2014年12月14日 「JCFクリスマス礼拝」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「2014年 クリスマスメッセージ」   (14/12/2014) ◆2種類の贈り物 ・プレゼントには大きく分けて2種類ある。 ①犠牲を必要としない贈り物  ②犠牲を伴う贈り物 ◆賢者の贈り物 ・この贈り物のどこが『賢い』のか?せっかくの贈り物が無駄になった。一見愚かに見える。しかし、そこに込め られたもの、そしてそのために払われた犠牲は、贈り物そのもの以上に価値があった。 ・互いが受け取ったのは「目に見える、いつか古びる贈り物」ではなく、「目には見えないが、いつまでも心に残 る、お金では買えない贈り物」。 ◆「本当のクリスマス」の意味 ・クリスマスの起源は、「神が私たちにくださった贈り物」のストーリー。[ヨハネ3:16] ・神はその「預言のことば通り」に、ご自身と私たちとの間を隔てていた『罪の壁』をひとり子イエス・キリストの 十字架の犠牲によって取り除けてくださった。[イザヤ書53:6] ・『永遠のいのち』とは、単に「天国への切符」ということではなく、「今からとこしえまで『いつも・いつまでも』 神が人生を共に歩んでくださる」という祝福。 ◆あなたはこの「神様からの贈り物」を受け取りますか?     お祈り 「神様、あなたのひとり子をあたえてくださるほどに、私を愛してくださっていることを、ありがとうございます。 私は今、心を開いて、あなたからの素晴らしい贈り物、イエス・キリストを心に迎え入れます。 私に永遠のいのちを与え、いつもあなたと共に歩むことができるように、どうぞ導いてください。 イエスのお名前によって、アーメン!」   Outline of the sermon     “Christmas message 2014.”  (14/12/2014) ◆ There are 2 kinds of gift. ①The gift which doesn’t involve sacrifice.  ②The gift which involves sacrifice. Read more…

(151) “イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。”

神を信じて生きる者にとっての最もつらい試練は「反対者による迫害」ではなく、思わず「神様なぜですか?」と叫ばずにはいられないような状況に陥った時ではないでしょうか? 旧約聖書の時代の最も偉大な人物の1人である『モーセ』が、当時エジプトで奴隷として苦役を強いられていたイスラエルの民を、神の命令に従って脱出させようとした時、エジプトの王(ファラオ)は民を行かせるどころか、更なる苦役を民に課すようになりました。当然イスラエルの民はこぞってモーセに対し不平不満を並べ立てたのです。きっとモーセの心中は「神様、私はあなたの命令に従ってこの民を脱出させようとしたのに、どうして更なる試練をお与えになるのですか?」という混乱と嘆きに落ち込んだことでしょう。 私たちの信仰生活の中でも同様なことが起こります。「神様の導き(聖書のことば)に従ってここまで来たのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか?」そんな時私たちが思い起こさなければならないのは「神の大いなるご計画は、私たちの小さな頭で想像する規模をはるかに超えている」ということです。神はこの後モーセとイスラエルの民のために、数々の恐るべき奇跡を行ない、最終的には「海を2つに分ける」という考えられないようなみわざによって、イスラエルの民をエジプトから脱出させたのでした。 私たちは喜ばしくない状況に直面すると、つい「神様、一体何やってるんですか!」と文句を言ってしまいがちですが、私たちがイラついている原因は、実際は『好ましくない状況そのもの』ではなく、「『今置かれている状況』と『自分が予想していたもの』とのギャップ」によるのです。私たちは「自分はこうしてちゃんと神様に従っているんだから、神様は私に何か(こんな風な)いい目を見させてくれるはずだ」と自分勝手に神様がしてくださるであろうみわざを決めてしまうのです。そして結果が願った通りじゃないと「神様のウソつき!」と言ってプイと背を向けてしまいがちです。 神はあなたより遥かに『気長』な方です。そして彼が望んでおられるのは、私たちが神を「自分が予想したとおりの結果を与えてくださる方」としてではなく、「私たちの思いを遥かに超えてみわざを行われる方」として知ることを求めておられるのです。

2014年12月7日 「やり直しのきく人生」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「やり直しのきく人生」    (07/12/2014) [コロサイ 4:10~18] ◆人は1人では生きられない ・この短い箇所に9人もの人々の名前が登場する。ここから分かることは「パウロは決して1人ではなかった」と いうこと。パウロは彼らのことを『同労者』と呼んだ。パウロの大きな働きの陰には、多くの協力者がいた。 ◆『マルコ』という人物[10節] ・パウロは1度はこのマルコに見切りをつけたことがあった。[使徒15:36-40]  しかし、神はマルコをあきらめな かった。やがてマルコは(恐らくバルナバの助けにより)4福音書の1つを遺すほどに成長した。 ◆パウロも脱落しかけた! ・実はパウロも「神によって『やり直し』のチャンスを与えられた者」の1人。キリスト者を迫害し、殺したことさえ あるパウロを、神はあきらめなかった。キリスト者の間で恐れられていたパウロを、神はバルナバによって 交わりの輪に加えてくださった。[使徒9:26-27] ・またその後ユダヤ人から追われ故郷のタルソに身を潜めていたパウロを、神は再びバルナバによって 歴史の表舞台に連れ出した。[使徒11:22-26] 神は2度でも3度でも「やり直しのチャンス」をお与えになる方。 ◆次の2つのことに心を留めよう! ①神はあなたに「あきれない」し、あなたを決して「あきらめない」。だから、 たとえ転んでも何度でも起き上がって、再び歩き出そう! ②神があなたをあきらめないように、あなたも(バルナバのように)何度でも赦し、 新しいチャンスを与える者になろう!   Outline of the sermon     “You can start over again!”  (07/12/2014) [Colossians 4:10~18] ◆Nobody can live alone. ・There are 9 people mentioned in this paragraph.  We Read more…

