(357) “たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私は災いを恐れません。あなたが、ともにおられますから。”

もしかしたら、ある方は「神様を信じたら、もはや人生に問題は無くなる」と思っておられるかもしれません。しかし、実際はそうではありません。では『神を信じて生きる人生』の良い点とは、一体何なのでしょう?それは「どんな問題の中にあっても、神が共に歩んでいてくださる」ということです。では、神が共に人生を歩んでくださっているのに、なぜ神は私たちが問題に直面することを許されるのでしょうか?それは、神が私たちに「ご自身に信頼して生きる者のために、神がどのようなことをしてくださるのか」を示そうとしておられるからです。 私たちが恐れるとき、神は平安を与えることができます。私たちが失望・落胆しているとき、神は希望を与えてくださいます。私たちが心を痛めているとき、神は慰めと癒しを与えることができます。私たちが乏しいとき、神は必要を満たしてくださいます。そして私たちが目標を見失って迷っているときに、神は真理によって私たちを『いのちの道』へと導くことができるのです。 ナチス・ドイツの強制収容所において家族全てを失った『コリー・テン・ブーム』という女性は、神と共に生きる人生について次のように述べています。「もし憂鬱な気持ちになりたいのなら、自分の内側を見つめてればいい。もし打ちのめされた気持ちになりたいのなら、自分の過去を見つめてればいい。もしどうして良いか分からない気持ちになりたいのなら、自分の周囲を見つめてればいい。でももしそれら全てから解放された人生を歩みたいのなら、自分の上を見上げたらいい。そこにはあなたを見つめておられる神がおられる。」 神はあなたの問題の真ん中で、あなたと共にいてくださるのです。

2019年9月22日 「『祈り』への招き」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ       「『祈り』への招き」      (22/09/2019) ◆『祈り』とは? [ルカ11:1] 弟子たちは「イエスの際立った歩みの秘密」は『祈り』にあると嗅ぎつけ、こう尋ねたのだろう。 ・イエスの『祈り』に関する詳しい解説は、[マタイ6:6-15] にある。しかしそもそも『祈り』とは何なのか? イエスは興味深いことをおっしゃった。[7~8節] 「御父は私たちが求める前から、私たちの必要を知っておられる」 では何故『祈り』が必要なのか? ⇒ [イザヤ59:1-2] 私たちの罪(ズレ)のために、私たちの祈りが神に届かない! *クリスチャンにとって… 『祈り』とは、「神との関係を正しい状態に保つための営み」 である。 ◆『祈り』に関する重要事項 ・イエスは弟子たちに「どう祈るべきか(「主の祈り」)」を教えた後、1つだけ『注意書き』を添えられた。[14~15節] ・神が御子を遣わされたのは、「ご自分と人との関係を修復する」ため。そのために不可欠なのが『罪の赦し』。 イエスは、ご自身がまさにこのために来たことを良く分かっていたので、『祈り』について教える時にそのトピッ クに触れずにはいられなかったはず。 ・神はご自分の「御子イエス」によって私たちの罪を赦し、その同じ「御子イエス」によって私たちをご自分に近づ くように招いておられる。『祈り』は、この御父の招きに応える行為。 ・[ヨハネ15:16] 私たちは「出て行って実を結ぶため」、そして「イエスの名によって御父に求めるため」に選ばれている! ✰今日の大切なひと言: 「『祈り』は、『関係』のため。」 ◎学びを深めるための質問 ①どうして『祈り』は「ただ神様に何かを求める」だけではない、と言えるのでしょう? ②今回の説教を通して『祈り』に関して何か新しく学んだことがあったら、自由に分かち合いましょう。

(356) “静まって、わたしこそ神であることを知れ。”

