(641) “あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。”

 私たちはつい「もっと背が高かったら良かったのに…」「どうして私の目はもっとパッチリしていないんだろう…」などなど、自分ではどうしようもない(生まれつきの)特徴にケチをつけて、わざわざ自分の価値を下げてしまうことがあります。そもそもこれらの不平・不満というものは、何を基準にして生まれてくるのでしょう?もちろんそれは生まれ育った環境や、社会の提供する情報にも影響をされるとは思いますが、根本的には『自分自身の考え』に基づいているわけです。「自分はもっとこうありたい」とか、「本来はもっとこうあるべきである」とか。実際は、社会は「人間というものは身長は170センチ以上なければならない」とか、「女性のまぶたは二重でなければならない」などとは定めていないわけですが、いつの間にかそんな風に思い込んでしまっているんですよね?  聖書は、「創造主なる神が、私たち1人1人をご自身の望まれた通りにお造りになった」と言います。そして神には私たちをそのように創造された『目的』があるのです。神は失敗作品をお造りにはなりませんから、私たちは「姿かたち」を含めて、神の目的にピッタリの存在として形造られました。ですから大切なのは「変えることができないことを不満に思うこと」ではなく、「神が自分をどのような目的のためにお造りになったのか」を知ることなのです。そしてそれは『イエス・キリストを通しての神との関係』によってのみ、知ることができます。私はそれを40年前に体験しました。それまでは前述のような「自分の身体的な特徴に対する不満」を並べ立てていましたが、今は日々「神のご計画を実現すること」に心を躍らせながら生きています。  神には「あなたとだけ一緒に実現したいご計画」があるのです。それを見つけ実現するために、イエス・キリストを通して与えられる『神とのいのちの交わり』を求め始めてみませんか?

(641) “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。”

 「ベストを尽くす」という表現がありますよね。この言葉が嫌いな人はあまりいないと思いますが、実践するのはなかなか難しいですよね?今日はこの「ベストを尽くす」ということの実践として良い例を見つけたのでご紹介します。  これはオーケストラに所属する、あるバイオリニストのお話しです。彼女はコンサートに出演する前日はいつも十分な睡眠を取ることを心掛け、ベストコンディションで演奏に臨みます。自分自身だけでなく、自分の楽器も入念にチェックします。会場に到着すると、ステージ上の自分が座るイスの座り心地を調整し、楽器のチューニングをします。  演奏が始まると、指揮者の下に各グループが指揮と譜面に合わせて演奏を始め、彼女は自分の出番が来るまで瞬きもせずに譜面を追います。演奏が次々と進み、ついに彼女の演奏の番になり、指揮者の目が彼女に向いた瞬間、彼女は自分が奏でることのできる最高の音を「たった1音だけ」演奏し、そして彼女の出番は終わるのです。  オーケストラの演奏はまだまだ続いて行きます。彼女は残りの時間もじっと静かに、そしてさも満足そうな笑みを浮かべながら席に座っています。「自分のできる最高の音を、完璧なタイミングで、全力で奏でたこと」への喜びに満たされながら…

2026年2月1日 「12使徒の任命」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「12使徒の任命」   (01/02/2026) [ルカの福音書 6章12~19節] ◆イエスは『12使徒』をお選びになった(12~13節)  ・ルカが「出来事のみを客観的に記述」しているのに対し、マルコは「イエスが使徒たちを選んだ2つの目的」に  ついて書いている。(マルコ3:13-17) ①みそばに置くため ②みわざを託すため この点において『使徒たち』は、  他の弟子たちや群衆との明確な区別があった。 ◆『使徒』以外の人々(17~19節)  ・ここでは「大勢の弟子たちの群れ」と、各地からやって来た「おびただしい数の人々」が登場する。彼らは、  ①教えを聞くため ②癒しを受けるため に、イエスの許にやってきた。それは「イエスから力が出ていた」のを見たからである。これらのみわざは「御父と御子の親密な交わり」の結果であり、イエスの喜びの源でもあった。  ・主イエスが私たちを「みそばに置く」のを望まれるのは、同じように「共にみわざを行い、喜びを分かち合う」  ため。[ルカ10:17-12] これは「受ける」だけではなく、『共に働く者』だけが味わうことのできる祝福である。  ・物質社会に生きる私たちは「目に見える現象」に心を奪われやすい。しかし人を真の喜びで満たすのは「物」で  はなく『人格的なつながり』。キリストはこの喜びのために、私たちを招くのである。 今日の真理: 神が招くのは、共にいて、一緒に働くため ◎更に深い学びのために  ①イエスは何故『使徒』をお選びになったのでしょう? 彼らはどのような人たちでしたか?  ②使徒に選ばれた人たちと、選ばれなかった人たちの間には、どんな違いがあったと思いますか?  ③あなたはイエスに「選ばれたい」ですか? それは何故、また「どういう意味で」ですか? Outline of the sermon     “Calling apostles.”      (01/02/2026) [Luke 6:12~19] ◆Jesus chose 12 “apostles”. (Verses12~13)  ・Jesus prayed through the night then appointed “apostles”.  Read more…

