、またその必要に応えられる人を一緒に探してあげることだってできます。 神は私たちとの親密な関係を築くために『人(イエス・キリスト)』となられました。私たちも「私:助ける人」「あなた:助けてもらう人」ではなく、「相手と共に立つ人」となるために時間を割ける者となりましょう。

2016年5月8日 「『罪』に関する神の真理」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『罪』に関する 神の真理」     (08/05/2016) ◆すべての罪は「神に対して」でもある [ルカ15:18] ・罪は「あなたを愛し、最善を願っておられる神」の心を痛める。 ◆『罪』の根本性質 ・『罪』とは、「行いそのもの」ではなく、「私たちの内側にあって、それらの行いを生み出す『原因』になるもの」。 「罪とは、神に対して反抗する、心の中の霊的態度である」 (デレック・プリンス) すなわち、神から与えられた「自由選択」を自分本位に用いようとすること。 [ローマ14:23] ・「何故自分本位に用いてはいけないの?」と思ってしまうこと自体が、私たちの『罪性』を現している。 ◆『自由意志』の重大性 ・私たちが「いのちと救い」に至るか、「死とさばき」に至るかは、今の『私たちの選択』にかかっている! ・神は私たちの「正しい選択」を助けるために、モーセを通して『律法』を与え[申命記30:19]、更に、弱さの故に 正しい選択をできないでいる私たちをさえ憐れんで、御子イエスを遣わされた。[ローマ8:3] 何という恵み! ・「罪からの脱出の道」は、このキリストを通して「自分の意志で神に近づく道を選択する」こと。[ヤコブ4:8] ◆残された2つの疑問   ①イエスによって救われた人々は、罪を犯さないようになるのか? ・現状を見ると違う。しかし「キリストのように変えられる」という約束がある。 ・『罪』に対する意識がはっきりと変わる。「神との関係」で自分を捉えるようになる。[ローマ6:10-11]   ②どうせ赦されているなら、どんなに罪を犯してもいいのか? ・理屈では、そう。[ローマ8:1] でも現実にはそうはならない。[ヘブル9:14]   Outline of the sermon       “God’s truth about ‘Sin’.”      (08/05/2016) ◆All sins are “against God” as well as against its victim. [Luke15:18] ・Your sin Read more…

(211) “互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。”

1980年代に上映された「スタンド・アンド・デリバー」というアメリカ映画があります。主人公はある高校に赴任した数学の教師なのですが、彼のクラスに同じ『ジョニー』という名前の2人の男子学生がいました。名前は同じでしたが、出来は全く異なり、1人は明るい性格で成績も良く、クラスの人気者でした。ところがもう1人のジョニーはというと、いわゆる「クラスの問題児」で、その教師はいつも彼に手を焼くのでした。 ある日のPTAの集まりの日、1人の母親が教師のところにやってきて尋ねました。「ウチの息子のジョニーはちゃんとやっているでしょうか?」教師は「出来の良いジョニー」の方と勘違いして、「いやぁ、彼が私のクラスにいてくれることは大きな喜びですよ。彼の存在をどんなに感謝しているか、表現のしようもありません!」と答えました。翌日当の「問題児ジョニー」が教師のところにやってきて言いました。「昨日お母さんから、先生がボクのことをどんな風に思っていてくれているか聞きました。ボクのことを歓迎してくれた教師は、先生が初めてなんです!」 その後このジョニーはどうなったでしょう。彼は頑張って毎日宿題をこなすようになり、クラスの中でも指折りの熱心な学生となって、そして何よりもこの教師の1番の理解者・友人となったのです。 もしあなたが誰かの隠れた優れた点を見出し、勇気をもってそれを相手に伝えるなら、それは相手にとって「生きる希望を増し加える」ことになるのです。別の言葉で言うなら、「今の自分よりもひと回り優れた者となろう」という『ヤル気』を起こさせるわけです。そんな励ましを与える者となるのに『お金』も『特別な才能』も『立派な外見』も要りません。また、そんな励ましを必要としていない人はいません。さあ、今日から初めましょう!

2016年5月1日 「神の真理 vs 悪魔の嘘」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神の真理vs悪魔の嘘」     (01/05/2016) ◆判断基準を神に置く ・「神」こそが『真理』。真理は神から出ているのであって、私たちの内には真理はない。 ・悪魔は「天地創造の初めから」ウソつき。[ヨハネ8:44] ― クリスチャンであっても、だまされる。 ◆私たちは『真理』を知るべき ・神の願いは、私たち皆が「救われること」だけでなく、「真理を知ること」でもある。[Ⅰテモテ2:4] ・皆がまず知るべき真理 = [ヨハネ3:16] 「神は良い父」。 悪魔は、まずこれを疑わせたい。 ・イエス・キリスト(神のことば)こそ、『真理』。[ヨハネ14:6]  彼は「真理をあかしするため」に来られた。[ヨハネ18:37] ◆『真理』の性質   ①自由にする [ヨハネ8:31-32] ― イエスのことばに「とどまる」なら。 ・人生の疑問や矛盾に答えを得る  ・人間の尊厳性の回復  ・愛することの喜び   ②生きる勇気と確信を与える [Ⅱコリント13:8] ・正しい判断基準を持ち、大胆に行動できるようになる。   ③悪魔のウソから守る [ヨハネ17:15-17] ・物事を「みことばに照らし合わせて」判断する。(聖霊の助け:[Ⅰヨハネ5:6,ヨハネ16:13]) ・分かった真理に「信仰によって」従う。(感情的に納得できなくても)   Outline of the sermon      “God’s truth vs Satan’s deception.”     (01/05/2016) ◆Rely on God, not yourself. ・There is “truth” in God.  Read more…