(620) “あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。”

 この半世紀のうちに『生活ペースの速さ』がどれほど変わったかには、目を見張るものがあります。私が小学生の頃、テレビのスイッチを入れてから画面がくっきり映るようになるまでには15秒くらいかかりました。恐らく今の若い人たちは1秒以上は待てないのではないでしょうか?もちろん「電子レンジ」などというものは存在せず、食べ物を温めるにはまずやかんでお湯を沸かし、そのお湯を使って温めるので、何十分もかかりました。  もちろん「便利になること」は良いことでしょうが、そのために失われてきている『大切なもの』があるのも確かです。その1つが『忍耐(待つ力)』です。ある人は「物事を成し遂げるのに大切なのは『努力(ハードワーク)』だ!」とおっしゃいますが、それだけでは「何か」が欠けています。大切なのは『たゆまぬ努力』、すなわち「努力し続けること」です。  ここに面白い統計結果があります。一般的に日本の学生は「数学の力」に優れていると言われますが、ある調査グループがアメリカ人と日本人の小学1年生を集めて「ちょっと難しいパズル」に挑戦させたそうです。結果としてパズルを解けた子供は1人もいなかったのですが、「あきらめるまでにどれくらい粘ったか」を測ったところ、アメリカの小学生たちは平均10分以下だったのに対し、日本人の小学生たちは15分程度粘ったそうです。幼い頃から培われているこの1.5倍の粘り(忍耐力)が、日本の学生の数学の力に影響を与えていると調査グループは発表したそうです。  天地万物の創造主であられる神は、『愛の神』であるのにもかかわらず、私たちが困難に直面するのを許されます。なぜなのでしょう?それはこのお方が意地悪だからではなく、私たちがそれらの困難を通して『忍耐』を学び、より優れた人格へと向上させるためではないでしょうか?  『即席』に惑わされることなく、「待つこと」を通して『忍耐』を培って行きましょう!

2025年8月10日 「神のみわざを見極める」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「神のみわざを見極める」  (10/08/2025) [ルカの福音書 1章18~25節] ◆不信仰な私たち   ・天使のお告げを信じられなかったザカリヤは無理もないが、ガブリエルは「ザカリヤ、あなたの願いが聞き入れられたのです」と言っている。自分で祈っていたはずなのに、いざそれが叶った時に信じられないことがある。   ・ところで、ザカリヤが「口をきけなくされた」のは、彼の不信仰のゆえの、神からの罰なのだろうか? ◆神の最善(18節)   ・この「話せない期間」、ザカリヤの内側でどんなことが起こっていただろう?SNSなど無い時代、彼のコミュニケーション能力は大幅に制限されたはず。恐らく彼は「神のことば」を読み、「悔い改めて神に祈る」時間をたくさん   取ったに違いない。その証拠に、1章の後半で子供が生まれ、ザカリヤの口が開かれた時に最初に出て来た言葉は「神への賛美と預言」であった!   ・『神の最善』という時、私たちは「その時に自分に都合が良いこと」を考える。しかし私たちにとっての本当の意味での『神の最善』とは、「今よりもっと神を知り、神に近づくこと」ではないだろうか?ザカリヤとエリサベツの人生に起こったことは、後にマリアの信仰をも助けた。神は周囲の人々も含め「私たちの最善」を行う方なのだ! 今日の要点: 昨日よりも神に近づいているだろうか? ◎更に深い学びのために  ①ザカリヤの立場に自分を置いてみましょう。あなたならどのような反応をすると思いますか?  ②「神は良いお方で、最善以外はなさらない」と言う時、それはどのようなことを含んでいると思いますか?  ③私たちが「神が私たちの周囲で行っているみわざ」を正しく見極めるために、どんなことに注意すべきですか? Outline of the sermon    “Ascertain ‘God’s Work’.”    (10/08/2025) [Luke 1:18~25] ◆We are of little faith.   ・We can’t laugh at Zechariah for his “little faith”.  It is very common among us that even we pray Read more…

