こんなお話があります。

ある賢い老人と孫娘が田舎のガソリンスタンドで一緒に座ってくつろいでいました。そこに1人の旅人風の男が車でやってきて、ガソリンを入れながら老人に尋ねました。「オレはじっくり腰をすえて住むのに良い場所を捜して旅をしているんだが、ここはどんな所だい?」老人は答えました。「そうだなぁ、そういうお前さんが前に暮らしていた所はどんな所だったんだい?」男は言いました。「いやぁ、嫌なところだったよ。人々は批判的で、お互いにそれぞれのあら捜しばかりしていてさ。あんな所には2度と戻りたくないね。」老人は申し訳なさそうに答えました。「そうかい、それは残念だったねぇ。実はこの町も、その町と全く同じようにひどい所なのさ。」男はガックリして車に乗り込み、去って行きました。 しばらくすると、1組の家族がそのガソリンスタンドに車を停め、運転していた父親が老人の所にやってきて尋ねました。「失礼ですが、この町は暮らすのに良い場所でしょうか?」老人は答えました。「そうだねぇ、ところでアンタたちが前に住んでいた所はどんな所だった?」父親は言いました。「いやあ、素敵なところでしたよ。町の人たちは皆親切で、仲が良くて、困った人がいるといつも助けの手を差し伸べていました。本当に去りがたかったんですが、都合でどうしても引っ越さなければならなくて…」老人はニッコリして答えました。「安心しなさい。この町もまさに同じような所だよ!」

この家族が車を出発させた後、ずっとこれらの様子を聞いていた孫娘が尋ねました。「ねぇ、おじいちゃん。どうして初めの人には『ここはひどい所だ』って言って、後の人には『ここは素敵な所だ』って言ったの?」老人は孫娘の瞳をじっと見つめて言いました。「なぁに、人間どこに引っ越して行ったって、いつも『自分』を連れて行くもんさ。そして引っ越して行った先がどんな町に見えるかは、その『自分』の態度次第なのさ。」

人生は『人任せ』にはできません。「人生に対するアナタの態度」があなたの人生を決めるのです。周りの状況に左右されることのない、神様から注がれる「内なる平安と喜びがあるならば、どこに行ってもそこは『地上の楽園』となり得るのです。

Categories: 聖書

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