(618) “2人は1人よりもまさっている。2人の労苦には、良い報いがあるからだ。”

 ある時、インド人の旅人の2人連れが雪深いヒマラヤ山脈を旅していました。すると旅の途中で雪の中に1人の人が倒れているのを見つけました。生死を確認してみると、かろうじて生きていることが分かったので、1人が「この人を担いで近くの山小屋まで連れて行って解放しよう」と提案しました。しかしもう1人が言いました。「それはできない。そんなことをしたらオレたちの命まで危うくなってしまう。可哀そうだが、この人は置いて行くしかない」。結局どちらも自分の考えを譲らず、片方はもう1人を置いて先に旅を続けて行きました。残された方は、何とか倒れていた人を背中に背負って、ゆっくりと雪の中で歩みを進めて行きました。  すると、しばらくすると思いがけないことが起こりました。自分の荷物の上に大人の男性を背負うのは大仕事だったのですが、身体を密着しているためか、自分の体がだんだん暖まってくるのを感じたのです。同時に相手の身体も徐々に暖まって行き、やがて気を失って背負われていた方の人が息を吹き返し、元気を回復して行きました。そして2人で身体を寄せ合いながら一緒に歩き始めたのです。  もう少しで山小屋に着きそうなところまで来た時、何とまた1人雪の中に倒れている人を見つけました。2人で生死を確認したところ、残念ながらもう息を引き取っていました。そして何と、その倒れている人は、2人を見捨てて先を進んだ、もう1人の旅人だったのです…  神は私たちを「1人ぼっちで生きる」ようにはお造りになりませんでした。時には「誰かと生きること」は面倒くさく感じることがあるかもしれません。しかし長い目で見る時に、すべての人間は「共に生きる誰か」を確かに必要としているのです。そして「一緒に生きる」時に、思いがけない意欲や新たな力が与えられます。神は私たちがそのようにして「共に生きる祝福」を味わうことを望んでおられるのです。

2025年7月27日 「ルカの福音書」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「ルカの福音書」    (27/07/2025) ◆ルカの福音書の特異性   ・個人(異邦人・テオフィロ)宛てに書かれた。 ・異邦人(パウロの弟子である『ルカ』)によって書かれた。   ・ルカは「医者」、また「異邦人」という視点で、既に書かれていた主イエスに関する記録を参考に、より綿密に、またより客観的(ユダヤ人的感覚ではなく)に、異邦人である私たちにも分かりやすく書いている。   ・他の福音書には書かれていない「バプテスマのヨハネの誕生物語」から始めている。 ◆[ルカ1:1~4]   ・既に他の福音書が存在している事、またルカ自身は「キリストの目撃者」ではないことを暗示している。   ・一見「テオフィロ個人宛て」のようではあるが、それと共に広く「異邦人世界」に、この福音が単なる作り話ではなく、確固たる事実であることを分からせよう、という意図が伺われる。  *以前学んだ『マルコの福音書』に比べ、「人となられた神の子イエス」を強調している。⇒ [ピリピ2:6-8] 人は『神』にはなれないが、神は(その気さえあれば)『人』になることもできる。そして神はそれをなさった!   ・それは、私たちが「イエスの『人』としての生涯」をじっくりと観察することを通して、「私たち人間に対する神の計画や願い」を知り、また、イエスが御父とどのように歩まれたかを見て、私たちがそれに倣うためである。 今日の要点: 神はひとり子を『人』として遣わすよって、何を知らせたかったのか? ◎更に深い学びのために  ①『ルカの福音書』は、他の福音書と比較して、どのような点が特別ですか?  ②神は、ご自身のひとり子を『人』として地上に遣わすことによって、私たちに何を伝えたかったと思いますか?  ③『ルカの福音書』を学ぶことによって、私たちはどんな益を受けることを期待できるでしょう? Outline of the sermon    “Gospel of Luke.”    (27/07/2025) ◆Special characters of “Luke’s gospel”.   ・Personally written to Theophilus. ・Written by a gentile, Luke(a follower of Paul).   ・Luke, as a doctor, he wrote this letter Read more…

(617) “正しい人は7度倒れても、また起き上がる。”

 「失敗は成功の基」ということわざがありますよね?確かにその通りだと思います。我が家の子供たちがまだ幼かった頃、私はしばしば子供たちに、「失敗を恐れるな。何度失敗してもいいんだよ。実際『失敗』という呼び方はあまり良くない。『ラーニング・エクスペリエンス』と呼びなさい」と言ったものです。お陰でウチの子たちはそれぞれ、とてもユニークで何でもチャレンジする大人に育ってくれました。  一体『失敗』とは何でしょう?「思ったとおりに事が進まないこと」でしょうか?しかし実際には「やる事成すこと全てがウマく行く」なぁんてことはほとんどありません。もしそんな人がいたとしたら、きっと「人の弱さに同情することのできない、傲慢な人間」に育ってしまうのではないでしょうか。  神様は私たち人間を「活動する存在」として造ってくださいました。そして活動するからには「失敗や挫折」は付き物です。しかし『本当の失敗』は、失敗することを恐れて新しいことに挑戦しなくなってしまうことではないでしょうか?  聖書に登場するヒーローたち(モーセ,ダビデ,ペテロなど)は皆、大きな失敗や挫折を経験した人々でした。しかしそれと同時に、「そんな自分を決して見捨てることなく、支え、励まし、再び立ち上がらせてくださる神の働き」を経験したのです。神様は決して私たちの『失敗』を責めるお方ではありません。むしろ私たちが失敗した時こそ側に寄り添って、「もう1度今度は他のやり方で試してみよう!」と次の機会を与えて下さる方なのです。