(619) “私のことばに耳を傾けてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。”

 皆さんは『お祈り』というものをしたことがあるでしょうか?私はクリスチャンになる前にも祈ったことのある記憶があります。でもそれらは全て「お願い」でした。「神様、私にOOをください。その次は~をしてください」といった感じです。  クリスチャンになってしばらくしてから、『祈り』とは単に「お願い」だけではないことが分かってきました。「感謝」「賛美」「告白」など、「神様に対しての語りかけ」は全て『祈り』と呼べるわけです。  聖書に登場する人物、特にダビデ王などは、よく神様に愚痴をこぼし、自分の命を狙う敵に対する呪いさえも口にしました。そして神はそれらのことばを黙って聞いていてくださったのです。  私たちは「神に祈る」という時に、つい「お利口さんな態度」で振舞ってしまいます。まあ日本人は礼儀正しい民族ですから、それはそれで良いのかもしれませんが、神様は私たちの心をご覧になる方ですから、カッコつけないで、正直で素直に心の内にある思いを口に出す方が良いのではないでしょうか?  今の時代は大変便利であると同時に、ストレスもとても多い時代です。仕事や人間関係から来るストレスで心にうっぷんが溜まり過ぎて、精神的に病む人も多いのではないでしょうか?そしてそれらのうっぷんを吐き出すために、高いお金を払ってカウンセリングを受ける人もいるのかもしれません。  良い知らせがあります!この天地をお造りになり、私たちをこよなく愛していらっしゃる神様は、私たちに「お行儀のよいお祈り」だけでなく、御前に来て「心に溜まったうっぷん」を吐き出しても良いとおっしゃるのです。そして神様は「優れたカウンセラー」として、それらの愚痴に黙って耳を傾けてくださり、私たちを責めることもなく、もう1度前に進んで行けるように癒してくださるのです。ぜひそのような『祈り』をもって神に近づいてみることをお勧めします!

2025年8月3日 「時代の切り替わり」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「時代の切り替わり」    (03/08/2025) [ルカの福音書 1章5~13節] ◆旧約時代の終結   ・バプテスマのヨハネの両親は「由緒ある祭司の家系」。「神はアブラハムの子孫を石ころからでも起こすことが   できる」と言ったバプテスマのヨハネ自身が「この上ない伝統的なユダヤの家系」に生まれたことは、神が「伝統   を重んじる人」も「新たなムーブメントに携わる人」をも喜ばれるのだ、ということを私たちに教えてくれる。   ・『ザカリヤ』という名は「主(ヤハウェ)は覚えておられた」の意味。これは「主はザカリヤの個人的な願いを覚えておられた」と同時に、イスラエルの民全体の「救い主待望」をも覚えておられたことを象徴しているに違いない。   ・主イエスは「律法と預言者はヨハネまでです」とおっしゃった。『新しい時代』が来ようとしていたのである! ◆新しい時代の幕開け(14~17節)   ・「母の胎にいる時から聖霊に満たされ」は、前代未聞。そして生まれてくる子は「主に先立って歩み、主のため   に整えられた民を用意する」。神は何か新しいことを始められる時には、必ず『人』を用意し、また用いられる。   ・バプテスマのヨハネが『古い時代』を背負って生まれてきたように、私たちの人生にも「以前の暗闇」が影を落としているかもしれない。しかしそんな私たちを用いて、神は『新しい時代』を始めようとしておられるのである! 今日の要点: 『新しい時代』の幕を開けよう! ◎更に深い学びのために  ①何故ルカはこの福音書に、敢えて「バプテスマのヨハネの物語」を載せたのだと思いますか?  ②主イエスは、何故「律法と預言者はヨハネまでです」(ルカ16:16)とおっしゃったのだと思いますか?  ③あなたの周辺で、あなたがキリストと出会ったことによって新しく始まったと思える事を分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon     “Opening of ‘New era’.”     (03/08/2025) [Luke 1:5~13] ◆Ending of “Old Testament” period.   ・John the Baptist is of good lineage of Jews though he said, “God can raise Read more…

