ある時、インド人の旅人の2人連れが雪深いヒマラヤ山脈を旅していました。すると旅の途中で雪の中に1人の人が倒れているのを見つけました。生死を確認してみると、かろうじて生きていることが分かったので、1人が「この人を担いで近くの山小屋まで連れて行って解放しよう」と提案しました。しかしもう1人が言いました。「それはできない。そんなことをしたらオレたちの命まで危うくなってしまう。可哀そうだが、この人は置いて行くしかない」。結局どちらも自分の考えを譲らず、片方はもう1人を置いて先に旅を続けて行きました。残された方は、何とか倒れていた人を背中に背負って、ゆっくりと雪の中で歩みを進めて行きました。

 すると、しばらくすると思いがけないことが起こりました。自分の荷物の上に大人の男性を背負うのは大仕事だったのですが、身体を密着しているためか、自分の体がだんだん暖まってくるのを感じたのです。同時に相手の身体も徐々に暖まって行き、やがて気を失って背負われていた方の人が息を吹き返し、元気を回復して行きました。そして2人で身体を寄せ合いながら一緒に歩き始めたのです。

 もう少しで山小屋に着きそうなところまで来た時、何とまた1人雪の中に倒れている人を見つけました。2人で生死を確認したところ、残念ながらもう息を引き取っていました。そして何と、その倒れている人は、2人を見捨てて先を進んだ、もう1人の旅人だったのです…

 神は私たちを「1人ぼっちで生きる」ようにはお造りになりませんでした。時には「誰かと生きること」は面倒くさく感じることがあるかもしれません。しかし長い目で見る時に、すべての人間は「共に生きる誰か」を確かに必要としているのです。そして「一緒に生きる」時に、思いがけない意欲や新たな力が与えられます。神は私たちがそのようにして「共に生きる祝福」を味わうことを望んでおられるのです。

Categories: 聖書

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