2025年7月20日 「キリストと共に遣わされる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「キリストと共に遣わされる」    (20/07/2025) ◆北島巡回報告  1土曜日の賛美集会 ― 大人だけでも80名の参加。初めての方々もたくさん。  2日曜日の日本人教会での礼拝 ― 60人くらいの出席。こちらも普段は来ない人たちも参加。  3個人的に印象的だったこと   ①15組以上の人たちとの個人的な面談。    ・半数以上の人々は、当初の予定には無かった。「出て行く」時に、神が働かれる。   ②「Retire」ではなく、『Refire』! ◆「交わり」の中にある『永遠のいのち』   ①[マタイ28:19-20](「行って」+「わたしが共にいる」)    ・主イエスはご自身の経験のゆえに『遣わされる』ということを知っているので、御父が彼と共におられたように遣わされて行く私たちとも共にいてくださる。   ②[Ⅰヨハネ1:1-3](『永遠のいのち』は「御父と御子との交わり」の中にある。このいのちによって豊かにされ、出て行く)    ・主イエスはこの『交わり』の主人公なので、そのただ中におられる。私たちはこの交わりの中に人々を招く。 今日の要点: 出て行って、キリストを紹介する ◎更に深い学びのために  ①あなたにとって「コンフォート・ゾーンから出て行く」ということは、具体的にどんなことを意味していますか?  ②「イエスが御父によって遣わされた事」と「イエスが私たちを遣わしている事」には、どんな共通点がありますか?  ③「御父と御子との交わりの中にいのちがある」とは、どういう事でしょう? それをどのように体験できますか? Outline of the sermon    “Being sent with Christ.”    (20/07/2025) ◆Report about our trip to North Island.  1Worship meeting on Saturday ― There Read more…

2025年7月13日 「宣教の真髄」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「宣教の真髄」    (13/07/2025) 1 宣教の中心は「自分」ではなく、『キリスト』  ・「キリストにある救い」を語って相手に拒否されたなら、それはあなたが拒否されたのではなく、キリストが拒否された。たとえ自分はダメダメでも、『キリスト』はメチャメチャ偉大でカッコいいのだから、自信を持っていいのだ!  『美味しいラーメン屋』を紹介するのと同様で、相手が拒否しても、それは相手が損をするだけの話である。 2 福音の中心は「十字架」ではなく、今日も生きて働く『キリスト』  ・『十字架』が伝道メッセージの中心だと思っている人が大多数だが、ちょっと違う。本当の中心は「御子の十字架 での死」という過去の出来事ではなく、今日私たち1人1人と共におられ、『今も生きて働かれるキリスト』なのだ! 3 福音の目的は「天国への切符」ではなく、『生ける神との関係』  ・キリスト教の語る『救い』は「永遠のいのち」であるが、それは「天国へ行ける特権」というよりも「神との間の障壁 であった『罪』が取り除かれて、イエスの名によっていつでも神との交わりの中へ招き入れられる」という『神との生きた関係』。アダムの罪以来『私たちとの交わりの回復』を切望しておられた神に対し、「もう天国への約束を手に入れたから、残りの人生は好きに楽しもう!」という態度は『宝の持ち腐れ』であり、『神への冒涜』とも言える。  ・そしてこの『神との素晴らしい関係』に1人でも多くの人を招き入れようとするのが、『宣教の真髄』なのだ! 今日の要点: 『宣教の主役』は誰れですか? ◎更に深い学びのために  ①「キリストのことを他の人に伝えるのが恥ずかしい」と感じるとしたら、何が原因でしょうか?  ②あなたにとって『キリスト』は、どれくらいリアルな存在ですか? 「この方をどうしても他の人たちに知って欲しい」と本気で思っていますか? Outline of the sermon   “Essence of evangelism.”   (13/07/2025) 1 Evangelism is not all about “me” but “Christ”.  ・If you evangelize and be rejected, it is NOT ‘You’ they refused but they rejected Read more…