(618) “2人は1人よりもまさっている。2人の労苦には、良い報いがあるからだ。”

 ある時、インド人の旅人の2人連れが雪深いヒマラヤ山脈を旅していました。すると旅の途中で雪の中に1人の人が倒れているのを見つけました。生死を確認してみると、かろうじて生きていることが分かったので、1人が「この人を担いで近くの山小屋まで連れて行って解放しよう」と提案しました。しかしもう1人が言いました。「それはできない。そんなことをしたらオレたちの命まで危うくなってしまう。可哀そうだが、この人は置いて行くしかない」。結局どちらも自分の考えを譲らず、片方はもう1人を置いて先に旅を続けて行きました。残された方は、何とか倒れていた人を背中に背負って、ゆっくりと雪の中で歩みを進めて行きました。  すると、しばらくすると思いがけないことが起こりました。自分の荷物の上に大人の男性を背負うのは大仕事だったのですが、身体を密着しているためか、自分の体がだんだん暖まってくるのを感じたのです。同時に相手の身体も徐々に暖まって行き、やがて気を失って背負われていた方の人が息を吹き返し、元気を回復して行きました。そして2人で身体を寄せ合いながら一緒に歩き始めたのです。  もう少しで山小屋に着きそうなところまで来た時、何とまた1人雪の中に倒れている人を見つけました。2人で生死を確認したところ、残念ながらもう息を引き取っていました。そして何と、その倒れている人は、2人を見捨てて先を進んだ、もう1人の旅人だったのです…  神は私たちを「1人ぼっちで生きる」ようにはお造りになりませんでした。時には「誰かと生きること」は面倒くさく感じることがあるかもしれません。しかし長い目で見る時に、すべての人間は「共に生きる誰か」を確かに必要としているのです。そして「一緒に生きる」時に、思いがけない意欲や新たな力が与えられます。神は私たちがそのようにして「共に生きる祝福」を味わうことを望んでおられるのです。

2025年7月27日 「ルカの福音書」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「ルカの福音書」    (27/07/2025) ◆ルカの福音書の特異性   ・個人(異邦人・テオフィロ)宛てに書かれた。 ・異邦人(パウロの弟子である『ルカ』)によって書かれた。   ・ルカは「医者」、また「異邦人」という視点で、既に書かれていた主イエスに関する記録を参考に、より綿密に、またより客観的(ユダヤ人的感覚ではなく)に、異邦人である私たちにも分かりやすく書いている。   ・他の福音書には書かれていない「バプテスマのヨハネの誕生物語」から始めている。 ◆[ルカ1:1~4]   ・既に他の福音書が存在している事、またルカ自身は「キリストの目撃者」ではないことを暗示している。   ・一見「テオフィロ個人宛て」のようではあるが、それと共に広く「異邦人世界」に、この福音が単なる作り話ではなく、確固たる事実であることを分からせよう、という意図が伺われる。  *以前学んだ『マルコの福音書』に比べ、「人となられた神の子イエス」を強調している。⇒ [ピリピ2:6-8] 人は『神』にはなれないが、神は(その気さえあれば)『人』になることもできる。そして神はそれをなさった!   ・それは、私たちが「イエスの『人』としての生涯」をじっくりと観察することを通して、「私たち人間に対する神の計画や願い」を知り、また、イエスが御父とどのように歩まれたかを見て、私たちがそれに倣うためである。 今日の要点: 神はひとり子を『人』として遣わすよって、何を知らせたかったのか? ◎更に深い学びのために  ①『ルカの福音書』は、他の福音書と比較して、どのような点が特別ですか?  ②神は、ご自身のひとり子を『人』として地上に遣わすことによって、私たちに何を伝えたかったと思いますか?  ③『ルカの福音書』を学ぶことによって、私たちはどんな益を受けることを期待できるでしょう? Outline of the sermon    “Gospel of Luke.”    (27/07/2025) ◆Special characters of “Luke’s gospel”.   ・Personally written to Theophilus. ・Written by a gentile, Luke(a follower of Paul).   ・Luke, as a doctor, he wrote this letter Read more…