(640) “あなたがたが受けないのは、あなたがたが求めないからです。”

 日本文化には「奥ゆかしさ」という1つの美徳があります。ただ、この「奥ゆかしさ」が『神のみわざを体験する』という上でマイナスになることがあります。例えば「神様にこんなことをお願いするのは申し訳ない」という理由で、自分の本当の必要を神に祈り求めることができないでいる場合です。  聖書には、「信仰がなければ神に喜ばれることはできない」と書かれています。そして「神に大きなことを求めること」は、まさに私たちの『信仰』を神にアピールすることになるのです。イエス・キリストはある盲人が癒しを求めて近づいてきた時に「あなたの信じる通りになるように!」とおっしゃいました。「こんなことを神にお願いするなんて…」というのは、慎み深いように聞こえて、実は「もし神様に聞いてもらえなかったらどうしよう」という、私たちの『不信仰』の現れに過ぎないのです。  聖書は『天地創造の神』のことを「私たちの天の良き父」と呼んでいます。そして「良い父親」はいつでも自分の子供たちに「良いものを豊かに与えたい」と願っています。ただ人間は能力的にも経済的にも限界がありますから「豊かに与える」のにも限界があります。しかし私たちの『天の父』には、そのような限界はありません!彼は「あふれるほどに」与えることができるお方なのです。また、それらのものを与えるか与えないかを決めるのは『神ご自身』であって、私たちではありません。ですから私たちはいつでも『天の良き父』に「良いものを豊かに与えてください!」と求めるべきなのです。

2026年1月25日 「『安息日』について」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「『安息日』について」 (25/01/2026) [出エジプト記 20章8~11節,ルカの福音書 6章1~11節] ◆『安息日』とは?  ・『仕事』の内容の定義がカギ。このように細かく律法を定義し直したことによって、ユダヤ人は律法が「人に対す  る神の愛によって定められた」ということを見失ってしまった。恐らく彼ら自身も律法を守ることに対する窮屈さを  感じていただろう。そんな中イエスが自分たちの定めた規定を平然と破っているのを見て激しく妬んだ。 ◆神はなぜ『安息日』を定めたのか?  ・この箇所の並行記事がマルコ2章にもあるが、マルコはこう結んでいる。[マルコ2:27-28] では神様は、どういう理由で「人のために」安息日を設けたのか?    ①人間には休息が必要だから(申命記5:12-14) ②造り主を覚えるため(出エジプト記31:13) ③聖なる会合のため  ・「律法は間違っていた」と考える人がいるかもしれないが、それは誤り。ただその「解釈」や「扱い方」を間違えてしまうことがある。「神様は優しい方だから、厳しい言い方の『律法』とはかみ合わない」と感じるかもしれないが、『真の愛』は厳しい時には厳しい。『安息日』に関しても、旧約聖書の中ではとても厳しく定められている。それは厳しく命じなければ、人は必ず軽んじたり、自分の都合で融通を聞かせようとして徐々に神から離れて行くから。 今日の真理: 『安息日』は人のために設けられた ◎更に深い学びのために  ①誰かからの「愛の忠告」を、その真意を汲み取れずに窮屈に感じたり、相手を恨んだりしたことがありますか?  ②神はなぜ『安息日』をお定めになったのでしょう? それがなぜ「人のために設けられた」と言えるのでしょう?  ③「安息日の定め」を含め、神の様々な律法の背景に、どのようにして『神の愛』を見出すことができますか? Outline of the sermon      “Sabbath.”       (25/01/2026) [Exodus 20:8~11,Luke 6:1~11] ◆What is “Sabbath”?  ・They completely misunderstood what “God’s Commandments” all about and made huge mistake on the definition  of “Work”.  Read more…

