2017年12月17日 「神に用いられる教会(人)」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「神に用いられる教会(人)」      (17/12/2017) ◆神への依存 [ヨハネ15:5,Ⅱコリント12:9] ・神の目的は「ご自身の栄光を現す」こと。それ故『自分自身に頼る人々』を用いることはできない。 ・神はしばしば「私たちの常識とは異なった方法やタイミング」でみわざを行われる。私たちが『自分の考え』に 固執しているなら、神と足並みを揃えて働くことはできない。 ◆目的をもって「選ばれた」 [ヨハネ15:16] ・どのような『神の選び』にも「実を結ぶこと」と「祈ること」が伴う。(神からの『召命』をつかみ、「神の方法」で行う) ノアの例  召命:箱舟を造る  方法:1つ1つを神の指示通りに。 ・全く前例がなかったので、神に頼るしかなかった。しかし現代の最新技術に匹敵する完璧な構造。   [Ⅰコリント2:9] = これが「神を愛する者(教会)」のために備えられているもの。 ✰12月31日まで、ひたすら主を求め、召命を求め、具体的にどうしたら良いのかを求めて行こう!   Outline of the sermon     “The church (people) that God uses.”    (17/12/2017) ◆Be dependent on God. [John15:5,ⅡCorinthians12:9] ・We are created to glorify God, therefore God cannot use those who tend to glorify themselves. ・God Read more…

(283) “彼らのしていることはみな、人に見せるためです。”

『偽善』という語(普段あまり耳にすることはありませんが…)を好きな人はあまりいないと思いますが、実際にその意味を十分に把握している人も多くはないのではないでしょうか?『偽善』を簡単に説明するならばそれは要するに「自分を人に良く見せようとすること」と言えるでしょう。ということは「誰の心にもありがちな思い」なのではないでしょうか?イエス・キリストは多くの面で「寛容と愛情深さ」を示されましたが、この『偽善』に対しては徹底的に挑戦されました。何故だと思いますか?それは「人に良く思われたい」という心は、しばしば「神を見失わせる」からです。 例えばアナタは、今からしようとしている『良い行い』が決して誰の目にもつかないと初めから分かっていても、相変わらずそれを行うでしょうか?もし「それならやっても仕方がない。や~めた!」となってしまうとしたら、アナタは『偽善者』なのです。イエス・キリストは「あなたがたの右手がなそうとしている良いわざを、左手に気付かれないようにしなさい」とさえおっしゃいました。『良い行い』は本来「こっそりと」行われるべきものなのです。でも安心してください。神は私たちのすべての行い(隠れたものも含めて)をご存知です。私たちがどんなにこっそり『小さな親切』をしたとしても、決してそれを見逃したりはしません。神は憐れみ深く、愛に富んだ方ですから、私たちの『愛と憐れみの心』に敏感に反応され、そのような心から純粋に現された『良いわざ』に報いを与えないではいられないのです。

(282) “愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。”

私たちは皆「人は1人では生きていけない」ということを知っています。そしてそれは『物理的』な理由だけではなく『精神的』な理由においても言えます。私たちは「真に正しい生き方」をしていくために、お互いの助けを必要としていますし、神様はしばしば私たちと周囲との人間関係を通して『良きアドバイス』を与えてくださいます。問題は、そのような(時には耳の痛い)忠告に私たちが素直に耳を傾けることができるかどうかです。 私たちは「自分はまだ不十分である」と感じている時には積極的に周囲の忠告に耳を傾けますが、「自分はもう大丈夫」と思い始めたとたんに耳を貸さなくなります。もし神様が私たちに「そこそこの(無難な)人生を歩んで欲しい」と思っておられるならば、それで良いのかもしれません。しかし実際はそうではなく、私たち1人1人を『最高傑作』として創造なさった神様は、それにふさわしく私たちに『最高級の人生』を歩ませようとなさいます。それ故私たちの周囲に様々な人々を送り、その時その時に必要なアドバイスを与えてくださるのです。 では、私たちは「優れたアドバイザー」と「そうでないアドバイザー」とをどのようにして見分けることができるのでしょう。いくつかの要素が考えられますが、まず「客観的に物事を判断してくれる人」「話を最後まで良く聴いてくれる人」「早急に結論を出さない人」などが考えられます。私たちはつい「自分の身になって同情してくれる」「すぐにアドバイスをくれる」などの要素を期待してしまいますが、それに応えてくれる人はやや危険性を持っているのでご用心を。神の知恵に基づいて適切なアドバイスを与えてくれる人は、そのために神に祈りつつ十分な時間を掛けてくれるので、必ずしも「欲しいタイミング」で応えてはくれないかもしれません。でもそのような人はある意味「人並み以上の耳や目」を持っているのです。あなたはそのような人からのアドバイスを望みますか?もしそうなら、神様が送ってくださる『良きアドバイザー』からの忠告に耳を傾ける心をもって日々歩みましょう。

