2025年4月27日 「『愛と信仰』という味付け」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「『愛と信仰』という味付け」 (27/04/2025) [ピリピ人への手紙4章15~23節] (いよいよ、この手紙のラスト!) ◆すべては神へのささげ物(17~18節)  ・パウロはこの手紙を獄中で書いた。当時はインターネットも携帯もないので、彼は全く外部との交流もなく、孤独だったに違いない。しかしそういう状況だからこそ、彼の心は「いつも開いている天」に向けられていただろう。  ・パウロはピリピからの贈り物を有難く思うと共に、何よりも神様がピリピの人々の「愛と信仰」を尊び、豊かに彼らに報いてくださることを思って喜んだ。何故なら私たちが「愛と信仰によってささげるもの」は全て『神へのささげ物』であることを知っていたから。[マタイ25:40] ◆すべては神から来る(19節)  ・ピリピの人々が自分のことを覚えて贈り物をくれることは、パウロに「天の父は自分のことを決して忘れることがないこと」を思い起こさせた。神は万物の造り主であり、全てのものは神の御手のうちにあって、神はそれらをみ  こころの時にみこころの人に分け与えることのできる方。[ローマ11:36]  ・私たちが『愛と信仰』をもって分かち合う時、神がそこに「御国の味付け」を加えてくださる。そしてそれらの『ささげ物』は私たちの「肉体的必要」を満たすだけではなく、「霊の深み」に届いて、慰めや励ましを与える。これはインターネットでも届かない世界。この週も互いに『神の国の味付け』を届け合いましょう! 今日の要点: 互いに『神の国』を味わう ◎更に深い学びのために  ①どうして、私たちが互いのために分かち合う『愛の贈り物』はすべて「神へのささげ物」だと言えるのでしょう?  ②神様はどのようにして、「私たちのすべての必要を満たしてくださる」のでしょう?  ③「私たちの地上での営み」と、「神の国から訪れる祝福」とは、どのような関係がありますか? Outline of the sermon  “Taste of ‘Love & Faith’.”  (27/04/2025) [Philippians 4:10~14] (The last session of “Book of Philippians”!) ◆Everything is ‘an offering towards God’.(Verses 17~18)  ・Paul was writing this letter in jail.  Because Read more…

(610) “神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。”

 今日の聖書の言葉は、多くのクリスチャンの方々によって親しまれている箇所です。何故なら、この世において真摯な心でキリストに従って行こうとするなら『試練』は避けて通ることができず、そのような時にはつい「神様どうしてこのように辛いことが私の身に起こるのですか?」とつぶやかずにはいられないものなので、「すべてのことがともに働いて益となる」と聞くと、「ああ、きっといつか『このことがあって良かった』と感じられる時が来るのだ」と信じることができ、慰められるからです。  ただ、この聖書の言葉の1つの落とし穴は、「すべてのことがともに働いて益となる」と聞くと、私たちはつい「しんどい出来事の後には、神様は必ず楽しいことや嬉しいことを成し遂げてくださる」と考えてしまうということです。そのため、いつまで経ってもそのような「楽しく嬉しいこと」が起こらないと、「こんな神様を信じていても少しも得になることはない。や~めた!」と神様に背を向けてしまうことになりかねません。  この聖書の言葉は、「人間的視点」ではなく、『神の視点』で読み取るべきです。私たちの地上における歩みにおいて、真の意味での『益(英語では『Good』)』とは、単に「得をする」ということではなく、「キリストに似た者となること」です。神は私たちの人生の日々の歩みの中に、いつも必ず私たちを「キリストのように造り変える」ための要素をちりばめてくださっているのです。そして多くの場合それらは『試練』という形をとって訪れてきます。それらの『試練』は、私たちの性質や考え方から「神の国にふさわしくないもの」を取り除く役割を果たそうとします。そのような時に神の前にへりくだり、素直な心で「握りしめていた古い習性を手放す」時に、私たちの内に『キリストの心』が形造られて行くのを体験するのです。

