(288) “みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。”

現代の1つの風潮に『知識偏重』というものがあります。私たちは「既に分かっていることを実践する」よりも「まだ知らないことを追求しようとする」ことに魅力を感じやすいようです。 例えばある企業はその体質を改善するために多くの会議をし、その道の専門家を招いて講義を聴き、本を読んで勉強したりしますが、肝心の社員たちから日々寄せられる不満や要望にはあまり応えようとしません。 また私たちの日常生活を見ても、健康食品の雑誌や番組を観たり、スポーツクラブの広告を手に取ったり、「甘いものを食べるのは今回限りにしよう!」と決心したりしますが、実際に食生活を変えたり、定期的な運動を始める人はわずかです。 実はこれはクリスチャンとしての信仰生活にも当てはまります。私たちは聖書を読んで感動したり、教会の集会で学んだことに納得させられたりしますが、それらのことを実行に移すことは苦手です。聖書に「赦しなさい」と書いてあるのを読んでも「でも私の場合はちょっと特別なケースだから…」と見て見ぬふりをしたり、教会で「受けるよりも与える方が幸いです」と教わっても「とは言っても、やはり万が一の時のために貯蓄しておかないと困るから…」と出し惜しみしてしまうのです。 神は『知識』の中にはおられません。神は『愛』の中に住まわれるのです。いくら聖書の知識をたくさん蓄えても「分かったことを実践する」ことなしには、本当の意味で神様の祝福を体験することはできません。結論は単純です。あなたはもう十分に『知って』います。ですから今日、分かっていることを実行に移してください!

2018年1月14日 「イエスは神のことば」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「イエスは神のことば」      (14/01/2018) ◆イエスは『神のことば』 [ヨハネ1:1-4] ・イエスは「神のことば」であり、彼にいのちがある。 [ヨハネ6:63] ・「みことばを求める」とは、「イエスご自身を求める」ということ。みことばが私たちの内に『新しい創造』を行う。 ◆『ことば』は「正しい関係」に基づいてこそ、真価を発揮する [ヨハネ14:23-24] ・イエスは「神のことば・神の心」を証するために来た。何故なら、世は神を正しく理解していないから。 ・私たちは「イエス・キリストを通しての、神との愛の関係」の内にある時にのみ、『神のことば』の中に「神の愛といのち」を見出すことができる。 ◆正しい土台の上に人生を建て上げる ・イエス・キリストが土台。[Ⅰコリント3:10-11] ⇒ この世の知恵や常識によって「神のことば」を解釈しようとするな! ・「イエスのことば」を土台として、人生を建て上げる。[マタイ7:24-27] ◆今週の『暗唱聖句』: [ヤコブ1章21節]   Outline of the sermon     “Jesus is the Word of God.”    (14/01/2018) ◆Jesus is “the Word of God”. [John1:1-4] ・Jesus is “the Word of God”.  In him there is life. Read more…

(287) “神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。”

多くの人々は『変化』を嫌います。できるだけ「現状を維持したい」と思うのです。確かに同じ事を繰り返していることは楽ですし、危険を回避することができますが、と同時に「目覚しい成長」を経験できないことも事実です。 聖書の中に出てくる「信仰の偉人たち」(モーセ、ギデオン、ダビデなど)は皆、初めは弱く失敗の多い人々でしたが、神に信頼して人生を歩む中で、後世まで語り継がれるヒーローとなったのです。 空中を美しく舞うあの蝶も、初めはカッコ悪い『毛虫』にすぎません。地面や葉っぱの上にネバネバした後を残しながらノロノロと這い回る、それこそ誰にも見向きもされない存在です。それがやがて成長してあの美しい蝶に変わるのですから、驚きですよね? 実はあの蝶の飛翔する力は、毛虫時代に黙々と這い回り続けた成果なのです。カッコ悪いと嘲笑されながらも与えられたいのちを精一杯生きることは、後になって想像を超えた結果をもたらすのです。今のしばらくの間の試練は、やがてあなたの人生に美しい花を咲かせるためになくてはならない格闘なのです。 悪魔はこのことをあなたに知って欲しくないので、「そんな大変な苦労はもうやめて、サッサとあきらめてしまいなさい。神様はお前なんかの人生を用いて大したことをしてくれるわけがないんだから…」とささやきかけます。しかし多くの試練を潜り抜けて偉業を成し遂げたキリストの使徒パウロは次のように結論付けました。「私が弱いときにこそ、私は強いからです」と。あなたはどちらの言葉を信じますか?

