最期の審判

 聖書は人の『罪』ということを問題にしますが、私たちは『罪』と聞くと、「してしまった悪いこと」というものを思い浮かべます。「他の人の物を盗んだ」とか「不倫をした」とか「人を殺した」などなど。確かにこれらは神の前に『罪』に違いありませんが、実は聖書はむしろこれらのこと以上に、私たちが「しなかった良いわざ」の方を問題にしています。

 イエス・キリストはこの地上を歩まれた際、多くのことを「たとえ話」によって教えられましたが、それらの中には「灯火のために十分な油を用意していなかった娘たち」や「せっかく主人に預けられた予算を活用しなかったしもべ」や「自宅の門の前に横たわっていた乞食に施してやらなかった大金持ち」などの話があります。そして極めつけは、イエスが最後の審判』に関してなさったたとえ話です。イエスは「天国へ迎え入れられる人々」に対しての祝福のことばを述べられた後、「地獄へと投げ込まれる人々」に向かって次のように言います。「あなたがたは、わたしが飢えていた時に食物を与えず、わたしが渇いていた時に飲ませず、旅人であったときに宿を与えず、裸だった時に着る物をくれず、病気や牢にいたときに訪ねてくれなかった。」 人々は驚いてイエスに尋ねます。「一体いつ私たちはあなたに対してそのようにして差し上げなかったでしょうか?」と。するとイエスはこう答えるのです。「あなたがこの世の最も取るに足りない人々にしてあげなかったことは、実はわたしにしてくれなかったのです。」

 神は日々あなたに「なすべき良いこと」の機会を与えておられます。それを見過ごさないように!

Categories: 聖書

0 Comments

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *