聖書

(250) “光がある間に歩きなさい。”

カビは『暗闇』の中で大いに成長します。しかし光に当てたとたんに、カビはしぼみ、そして枯れます。 私たちの心の中にも『カビ』がはびこることがあります。イエス・キリストは次のように言われました。「光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛した。その行いが悪かったからである。」すなわちこれは「人に知られたくない(公明正大でない)計画や行い」を抱いている状態のことです。(誰かのための『サプライズ・パーティ』を計画することは別ですが…) 『隠し事』はしばしば私たちの人生にダメージを与えます。カビのように、初めは小さくても、心の中の『暗闇』に閉じ込めておくことによってそれは徐々に大きくなり、私たちの心をさいなませ、悪い考えや習慣へといざない、最後には破滅へと追いやります。『隠し事』は私たちの心を『暗闇』へと追い込み、否定的な思いの虜へと陥れるのです。 では、どうすれば良いのでしょう?素晴らしいことに、聖書はその脱出の道をも教えてくれています。「神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」もし私たちが勇気をもって『光の中』へと1歩踏み出すならば、すべてが変わります!その隠し事、そしてあなたの心を縛っている恐れや否定的な考えを神に告白し、明るみに出すのです。(必要ならば、信頼できる友人などに告げるのも良いでしょう。)いったん光が投じられたならば、カビがしぼんでいくように、あなたの心の中の暗闇は逃げて行き、あなたは「大いなる解放」を体験することでしょう! 悪魔はいつでも私たちを『罪の暗闇』へと閉じ込めようとします。ですから、もう「隠し事を持つこと」を止め、心の目を覚まして、いつも神に対して心を開いて、光の中を生きて行きましょう!

聖書

(249) “主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。”

聖書に出てくるイエスの教えの中に「ある家の主人が3人のしもべたちにいくばくかのお金を託して旅に出る」というたとえ話があります。主人が旅から戻った時、3人のうち2人は「託されたお金を元にこれだけ儲けました。」と報告し、「良い忠実なしもべたちだ!」とほめられますが、最後の1人は託されたお金を全く活用しなかったために叱られます。そのしもべは主人にこう言い訳しました。「私はこわくなり、出て行って、あなたから託されたお金を地の中に隠しておきました」と。 『恐れ』は私たちの心の平安を失わせるだけでなく、私たちが自分の能力を活用することを邪魔します。「そんなことしている人、ほかに誰もいないじゃないか」「自分が本当にそれにふさわしいと思っているのか?」「もしそれをやって失敗したらどうするんだ?」などなど。そのようにして『新たな可能性の芽』を摘まれてしまっている人の何と多いことか! 敬虔な信仰を持っていた「イスラエルの王ダビデ」は、その生涯の長い期間を敵にいのちを狙われながら過ごしました。以下はそんなダビデの残した言葉です。「たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。・・・それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。」また彼は神に次のように祈っています。「聞いてください。主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。」 「神になんて頼る人間は弱虫だ!」などと言う人があります。しかしこのダビデ王はイスラエル王国の歴史上最も勇敢で力強いヒーローとして知られています。「神に頼る」という行為は少しも「弱い者のすること」ではありません。むしろ「神によって与えられている能力を最大限に活用して生きるため」にどうしても必要なことなのです。逆にそれでも神を求めようとしないのは、「アイツは神になんか頼っている」と思われることを恐れる『弱虫』のすることではないでしょうか?

メッセージ

2017年2月19日 「神を待ち望む」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神を待ち望む」     (19/02/2017) ◆神を待ち望む [詩篇27:14] ― 『待つこと』は、「弱い者のすること」ではない! ◎2通りの「待ち方」がある。 ①人事を尽くして天命を待つ [イザヤ40:28-31] ②悪あがきをせず、ひたすら待つ [詩篇37:7] ・ただ「我慢する」だけではなく、神の前に安息する。[詩篇131:2-3] ・今日のポイントは、この②の方。「やがて来るべきもの」を信じて待つ。[詩篇130:6] ◆神の何を待つのか?    ①みことば [詩篇130:5-6] ― 励まし,導き,知恵 ・私たちの神は「語られる神」。[詩篇115:2-6] ・しかし、私たちの側が聞いていない![エレミヤ7:13] ②救い [詩篇130:5-6] ― 具体的な助け ・「義なる神」による救い。[箴言20:22] ・「慰め主」による救い。[詩篇42:5] ◆「神を待ち望む」ことの実践 ・1曲賛美した後、しばらくの間、各自静まって「神ご自身」を慕い求め、待ち望む。   Outline of the sermon      “Wait upon the LORD.”    (19/02/2017) Read more…

聖書

(248) “陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。”

今日は『喜び』と『幸せ』の違いについて述べたいと思います。ひと言で言うなら「『喜び』がなければ『幸せ』にはなれないが、『幸せ』でなくても『喜び』を味わうことができる」ということです。すなわち『幸せ』は私たちの外側(経済状態、健康状態、人間関係など)によって左右される「感情的なもの」であるのに対して、『喜び』は私たちの内側(無条件に神から愛されていることの確信)から生まれるのです。 日本語でも「笑う角には福来る」と言いますが、私たちが笑う(喜びに満たされている)ことは、多くの良い物をもたらします。それはストレスを解消し、頭痛を癒し、感染や高血圧を抑制します。また「大笑いすること」は適度な運動と同様にあなたの腹・胸・肩その他の筋肉を引き締め、血圧や脈拍をいったん上昇させてから元に戻し、体や気分を大いにほぐしてくれるのです。 この世には、私たちの気分を落ち込ませるものがたくさんあります。しかし神はそのような状況の中でさえ私たちが喜べるように私たちをデザインなさいました。すなわち、私たちが「環境の奴隷」となるのではなく、「神の愛の奴隷」となるように造られたのです。環境は常に変化します。しかし『神の愛』は私たちの外見や人間性、能力や持ち物、また出来・不出来などには決して左右されません。この『神の愛』に心を支配されながら人生を歩み時、他の人々にとって「何1つ喜べる材料が見当たらないような状況」の中でも、喜びに満たされて生きることができるのです。