2017年12月3日 「教会の第1の使命」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「第1の使命」         (03/12/2017) ◆ [ローマ15:5~6] 「父なる神をほめたたえる」 ― 何故? また、どのように? ①忍耐と励ましの神 - 決して「キレない」神。 決して「あきらめない」神。 ・私たちの望んでいるタイミングとは違うかもしれない。しかし必ずみこころを成し遂げる神。 ②キリスト・イエスにふさわしく(キリストに「従って」「倣って」) ・イエスがいつも御父を見上げ、御顔を慕い、信頼して歩んだように。 御父に「喜ばれている者」として。 ③同じ思いを持つ(「同じこと」を考える) ・天の父は「良い父」である! ・すべての賛美を受けるべき唯一のお方。 ・「永遠の視点」を持って。 ④心を1つにして(『使徒の働き』に多用されている表現) ・「私たちの希望は、他ならぬ『アナタ』にあります!」という信仰告白を固く保つ。   ⑤主イエス・キリストの父なる神 ・主イエスを通して表現された神。 ・御子イエスを代価として差し出された神   Outline of the sermon        “Primary mission of the church.”       (03/12/2017) ◆ [Romans15:5~6] “To glorify God” ― Why? And how? ①For He is God of endurance and encouragement. - He is never “amazed” nor “giving up”. Read more…

2017年11月26日 「キリストのからだを建て上げる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「キリストのからだを建て上げる」      (26/11/2017) *「教会の使命」というテーマで学んでいる。[エペソ4:11-16] 今日は「キリストのからだを建て上げる」ための3要素 ◆全員が必要 [エペソ4:16,Ⅰコリント12:7] ①1人1人がユニーク  ②からだのそれぞれの部分は「自分自身のため」には、ほとんど役に立てない。 ◆キリストに達するため [エペソ4:13, 15] 『キリストの栄光の現れ』のために、「正しいこと」を「正しい時」に「正しい方法」で。 ・教会の働きをする時、「キリストにあって正しいことをしたい!」という願いは皆持っている。そして『みこころ』を 求めはするが、しばしば気がはやって「自分のタイミング」や「自分の方法」で実行しようとしてしまいがち。 ・「キリストに達する」ためには、彼の願うことを、彼の願う時に、彼の願う方法で行う。 ⇒ では、どうやって? ◆『祈り』という結び目 [エペソ4:16] ― 互いのためにいつも祈ろう!(「祈りのしおり」「祈りのカレンダー」の活用) ・『祈り』は「お願い」ではなく、「神とのコミュニケーション」。 「聴く姿勢」が重要。 ✰「ビジョン・サンデー」は、「一緒に考える日」ではなく、『語られたこと』を分かち合う日です!   Outline of the sermon         “Build up the body of Christ.”       (26/11/2017) *We’ve been studying “Mission of the church”. [Ephesians 4:11-16]  Today’s theme: “Build the body of Read more…

2017年 JCFクリスマス礼拝

"True Christmas" 2017年 JCFがお届けする「本物のクリスマス」を体験してみませんか? 12月10日(日)午後2時半より PAK’n SAVE 隣り South City C3教会2階チャペルにて 入場無料! お問い合わせは、0276789766(しぶけん)まで

(280) “子どもを苛立たせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。”

