(656) “弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者(Christian)と呼ばれるようになった。”

 皆さんは『クリスチャン』と聞くと、どんな人物像が思い浮かびますか?「良い人たち」「宗教かぶれ」「非国民(って事はないか!)」などなど、様々な印象があることと思います。  『クリスチャン』を英語で書き表すと「Christian」であり、この末尾の『ian』は「Musician」「Magician」などにも使われる、いわゆる『専門家』または『それで生計を立てている』みたいな意味です。そして前半の「Christ」は『キリスト』のことであり、すなわち『クリスチャン』とは「キリストに依存して生きている人々」ということになるわけです。ある方々には「かなり変わった人たち」のように聞こえることでしょうね。  実際は『クリスチャン』の中にもいろいろなタイプがあります。例えば日本の『仏教徒』のように「元々生まれた家やお国柄がそうだから」という理由で『クリスチャン』を名乗る人もいれば、「何となく響きが良いから」という理由の『自称クリスチャン』もいます。でも『本物のクリスチャン』は、「自分にとって『イエス・キリスト』はすべてである」と自覚して日々を歩んでいます。正に『キリスト』が人生の中心となっている「Christian」なわけです。  この天地万物(私たち人間をも含めて)をお造りになられた『創造主なる神』は、愛と恵みに満ちた良いお方です。ですからこの神としっかりつながって生きるならば『良いもの』に不足することがないわけですが、残念ながら私たち人間は生まれながらこのお方をないがしろにした「自分勝手な生き方(罪)」に陥っています。数々の宗教は何とか神との関係を回復させようと様々な「修行や努力」を重ねるわけですが、私たち人間がどう逆立ちしても『神の基準』に達するはずがありません。そのギャップを埋めるために神ご自身が遣わされた「救い主」が『イエス・キリスト』なのです。この『イエス・キリスト』を通してのみ、私たちは「神からの良きもの」を日々受け取って生きることができるわけですから、必然的に『イエス・キリスト』が人生の興味や関心事の中心になるわけです。まあ結果として周囲の他の人たちにとっては少々異質な存在になっていくのもやむを得ないでしょうね。  ただ、そういうわけで『クリスチャン』は、他の人たちが体験していない「神からの良きもの」を受け取りながら生きているわけですから、自然と生き生きとして、また他の人たちにも優しくなっていくわけです。

2026年5月31日 「『聞き方』に注意する」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『聞き方』に注意する」  (31/05/2026) [ルカの福音書 8章16~18節] ◆正しい聞き方  ・今日の箇所は、2週間前の「種蒔きのたとえ」の続き。16節の「明かり」の話も、17節の「隠れているもの」も同じものを指しており、それは「福音(神の国の真理)」のこと。また「(正しい)聞き方」は、『良い地』のこと。  ・『正しい聞き方』、それは「語っている相手の心を理解して」聞くこと。ここでは「主イエスの心」。主イエスはいつも「ただ聞いて納得するだけ」ではなく、『聞き従うこと』を求めておられる。また単に「自分の益のためにだけ聞く」ならば、真理を見極めることはできない。常に「周囲の人々に『光(みことば・真理であるキリスト)』を輝かせるため」に、熱心に聞き、その通りに生きようとするなら、「更に与えられて豊かに」なる。 ◆誤った聞き方  ・ユダヤ民族の始祖アブラハムは、「地上のすべての民族の『祝福の基』となるため」に選ばれた。[創世記12:1-3] しかし残念ながら、その子孫たちは「自分たちこそ選ばれた民」と高ぶり、その祝福を独り占めしようとしてさばかれた(持っていると思っているものまでも取り上げられた)。私たちは同じ失敗を繰り返さないためにも、この『神の国の真理』を自分が味わうと共に、その祝福を周囲の人々に積極的に分け与えて行こう! 今日の真理: 『福音(みことば)』は、「宣べ伝えらえるべきもの」 ◎更に深い学びのために  ①『正しい聞き方』とは、どのような聞き方ですか? 「正しく聞く」ために、どんな事に気を付けたら良いでしょう?  ②『誤った聞き方』とは、どのような聞き方ですか? アブラハムの子孫たちは何故失敗してしまったのでしょう?  ③『持っている者』として、「更に与えられる」ために、どのような態度で『神の国の福音』に対処するべきですか? Outline of the sermon    “Take care how to hear.”    (31/05/2026) [Luke 8:16~18] ◆Careful Listening.  ・This is a continuation of “parable of seeds”.  Both “lamp”(verse 16) and “hidden thing”(verse 17) indicate “good soil” which Read more

