JCFキャンプ2011

去る1月21~23日に、クライストチャーチから北へ車で30分ほど行ったところにある『ウッドエンド・キャンプ場』にて「JCFサマーキャンプが」行われました。あいにく初日の夜から土曜日の午前にかけて雨模様でしたが、土曜の午後には雨が上がり、晴れ間も見えるようになって、グループ対抗のドッジボールやリレー、水風船バレーボールなど、年長者たちも年を忘れて大いにはしゃぎました。これらのレクレーションばかりでなく、日本からお招きしたゲスト講師の『大角健一牧師』から「日常生活の中で、神様と共に歩む」ということに関して多くを教えられ、また『恋愛と信仰』『社会生活と信仰』『創造論と進化論』などの分科会に別れて学ぶ機会もありました。グループごとに準備した『お笑い写真』や『聖書劇』も大ウケで、2泊3日の短い期間でしたが、大変有意義で中身の濃い時間を過ごすことができました。こんなに素晴らしい機会を与えてくださった神様に、心から拍手!パチパチ! 下にキャンプの写真をいくつか載せておきますのでご覧ください。 楽しそうでしょう?楽しかったですよ~!では次回のキャンプをお楽しみに~:)

2010年12月26日 神がウリピブ島でなさった3つのこと

説教あらすじ「神がウリピブ島でなさった3つのこと」(26/12/2010) *私たち家族がバヌアツの『ウリピブ島』で宣教師として働いていた時の神様の偉大なわざについての証し。 ◆どうして『ウリピブ島』へ行ったのか? ・『ウリピブ語』に翻訳された聖書を読めるように、島の人々に『読み書き』を教えるため。 ・聖書のないキリスト教信仰は、『異教』に変化してしまうから。 ◆ 『ウリピブ島』で私たちを待っていたのは、「何もできない自分」との出会いだった。 ・言葉も文化も生活習慣も、全く分からない『無能な』自分。この時、祈りの中で与えられた聖書の ことばが、[ヨハネ5:19]だった。 ◆ 何もできなかったが、ただ「見ること」ならできた。島での生活の中で3つのことを見つけた。 ①せっかく『ウリピブ語』に翻訳された聖書は、全く読まれていない! ②家の目の前にある『遺跡』のようなものは、実は建築途中で挫折した『教会堂』だった! ③島の人々は、メチャクチャ「歌うことが好き」だった! *この「歌うことが好き」な性質を用いて、賛美歌の『ウリピブ語翻訳作業』が始まり、このことをきっ かけにして、人々が「読むこと」に興味を持ち始め、更に、ウリピブ語で聖書を読み始めた! (これが、神様がなさった、第1番目のこと) ◆ 島の教会には『青年会』があったが、『青年』は1人も集ってはいなかった。 ・1999年のクリスマスの夜に、刃物を振りかざした青年の「殴り込み事件」があった。この青年の 名は『ウソレ』。 ・この『ウソレ』がやがて、ひょんなことから教会の青年会のリーダーになり、教会の青年会が復活した。 ・ウリピブ語に翻訳された聖書のみことばと聖霊の働きとにより、青年たちが、他の島々へとアウト リーチを始めた。(これが、神様がなさった、第2番目のこと) ◆ 建築途中の『教会堂』は、労働力不足・予算不足、そして「ブリックの材料のための砂の不足」のため に廃れていた。しかし、人々が『ウリピブ語』で聖書を読み始めたことを通して、少しずつ「砂集め」が 再開されていた。 ・そんな時の「台風直撃」。しかし、台風が、大量の砂を運んできた! そして、青年会の回復も手伝っ て、ブリックがてっぺんまで積み上がった。 しかし、ここで再び『屋根の材料』のための予算不足。 ◆ しばらく島を離れていた1人の「高校の教頭先生」が「学校の寮の建設のアルバイトの話」を持って きた。青年会が快諾し、12人で出かけていった。 ・忠実な働きぶりと、毎晩の礼拝の様子を見て、学校側が、予算20万円をそっくりくださった! そしてそのお金で屋根が出来上がった!(これが、神様がなさった、第3番目のこと) ◎神様は、ご自身のみことばによって「人々の心の中の『神の家』」をまず建て上げ、その後で、「ご自分を 礼拝させるための『神の家』」を建てさせてくださった。

