(629) “人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。”

 アメリカでの話です。ある会社の代表取締役が奥さんと車で地方を旅行していました。ガソリンが少なくなってきたので、道端にあったひなびたガソリンスタンドに立ち寄り、ガソリンを入れてもらっている間に店の中に入り用のものを買いに行きました。店から出て来ると、何やら妻がガソリンスタンドの労働者と親しげに話しているではありませんか。  車で走り出した後、夫が妻に「知り合いなの?」と尋ねると、妻は「実は学生時代にお付き合いしてた人なのよ」と答えました。そこで夫は「そうかそうか、じゃあ別れて良かったな。そうでなければ、キミは『代表取締役の妻』ではなく、ガソリンスタンドで働く男の妻になるところだったじゃないか!」と得意げに言いました。すると妻はあっさり次のように答えたのです。「あら、もちろんアナタと結婚したのは良かったけど、もし彼と結婚していたら、きっと彼が代表取締役になっていたと思うわ。」  聖書によると、神は初めにアダムという男性を造り、他の動物たちの中に彼のためにふさわしい助け手を見出さなかったので、敢えてエバという女性を造ったとあります。すなわち、女性(妻)以上に、男性(夫)にふさわしい『助け手』は存在しないのです。家庭においてしばしば「女性の最大の役割」は『母親』としてしっかり子育てすることのように言われます。確かにそれもとても大切ですが、「母親としての使命」よりも更に優れて大切なのは、『妻として夫を支え助けること』なのです。それは何も「男性の方が女性よりも優っている」というようなことではなく、「役割分担」です。男性は「神の前に、委ねられた使命を全うすること」によって最高級の喜びと満足を味わうことができ、女性は「『妻』として、夫が神から委ねられた使命を全うすることができるように、常に夫を支え励まし助けること」によって、やがて夫が神からの使命を見事に成し遂げることができた時に、夫と共に「この上もない喜びと満足」を経験することができるのです。  「神に造られた本来の目的に沿って生きる」。残念ながら、このような人生を送れている人は多くないように思いますが、これを読んでおられる方々が、(私がそうであるように)神から与えられた『自己最高の人生』に生きる喜びを体験することができるようにと、心からお祈りしています。