2025年4月13日 「神に属する喜び」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「神に属する喜び」  (13/04/2025) [ピリピ人への手紙4章10~14節] ◆神(キリスト)と共に生きる喜び  ・「どんな境遇にあっても満足する」とはどういうことか?私たちは様々な境遇の中で神に感謝したり叫び求めたり  するが、神に求めた1つ1つの細かいことがすべて叶えられなくても信仰を捨てたりしない。何故なら、大切なことは「全ての祈りが叶えられること」ではなく、「神に覚えられていること」だから。  ・創造主である全能の神が「愛に満ちた良いお方」であり、私たちのようなちっぽけな存在に目を留めてくださっている。このことを心から信じられているなら、周囲の状況がどんなであるかはさほど気にならなくなる。ここでパ  ウロが「私を強くしてくださる方によって…」と言っているのは、そういうこと。[ネヘミヤ記8:10] ◆人々と共に生きる喜び  ・かと言って、「神様さえいてくれれば、1人ぼっちで良い」ということにはならない。神は多くの場合「人を通して」働かれる。事実パウロもピリピからの「Love offering」によって大きく支えられていた。  ・これらのささげ物は単なる「パウロとの友情」によってささげられていたわけではなく、「パウロと同じ心でキリストを愛し、福音宣教への情熱に燃えているがゆえ」のささげ物。彼らは地上における見返りを期待していたのでは  なく、「天に宝を積む喜び」によってささげていた。主にあって「同じ志を共有すること」は、大きな喜びである! 今日の要点: 『天の喜び』を共有する ◎更に深い学びのために  ①『喜び』が失われてしまう時は、どんな時ですか? それはどうしてだと思いますか?  ②パウロはどんな状況を思いつつ「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」と言ったのでしょう?  ③『神の家族』は、あなたにとってどんな存在ですか? どのようにして彼らと「天の喜び」を共有できるでしょう? Outline of the sermon  “The joy which belongs to God.”  (13/04/2025) [Philippians 4:10~14] ◆The joy which comes from “living with God”.  ・What is it like to “be content in whatever situation”?  We thank God when Read more…

(609) “もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。”

 キリスト教の暦では、今週は『イースター(キリストの復活を記念する祭り)』の週なので、それにちなんだお話を少し。  『死』と言えば、誰にとっても「暗く否定的な気持ち」をかもし出す言葉ではないでしょうか?日本人にとっては『4』という数字は「シ」と発音するので『死』を連想させるため敬遠されますよね?実は私がクリスチャンになったきっかけも、この『死』また「キリストの復活」が大きな意味を持っているのです。  私は小学生時代に、何と4回も「身近な人の死」の経験をしました。祖父や担任の先生、そして6年生になったばかりの4月1日には親友をバスの事故で失いました。ですから私にとって『死』とは、遠い将来にやってくるものではなく、突然いつ襲って来るかも分からないリアリティを持っていたのです。この『死』というものは、善人にも悪人にも必ずやってくる「どうしても避けられないもの」であることが本当に恐ろしく、また憎らしい存在でもありました。  ところが、大学1年生の時に、あるクリスチャンの同級生から「歴史上唯一、この『死』を打ち破りよみがえられた方がいる」と聞いて、一体誰なのか、そして何故そんなことが起こったのかをどうしても知りたくなりました。そしてそれが『イエス・キリスト』であり、彼が『神の子』として地上で「罪のない人生」を送り、しかも「私たちの罪を身代わりに負って十字架で死なれ、3日目によみがえられた」ということを知ったのです。その上になんと、この唯一『死』を打ち破られてよみがえられたイエス・キリストを「自分自身の罪をも身代わりに負ってくださった方」として受け入れるなら、私も「死の向こう側の希望」を持って生きることができると聞き、その場でこの方を『私の救い主』として受け入れました。もう40年以上も前の事になりますが、今でもこの時のことを鮮明に覚えています。この日から私の人生観は大きく変わり、また変わることのない平安に満たされて生きるようになりました。そして私は大学卒業後教会で働き始め、30年以上「牧師・宣教師」として働いています。  同じことが、あなたの人生にも起こるのです!もしあなたがこの「死を打ち破りよみがえられた『イエス・キリスト』」を、あなたに「死の向こう側の希望を与える『救い主』」として信じるなら、あなたは救われ、死を恐れることなく、決して失われることのない平安を持って生きられるようになるのです!