(150) “機会を十分に生かして用いなさい。”

私たちはついつい「過去の失敗を思い返すこと」を繰り返しがちです。「もっとああすれば良かった…」「あんなこと言わなければ良かった…」などなど。あたかも、何度も思い返せば取り消せるかのように。 日本のことわざに「後悔先に立たず」と言われるように、過去の失敗を修正することは決してできません。しかし、神は私たち1人1人に『現在』というものを与えてくださっています。面白いことに『現在』という言葉は英語で『プレゼント』と言います。まるで神様が私たちにこの『現在』を新たなスタートのために贈り物として与えてくださっているかのようではありませんか!取り返しようのない過去にいつまでもこだわりすぎて、せっかく神様が与えてくださっている『現在』の絶好の機会を見逃してしまわないようにしましょう。 「新たなチャンス」というものは、しばしばそれが去ってしまった後にその価値が認められるものです。だからこそ私たちは毎日しっかりと目を開いて、それが手に届くうちにしっかりと捕まえなければなりません。チャンスはあらゆる方向から、いろいろな形をとってやってきます。決してワンパターンではありません。それを見つけてしっかりと掴むための1つの秘訣は「後ろのことに捕らわれない」ということです。神はご自身に信頼する者に『第2のチャンス』『第3のチャンス』を与え続けてくださる方なのです。

JCFクリスマス礼拝 2014

今年も『JCFクリスマス礼拝』が下記の通り行われます。 日時:2014年12月14日(日)午後2時~ 場所:コロンボ・ストリートとムアハウス・アベニューの角(PAK’nSAVEの隣り) 内容:クリスマス・キャロル,スライド上映「賢者の贈り物」,ゴスペル・クワイヤーなど 集会の後に、豪華アフタヌーン・ティーがあります。入場は無料です! お問い合わせは『しぶけん』まで(027-6789-766)

(149) “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。”

ある社会学者の話によると、『仕事』に対する人間の見方は3通りあるそうです。 第1番目は、「『仕事』は『仕事』と割り切るタイプ」。すなわち「単なる生きるための糧を得る手段にすぎない」と考えるわけです。この場合働く側はその職場において「受けること」にフォーカスをおいているので、しばしば不満に陥ることがあります。 第2番目は、「自分のキャリアに重点を置くタイプ」。すなわち『自己向上』と重ね合わせて努力していくわけです。この場合それなりに熱心に仕事に取り組むわけですが、順境の時はともかく、逆境に(すなわち仕事が思うように進まなく)なると落ち込み、自分自身の存在価値さえ危ぶまれてしまいます。 第3番目は、「『召命観』をもって仕事に取り組むタイプ」。すなわち「私はこの仕事をするために生まれてきたのだ」という強い確信をもって働く人々です。「召命観をもって働く」ということは、別な言い方をすれば「あなたにその仕事をさせるために『誰か』があなたを呼んだ」ということです。その『誰か』とは、あなたをお造りになられ、あなたの人生に至高の計画を持っておられる神様のことです。そしてもし神様がその仕事をさせるためにあなたを呼んだのなら、その仕事には「他の人々を祝福するための大いなる目的」があるはずなのです。 医者には「病人が回復するのを助ける」という重大な使命があるのと同様に、清掃業者には「世の中をきれいにする」という尊い使命があります。この『召命観』というものは、どんな職業についている人をも重要視させる力があります。1週間のうちの40時間をもかけて取り組んでいるあなたの大切な営みに、あなたはどのような意義を見出していますか?