(655) “訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。”

 この天地を造られた神は、全知全能であり、私たちをこよなく愛してくださっている良いお方です。ならばどうしてこの世には『試練』というものが存在するのでしょう?私たちの人生には、つい「神様、あなたが私を愛してくださっているなら、どうしてこんな目に遭わなければならないのですか?」と言いたくなるような出来事がたくさん起こりますよね?そんな時は神様が「ちょっと席を外してしまっている」のでしょうか???  では逆に、私たちの人生が終始「ぬるま湯に浸かったような日々」だったとしたら、どうでしょう?私たちの人格はどのようになって行くでしょうか?恐らく「成長意欲の無い」「互いに助け合う精神の無い」「忍耐のかけらも無い」甘えん坊のような大人になってしまうのではないでしょうか?そして恐らく、神様を求めることもなく、当てもなくさまようような日々を送ってしまうに違いありません。  冒頭に書いたように、私たちの神は、「全知全能であり、私たちをこよなく愛してくださっている良いお方」ですから、私たちの人生に襲ってくる試練や困難は、全て「神がそうなることを許された範囲内」で起こっているのです。すなわち、私たちがそのような試練に遭遇することを通して、神は何か優れた麗しいものを私たちを通して(または「私たちの内に」)生み出そうとしておられるのです。  ですから、試練や困難が襲ってきた時には、「神様どうしてこんなことが?」と愚痴をこぼす代わりに、「神様、あなたはこの出来事を通して、私にどんなことを教えたいと願っておられるのですか?」と問うようにしてみるのが良いのです。

(654) “強くあれ。雄々しくあれ。”

 誰も好き好んでリスクを冒す人はいないかもしれません。しかし実のところ「リスクを冒すことなしに成功することもない」と言えるのではないでしょうか?ある作家がこんな記述を遺しています。 「笑う人は『愚かに見えるかもしれない』というリスクを冒している。泣く人は『泣き虫だと思われる』というリスクを冒している。他の人と関わる人は『面倒に巻き込まれるかもしれない』というリスクを冒している。夢や希望を抱いて生きる人は『非現実的だと思われる』というリスクを冒している。人を愛そうとする人は『相手に愛してもらえないかもしれない』というリスクを冒している。そして今生きている人は皆『いつかは死んでしまう』というリスクを冒している。」  これを読む限り、「リスクを冒さずに生きること」はできないし、また仮にできたとしてもそれはとてもつまらない人生でしかないと言えるのではないでしょうか?リスクは人を成長させ、その人のうちに埋もれている可能性を掘り起こす助けとなるものです。人生で偉業を成し遂げた人々の人生は、しばしば苦難とリスクに満ちていました。  神は私たち1人1人を、心を込め愛を込めてお造りになりました。『愛』というのは「相手を甘やかす」ということではなく、「常に相手の最善を願う」という意味です。ですから神は、私たち1人1人が『自己最高の人生』を生きられるようにと、時に応じて試練をお与えになります。私たちがその試練に勇敢に立ち向かい、敢えてリスクを冒すことによって、それまで私たちの内に眠っていた可能性を呼び覚ますためです。そして私たちがその試練の渦中でどうしても助けが必要となり、神を呼び求める時こそ、私たちが『神との新しい出会い』を体験する機会となるのです。

