聖書
(640) “あなたがたが受けないのは、あなたがたが求めないからです。”
日本文化には「奥ゆかしさ」という1つの美徳があります。ただ、この「奥ゆかしさ」が『神のみわざを体験する』という上でマイナスになることがあります。例えば「神様にこんなことをお願いするのは申し訳ない」という理由で、自分の本当の必要を神に祈り求めることができないでいる場合です。 聖書には、「信仰がなければ神に喜ばれることはできない」と書かれています。そして「神に大きなことを求めること」は、まさに私たちの『信仰』を神にアピールすることになるのです。イエス・キリストはある盲人が癒しを求めて近づいてきた時に「あなたの信じる通りになるように!」とおっしゃいました。「こんなことを神にお願いするなんて…」というのは、慎み深いように聞こえて、実は「もし神様に聞いてもらえなかったらどうしよう」という、私たちの『不信仰』の現れに過ぎないのです。 聖書は『天地創造の神』のことを「私たちの天の良き父」と呼んでいます。そして「良い父親」はいつでも自分の子供たちに「良いものを豊かに与えたい」と願っています。ただ人間は能力的にも経済的にも限界がありますから「豊かに与える」のにも限界があります。しかし私たちの『天の父』には、そのような限界はありません!彼は「あふれるほどに」与えることができるお方なのです。また、それらのものを与えるか与えないかを決めるのは『神ご自身』であって、私たちではありません。ですから私たちはいつでも『天の良き父』に「良いものを豊かに与えてください!」と求めるべきなのです。