2018年1月7日 「あなたはイエスを誰だと言いますか?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「あなたはイエスを誰だと言いますか?」   (07/01/2018) ◆神は御子を通して語られた [ヘブル1:1-3] ・キリストは「被造物(造られたもの)」ではなく、『創造主』。 ・キリストは「神の本質の完全な現れ」であり、すべての権威を持つ方。 [コロサイ1:15-17] ・多くの人は「私は神は信じるが、イエスは信じない」と言う。これは単に「神を自分のイメージの中にとどめておきたい」とする自己中心性に過ぎない(イエスの時代の律法学者たちと同じ)。 ◆イエスご自身の証言 ・イエスは「わたしこそ『神』である。だからわたしを信じなさい。」などとはおっしゃらなかった。むしろ彼はいつも 『御父』に栄光を帰し、「自分と父なる神とは1つである」と強調された。[マタイ10:40,ヨハネ12:44-45] ・ある時イエスは弟子たちに尋ねた。[マタイ16:13-18] 同じ質問が今日私たち1人1人にも問われている。そして「イエスこそ生ける神の子キリストである」という告白の上に、真の教会は建て上げられる。   Outline of the sermon     “Who do you say Jesus is?”    (07/01/2018) ◆God has spoken to us by His Son. [Hebrews1:1-3] ・Christ is not “created” but “the Creator”. ・Christ is “the exact representation of God” Read more…

(286) “ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み…”

新年明けましておめでとうございます。新しい年を迎えましたね。ある人は「『新年』って言ったって、ただ12月31日の翌日っていうだけじゃない?」とおっしゃるかもしれませんが、人生に区切りをつける意味では「新たな気持で新年を迎える」ということにも意義があるのではないでしょうか? 毎年、年の初めに「今年の目標」なるものを掲げる人もおられると思います。皆さんは1年前に掲げた目標を覚えていらっしゃるでしょうか?またその目標をどれくらい達成できたでしょうか?もしかすると「全然ダメだった」という方もいらっしゃるかもしれませんね。そんな方々のために「年の初めの目標」を立てるための目安になるものをいくつか伝授したいと思います。  ①真に価値ある大切なことに十分な時間を費やすことを心がける。 ・具体的に言うならば「家族と過ごす時間を増やす」「毎日少しずつでも運動をする」「食べ物に気を配り、無駄食いをしない」など。そして、朝ごとに「聖書を読んで祈る時間」を持つことをお進めします。神様にしっかりと心を向けて1日をスタートすることは、時間を浪費することを防ぐ良い方法です。  ②1度にいろいろなことをしようとしないで、1つのことに集中する。 ・欲張っていっぺんにたくさんのことをしようとすると、結局どれにも満足いく結果を得られなくなってしまいます。真に大切なものがどれなのかを見極め、その一事に全力を尽くしましょう。  ③小さいステップから始める。 ・「大きな夢をみること」は大切ですが、大抵の『偉業』は、やり始めたときはそのような結果になるとは予想されていなかったものです。「夢が大きすぎて尻込みし、最初の1歩をなかなか踏み出せない」よりも、小さくても『確かな1歩』をまず踏み出してみましょう。そうすれば、次の1歩が見えてくるかもしれません。  ④変化を記録する ・どんな人にも『励まし』が必要です。「周囲から見ればその人にかなりな変化が起こっているのに、当人は全く気付いていない」ということは良くあります。自分に少しずつ起こっている「変化・成長」を記録することによって日々励ましを受け、更に前進する原動力として行きましょう。

2017年12月31日 「ビジョンサンデーの意義」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「何故 『ビジョン・サンデー』?」     (31/12/2017) ◆『ビジョン・サンデー』の意義 ①『個人の願い』ではなく、『キリストの願い』を達成する教会となるため [ヨハネ4:34,20:21] ・父なる神が主イエスを遣わされたように、主イエスも私たちを遣わされた。それはイエスが常に父のみこころ を求めそれを成し遂げられたように、私たちも「イエスの願い」をいつも求めそれを成し遂げようとするため。 ②『お客さん』のいない教会形成のため [Ⅰコリント14:4-5,31] ・すべてのキリスト者が神から聞き、それを実現できる。それは「個人の栄光のため」ではなく、『キリスト(教会)     の栄光のため』。 ◆配布された用紙に次のことを記入し、ボードに貼る。(今日まで祈り求め、神から与えられたもの) 1.「ビジョン」  2.「みことば」  3.「具体的なアクションプラン」  4.「その他」 ◆小グループでの分かち合い   Outline of the sermon     “Why ‘Vision Sunday’?”    (31/12/2017) ◆There are 2 reasons. ① To fulfill “the will of Christ”. [John 4:34,20:21] ・Jesus has sent us just as the Father sent him.  Jesus Read more…