メッセージ

2017年2月12日 「神が祈りを聞かれる理由」

メッセージ(含証し)をダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神が祈りを聞かれる理由」     (12/02/2017) ◆ご自身のご性質の故に [ルカ18:1-8] ・神は私たちに「辛抱強く」祈ることを望まれる。それは「駄々をこねる幼子」のように、自分の欲しい物をしつこく 求めれば、神は『根負け』をして仕方なく答えてくださる、というのとは全然違う。 ・[3,5節]の表現の直訳は「正当に扱う」。すなわち「神の義」を行っているご自分の民が不当に扱われているの をご覧になって、神は「正しいさばき」(8節)をしてくださる。[マタイ5:6] ・私たちは、『神の義』が軽んじられているこの世(例:「幼児虐待」「盗み」「オカルト」「不倫」 etc)にあって、忍耐強く あきらめることなく、『義なる神』に訴え続けることが求められている。 ◆私たちは『神の子ども』だから [ルカ11:5-8] ・このたとえ話の直前には、「父よ…」で始まる『主の祈り』が述べられており、直後は、「求めなさい。そうすれば 与えられます… たとい悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与える…」と続いている。すなわち、 神は「私たちがご自身の子どもであるから」こそ、私たちの祈りを無視できない。 ・[8節]の直訳は、「あつかましさの故に」。「子どもであること」の特権は、私たちが立派であるかないかに拘らず ただ親の愛を疑うことなく、無遠慮にその胸に飛び込めること。 ・しかもここでは、「自分のため」ではなく、「旅の途中にある友人のため」に求めている。神は私たちが「隣人へ    の愛の動機」によって求める祈りに、心を動かされる。   ✰ しつこく「義なる神」に訴えよう! また『神の子ども』として、あつかましく求めよう!   Outline of the sermon     “Why does God answer Read more…

聖書

(247) “心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。”

私が大学生の時(ずいぶん前のことですが…)『教育学』の授業で「誉め方・叱り方」についてのリサーチをしたことがありました。いくつかの小中学校でアンケートを取ったのですが、その結果からはっきり分かった1つの意外なことは「人は叱られた経験よりも誉められた経験の方が強く心に残っている」ということでした。しかし大変残念なことに、ほとんどすべての学生たちにとって「誉められた経験」よりも「叱られた経験」の方がずっと多かったのです。 どうして私たちは、人を誉めたり励ましたりするよりも、むしろ叱ったり批判したりすることを選んでしまうのでしょう?恐らくその1つの理由は「長所よりも短所の方が見つけやすい」もしくは「自分の欠点を直すよりも、他人の欠点を指摘する方が楽だから」ではないでしょうか? 私たちは『自分自身の価値』というものを「自分が持っているもの」に求めがちです。すなわち「自分の知識」「自分の長所」「自分の能力」「自分の経験」などです。ですから、自分よりも多くを持っている人と出会うと、妬んだり落ち込んだりするし、逆に自分よりも少なく持っているように見える人と出会うと、優越感に陥ったり、何とか相手を修正してあげようと余計なお世話をするのです。 誰も、この天地を造られた『創造主なる神』以上に多くのものを持っている人はいません。しかし神は私たちに対して優越感を抱いたり、私たちを無理やり修正しようなどとは決してしません。むしろ私たちの弱さをあわれみ、いつくしみ、そしてその弱さを通してご自身の栄光を現そうとしてくださいます。ですから私たちは安心して、この神様に自分自身の弱さを明らかにし、それを受け止めていただくことによって大きく励まされ、そして今度は周囲の人々の「あるがままの価値」を認めて喜び、その弱さを受け入れ、一緒に神様の優しさを求めていくことで成長していくことができるのです。 誰もが「人生のチアリーダー」を必要としています。ところが今や自分の家族からでさえ、そのような『声援』を受けることなく大人になってしまう人々が増えています。あなたも「神との関係に生きる者」となることを通して、人を妬んだり批判したりする毎日から脱出して、周囲を奮い立たせる人生を送りませんか?

メッセージ

2017年2月5日 「神の専門分野」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の専門分野」      (05/02/2017) ◆神の専門分野 [ルカ18:27] ・私たちは、なぜか「自分でも何とかできること」を神に求めることが多い。 「学業成就」「家内安全」「無病息災」「経済繁栄」などなど ― 神のわざが見えにくい。 ・神は「ご自分の栄光が他の者に奪われること」を嫌う。[イザヤ48:11] 真に神が働かれた時(例:ラザロの復活)は、驚きと賛美と喜びが湧き起こるはず。 ◆『信仰』を働かせる ・現代社会は、産業の発達・物質の蔓延のため、「信仰を働かせる機会」が見つけにくい。 実は、主イエスは、このような社会になることを予見しておられた。[ルカ18:1-8] ・先週、「聞かれる祈り」の1つの要素は、『信仰による祈り』だと学んだ。 今週のチャレンジ ◎日々周囲を観察し、「人間的には解決が無理と思える」人々の必要を見つけて、そのために祈らせてもらう。 [マタイ19:26]   ✰まずJCFの中で、互いに「不可能に思える切実な祈りの課題」を分かち合おう!   Outline of the sermon     “God’s specialized field.”   (05/02/2017) ◆God’s specialized field. [Luke18:27] ・Somehow we tend Read more…