(628) “何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。”

 『杞憂』という言葉をご存知でしょうか?「心配しても仕方ない事を思い煩うこと」を指して使います。古代中国の「杞の国」のある人が「もし天が落ちてきたらどうしよう?」と心配して夜も眠れなかったという出来事に由来しています。  考えてみると『思い煩い』のうちのほとんどは「心配しても仕方ない事」ではないでしょうか?そもそもそれらの多くは「自分ではどうしようもないこと」です。たとえ心配したところで、自分ではどうしようもないのですから、心配するだけ無駄です。むしろ『心配事』は時には私たちの健康さえ害するのですから、まさに「思い煩いは百害あって一利なし」です。  また、もしその『思い煩い』が「自分で何とかなること」(例えば「来週のテストをどうしよう…」とか?)ならば、思い煩っている暇があれば、適切な行動を起こせば良いのです。  イエス・キリストは人々に教えて、「咲いてもたった数日で枯れてしまうような野の花さえ、神はあんなにも美しく装ってくださるのだから、ましてや愛する人間たちに良いものを備えてくださらないはずがない」と教えました。言わば、私たちが「思い煩う」のは、私たちの心が『創造主なる神様』から離れてしまっているからです。  神は、ご自身と私たちとの「不信仰の罪によるギャップ」を、ひとり子イエス・キリストの十字架における代償によって埋めてくださいました。それほどまでに私たち人間を愛しておられる方が、私たちに良くしてくださらないわけがないのです。私たちに必要なことは「思い煩うこと」ではなく、「これほどにも愛してくださっている『父なる神』に信頼し、敬うこと」なのです。