2017年JCFクリスマス会報告

2017年12月10日 South City C3 Church にてJCFクリスマス会 『True Christmas 』 が行われました。 たくさんの料理や、歌、ダンス、演奏などの出し物、会場のデコレーションなど、教会員一人一人が神様から与えられた賜物を持ち合い、素晴らしいクリスマス会となりました。  

(285) “確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。”

「クリスチャンの人たちは、よく『神の導き』などと言うけれど、一体神様はどうやって導くのだろう?」などとお考えになったことはないでしょうか?確かに神様は私たちをご自身のみこころに従って導かれます。でもそれらは「はっきりと見たり聞いたりできる形で導く」というよりも、ある聖書のことばや、聖霊によって内側に湧いてくる強い思いなどによるもので、実際にそれに従って行動を起こしてみないと「あれは確かに神の導きであった」と確証しきれないものが多いのです。 1秒先さえも見通せない私たちは、占いや運勢などを頼りにして、何とかして将来の安全や確証を得ようとします。もしくは人生の先輩のアドバイス、過去の調査データ、また成功マニュアルなどを参考にしようとしますが、どれも私たちに100%の保証を与えてくれはしません。結局は「私たちがその対象にどれだけの信頼をおいているか」ということにかかってくるのです。 私たち家族は今から20年以上前に「海外宣教師」として日本から出発しました。神が私たちをそのように導いておられると確信したからです。当時まだ子供たちは幼く(2歳、4歳、6歳) 周囲には強く反対してくださった方々もいました。しかし私たち夫婦は「聖書のことばによる約束」と「聖霊による強い確信」に導かれて出て行ったのです。以来20年余、数々の危険や不自由な思いも経験しましたが、あのままずっと日本で生活していたら決して味わうことのできなかった特権や祝福そして神の奇蹟を味わうことができました。私たち家族は確かにこの20数年の歩みの中に『神様の御手』を見ることができるのです。 この「神に導かれて生きる信仰の歩み」というものは、一時的なものではなく、生涯続くものです。来年の今頃自分たちがどこで暮らしているのか想像もつきませんが、1つだけ確かなことは、この神様に信頼して従って行く限り、いつも大きな喜びと満足感を心の底に抱いて生きることができるということです。

(284) “私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか?”

神が人間世界に与えられた最も尊いものの1つが「愛による関係」です。しかしこれは『尊いもの』であると同時に『壊れやすいもの』でもあります。その『愛の関係』が誤った理由に基づいている時は特にそうです。 この世における『愛』はしばしば「条件付き」です。「相手が優しいから」「欲しいものをくれるから」「可愛いから」「一緒にいると楽しいから」などなど。時には親子関係においても「ちゃんと言うことを聞いてくれたらオヤツをあげる」とか「次のテストで百点を取ったら許可する」などという条件によって「親からの褒美を勝ち取る」習慣を身に着けさせられます。 私たちが聖書によって神の愛を知り、イエス・キリストを通して『神との愛の関係』の中で歩き始めても、「何故神がそれほどまでに私たちを愛してくださっているのか?」ということを誤って理解していると、神の愛を疑ったり、神からの凝らしめを恐れたりするようになってしまいます。「こんな失敗をしてしまったから、もう神は私を見捨てるのではないだろうか?」「いくら努力しても立派になれない自分に、神は呆れてしまうのではないだろうか?」 では逆にこんな質問をしてみてはどうでしょう?「神は私を愛することを止めてしまうことがあるのだろうか?」あなたが以前の悪習慣に逆戻りしたとしたら、人助けをするチャンスを見てみぬふりをしてしまったら、そしてあまりの苦しさのため、つい神を呪ってしまったとしたら・・・ 神はもう2度と愛してくださらない方なのでしょうか? 聖書は断言します。「決してどんなものも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません!」そうです。『神の愛』は「私たちがどんなものであるか?」に基づいているのではなく、「最愛のひとり子イエス・キリストの故」なのです。イエス・キリストが、ご自分の立場を私たちと入れ替わってくださり、私たちの身代わりに十字架にかかられたので、今や父なる神は「イエス・キリストを愛していた愛」によって私たちを『無条件』で愛してくださるのです。