2014年11月23日 「目をさましていよう!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「目をさましていよう!」  (23/11/2014) [コロサイ 4:2~9] *『祈り』とは? ― それは「神の国とのコネクション」。パスワードは『イエス・キリスト』。 ◆目をさまして祈る [2節] ・肉体的に目覚めていても、神に心を向けていなければ、霊的には眠っている。[エペソ1:18-19] 『神の力』は、 心の目が開いている者を通して発揮される。だからいつも神のみわざに対してアンテナを伸ばしているべき。 では「お願い」は祈りではないのか? ◆2種類の祈り   ①「状況を変えるため」の祈り [3節] ・『病の癒し』『必要の満たし』など、「神のわざをこの地に呼び起こすため」に願う祈りがある。 ・パウロは「福音のために門戸が開かれるように」と祈った。私たちも同様に祈るべき。   ②「不利な状況の中で、神と波長を合わせるため」の祈り [4節] ・今の状況の真ん中で働いておられる神のわざにアクセス! ・閉ざされた状況・束縛の中でも、福音は宣べ伝えられる。[Ⅱテモテ2:9] この状況の中でオネシモは救われた![9節,ピレモン9~10節] ◆『祈り(神の国へのアクセス)』は自分自身のためだけでなく、周囲の人々のためでもある [5~6節] ・私たちの特権(祝福)は、他の人々を祝福するために用いる時、その真価を発揮する。 ✯まず自分で十分にこの「祈りによる神とのアクセス」を満喫し、その祝福を周囲にも分かち合っていこう!   Outline of the sermon     “Being watchful and pray!”  (23/11/2014) [Colossians 4:2~9] *“Prayer” ― It is ‘WiFi connection with God’s kingdom’.  Its password Read more…

2014年11月16日 「イエスをじぃ~んとさせよう!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「イエスをじぃ~んとさせよう!」  (16/11/2014) [コロサイ 3:18~4:1]  ◆「愛されてる」と実感したい! ・イエスは「わたしが愛したように互いに愛し合いなさい」とおっしゃったが、ある人々は「でも私はイエスに愛さ れているという実感がない!」と言う。ではどうやったらそのような『実感』が得られるのか? ・「いかに愛されているか」の理解は「いかに愛される資格が無いか」の理解度に比例する。そして「いかに愛さ れる資格が無いか」の理解は「キリストを通して現された神の愛の深さ」の理解度に比例する。[エペソ3:17-19] ◆「信仰による」愛の表現 ・私たちクリスチャンの「愛する歩み」は『実感』ではなく、『信仰』に基づいている。 ・この世の法則は「Give & Take」。だから「どちらが先に与えるか」でモメる。天の御国の法則は「信仰によって」 先に愛を表現する。「愛する理由のない人」に敢えて愛を表現する時、その信仰に応えて神が愛を注がれる。 ◆どのようにして「信仰によって」愛を実践するか?   ①イエスをじぃ~んとさせる [23~24節] ・「相手がそれに相応しいから」ではなく、「主がそれを望んでおられるから」。ただこの理由で行動を起こす時 神の愛が動く。私たちが「主が愛されたように」愛する時、そこに『神の国(神の支配)』が満ちる。   ②まず「家庭における人間関係」から [18~21節] ・家族を優先することを恥じてはならない。(でも『家庭礼拝』もしてね。) もしすべての家庭でこの箇所のような 人間関係が実践されたなら、社会的な大革命が起こる。これこそ神がこの地上に望んでおられる『奇跡』。 ✯家庭で、またあらゆる人間関係において「イエスをじぃ~んとさせること」を求めて、この週も歩んで行こう!   Outline of the sermon     “Let us touch Jesus to his heart.”  (16/11/2014) [Colossians 3:18~4:1]  ◆I want to feel that “I am loved”! ・Jesus Read more…

(148) “私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。”

私がまだ日本に住んでいた頃、人々に「教会にいらっしゃいませんか?」とお尋ねすると、「いえ、私は『宗教』には興味がありませんから…」というお返事をよくいただきました。 人々は『宗教』という言葉から主にどのような印象を受けるのでしょうか?「洗脳」「修行」「多額の寄付」などなど、思うにあまり良い印象がないように見受けられます。 英語で「Christianity is not “religion” but “relationship” with God.」ということわざがあります。日本語に訳すなら「『キリスト教』は『宗教』ではなく、『神との関係』である」というふうになるでしょうか?事実私たちクリスチャンは「聖書の教えを一生懸命に実践して、少しでも立派な人になろう!」という意識で日々を暮らしているわけではなく、「私たちをお造りになり、私たちを深く愛し慈しんでくださる『父なる神』との、言葉に言い尽くすことのできない『心と心の交流』」の中で日々生かされているのです。そしてまた、クリスチャンたちがその家族や友人を教会に招いたり、聖書に関して伝えたいと思ったりするのは、「熱心な布教活動によって信者を増やそう」としているわけではなく(いわゆる『宗教』はそのようにしているのかもしれませんが…)、この祝福に満ちた『神とのいのちの関係』を、愛する人々にも体験して欲しいと思うがあまり、つい誘ってしまうのです。それはあたかも「美味しいラーメン屋さんを見つけたから、今度一緒に行ってみようよ!」と誘っているようなものです。 ここニュージーランドでは、日本国内と違い、日本人の知り合いを教会にお誘いすると、半分以上の方々は何の先入観もなしに教会においでになります。そしてそのうちの多くの方々が、イエス・キリストを通しての『神との祝福に満ちたいのちの関係』へと導かれます。日本にいてこのコラムを読んでくださっている皆さんも、ぜひお近くのキリスト教会へ足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?