(317) “父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。”

イエス・キリストが人々に『祈り』を教えられた時、まず「天におられる私たちの父よ」と呼びかけるように言われました。実はこのように神を親しく「我らの父」と呼ぶ習慣は当時のユダヤ人たちの間ではあまり一般的ではありませんでした。彼らにとって『神』という存在はむしろ「厳格で近寄りがたく、超越した存在」という意識があったようです。ところがイエスはそんな『神のイメージ』を一新させたのです。 もしかすると現代の多くの人々にとって『父親のイメージ』というものも、あまり慕わしいものではないのかもしれません。特に「放任主義の家庭」また「虐待の経験がある子供時代」に育った人たちにとっては『父親のような神』などは全く欲しくないものに感じられることでしょう。でも、この『天の父』は私たちのそんな歪んだイメージを一新させる「愛とあわれみと力に満ちたお方」なのです。 「父なる神がどれほどに良いお方か」をいつもイエスから聞かされていた弟子のうちの1人が、ある時我慢できなくなって「イエス様、ぜひ私にも『父』を見せてください!」と懇願すると、イエスはこうお答えになりました。「こんなに近くにいたのに、あなたはわたしを知らなかったのかい?わたしを見た者は『父』を見たのだよ。」 そう、父なる神は「ご自身を人々に正しく理解して欲しいがため」に、ご自分のありのままを人のかたちにして地上に来られた、それがイエス・キリストなのです。私たちが『父なる神の正しいイメージ』をもって生きるためには「聖書を通してより深く『イエス・キリスト』と出会うこと」が最善の道なのです。

2018年10月14日 「良い父は良いものを下さる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「良い父は良いものを下さる」     (14/10/2018) [マタイ7:7-11] ― 聖書のことばの中でも、最も良く知られているものの1つ。 ◆神は良い父[9~11節]  *良いお父さんは、「最高のもの」を「最高のタイミング」でしか与えない。 ・しばしば「私たちの願ったもの」がすぐに与えられないのは、「私たちの欲しいもの」と「私たちにとっての最高の もの」がズレているから。 ◆求め続ける[7~8節] ― 求め続けないと与えられないのは、神がケチだからではない! ・「求め続ける」ためには、それだけ神と長い時間を過ごさなければならない。そして十分一緒に時間を過ごすと 様々な『誤解』が明らかになる。(神ご自身について,自分の真意について,求めていたものの本質について 等々) ◆求め、捜し、たたき続ける ― 神に近づくプロセス ・まだ受けていないのなら、①「求める」べき。しかし多くの場合、既に与えられている。次に②「捜す」べき。 そして時には、見つけても、それを手にするために障害物があることがある。ならば③「たたき」壊す。 ◆今週の『暗唱聖句』: [ローマ人への手紙 8章32節]   Outline of the sermon    “Good Father gives good gifts.”   (14/10/2018) [Matthew 7:7-11] ― This is one of the most well-known passage in the Bible. Read more…