2026年5月17日 「種を良い地に」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「種を良い地に」   (17/05/2026) [ルカの福音書 8章4~15節] ◆『良い地』に種を蒔く  ・この箇所からは「4種類の土地(人の心)」のことが語られることが多いが、既に主イエスが解説しておられるので今日は『良い地』ということに注目して理解を深める。まず私たちは委ねられた『種(神のことば)』を「良い地(心が整えられている人)」に蒔かなければならない。では、どんな人が「心が整えられている人」だと言えるのか?  ・『GMOの祈り』というものがある。神に「心が整えられている人にみことばを語る機会を与えて下さい(Give Me Opportunity)」と祈ること。そして自分自身は「いつでもみことばを語れるように」備えておく。[Ⅰペテロ3:15] ◆自分が『良い地』になる  ・種や苗を植えたことがある人なら知っているが、まず重要なのは「地を耕す」こと。地の中には良いものもあるが様々な邪魔物(雑草の根など)がある。これらのものを抜き取る必要がある。私たちのうちにある『神の種』の成長を阻む「雑草(偶像)」とは、「『神との親しい関係』以上に欲しているもの」のこと。これを見極め、抜き取る。  ・イエスは言われた。(ヨハネ12:24) これは「麦が死ぬ」わけではなく、「麦の中のいのちが現されるために、覆っているものが死ぬ」の意味。私たちが「多くの実を結ぶ者」とされるため、邪魔物を取り除いて『良い地』となろう! 今日の真理: 求めるべきものは、何よりも「神との親密な関係」! ◎更に深い学びのために  ①なぜ『良い地』に蒔く必要があるのですか? 『良い地』に「神のことば」を蒔くためには、どうすれば良いですか?  ②私たちの心を『良い地』に保つために「邪魔物」となっているのは何ですか? それをどうすれば良いですか?  ③あなたにとって、どんなものが『偶像』になり得ますか? どのようにしてそれを取り除くことができますか? Outline of the sermon   “Sow into good soil.”   (17/05/2026) [Luke 8:4~15] ◆Sow into “good soil”.  ・Jesus already explained about these 4 soils so let’s pay attention to “good soil” Read more

(653) “この世と調子を合わせてはいけません。”

 日本には「出る杭は打たれる」という言い回しがありますよね?調べてみるとどうやら江戸時代から存在する言葉らしく、「異質なものを排除しようとする社会の風潮」を言い表しているようです。  私は20歳の時にキリストと出会いクリスチャンになりましたが、それ以前の学生時代いつも心の中で「自分らしく生きたい。正しいことを正しいとし、間違っている事には断固として『No』と言いたい」と感じてはいたものの、大抵の場合いつのまにか周囲に流されてしまい、「本当はこうありたいのに…」というジレンマに悩まされていました。ところがクリスチャンになった頃からそれが変わり始めたのです。周囲がある方向へと向きかけた時、自分の心の中で「何かおかしい」と感じた時に、それを思い切って口に出すことができるようになってきました。また、道を歩いている時や公園を散歩している時などにゴミ屑が落ちているのを見かけると拾ってゴミ箱に捨てに行ったり、独りぼっちで寂しそうにしている人に声をかけたりするようになりました。今振り返って考えてみると、「唯一全能の神が自分と共におられて見守ってくださっている」ということが、心の中で強い確信になり、いろいろなことに自信が持てるようになったのだと思います。(その後、30年の外国生活を経て、このユニークな性格は更に助長されているようですが…)  神は私たち1人1人を「ご自身のかたちに似せて」、しかも「ユニークな存在として」創造なさいました。しかし『この世の風潮』はそのような貴重で尊い存在である私たちを『この世の型』に押し込めようとする傾向があります。この圧力から脱するには『神の助け』が必要です。「イエス・キリストを救い主として受け入れる」とは、単に「天国への切符を手に入れる」ということではなく、「この世にあって『神の子』として、父である『神』の栄光を表現しながら生きる者とされたこと」も含んでいます。神は私たち1人1人を通して成し遂げたいご計画をお持ちなのです!