(608) “あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。”

 「人が生きるのに欠かせないもの」と言ったら何でしょう?私たち家族は宣教師として南国の孤島で暮らしたことがあるので、『水』が生活するためにどうしても欠かせないことは身に沁みて知っています。他にも必要な栄養を取る『食物』ももちろん必要ですし、それらを育てる「日光や雨」そして「酸素」も必要です。また、これらの「身体を養う要素」の他にも、「心を分かち合う仲間」「愛情や思いやり」「身の安全や心の平安」といった「精神を養う要素」も欠かせません。  では一方で、「人が健康に生きるのを妨げるもの」と言えば、どんなものがあるでしょうか?「毒物」「猛獣」「害虫」といった類や、「火事」「自然災害」などの物理的な脅威の他に、「暴力」「戦争」「いじめ」「病気」「思い煩い」「うつ病など精神的な病」なども挙げられます。  こうしてみると、この2つの相反するカテゴリーのうちに、1つの共通点を見出すことができます。それは「私たち人間にはどうすることもできないもの」、もしくは「何とかできそうなのに、人としての弱さのゆえにどうしても解決できないもの」という点です。「大切だと分かっているのに、継続して努力できない」「自分ひとりが抵抗しようとしたところで、焼け石に水」「差し当って今の自分の生活は何とかなっているので、あまり深く考えないようにしている」などなど。突き詰めて考えれば物凄く大切な事柄であるのにも関わらず、それらの実際的な解決のために活動を続けるには、私たちはあまりにも無力です。  『聖書』は、そんな私たちのために『創造主である神』が与えてくださった、いわば「人生の取り扱い説明書」です。私たちが新しく電化製品を買うと、必ず『取扱説明書』が付いてきますが、大抵の場合私たちは必要最小限のページ(「クィック・スタート」のような…)をチラッと見ただけで、すぐに製品を使い始めてしまいます。そしてほどなく思うように動かなくなって、初めてこの説明書をもう1度しっかりと読もう(または、サッサとあきらめて新しい物を買おう?)とするのです。  同じように、私たちは『創造主である神』を知らずに生まれて来て、何となく自分の知恵や力で生きているうちに壁にぶち当たり、「もし神様がいるなら、どうしてこんなことが起こるんだ!」と文句を言いますが、実はそのような『人生の壁』こそが、神が私たちを「人生の取扱説明書」である『聖書』、そして『創造主』であるご自身の許へと招いておられる時なのです。

