2025年6月15日 「神との関係に生きる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「神との関係に生きる」  (15/06/2025) ◆神を知り、応答する  ・「キリスト者として生きる」ために最も欠かせない『神との個人的な関係』という概念を改めて確認しておこう!  ・「神との関係の中に生きる」ためにまず必要なことは、「神を正しく知る」ということ。神を正しく知ることさえできれば、私たちはその神に対して『応答』せずにはいられないはず。この「神を知り、応答する」というサイクルが、  いわば「神との関係の中に生きる」ということである。 ◆神をどう知るのか?  ・「神を正しく知ること」はこの世の知恵や知識によるのではなく、神からの『啓示』(神のイニシアティブ)による。  ・神はそのひとり子『イエス・キリスト』によって、世にご自身を証しされた。[コロサイ2:9] 私たちはこのキリストを通して「正しく神を知る」のである。具体的には、①人として地上を歩まれたキリストの生き様を通して ②『生ける神のことば』としてのキリストを通して ③信じる者の内に住まわれる『キリストの御霊』による啓示によって。  ・私たちは、神から与えられた『自由意志』を用いて「神に対する信頼」を表明する。つまり、神から与えられている『時間』というものを、「神との交わり」のために敢えて使うのである。初めは慣れないかもしれないが、ひとたび「神の素晴らしさに魅了され、それに応答して生きる」ということの醍醐味を味わったら、それは病みつきになる。 今日の要点: 神を正しく知り、応答する ◎更に深い学びのために  ①「神との関係の中に生きる」とは、実際的にどんな生き方でしょうか? 自分の言葉で言い表してみましょう。  ②私たちはどのようにして「神を正しく知る」のでしょう? どうして、その方法が正しいと言えますか?  ③「神との関係の中に生きる」ために、あなたがしていること、また今日から始められることは、何ですか? Outline of the sermon   “Personal relationship with God.”   (15/06/2025) ◆Knowing God and respond to Him.  ・To build “personal relationship” with God, it is inevitable “to know God” properly.  Once we know God, Read more…

(613) “主を恐れることは知識の初め。”

 私の住むクライストチャーチは、現在「建築ブーム」です。我が家から歩いて10分の範囲で少なくとも5件以上の家(というか集合住宅)が建築中です。恐らくこの数年間で数千世帯分の建物が建てられたのではないかと思われます。  私は毎朝犬の散歩をするので、これらの「建築現場」を毎日目撃します。そして1つ分かったことは、大工さんたちは『土台』を据えるのに大変長い期間と労力を費やすということです。この時期は現場の前を通ってもちっとも変化がなく、「本当に工事が進んでるのかな?」と疑いを持ちそうになってしまいます。  ところがこの『土台』が完成すると、建築作業は目に見えてはかどって行き、みるみるうちに立派な建物が出来上がって行くのです。この時期は現場の前を通るのが楽しみになります。日々工事が進んでいるのを確認できるからです。しかしこの「目に見えた作業の進展」は、その前の「土台を据える」という時間のかかる地道な作業があったからこそ実現するわけです。  現代に生きる私たちは、「見える形で物事がドンドン進んで行くこと」を強く求めるがあまり、「土台を据える作業」をおろそかにしてしまう傾向があるのではないでしょうか?『インスタント』という言葉は50年前には知られていなかったと思いますが、今では至る所で使われています。「より早く、より効率的に、より便利に」が求められている中で、「じっくりと時間をかけて頑丈な土台を据える」という行程はモタモタしているようで人気がありません。しかし「より丈夫で長持ちするもの」を生み出すには、時間や手間ひまがかかるものなのです。  この全世界・全宇宙を創造され、その創造物の中の「最高傑作である私たち人間」を深く愛し慈しんでおられる『神』を正しく知り、恐れること、これは正に私たちの『人生の土台』と言えるのではないでしょうか?「神様なんて目に見えないし、よく分からないから必要ない。もっと分かりやすくて手っ取り早いものが欲しい!」と、目先の便利品やSNSなどで得た情報で日々の生活をとりあえず凌いでいくこともできるでしょう。でもそんな風にして建て上げた人生は決して長続きせず、困難に遭遇した時に簡単に崩されてしまいます。そうではなく、創造主なる神を知り、このお方との関係の中で生き始める時、私たちは変わることのない平安や希望そして強い確信をもって、堅固な土台の上に人生を建て上げて行くことができるようになるのです。