こんなことがあったそうです。あるジェット機のパイロットが太平洋上空を飛んでいるとき、基地の管制塔から「現在地を知らせるように」との要請を受けました。彼はこう答えました。「え~と、どこを飛んでいるのか分かりませんが、ともかくたった今このジェット機の最高速度を更新しました!」 1人の心理学者は次のようなコメントを残しています。「人間の習性というものは皮肉なもので、自分が道に迷っていると気付いたとたんに、行動のスピードを上げようとする。」 本来なら「立ち止まって、落ち着いてよく考えるべき状況」の中で、私たちは早く解決策を得ようと焦ってしまうようです。 私たちの人生を豊かで正しい道へと導こうとしておられる神様は、「そんな時こそ、ペースダウンして、まずわたしのことを見上げてごらん」と語りかけてくださっています。確かに私たち人間が神様を見い出すことができないのは「自分のことに忙しくしすぎて、じっくりと『真理』を見い出そうとしないこと」に原因があるように思えます。「神様なんて、どこにもいやしない!」という表現を英語に訳すと「God is nowhere」となりますが、この最後の『nowhere』という単語にブレイク(ひと休み)を入れると、「God is now here」(「神が今ここにおられる」の意味)になります。つまり「ちょっとひと休みして、神様があなたと一緒にいてくれていることに気付こうよ」というわけです。面白いでしょ? 日々の忙しさの合間に『ブレイク(ひと休み)』を入れて、あなたを愛し、あなたに真の人生の目標を与えてくださる『神』に心を向ける時間を持ってみましょう。きっとあなたの人生に何か新しい変化が起こるに違いありません。

2019年9月15日 「『神の子イエス』と出会う」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ       「『神の子イエス』と出会う」      (15/09/2019) ◆2つの注目すべきペテロの態度 [ルカ5:1~11] 1[4~5節] 「経験・自分の考え」 vs 「みことば」 ・この時ペテロは「自分の常識」よりも「イエスのことば」を選び、従った。『信仰』は「選択」によって現される。 ・クリスチャンの歩みは「聖い生活」によって特徴付けられるのではなく、私たちの「信仰による選択」によって。 私たちはこの「信仰による選択」によって「私ではなく、キリスト」という『神の国の価値観』を表明している。 ・私たちはしばしば「人々への証」ということに捕らわれすぎて、肝心の「イエスは何と言っておられるか」に思い を馳せることを忘れがち。私たちが聖書を読むのは、「クリスチャンとして、読むべきだから」ではなく、『私た ちの思い』を「この世の常識」から「神の国の原則」へとシフトさせ、『神の国』をこの地に呼び込むため。 2[8節] 「『神の国の権威者(真の神の子)』としての主イエスとの出会い」 ・私たちがこの世において『神の国の民』として「神の栄光を現し続ける者」となるためには、「十字架の愛に対 する感動」だけでなく、キリストを通して現される『神の子としての栄光』と遭遇しなければならない。この「恐る べき権威と栄光」に満ちた方が、すべてを捨てて『人』となり、この地に来られ、十字架の死にまでも従われ た。[ピリピ2:6-8] ここに『真の神の子』による「招き」がある。そして彼らは「すべてを捨てて」従った。[11節] ✰今日の大切なひと言: 「イエスにうまく従えないのは、イエスをよく知らないから」 ◎学びを深めるための質問 ①「自分の考え」と「神のことば」が衝突するのはどんな時ですか?そんな時どうしますか?それは何故ですか? ②「『クリスチャンは、良い人たち』と思われたい」という気持はありますか?それはどこから来ているのでしょう? ③もし『神に対する聖なる恐れ』を感じたことがあるなら、その体験を分かち合いましょう。

(355) “先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。見よ、わたしは新しいことを行う。”