2025年4月6日 「『神から出ているもの』に目を留める」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『神から出ているもの』に目を留める」  (06/04/2025) [ピリピ人への手紙4章8~9節] ◆『世』において「神から出ているもの」を見つける(8節)  ・この世は私たちの心を落ち込ませるもので満ちているが、そんな中にもキラリと光る美しいものがある。何故ならこの世界は全能の神によって造られ、私たち人間も愛に満ちた神によって造られたから。  ・信仰に熱心なあまり、「イエス・キリストを伝えることのみが重要で、この世の事になど関心を持つべきではない」というのは、誤り。キリストを深く知り、キリストと共に日々を歩んでいるなら、必然的に『世の現状』に関心を持ち「美しいものを見て神を賛美し、不正や悲惨さの中で変化を起こそうとする」はずである。 ◆『神の人』において「神から出ているもの」を見つける(9節)  ・パウロは、単に「神が造られたもの」だけでなく、「神によって新しくされた自分自身」を通しても、神が現れ出てくださっていると確信していた。それ故人々にそれを見つけるようにも勧めた。  ・パウロは新約聖書の多くの部分を書き著した。それ故「パウロから見聞きしたことを実行する」とは、すなわち「みことばを体現する」ということに他ならない。主イエスも「わたしが~したように」とおっしゃった。キリストに従う私  たちが互いに求めるべきことは、「私を見ないで、キリストを見なさい」ではなく、「私を通して、キリストを見なさい」なのである。神は私たち[を通して]、ご自身を世に現されるのである。 今日の要点: 『神の輝き』を持つものを探す ◎更に深い学びのために  ①神様が造られたこの世界を見渡した時、どんなところに「神から出ているもの」を見出すことができますか?  ②これまでの人生で、自分で直接的に「ここで神が働いておられる」と感じた経験があれば分かち合いましょう。  ③「神から出ているもの」が、互いの日々の生活を通して輝き現れて行くように、互いのために祈り合いましょう。 Outline of the sermon    “Watch what are from God.”    (06/04/2025) [Philippians 4:4~7] ◆Watch what are from God in “this world”. (Verse 8)  ・There are “God’s beauties” in this world even though it is filled with Read more…

(607) “人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高いところにかくまわれる。”

 私たち夫婦は一緒にドラマを観るのが好きで、特に韓流ドラマをよく観ます。すると大抵ストーリーの中で主人公が自分を守ろうとしてその場しのぎのちょっとした『嘘』をつき、その時にごまかしたことを正当化するために、また別の『嘘』をついて、そうこうしているうちに『嘘』が雪だるま式に膨れ上がって行って、やがて窮地に立たされる場面が登場します。  私たちの人生にも同様なことが起こることがあります。誰かに問い詰められた時、反射的に自己防衛本能が働き、つい心にもない『嘘』をついてしまい、そのまま引っ込みがつかなくなって、その嘘を正当化するためまた別の『嘘』をついてしまう。そうやって「親子関係」「夫婦関係」「友人関係」などの大切な人間関係を壊してしまうのです。  このような傾向は実は子供の頃から身に付くものです。というのは、親なら誰でも自分の子供が「立派で正しい人間」に育って欲しいと思いますから、それなりに厳しく育てますよね?危ないことや誤ったことをしようとした時には叱り、時には体罰を与える時もあるでしょう。もちろん子供たちはそのような経験を通して「してはいけないこと」を学ぶと思いますが、人間ですから「やりたいことを我慢できない時」もあります。そうしてつい親に叱られるようなことを(親に見つからないように)してしまった時、親が「これをやったのはだぁれ?」と訊かれても、「自分じゃない」と『嘘』をつくわけです。そしてそれが徐々に習慣になってしまうことが少なくありません。  ところで、人は誰かから言われるよりも、自分で痛い目に遭った方が深く学ぶものだと思いませんか?そしてふと立ち止まって考えてみると、親が禁止していることを子供がしてしまった時にただ厳しく叱るよりも、子供たちに敢えて失敗させて自分で痛い目に遭わせる方が効果的な教育になることが結構多いことに気付きます。実は私も親にそのようにしつけられて学んだ教訓が多くあります。  神様はしばしば私たちが『人生の試練』を経験するのを許されます。それは神様が意地悪だからではなく、そのようにして私たちが日々学び、成長することを願っておられるからです。そして神様は、私たちが「人の目を恐れて引っ込み思案に生きる」のではなく、「神に信頼して大胆に行動し、また時には失敗を通して学ぶ者」となるように願っておられるのです。

