聖書
(612) “私たちは、この宝を土の器の中に入れています。”
『過労死』なる言葉が使われて久しいですね。どうしてこのような悲劇が起こってしまうのでしょうか?恐らく1つの原因は「『しなければならない』と思っていることのために、自分自身を酷使しすぎてしまう」ということなのでしょう。本当に「しなければならない」のは、『自分自身をもっと大切にすること』なのに… 私たちはしばしば『自分の身体』というものを過信しすぎたり、軽んじてしまったりしているのではないでしょうか?「自分のものを自分の好きに使って何が悪い!」というのが、これらの人々の言い分なのかもしれません。では『妊婦さん』はどうでしょうか?妊婦さんたちが自分の身体を酷使しそうな様子を見て、周囲の人が「自分の1人の身体じゃないんだから…」といたわりの言葉をかけることがあります。そう、彼らは「生まれ来るかけがえのない命」をその身に宿しているのです。 実は聖書は私たちも「かけがえのないものを宿している」と言います。それは「神が私たち1人1人に与えた『神のかたち』」です。私たちの肉体自体は「地のちりから造られ、地のちりに返る存在である」と述べられていますが、そんな「土の器」の中に『かけがえのない宝』を宿している。だからこそ、私たちはこの身体をいたわるべきなのです。 聖書の別の箇所には、「私たちの体は『神の霊』を宿した『神の神殿』である」とも書いてあります。神こそが、私たち1人1人の『真価』を知っておられます。そして私たちは「妊婦さんたち」のように、「この身体は自分だけのものではない!」という自覚をもって、決して自分の身体を粗末に扱うことなく、神の前にも人々の前にも恥じることのない人生を歩むことが求められているのです。