(652) “母はこれらのことをみな、心に留めておいた。”

 この記事を読んでおられる皆さんは、今度の日曜日が『母の日』であるということをご存知でしょうか?『父の日』は国によって違うようで、日本では「6月第2日曜日」ですが、ここニュージーランドでは「9月第1日曜日」です。しかし『母の日』は世界共通して「5月第2日曜日」に祝われています。『母の日』の起源はあまり古くなく、20世紀初頭にアメリカで『アンナ・ジャービス』という女性が、亡き母を偲んで白いカーネーション贈ったという出来事によるもので、アメリカでは1914年に祝日として制定されました。日本では1937年頃から広まったようです。  実は今朝、教会が主催している「若いお母さんたちの集い」で聖書のお話をさせていただくにあたって、10人くらいのお母さんたちに「皆さんは今度の日曜日が何の日かご存知ですか?」とお尋ねしたら、皆お互いに顔を見合わせながら「何の日だっけ?」と全く心当たりがない様子でした。これには私も驚かされました。恐らく皆さん「感謝される」という見返りなど気にも留めずに、日々『母親業』に没頭しておられるのでしょうね。  聖書では『母親だけ』にフォーカスを当てた教えはあまりなく、大抵は『両親双方』に対して書かれています。ただ興味深いのは、イエスの母マリアに関してはいくつかの記述があり、神の不思議なみわざによって「処女であったにも関わらずイエスを身ごもり、出産した」せいかイエスが幼い頃から1つ1つのエピソードを「心に留めておいた」と書かれています。イエスの地上での人生の1番の理解者は、きっと「母マリア」だったのでしょうね。『ネグレクト』や『毒親』などという言葉で母親の「不適切な子育て」が騒がれている昨今ですが、一般的にはやはり「子供に対する母親の愛情と労苦」は、多大な評価と称賛に値するものではないでしょうか?  世の『お母さん』たち、本当にありがとう!皆さんはこの地上において「人類を創造された神のみわざの大切な一端を委ねられている存在」です。これほど価値ある使命は、他にはありません。あなたがたの日々のたゆみない労苦の1つ1つに、神様が豊かに報いてくださいますように!

2026年5月3日 「最初の福音宣教団」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「最初の福音宣教団」   (03/05/2026) [ルカの福音書 8章1~3節] ◆神の国の福音(1節)  ・現代では『福音』と言えば「十字架による救い」と考えるが、イエスが宣べ伝えた『福音』とは? ⇒ [マルコ1:14-15]  ・「時が満ちた」とは、「神の究極のご計画実現の時が来た」という意味であり、それが『キリストによる贖い』。それはこの世界が創造される前からの神の計画(エペソ1:3-4)であり、それがいよいよ実現することが『福音』。その『福音』を自分のものとするためには「自分中心」から『神中心』への生き方へと方向転換しなければならない。 ◆イエスに仕えていた女たち(2~3節)  ・「イエスの宣教チーム」というと、つい12人の男性たちがクローズアップされるが、そこには「多くの女たち」もいた。この女性たちは「イエスに仕えていた」のではなく、「彼ら」すなわち「チームの必要」に仕えていた。  ・先週「多くの罪を赦された女が、そのこみ上げてくる感謝と愛によってイエスに香油を塗った」という記事を読んだが、ここに登場している女たちも同様。「奉仕そのもの」が目的ではなく、「内側から溢れ出る感謝と愛」に押し出されて仕えていた。『福音宣教』は、教会(神に呼び出された者たち)に与えられた最大の使命であり、「個人の力量」によってではなく、愛と喜びに押し出されつつ「チーム一丸となって」進められるべき働きなのだ! 今日の真理: 『福音宣教』は、チームワーク ◎更に深い学びのために  ①イエスが宣べ伝えた『福音』とは、どのようなものだったでしょう?  ②「イエスの宣教チーム」には、どのような人々が含まれていましたか?  ③どうして「福音宣教はチームワークである」と言えるのでしょうか? あなたはどんな役割を担っていますか? Outline of the sermon   “Very first team of evangelists.”   (03/05/2026) [Luke 8:1~3] ◆The gospel of the kingdom of God.(Verse1)  ・Our “gospel” of present time is: “salvation in Christ”.  Then what is “gospel” Read more