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メッセージ
2025年8月24日 「神に祝福された人」
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「神に祝福された人」 (24/08/2025) [ルカの福音書 1章39~56節] ◆女性たちの信仰告白 ・驚いたことに、エリサベツは既にマリアが『神の子』をみごもっていることを知っており、しかもマリアの状況を知りつつも「あなたは女の中で最も祝福されている」と言った!またマリアも、自分が直面している困難を知りながら「どの時代の人も私を幸いな人と呼ぶでしょう」と言った!一体『真の幸い』とは、何なのだろう? ◆『神の祝福』とは? ・この「祝福された・幸いな人(英語ではどちらもBlessed)」という語を聞くと、主イエスの『山上の垂訓』の最初の部分が思い出される。[マタイ5:3-12] 私たちは『幸い』というと「この世で良い目にあうこと」を考える。その視点で 考えると『幸い』とは思えないこれらの人々だが、主イエスは「彼らが後に地上で、または天において受ける神からの報い」を思って『幸い』とおっしゃった。神の視点では「地上で既に受けている良い目」は『祝福』ではない。 ・考えてみると、「この世で物質的に豊かな人」は、神を見出しにくい。恐らく「目に見えるこの世の豊かさを追求する人」は、サタンに足をすくわれやすいのだろう。箴言の記者はこう書いている。[箴言30:8-9] この2人の敬 虔な女性たちから、「自分を通して『神のみわざ』が現されること」こそが『幸い』であることを学び取ろう! 今日の要点: 「足りなさ」を喜ぶ ◎更に深い学びのために ①エリサベツとマリアの姿から私たちが見倣うことのできる「信仰的態度」には、どんなものがありますか? ②「この世で良い目を見ること」が必ずしも『神の祝福』とは言えないのは、どうしてだと思いますか? ③神の視点における「真に祝福された人生」とは、どのようなものですか? あなたはそれを求めたいですか? Outline of the sermon “Those who are ‘blessed’ by God.” (25/08/2025) [Luke 1:39~56] ◆Two faithful women. Read more…
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