子どものしつけ

現代ほど子どもを育てるのに知恵を必要とする時代はかつて無かったのではないでしょうか?暴力や破廉恥に満ちた漫画やゲーム。インターネットの蔓延。いじめや麻薬。そして多くの家庭は共稼ぎで、子供たちはお金だけ与えられて放置されています。「私は自分の子どもを愛しています」と言うかもしれません。しかし正しい『しつけ』抜きの愛は、単なる『甘やかし』に過ぎません。

私たちは単に「自分の子ども」を育てているのではなく、『次世代』を形造っているのです。ですから、「責任感のある、困難に負けない子供たちを育てること」は、神から私たちに委ねられている大きな責任だと言うことができます。そのために正しいルールを教え、それをしっかりと守って生きるようにしつけることはどうしても必要です。『ルール』というとどうしても「拘束される」というイメージがありますが、適度な理にかなったルールは、かえって子どもを安心させ、「自分は大切にされている」と感じさせるものです。

下記に「子どもを正しくしつけるため」のいくつかのガイドラインを述べておきます。

①  「どうしても守らなければならない、必要最小限の『ルール』を作って、よく子どもに理解させる」

・親として自分に都合が良いルールを作るのではなく、愛情を込めて「子どもを危険から守り、責任感のある大人となることを助ける、実行可能で具体的なルール」(多くても5つくらい)を作りましょう。それらを子どもに分かりやすく説明してあげてください。子どもがそのルールを破った時に、自分が何故叱られているのか分からないのでは、かえって子どもは混乱し、イライラするようになります。分かりやすい言葉で紙に書いて壁に貼っておくのも良いかもしれませんね。そして、叱る時には必ず一貫性を持たせるようにしてください。ルールを破ってもある時は叱られ、またある時は叱られなかったというのでは、ルールを作った意味がなくなりますから。

②  「それらのルールを、子どもを『さばく』ためではなく、『成長を励ます』ために用いる」

・複数のお子さんをお持ちの方によく見られることですが、決して兄弟同士、また近所の子供たちと比べた評価をしてはいけません。「アナタはどうしてOOちゃんのようにできないの!」 それは無理な話です。神様は1人1人をユニークに造られたのですから。また『レッテル貼り』をしないことです。「ホントにお前はのろまなんだから・・・」などのような言葉は、子供たちの心に「私はのろまだから、何をやってもダメなんだ」という呪いをかけます。子供たちの誤った行動を叱ることはあっても、人格を決め付けるような表現は避けましょう。

最後に、『No』ということを恐れないで下さい。子どもがいくら駄々をこねても、あるいは脅してきても「ダメなものはダメ」なのです。子どもも賢いですから、「だってお母さんだって・・・したじゃん!」などと言って、何とか自分の思い通りに親を動かそうとすることがあります。そんな時はしっかりと「親としての権威」に立ってください。但し、親だって間違いを犯すことはもちろんあります。その時は自分の過ちを素直に認めるように心がけましょう。「子どもは親の言うことは聞かないが、することは真似する」というのは本当です。親が自分の非を素直に認める態度を一貫していれば(もちろん、間違ってばかりでは困りますが・・・)、子どもも謙虚に育ちます。

「自分自身が神を畏れ敬いつつ正しい生き方を心がけ、子供たちをも神を畏れ人々を愛する子どもに育てる」、これが『次世代を育てる責任』を与えられた私たちの生き方なのではないでしょうか?

Categories: 聖書

1 Comment

太城 義雄 · 2015-09-18 at 9:19 am

主のみ名を賛美します。

聖書を読んでいて、「むちを控える者はその子を憎む者である。」ということがどんな意味か確認しようとネットで検索したら、貴ページが最初に表示されましたので拝見しました。

やはり甘やかしてはいけない・・って意味ですね。 『むち』が虐待をイメージしてしまったので真意を曲解しそうになりました。

また、現在中学三年(15歳)の息子を育てていますが、ルールを決めてもなかなか甘くなってしまっています。
このみ言葉と、解き明かしは大変参考になります。

ありがとうございました。

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