
聖書は2000ページ以上もある分厚い書物(新約聖書だけなら500ページくらいですが…)なので、なかなか「読んでみよう!」と思い切れない、また仮に読み始めたとしても完読できない書物ではないでしょうか?そこで今日は『聖書のエッセンス』とも言えるお話をしたいと思います。
多くのクリスチャンたちが「この聖書箇所は、聖書の全体像をうまく言い当てている」と同意する1つのことば、それが冒頭に掲げた[ヨハネの福音書3章16節]という箇所です。「神は『世(人々)』を愛しておられる。その愛の故に『ひとり子(イエス・キリスト)』をこの世に送り、その『不信仰(神に対する不従順)』の故に「死とさばき」に定められた私たちの身代わりとされ、代わりに私たちが『永遠のいのち(神との関係の中で豊かに生きるいのち)』を持つことができるようにされた。」 これが聖書の中心メッセージです。
世界の中心(主人公)は『自分』でも『人間』でもありません。世界の中心は、それを形造られた『創造主なる神』です。そしてその『神』は私たち人間を「特別な存在(神との関係の中に生きるもの)」として造られ、こよなく愛し、心にかけてくださっているのです。ところが私たち人間はそんな『神』の存在を見失い、自分勝手に、いかにも「自分こそ世界の中心」であるかのように歩み始めました。この「神に背を向けて生きること」を聖書は『罪』と呼んでいます。そして「いのちの源である神」に背を向けて生きる道は、そのまま『永遠の死』へと向かうのです。
そんな私たちの「不信仰な歩み」を、もう1度修正する機会を与えるために、『神の子イエス・キリスト』はこの世に来られ、私たちの「罪の報い」を十字架上で身代わりに背負い、信じる者に『永遠のいのち(神との関係の回復)」を与えて下さるのです。
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