聖書
(635) “主によって、人の歩みは確かにされる。”
英語の「prepared(整えられた、準備された)」という語は、もともと古代の王様が「自分が出向こうとしている目的地に、事前にしもべを送って下準備をさせておく」ということに用いられた言葉だそうです。もちろん人間には足りないところや、能力や経済に限界があるので、必ずしも『王の到着』にふさわしい準備ができないこともあるわけで、そんな時はしもべたちは王の怒りに触れて、罰を受けたり、時には殺されてしまうこともあったでしょう。 さて、このことに比べると私たちの『王の王』である神様は、ご自分のしもべである私たちに先立って「行く道を整えてくださる」というのですから、全く驚くべきことです。しかも私たちの神様は全知・全能であり、愛に満ちておられます。古代の王のしもべたちのように、考えが足りなかったり、準備が不十分だったりすることはありません。全てが完ぺき(私たちが期待する以上)なわけです。 もちろん私たちは、神が私たちの将来にどのようなことを備えてくださっているのかを知らないので、人生の途上で不安に襲われたり、たじろいだりしてしまいます。時には人生を投げ出したくなってしまうことがあるかもしれません。そんな私たちに対して神様が望んでおられることは「優れて立派な人間になること」ではなく、ただ単純にご自身に信頼することなのです。