今日は特に「小さなお子さんを持つ親御さんたち」に読んでいただきたい内容です。 最近世界(特に先進国)では、子供たちによるいたましい事件が相次いでいます。生徒が教師を殺害したり、クラスメートを殺したり、そしてついには自分のいのちを絶ってしまうような…。 12歳と13歳の2人の少年が、コンビニの前で1人の男性を殴り殺しました。動機は「あの男が死んで行く様子を眺めているのが面白かったから」だそうです。また別の少年は、駐車してある車の中に座っていた男性を射殺しました。その理由は「オレのことを見たから」…。 何故このような悲劇が多発しているのでしょう?銃が簡単に手に入るから?暴力的な番組やゲームに多くの時間を費やしているから?確かに同様の多くの要因があることは否めませんが、専門家の綿密な調査結果によると、最も根本的な原因は「幼児期に受けた暴力や放任」にあるようです。赤ん坊が3日間以上汚れたオムツのまま放っておかれたり、幼い子供がひどくぶたれたり、家庭で無視されたりし続けると、いくつかのストレスホルモンが異常なほど多量に分泌されて血液中に混入し、次第に脳の機能を冒して行くそうです。そうして彼らはやがて他の人々に対する『思いやり』の感情が失われ、苦しんでいる人々に対する『同情』というものを感じられなくなるのです。 日本語に「三つ子のたましい百まで」ということわざがありますが、まさに生まれてから3年間の間に親から受けた扱いが、その子の一生の歩みを決定付けてしまうのです。こればかりは後でどんなに後悔しても取り返しがつきません。 お子さんをお持ちの方々、神が皆さんに与えておられる責任は、他のどんな社会的責任よりもはるかに重要であることを、ぜひ深く心に刻んでください。そしてあらゆる努力をして、お子さんたちを愛し、守り、日々励まし、十分に時間を共に費やし、そして神と人とを愛する子としてしっかりと育んであげてください。

2017年11月19日 「かしらなるキリスト」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「かしらなるキリスト」        (19/11/2017) ◆かしらなるキリスト [エペソ4:15] ・「かしら」(キリストのいのち)によって生かされている者の集まり、それが『教会』。 ・『御霊の実(愛,喜び,平安…)』 ― 私たちは「自分たちがそのようになれなければ」と目指す。 本来これらは「キリストの中」に見出され、私たちがまず受け取って体験するべきもの。[ヨハネ15:9-12] ・「十字架の罪の赦し」に満足せず、「よみがえられたイエスのいのち」を日々受け取ることが重要。 ◆キリストを『かしら』とする ・あなたは『愛・喜び・平安』の源を、「キリストのいのち」以外の場所に求めてはいませんか?[マタイ16:26a] ・『信仰』とは、「自分が握りしめているものより、神がキリストを通して与えようとしているものの方がずっと良い」 と信じて、その握った手を開くこと。「人と違った生き方」を恐れるな!理解してくれる仲間(教会)がここにいる! ✰イエスこそ「すべての良きものの源」であり、しかも「惜しまず与えてくださる方」。 あなたがイエスを人生にお迎えした時から、イエスはずっと『出番』を待っている!   Outline of the sermon        “Christ, the Head of the church.”      (19/11/2017) ◆Christ, the Head of the church. [Ephesians 4:15] ・“Church” is consist of people who are made alive by its “Head(life of Christ)”. Read more…

(279) “私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。”

子供たちが幼い頃から、我が家の合言葉は「ラーニング・エクスペリエンス(失敗から学ぼう)」でした。日本語にも「失敗は成功の元」ということわざがあるように、失敗を恐れていては何も学ぶことはできません。また失敗を恐れていては、神があなたのために立てておられる『偉大な人生の計画』に到達することもできないのです。 人は誰でも失敗するものです。けれどそれらの失敗の数々をじっくり観察するなら、それらはほとんどが「その時だけの恥」であって、多くの場合、その失敗を通して様々な助言をもらえるようになったり、反省してよく準備するようになったり、後輩に良きアドバイスを与えることができるようになったりするのです。 「失敗」が人を『失敗者』にするわけではありません。むしろ「失敗から何も学ばないこと」また「その失敗の故に2度と挑戦しようとしなくなること」が私たちに『失敗者』としての人生を歩ませるようになるのです。 神は決して私たちの失敗を責めたりはなさいません。むしろ私たちが、やること成すことすべてうまく運んで高慢になり、「私には神なんか要らない」などと言い始めることをお責めになるのです。日々私たちに知恵と力とを注いでくださり、私たち1人1人に与えてくださった「ユニークで偉大な人生」を全うさせようとしてくださっているこの神を見上げつつ、失敗を糧としながら前進して行きましょう。