(617) “正しい人は7度倒れても、また起き上がる。”

 「失敗は成功の基」ということわざがありますよね?確かにその通りだと思います。我が家の子供たちがまだ幼かった頃、私はしばしば子供たちに、「失敗を恐れるな。何度失敗してもいいんだよ。実際『失敗』という呼び方はあまり良くない。『ラーニング・エクスペリエンス』と呼びなさい」と言ったものです。お陰でウチの子たちはそれぞれ、とてもユニークで何でもチャレンジする大人に育ってくれました。  一体『失敗』とは何でしょう?「思ったとおりに事が進まないこと」でしょうか?しかし実際には「やる事成すこと全てがウマく行く」なぁんてことはほとんどありません。もしそんな人がいたとしたら、きっと「人の弱さに同情することのできない、傲慢な人間」に育ってしまうのではないでしょうか。  神様は私たち人間を「活動する存在」として造ってくださいました。そして活動するからには「失敗や挫折」は付き物です。しかし『本当の失敗』は、失敗することを恐れて新しいことに挑戦しなくなってしまうことではないでしょうか?  聖書に登場するヒーローたち(モーセ,ダビデ,ペテロなど)は皆、大きな失敗や挫折を経験した人々でした。しかしそれと同時に、「そんな自分を決して見捨てることなく、支え、励まし、再び立ち上がらせてくださる神の働き」を経験したのです。神様は決して私たちの『失敗』を責めるお方ではありません。むしろ私たちが失敗した時こそ側に寄り添って、「もう1度今度は他のやり方で試してみよう!」と次の機会を与えて下さる方なのです。

2025年7月20日 「キリストと共に遣わされる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「キリストと共に遣わされる」    (20/07/2025) ◆北島巡回報告  1土曜日の賛美集会 ― 大人だけでも80名の参加。初めての方々もたくさん。  2日曜日の日本人教会での礼拝 ― 60人くらいの出席。こちらも普段は来ない人たちも参加。  3個人的に印象的だったこと   ①15組以上の人たちとの個人的な面談。    ・半数以上の人々は、当初の予定には無かった。「出て行く」時に、神が働かれる。   ②「Retire」ではなく、『Refire』! ◆「交わり」の中にある『永遠のいのち』   ①[マタイ28:19-20](「行って」+「わたしが共にいる」)    ・主イエスはご自身の経験のゆえに『遣わされる』ということを知っているので、御父が彼と共におられたように遣わされて行く私たちとも共にいてくださる。   ②[Ⅰヨハネ1:1-3](『永遠のいのち』は「御父と御子との交わり」の中にある。このいのちによって豊かにされ、出て行く)    ・主イエスはこの『交わり』の主人公なので、そのただ中におられる。私たちはこの交わりの中に人々を招く。 今日の要点: 出て行って、キリストを紹介する ◎更に深い学びのために  ①あなたにとって「コンフォート・ゾーンから出て行く」ということは、具体的にどんなことを意味していますか?  ②「イエスが御父によって遣わされた事」と「イエスが私たちを遣わしている事」には、どんな共通点がありますか?  ③「御父と御子との交わりの中にいのちがある」とは、どういう事でしょう? それをどのように体験できますか? Outline of the sermon    “Being sent with Christ.”    (20/07/2025) ◆Report about our trip to North Island.  1Worship meeting on Saturday ― There Read more…