社会学者たちの調査によると、人間の行動パターンは2つの要因から大きく影響を受けているそうです。1つは『両親』、まあ「育った環境」とも言えるでしょう。そしてもう1つは「その後今に至るまでに経験した(または現在している)出来事や状況など」です。まあ当然と言えば当然ですかね。 旧約聖書に『エフタ』という人物が出てきます。彼は「妾の子」として生まれ、家族や親類たちからも正当な扱いを受けられず、ほとんど「村八分のような存在」として育ちました。上記の調査結果に照らし合わせれば「人生の脱落者」として生きるための条件は揃っていたわけです。ところが彼は「彼が所属していた『イスラエル民族』を敵の支配から救う」という目覚ましい活躍をし、言わば『民族的ヒーロー』としてその名を残したのです。どうしてそのようなことが起こったのでしょうか?それは、エフタが「自分の生い立ちや不遇な過去を呪って生きる」という後ろ向きな歩み方を止め、「自分を造り、この世に生まれ出させてくださった大いなる神に頼って生きる」という新しい歩み方へと乗り換えたからです。 あなたがもし「自分の生い立ちや環境」にこだわって生きることをやめ、あなたをお造りになり、今の世に送ってくださった『創造主なる神』を心から求めて生きる人生を始めるならば、この神はあなたのすべての「不利な要素」を「神ご自身の偉大なご計画を実現するネタ」へと逆転してくださいます。『この世』は己に益をもたらすための「人間的に優れた人材」を求めますが、『神』はご自身の偉大な『愛と力』を人々に知らせるために、敢えて「この世ではむしろ見放されたような足りない者」を通して働くことを好まれるのです。(だからと言って、わざわざ弱々しく生きようとする必要はありません。私たちは元々「弱く足りない存在」なのですから…) ですから、気を落とすことなく、この神に向かって目を上げ、祈りや聖書のことばによってこの方と多く時間を過ごすことを通して、彼があなたのために立てているご計画に従って進む人生へと歩み始めましょう!

2019年9月8日 「神の選びと人の応答」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ       「神の選びと 人の応答」      (08/09/2019) [マタイ4:18~22] ― イエスは働きを始められる前に『人』をお選びになった。 ⇒ 神は『人』と共に働かれる。 ◆私たちが選んだのではない![ヨハネ15:16] ・「自分がイエスを選んだのだ!」と思い込んでいる人は、その後の信仰生活も『自分』が主体であり、「自分の 納得」を優先する。それ故相変わらず人生の目的は『自己実現』。(口では「神様のため」と言いながら…) ・イエスによるならば、『神』が私たち1人1人の人生に目的を持っておられる。それは『神』が、私たちを通して 「いつまでも残る実」を結び、また私たちの「祈りに答える」ことを通して『ご自身の栄光』を現すこと。[ヨハネ15:8] ・「私はペテロやヨハネのように『神の呼びかけ』を聞いたことがない」と言うかもしれない。しかし神は「ひとり子 の十字架」を通して私たちに呼びかけている。[ローマ5:8] (『教会』は「呼び集められた者の集まり」) ◆私たちの応答 ― 神は、私たちが彼の呼びかけに『応答』することを期待しておられる。 ・聖書の中には、いろいろな理由をつけて「神の呼びかけに応答しなかった人々」も描かれている。しかし「信仰 による応答」は必ずしも理由を必要としない。それは「働きへの招き」ではなく、「『関係』への招き」。 *「呼びかけ」 + 「応答」 = 『関係』  私たちと神との「関係」は『愛』。[Ⅰヨハネ4:10,19] ✰今日の大切なひと言: 「『神との愛の関係』は、神の招きに気づき、それに答えることから」 ◎学びを深めるための質問 ①「自分は神に選ばれている」ということに関して、どう感じますか?お互いの思いを分かち合ってみましょう。 ②神は私たちにどのように「呼びかける」と思いますか?互いの考えや体験談を分かち合いましょう。 ③今のあなたと神との『関係』はどのようなものですか?またそれをどうやって更に深めることができますか?   Outline of the sermon      “God’s calling & our response.”     (08/09/2019) [Matthew 4:18~22] ― At the beginning of his ministry, Jesus “called Read more…