(639) “互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。”

 皆さんは「ヘンリー・フォード」をご存知だと思います。現在私たちが当たり前のように乗り回している『自動車』という交通手段を一般的に普及させるきっかけを作った人物で、『自動車王』とも呼ばれています。しかし実はそんな彼ではありますが、1度はこの「自動車生産」をあきらめかけていた時があったのです。  彼が「ガソリン車」の普及に全力で取り組んでいた頃、社会は彼の意図を全く理解しておらず、経済的な支援も底をついていました。そんな時、あの『発明王』として知られる「トーマス・エジソン」がヘンリーの許を訪れ、こう言ったそうです。「キミがやろうとしていることを理解してくれる人は、今は少ないかもしれないが、やがて必ず多くの人たちの注目を浴びるようになる。だから決してあきらめてはいけないよ。」  人は誰でも『励まし』を必要としています。あなたが何気なくかけるひと声が、相手にどれほどの希望と勇気を与えるか、それを測り知ることはできません。「誰かに信じてもらっている」、「自分に期待してくれている人がいる」という気持ちは人を何度でも奮い立たせるのです。  37年間の結婚生活経験者として断言しますが、全ての既婚男性は、「妻からの励まし」を必要としています。夫たちにとっては「妻からの励まし」が、他の誰からの応援よりも力になるのです。世の奥様方、ぜひ(たとえ見え透いているように感じたとしても)ご主人にひと声、「あなたにはきっとできる!私は最後まであなたを信じているわ!」と言ってあげてみてください!

2026年1月11日 「真理の性質」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「真理の性質」     (11/01/2026) [テモテへの手紙 第1.2章4節] ◆『真理』とは?  ・『真理』と聞くと、「知識」とか「概念」のように思ってしまいがちだが、聖書が言う『真理』を敢えて別の言葉で表現するとすれば、それは「イエス・キリストの実質」とでも呼べるだろうか?主イエスは「わたしが真理だ」(ヨハネ14:6)と言い、また「みことばが真理だ」(ヨハネ17:17)ともおっしゃった。実際「みことば」とはイエスご自身(ヨハネ1:1, 14)のことである。そしてイエスは『真理の御霊』(ヨハネ16:13-14)として私たちの内に住まわれる。  ・私たちは本来「神のかたち」(創世記1:27)に創造された。私たちは『真理』を知るごとにそのオリジナル型、すなわち「イエス・キリストに似た者」とされて行くのである。 ◆『真理』を体験する  ・『救い』が「恵み」によるのと同じように、「キリストの実質が私たちの内に回復する」というプロセスも「私たちの努力」によるのではない。神が始められたわざは、神が完成される。[ピリピ1:6] 私たちに貢献できることはたった1つ。それは「神に信頼して『明け渡す』」ということ。イエスの地上での生涯に倣って、ひたすら「分かったことに従う」(ヨハネ5:19-20)。そうやって神が現してくださった驚くべき『愛』(ローマ5:8)に今年も全力で応えて行こう! 今日の真理: 『真理』を体験するカギは、神への「明け渡し」 ◎更に深い学びのために  ①『真理』を別の言葉で言うなら、どう表現できますか? どうしてそのように言うことができるのでしょう?  ②「真理を知り、体験して行くこと」によって、私たちはどのようにされていくのですか?  ③私たちはどのようにして『真理』を体験することができますか? またそれは、どうしてですか? Outline of the sermon    “Substance of ‘kingdom truth’.”     (11/01/2026) [ⅠTimothy 2:4] ◆What is “the truth”?  ・If we try to describe “Truth of the Kingdom” in other words, it can be something like Read more…

