(7) 生きている人間は、なぜつぶやくのか。自分自身の罪のためにか。

幼子でも老人でも、だれでも年をとって行きます。しかし必ずしも「賢くなっている」とは限りません。ある家庭で兄弟ゲンカがありました。妹が言います。「お兄ちゃんがいじめるの。ママ、お兄ちゃんを叱って !」ところがお兄ちゃんにだって言い分があります。「だって、妹が先にボクを叩いたんだよ !」 「それは私が悪いんじゃない !」これは子供たちだけの台詞ではありません。私たちは何歳になっても、身の回りの不幸を、人のせいにしたり、環境のせいにしたりします。しかし何の解決にもなりません。では、一体どうしたら良いのでしょう? 大切なことは「他の人はともかく、自分の過ちは何なのか」を明らかにして、どこをどう正せば良いのかを考え、実行することです。他の人の落ち度に関しては、神様に委ねましょう。もし私たちが神の前にへりくだり、自分の非を素直に認めるなら、神は私たちの側にいてくださり、他の人々との関係を執り成してくださいます。しかし、もし私たちが頑なに周囲を責めてばかりいるなら、そこには神様が関与してくださる余地はありません。もう苦々しい思いを溜め込むのは止めて、スッキリした開放感に包まれた日々を始めませんか?