聖書
(646) “義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。”
多くの人々は「心の満ち足りなさ」を感じています。そしてそれを何とか埋めようと、多くの買い物をしたり、様々な異性とお付き合いをしてみたり、ゲームや趣味に没頭したり、お酒に溺れたりしているのではないでしょうか?そして恐らく誰もそれらの中に「本当の満足」を見出すことができず、静かに、時には激しく絶望しているのかもしれません。 イエス・キリストは「『義』に飢え渇く者は、やがて満ち足りる」とおっしゃいました。『義』とは何でしょう?すぐに思い当たるのは「正義の『義』」、すなわち「悪に立ち向かおうとする正しい心」のようなものでしょうか。聖書で『義』という時には「常に真実で正しく、愛に満ちておられる『神』のみこころがこの地上でことごとく成し遂げられることを望む心」を指します。 ある時イエスはこんなことをおっしゃいました。「わたしの戒めを守る者は、わたしを愛する者です」。ちょっと分かりにくいですよね?「愛すること」と「相手の言いなりになること」は、ちょっと違うような気がします。でもその相手が「私たちの最善を知っており、そのための道筋を教えておられる方」だとしたらどうでしょう?神が私たちに与える命令は、いわば私たちに最善を施そうとしておられる「愛の表現」なのです。それに忠実に応答しようとすることは、正に神に対する私たちの「愛の表現」となるのではないでしょうか? 愛に満ちた神とのそのような関係の中に日々歩み、そしてそんな『神の愛のみこころ』が、この地上で成し遂げられることを心から望むとき、私たちの心は「決して失われることのない充足感」に満たされるに違いありません。