2025年7月6日 「イエス・キリスト以外に救いはない」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「イエス・キリスト以外に救いはない」  (06/07/2025) [使徒の働き 4章12節](年間聖句) ― では、なぜ「イエス・キリスト以外に救いはない」のか?  1私たちの側の理由   ①「神にふさわしい人間」は、誰もいないから [イザヤ59:1-2]    ・私たちと神との間には『罪のギャップ』があり、人間の努力や修行では越えることができない。   ②神が必要だと分かっても、神がどんな方かが分からないから    ・だからこそ、『神の御姿』であった方が「人として」地上に現れてくださったことによって、『神』を啓示された。[ピリピ2:6-8]  2神の側の理由   ①『罪の代償』が必要だったから [Ⅱコリント5:21]    ・神は『愛と義』の方であるので、私たちを受け入れたいが、「罪あるまま」では受け入れることができない。   ②『ご自身』と「その願い」を知らせるため [コロサイ2:9]    ・ご自身がどのような方かを知らせると共に、「神のかたちに造られた私たち」に本来どのように生きて欲しい    のかを、御子の『生きた模範』を通して示された。[ヨハネ13:15] 御子イエスだけが『道』なのだ![ヨハネ14:6] 今日の要点: イエス・キリスト以外に救いはない! ◎更に深い学びのために  ①なぜ「イエス・キリスト以外に救いはない」と言えるのですか?  ②「神の存在は信じるが、『救いはイエス・キリストだけ』というのは信じない」と言う人は、何が間違ってますか?  ③イエス・キリスト以外の様々な『救いの道』を提示する世の宗教は、どのような点が分かっていないのでしょう? Outline of the sermon    “No one else but Jesus!”    (06/07/2025) [Acts 4:12](JCF Verse of this year) ― But why “there Read more…

(616) “わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。”

 イエス・キリストはその教えの中でしばしば『愛』について語り、また「神を愛するとは神の命令を守ることである」とおっしゃいました。きっとここである方々は考え込んでしまうのではないでしょうか。「『命令を守る』などという愛の形があるのだろうか?」と。  確かに人間同士の関係において、「どちらかがどちらかの命令を守るのが『愛』だ」などと言ったら、何だか封建的で誤解を招きそうです。しかし、「創造主なる神と私たちの関係」は決して『同等』ではありません。神の方が知恵においても力においても圧倒的に優っています。そのような間柄においての『愛』は、恋人同士のようなロマンティックなものではなく、むしろ「親子関係」のようなものかもしれません。  神は私たちに対して、「憐れみ」「一方的な恵み」「祈りに応える」というような方法でご自身の愛を表現してくださいます。では私たちはこのお方に対してどのように『愛』を表現できるでしょうか?それは『絶対的な信頼』を通してです。幼子が親に言われたことに対して、「ホントかな?」「どうしてなの?」「証明してみせて!」などという疑わしい態度ではなく、「お父さん(お母さん)がそう言ったんだから、間違いない」と従順に従う様子を目にする時、親たちはきっと「この子のためなら、どんなことでもしてあげよう!」と感じることでしょう。  神は良い方であり、私たち1人1人の最善を願い、また施してくださる方です。この方に信頼してその戒めを守り行うことによってこそ、私たちは『神に対する愛』を正しく表現できるのです。

2025年6月29日 「『救い』とは?」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『救い』とは?」  (29/06/2025) [使徒の働き 4章12節](年間聖句) ― では、聖書の言う『救い』とは何なのだろう? ◆今すでに受け取っているもの(Ⅰペテロ1:8-9)  *『救いの要素』には、「この地上にあって既に味わうことのできるもの」と、「天に挙げられた後に味わえるもの」とがある。では、今すでに味わうことのできる(味わっている)ものには、どんなものがあるのか?   ①『神の子』としての特権 [ヨハネ1:12]    ・神との交わり  ・祈りの特権  ・いのちの喜び,平安  ・神の家族との交わり  ・御霊の内住   ②『神の子』としての成長 [Ⅱコリント3:18]    ・聖化  ・『愛』における成長  ・「働き人」としての成長(御霊の賜物)  ・天国の前味 ◆後に受け取るもの(Ⅰコリント13:12)  *『救いの要素』には、やがてこの肉体を脱ぎ捨てて『天の御国』においてのみ味わうことのできる祝福がある。    ・顔と顔とを合わせて主イエスを見る。    ・死も病も苦しみもない世界。(黙示録21:3-4)    ・全ての謎が明かされる。(「なぁるほど、そういうことだったんですね。さすが、神様!」と納得) 今日の要点: 「既にあるもの」を見つけて味わい、「後に来るもの」を見つめて喜ぶ ◎更に深い学びのために  ①『救いの要素』で、あなたが既に味わっているものを分かち合いましょう。  ②まだ味わっていない『救いの要素』で、あなたが強く待ち望んでいるものは、何ですか?  ③この「救い」をぜひ受け取って欲しいと思っている人たちのことを思い浮かべながら祈りましょう! Outline of the sermon    “What is ‘salvation’ really?”    (29/06/2025) [Acts 4:12](JCF Scripture of this year) ― By the way what is “salvation” really mean? Read more…