2010年12月12日 『いのちのことば』に生かされて

説教あらすじ「『いのちのことば』に生かされて」(12/12/2010) ◎[ヨハネ1:1-5] ・「ことばが神である」[1節]とは、どういうことか? *「ことば」には特別な力(人の『からだ』ではなく『心や思い』に働きかける力)がある。 また、私たちがアイディアを練ったり、計画を立てたりするときも「ことば」を用いる。 ➝ 無から有を生み出す力。[3節] ◆「目が見えないこと」と「耳が聞こえないこと」とでは、学習能力上、どちらのハンディが大きいか? =『耳』。 すべては「聞くこと」から始まる。➝『胎教』。 ◆ ただ「ことばが聞き取れること」が自動的に人を光へと導くわけではない。そのことばが『いのち』に 満ちていなければならない。[4節] 「この方」とは、イエス・キリスト。 ・イエスの弟子たちは、イエスにこの「いのちのことば」が満ちていることを知っていた。[ヨハネ6:68-69] ◆ 悪魔が私たちの人生を破壊しようとする方法も同じ。「この世のことば」で私たちを惑わそうとする。 *しかし、私たちには「自由意志」がある。これらのことばに『No』と言い、聖書が語る「いのちのこ とば」を心に蓄えていくことができる。 ◆ 私たちが、「いのちのことば」そのものである『イエス・キリスト』を心にしっかりと握って、彼が聖霊 によって私たちの心に語りかけてくることばに『Yes!』と従って行く時、私たち自身が『光』とされて いく。[ピリピ2:15-16] ◎[5節] ★闇の中に輝く光となって、歩んでいきましょう! 考えてみましょう ・「ことば」には、どんな力が秘められているのですか? ・私たちはどのようにして「いのちの歩み」を進んでいくことができるのでしょう?

(2) 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。

「失敗すること大好き!」という人はあまりいないと思います。誰でも、できるだけ失敗や挫折を経験しないで人生を送りたいですよね。でもよぉく考えてみると、どんな偉業を成し遂げた人でも、その偉業に到達するまでには、数々の失敗を乗り越えてきたはずです。日本語のことわざにも「失敗は成功のもと」って言いますよね。 上記のことばは、キリスト教界で大いに敬われている『パウロ』という人が言った言葉ですが、このパウロは初めクリスチャンたちを迫害し、投獄したり殺したりしていました。しかしイエス・キリストこそ真の救い主・神の子であると悟った後、まさに人生を180度転換し、キリストによる救いを世界中に伝える人となりました。「偉業のかげに、失敗あり。」もしかしたら『致命的な失敗』とは「失敗を恐れて何もしないこと」かもしれませんね。

(1) ”わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。”

誰でも人から誉められたら悪い気はしませんよね。でも、あまり人の評価を気にしすぎると、とてつもなく落ち込まされることがないとも限りません。誰が自分を何と評価しようと、「私の価値は、他人の評価に関わらず尊いものである」ということを知っておくことは大きな助けになります。 上記のことばは、聖書の中で、神様が私たち1人1人に語りかけておられることばです。私たちは皆、この神様によっていのちを与えられて生まれてきました。何かができるかできないか、何を持っているかいないか、は私たちの価値を左右しません。私たちは「神様の御手で造られた尊い存在」であるからこそ、価値があるのです。

2011年度JCFサマーキャンプのご案内

待ちに待ったJCFサマーキャンプを今月開催します。今回も老若男女楽しめるプログラムとなっていますので、奮ってご参加ください! テーマ: 神様と共に歩もう! 日程: 2011年1月21日(金)~23日(日)2泊3日 場所: ウッドエンド・クリスチャンキャンプ場 ゲスト講師: 大角健一(峰町キリスト教会牧師) 参加費用: 別紙にて 参加資格: JCFの諸集会に一度でも出席した事がある方、又はその家族 プログラム・申込書のダウンロードはここをクリック