2025年7月13日 「宣教の真髄」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「宣教の真髄」    (13/07/2025) 1 宣教の中心は「自分」ではなく、『キリスト』  ・「キリストにある救い」を語って相手に拒否されたなら、それはあなたが拒否されたのではなく、キリストが拒否された。たとえ自分はダメダメでも、『キリスト』はメチャメチャ偉大でカッコいいのだから、自信を持っていいのだ!  『美味しいラーメン屋』を紹介するのと同様で、相手が拒否しても、それは相手が損をするだけの話である。 2 福音の中心は「十字架」ではなく、今日も生きて働く『キリスト』  ・『十字架』が伝道メッセージの中心だと思っている人が大多数だが、ちょっと違う。本当の中心は「御子の十字架 での死」という過去の出来事ではなく、今日私たち1人1人と共におられ、『今も生きて働かれるキリスト』なのだ! 3 福音の目的は「天国への切符」ではなく、『生ける神との関係』  ・キリスト教の語る『救い』は「永遠のいのち」であるが、それは「天国へ行ける特権」というよりも「神との間の障壁 であった『罪』が取り除かれて、イエスの名によっていつでも神との交わりの中へ招き入れられる」という『神との生きた関係』。アダムの罪以来『私たちとの交わりの回復』を切望しておられた神に対し、「もう天国への約束を手に入れたから、残りの人生は好きに楽しもう!」という態度は『宝の持ち腐れ』であり、『神への冒涜』とも言える。  ・そしてこの『神との素晴らしい関係』に1人でも多くの人を招き入れようとするのが、『宣教の真髄』なのだ! 今日の要点: 『宣教の主役』は誰れですか? ◎更に深い学びのために  ①「キリストのことを他の人に伝えるのが恥ずかしい」と感じるとしたら、何が原因でしょうか?  ②あなたにとって『キリスト』は、どれくらいリアルな存在ですか? 「この方をどうしても他の人たちに知って欲しい」と本気で思っていますか? Outline of the sermon   “Essence of evangelism.”   (13/07/2025) 1 Evangelism is not all about “me” but “Christ”.  ・If you evangelize and be rejected, it is NOT ‘You’ they refused but they rejected Read more…

2025年7月6日 「イエス・キリスト以外に救いはない」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「イエス・キリスト以外に救いはない」  (06/07/2025) [使徒の働き 4章12節](年間聖句) ― では、なぜ「イエス・キリスト以外に救いはない」のか?  1私たちの側の理由   ①「神にふさわしい人間」は、誰もいないから [イザヤ59:1-2]    ・私たちと神との間には『罪のギャップ』があり、人間の努力や修行では越えることができない。   ②神が必要だと分かっても、神がどんな方かが分からないから    ・だからこそ、『神の御姿』であった方が「人として」地上に現れてくださったことによって、『神』を啓示された。[ピリピ2:6-8]  2神の側の理由   ①『罪の代償』が必要だったから [Ⅱコリント5:21]    ・神は『愛と義』の方であるので、私たちを受け入れたいが、「罪あるまま」では受け入れることができない。   ②『ご自身』と「その願い」を知らせるため [コロサイ2:9]    ・ご自身がどのような方かを知らせると共に、「神のかたちに造られた私たち」に本来どのように生きて欲しい    のかを、御子の『生きた模範』を通して示された。[ヨハネ13:15] 御子イエスだけが『道』なのだ![ヨハネ14:6] 今日の要点: イエス・キリスト以外に救いはない! ◎更に深い学びのために  ①なぜ「イエス・キリスト以外に救いはない」と言えるのですか?  ②「神の存在は信じるが、『救いはイエス・キリストだけ』というのは信じない」と言う人は、何が間違ってますか?  ③イエス・キリスト以外の様々な『救いの道』を提示する世の宗教は、どのような点が分かっていないのでしょう? Outline of the sermon    “No one else but Jesus!”    (06/07/2025) [Acts 4:12](JCF Verse of this year) ― But why “there Read more…