2025年6月8日 「クリスチャンTシャツ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「クリスチャンTシャツ」 (08/06/2025) ◆「クリスチャンTシャツ」とは?  ・「クリスチャンTシャツを着て生きる」とは、目に見える振る舞いにおいて「クリスチャンっぽく」生きようとすること。「クリスチャンとは、こうあるべきだ」という自分の信念に基づいているわけだが、私たちは弱い存在なので、いつか必ず行き詰まり、疲れてくる。  ・パウロは「イエス・キリストを着なさい(ローマ13:14)」と言った。分かるような、分からないような言葉である。「自分の力ではなく、キリストの霊によって」というような意味だろうが、実際的にどうしたら良いのかはっきりしない。 ◆お揃いTシャツ  ・ある時妻が「お揃いのTシャツを買おう」と言った。もちろん大賛成だったが、彼女の選んだTシャツは全く私の  好みに反していた。しかし私はその提案に同意し、着ることにした。何故なら、自分の大好きな相手が「一緒に着  よう」と言ったからだ。正直言ってあまり似合わないかもしれないし、周囲は笑ったり冷やかしたりするかもしれな  い。しかしそんなことはあまり大したことではないのだ。  ・『クリスチャン』としての私たちの歩み(「イエス・キリストを着る」ということ)も、これと似ているのではないだろうか? キリストに従って生きることは、初めのうちは自分の価値観とピッタリ合わなくて、違和感を感じるかもしれない。しかし大好きなイエス様が「一緒にこの人生を歩もう!」と招いてくださっているだけで十分意味があるのだ! 今日の要点: 主イエスとお揃いのTシャツ ◎更に深い学びのために  ①「『クリスチャンTシャツ』を着て生きる」とは、どんな生き方ですか? あなたはそんな経験がありますか?  ②「イエス・キリストを着る」という言葉を、あなたはどのような意味に理解していますか?  ③「イエス様とお揃いのTシャツを着て歩くこと」をイメージしてみてください。正直なところ、どんな気分ですか? Outline of the sermon   “Christian tee shirt.”   (08/06/2025) ◆What is “Christian tee shirt”?  ・Wearing “Christian tee shirt” means “covering up what’s inside of us” and behave like who you think “Christian” is.   Read more…

(612) “私たちは、この宝を土の器の中に入れています。”

 『過労死』なる言葉が使われて久しいですね。どうしてこのような悲劇が起こってしまうのでしょうか?恐らく1つの原因は「『しなければならない』と思っていることのために、自分自身を酷使しすぎてしまう」ということなのでしょう。本当に「しなければならない」のは、『自分自身をもっと大切にすること』なのに…  私たちはしばしば『自分の身体』というものを過信しすぎたり、軽んじてしまったりしているのではないでしょうか?「自分のものを自分の好きに使って何が悪い!」というのが、これらの人々の言い分なのかもしれません。では『妊婦さん』はどうでしょうか?妊婦さんたちが自分の身体を酷使しそうな様子を見て、周囲の人が「自分の1人の身体じゃないんだから…」といたわりの言葉をかけることがあります。そう、彼らは「生まれ来るかけがえのない命」をその身に宿しているのです。  実は聖書は私たちも「かけがえのないものを宿している」と言います。それは「神が私たち1人1人に与えた『神のかたち』」です。私たちの肉体自体は「地のちりから造られ、地のちりに返る存在である」と述べられていますが、そんな「土の器」の中に『かけがえのない宝』を宿している。だからこそ、私たちはこの身体をいたわるべきなのです。  聖書の別の箇所には、「私たちの体は『神の霊』を宿した『神の神殿』である」とも書いてあります。神こそが、私たち1人1人の『真価』を知っておられます。そして私たちは「妊婦さんたち」のように、「この身体は自分だけのものではない!」という自覚をもって、決して自分の身体を粗末に扱うことなく、神の前にも人々の前にも恥じることのない人生を歩むことが求められているのです。

(611) “光は闇の中に輝いている。”

 1カ月ほど日本に一時帰国してきました。今回の一時帰国中の一大イベントは「93歳の義父を、憧れの北海道へ連れて行く」というビッグプロジェクトでした。ただこの義父は少々気難しいので、しばしば私たち夫婦の労の甲斐もなくガッカリさせるようなことばかり言うので、今回も少々思い心持ちで出発しました。  私たちの夫婦の実家は栃木県宇都宮市にあります。本来なら飛行機で飛んでいくのが安くて手っ取り早いのですが、空港まで行く手間を考えると、幸い宇都宮には新幹線が停まりますし、北海道(函館)まで新幹線が開通したので、「函館だって『北海道』に変わりはない!」ということで、3人で新幹線で函館に向かうことになりました。(ちなみに義父はシーフードには全く興味がありません!)  さて、新幹線で「新函館北斗駅」に到着すると、早速レンタカーを借り、天気も良かったのでその足で『五稜郭』へと向かいました。残念ながら桜の季節ではなかったので、そこまで息を吞むような景色ではなかったのですが、それでもタワーからの眺めは素晴らしかったです。肝心のお父さんの反応も「いやぁ、キレイだねぇ」という感じで、夫婦で胸をなでおろしました。  ところで皆さんご存知でしたか?函館の夜景は、何と『世界3大夜景』の1つとして有名なんですよ!というわけで、2日目の夜にその夜景を観に「函館山ロープウェイ」を使って展望台まで行きました(スゴイ混みようでした!)。5月中旬だというのに山頂は10度以下まで冷え込み、寒がりのお義父さんは「寒い、寒い」と言っていましたが、ともかく展望台の端まで行って眺めると、いやぁ確かに見事な眺めでした。建物のイルミネーションと、海の暗闇が良い対称をかもしだしていて、何とも言えない光景でした。そして肝心のお義父さんの感想は…、「何だか暗くて景色が良く見えないなぁ。また昼間に出直した方が良さそうだね」(泪) お義父さ~ん、今日は「景色」じゃなくて、『夜景』を観に来たんだってばぁ~!  ところで、人生にも『暗闇』のようなシーズンがありますよね?そんな時は「神様、どうしてあなたを信じて生きているのに、こんな暗闇を味わわせるんですか!」と文句を言いたくなるかもしれません。でもこの美しい『夜景』を観ながら、「神様の光は『人生の暗闇』でこそ、更にハッキリと現されるのだろうなぁ」と感じさせられたのです。