2025年3月30日 「『神の恵み』に思いを馳せる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「『神の恵み』に思いを馳せる」    (30/03/2025) [ピリピ人への手紙4章4~7節] ◆クリスチャンはひと味違う!(4~7節)  ・ここには「いつも」(4節),「すべての人に」(5節),「何も・あらゆる場合に」(6節)など、『無制限』を表す言葉が立て続けに登場する。命令形で書かれてはいるが、これらはすべて「神によってのみ成就されること」である。  ・例えば「主にあって喜ぶ」とは、「キリストとの関係の故」「キリストの十字架によって『神の子』とされた故」「キリストが、ご自身の『花嫁』として選んでくださった故に」ということ。考えれば考えるほど喜びが湧き上がってくる! ◆驚くべき恵み(4節)  ・どうやったら「何も思い煩わない」でいられるのか?そもそも私たちはどうして思い煩うのか?実は「思い煩い」は神からの『祈りへの招き』である。言い換えるなら、『思い煩い』は「物事を『恵みの神』抜きで考えている結果」。  ・「あらゆる場合に、『感謝』をもってささげる祈りと願い」とある。『感謝』というのは、「神の恵み」に焦点を当てることによって湧いてくる。これが、『神の恵み』というものに慣れ過ぎてしまって「当たり前」のように感じてしまっていると、たちまち『感謝』が失われてしまう。私たちが神から受けているものに『当たり前のもの』など何もない!  ・ここでは「願い事が必ず叶う」とは約束されていない。しかし「キリスト・イエスにある平安」は保証されている。『神の恵み』に思いを馳せる時、「思い煩い」は消え、『神の平安』が心に満ちるのである。[ローマ8:31-39] 今日の要点: 『神の恵み』を数えよう! ◎更に深い学びのために  ①自分がクリスチャンになる前となった後を比べてみて、「物事の捉え方」の変化に思いを馳せてみましょう。  ②どんなことを思い煩ってしまうことがありますか? その時のあなたの「思いの中心」はどこにありますか?  ③キリストと出会った後で経験した「人生の3大恵み」をリストアップし、天の父の恵みに感謝をささげましょう! Outline of the sermon     “Ponder on ‘God’s grace’.”     (30/03/2025) [Philippians 4:4~7] ◆Christian life is outstanding!(Verses 4~7)  ・Here are some unlimited words like; “always, everyone, anything, and in everything”.  Our life in Christ is outstanding because Read more…

(606) “神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。”

 ルネサンスの時代に、優れた芸術家・彫刻家として活躍したミケランジェロに関して、次のような逸話が残されています。  ある時、ミケランジェロが1つの彫刻作品を削り始める前に、材料となる大理石をじっと見つめている様子を隣りで見ていた友人が、「おいミケランジェロ、キミはいつもどうやってあんなに素晴らしい作品のアイディアを思いつくんだい?」と尋ねました。するとミケランジェロは、こう答えたそうです。「いや、ボクが良い作品の構図を思いつくわけじゃない。こうして祈りつつ大理石を見つめていると、大理石の中に閉じ込められている作品が見えてくるんだ。ボクはただ、その作品をこの大理石の檻から解放してあげているだけなんだよ。」  聖書には、「神は私たち人間を『ご自身のかたち』に創造された」と書いてあります。もちろんそれは、「神には人間のような目鼻がある」という意味ではないでしょう。恐らくそれは、「人間1人1人の内に、神の麗しさ、神の優しさ、神の力強さ、神の知恵、神の聖さなど、『神の栄光を表現する要素』が秘められている」というような意味なのだと思います。  聖書の別の箇所には、「神は人を『ご自身の栄光を現すため』に創造した」とも書かれています。そして私たちの内にあるそれらの「神の栄光を表現する要素」は、ミケランジェロが言った『大理石の中に隠された傑作』のように、祈りと共に発掘されるべきものなのではないでしょうか?  私たちの人生の最大の課題は、この「自分の内に秘められている『神のかたち』」を、神への祈りのうちに見出し、日々その『発掘作業』に精を出し、自分を通して現される『神の栄光』を体験して、喜び感謝することであるに違いありません。