(354) “若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。”

現代は非常に「子供を正しく育てにくい時代」だと思います。価値観があまりにも多様化し、溢れるほどの情報が氾濫し、しかもそれらが「ワン・クリック」で一気に目や思考の中に押し寄せてくる。そして親はそれを制御しつくすことができません。私は邦画が好きなので、一時帰国の折などはよくレンタル・ビデオ屋さんへDVDを借りに行くのですが、そこで目にする「ホラー映画」や「オカルト漫画」、そして子供用のコミックブックと一緒に並べて置いてある数々の「不倫や暴行を題材にしたエロ・コミック」にはあきれてしまいます。借りたり読んだりする方にももちろん問題がありますが、いくら利益追求のためとはいえ、何故このようなものを平然と生産・販売する世の中になってしまったのでしょう? このような時代に子供たちを「真に行くべき道」へと導くためには、もはや学校や社会に頼っていることはできません。大人(親)たちが『生きた模範』を示さなければなりません。「子供は親の言うことには従わないが、やることは真似をする」とは良く言ったもので、自身の経験からも確かにその通りです。時々自分の子供たち(今は全員成人していますが…)が人前で言ったりやったりしている様子を見かけると「自分のコピーではないか?」と感じてしまうことがあります。 煙草を吸う人の周囲にいると、自分も煙草を吸っているのと同じ害を受けてしまうと言われていますが、これは私たちの日常の行い・態度に関しても同じことが言えます。『不機嫌』『恐れ』『罪責感』『怒り』『暴力』その他の態度は周囲(特に家族や子供たち)に伝染し、「相続」されていきます。しかし同様に、私たちの『愛』『喜び』『希望』『安心感』『積極的・肯定的態度』も、特に言い聞かせなくてもちゃんと伝わるものです。すなわち「私たち自身が日々どのような態度で生きているかが、世の中の将来を方向付ける」と言っても過言ではないのです。 では、「私たちのための生きた模範」は何処にあるのでしょう?それは聖書の中、殊に「イエス・キリストの生き様」の中にあります。イエスはおっしゃいました。「わたしがしたようにあなたがたもするようにと、わたしはあなたがたに模範を示したのです」と。また彼は、信じる者と「いつも共にいる」とも約束してくださいました。彼に信頼し、彼と共に歩み、世に『正しい模範』を示す旅を今日からあなたも始めてみませんか?

2019年9月1日 「神の国の福音」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ       「神の国の福音」      (01/09/2019) [マルコ1:14~15] ◆『神の国』がやってきた!  『神の国』 = 「神の主権が働いている場所」 ― この時点では、イエスご自身 ・イエスのおられる所に『神の国』があった。イエスはそれを運び続け、人々に示し続けた。イエスの許にいた 人々は『神の国』(力あるわざ、平安、愛)を体験できた。イエスはいつも(今も)「わたしの許に来なさい」と招く。 ◆神の国の福音  『福音』 = 「良い知らせ」 *神の主権の下に身を置く者は、例外なく「神の国の民(神の子)」とされ、キリストと共に 神の国の権威を行使することができる。(天に対しても、地に対しても) ユダヤ民族の失敗に学べ! ― 「教え」や「しるし」が中心ではなく、『神ご自身との関係』が最重要。 「聖書の教えを守ること」にいのちがあるのではなく、『イエスの内』に「みことばを成就するためのいのち」がある。 [ヨハネ5:39-40] ・『福音』は「死んだ後に天国へ行けるための良い知らせ」なのではなく、 「今も、いつも、そして永遠に神と共に生きることができる」という驚くほどの『良い知らせ』。 ✰今日の大切なひと言: 「イエスと一緒にいることが、天国」   Outline of the sermon       “Good news of His kingdom.”      (01/09/2019) ◆“The kingdom of God has come near!” [Mark1:14~15]   ・“The kingdom of God” = Read more…