(638) “自分の日を正しく数えることを教えてください。”

 誰でも「Life changing experience(価値観を大きく変えられるような経験)」というものを1つや2つはお持ちではないかと思います。私もいくつかあります。しかし後述のデニスさんのような経験をされた方はあまりいないのではないでしょうか?  彼はある時、講師として招かれた講演会へと出向くために空港の通路を全速力で走っていました。乗るはずのフライトに遅れてしまいそうだったからです。彼がやっとの思いで搭乗ゲートに到着した時、ゲートはついさっき閉じてしまったところでした。デニスは事情を説明し、何とかゲートを開けてくれるように係員に頼みましたが、返事は「ノー」でした。彼は地団太を踏んで係員に対する怒りを表しながら、苦情を訴えるため、また別のフライトのチケットを何とかして手に入れるために受付カウンターへと向かいました。ところがカウンターには長蛇の列ができており、何分待っても少しも前に進む気配はありません。彼の怒りと不満は、まさにピークに達しようとしていました。そんな時、下記のような場内放送が流れたのです。  「場内のお客様にお知らせいたします。たった今離陸予定でしたロサンジェルス行きのフライト191便が、離陸途中で事故に遭い、誠に遺憾なことではありますが、乗客の中で生存者がいる可能性は絶望的な状況です。」  デニスは苦情を訴えることも、別のチケットを予約することもなく、そのまま帰途に就きました。彼の手には、自分が乗るはずだったフライト191便のチケットが握りしめられていました。彼はそのチケットを自室の壁に貼り、イライラした時やムッとすることがある度にそのチケットを見て、自分が今生きていることは決して偶然ではないことを思い巡らすようになったのです。  今あなたが生きていて、この2026年を迎えることができているのは、決して偶然ではありません。神はあなたに「生きよ!」 と命じられています。この新しい1年を、些細な事で気を悪くすることなく、「明日を守られる神様」を見上げて進んで行きましょう!

2026年1月4日 「神の国の真理」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「神の国の真理」     (04/01/2026) [テモテへの手紙 第1.2章4節] ◆真理は私たちを「不快」にする  ・神は私たちがまず御子イエスの血によって「救われること(神との関係の回復)」を望んでおられるが、その上で  更に私たちが神の御霊の働きによって「神の国の『真理』に生きるようになること」を切に望んでおられる。  ・[ヨハネ8:31-32] イエスは「真理はあなたがたを自由にする」と言われた。ならば誰もがこの『真理』を知りたいと思うであろう。しかし実際は、私たちが『神の国の真理』に出会うと、少なからず「違和感(不快感)」を覚える。何故なら『神の国の真理』はしばしば、私たちが安住している「この世の原理」に真向対立するから。 ◆『真理』が「信仰」と結びつく時、真の「自由」へと向かう  ・では何故イエスは「真理が自由にする」と言ったのだろう?よく文脈を見ると、イエスは「ご自分のことばにとどまるなら、弟子とされ、真理を知って自由にされる」とおっしゃった。イエスのことばに「とどまる」とは、「自分の考えとイエスのことばが違っているなら、イエスのことばの方に乗り換える」、すなわち「自分の悟りや信念」ではなく、『神のことば』に信頼して従うことに決める、ということ。そしてこの「『神の国の真理』に対する、単純な信仰による従順」が私たちを「地上における歩みの新しい次元」へと招き入れてくれるのである。 今日の真理: 「自分の考え」よりも「神のことば」の方が、いつも正しい ◎更に深い学びのために  ①何故『神の国の真理』は、しばしば私たちを「不快」にするのですか?  ②どのようにして「真理を知ること」が『自由』と結び付くのでしょう?  ③あなたは『神の国の真理』に根差して生きたいですか? それとも「現状維持の人生」を保ちたいですか? Outline of the sermon  “Truth of God’s kingdom.”   (04/01/2026) [ⅠTimothy 2:4] ◆Truth makes us uncomfortable.  ・God first desires us to be saved by Christ, then even desires us more to know “His truth” by Read more…