(323) “だれでも、手を鋤につけてから、後ろを見る者は、神の国にふさわしくありません。”

「時は金なり」という言葉がありますよね。「時間はお金のように大切だ」という意味に用いられると思いますが、実際は『時間』の方がお金よりよほど大切です。何故ならお金なら失ってもまた何らかの方法で手に入れることもできるでしょうが『失われた時間』は2度と戻っては来ないからです。『偉大な決断』は立派ですが、それに『行動力』が伴わなければ何の価値もありません。 以前アメリカの名門エール大学において1つの実験が行われました。大学の講義で『破傷風』の予防接種の重要性が説かれ、学生たちに「校内のヘルスセンターで無料で受けられるから、自主的に受けに行くように」とアナウンスされたのです。何パーセントの学生が実際に受けに行ったと思いますか?何とたった3%だったそうです。学生たちは「確かに自分は予防接種を受けに行くべきだ」と自覚したにも関わらず、その決心を行動に移さなかったのです。ところが別の講義グループでは、予防接種の重要性を伝えると共に、キャンパスの地図が配布され、地図上のヘルスセンターの位置が赤丸で示されました。すると30%近くの学生が予防接種を受けに行ったそうです。 『後回しにする』というのは、想像以上の「悪癖」です。「完璧にこなせる保証がない限り挑戦しない」というような姿勢で人生を送るなら、もしかしたら何も成し遂げることはできないかもしれません。人生とは『失敗』から学ぶものです。『偉人』と呼ばれる人々は皆、数え切れないほどの失敗を重ねた後に、本に載るような偉業を成し遂げたのです。さあ、何もモタモタしているんですか!志が与えられたなら(それが邪悪なものでない限り)迷わずに行動を起こしてみましょう。もし初めからうまくいかなかったとしても、それは『失敗』ではなく『学習』です!

2018年12月16日 「岩の上に建てる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「岩の上に建てる」      (16/12/2018) ◆みことばを聞いて行う [マタイ7:24-29] ・この2種類の人の違いはたった1つ。「聞いたみことばを行うかどうか」。つまり「日常のみことばに対する姿勢」 が試される。『岩(キリスト)』の上に人生を築き上げているか、それとも『砂(自分自身)』の上に建てているのか。 ・「みことばを聞いても行わない人」とは、聞いたみことばを『自分の量り』にかけて取捨選択してしまう人。これら の人は、見かけはキリストと関係があるようでも、実は他人。[ルカ8:19-21] ◆『神の心』を行う ・私たちは「自分のための神のみこころ」を求めがちだが、真に求めるべきは『神の心』そのもの。「この先自分 の人生がどうなるのか」が重要なのではなく、「この地に神の願いが実現するかどうか」が重要。 ・イエスはこれらのことを「権威ある者のように」教えた。[28~29節] 私たちも神の主権の許にへりくだり、自分 の願いではなく「神の願っておられること」が自分を通して成し遂げられる『至高の喜び』を証しする者になろう! ◆今週の『暗唱聖句』: [ヨハネの福音書 4章42節]   Outline of the sermon      “Built on the rock.”      (16/12/2018) ◆Listen and put into practice. [Matthew 7:24-29] ・Only 1 difference between these Read more

(322) “天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。”

美しい星空や夕焼け雲を見て感動を覚える方々は多いと思います。そして聖書は、これらの美しさはその背後に『偉大な創造者(デザイナー)』がいることを想起させるためだ、と述べます。かの有名な物理学者であり天文学者でもあったニュートンは「宇宙は大きな聖書である」と言いました。宇宙(大空)は聖書同様に創造者である神を分かりやすく証ししている、というわけです。 改めて考えてみると、全宇宙はこの「偉大なデザイナー」としての神を想起させるものに満ちています。例えば、私たちが生きているこの地球は太陽から約1億5千万キロメートル離れていますが、これが少しでも太陽に近ければ私たちは焼け死んでしまうし、遠ければ凍え死んでしまうのです。また誰もが知っているように地球は驚くべきスピードで自転していますが(何と時速およそ1700キロ!)、もしこれが半分のスピードだったりしたら、太陽に向いている側は焼け焦げてしまい、陰になっている側は凍ってしまうのです。 神を信じない人々は、これらすべてを「偶然」とか「進化」などと呼ぶようですが、「背後に偉大なデザイナー(神)がいる」と考えた方がはるかに妥当であると言えるのではないでしょうか?

(321) “神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。”

先日母が他界しました。『他界』ということは「別の世界へ行った」ということですよね。実際、母は「死んでしまって『無』に帰してしまった」わけではなく、私たちが生活している『この世』よりもずっと素晴らしい「悩みも苦しみもない『天国』」へ移されたわけです。実に羨ましい限りです。 神は私たち人間を「滅ぶべき者」としてではなく「永遠に存在する者」としてお造りになりました。本来私たち人間は「永遠に神との親しい交わりの中に生かされ、愛と喜びと平和に満たされて生きるべき存在」でしたが、私たちが『神』よりも『自分自身』を人生の王として生きることを選んだため、神と隔絶されて「この世の与える『一時的な満足』に慰めを見い出す存在」へと成り下がったのです。 ところが神は私たちへの深い愛の故に、私たちをもう1度本来の「永遠に神との交わりの中で生きる存在」へと回復されるために、救い主キリストをお遣わしになられたのです。従って、このキリストを自分自身の救い主として受け入れる者は『永遠のいのちの祝福』にあずかり、彼を拒む者は「永久に神から隔絶され、『永遠の死』の苦しみにあえぐ」ことになるのです。 先日あるクリスチャンの女性がこんなことを言っていました。「以前私はよく周囲の様々なできごとに煩わされていました。都合が悪いことが起こると、『このまま物事がドンドン悪い方向へ行ってしまうのではないか』と恐ろしくなって、眠れなくなってしまうこともありました。でもある時ふと『神様は永遠に私から離れることがないのだから、何も心配する必要はない』ということが示され、『あぁ、この世でどんなことが起ころうとも、所詮永遠に続くわけではないのだから、問題ではない。本当に大切なものは、神様から与えられる永遠のものだけなのだ』と、深い平安が心にやってきたのです。」 あなたはこの『永遠の神との関係』の中に、もう生かされていますか?

2018年12月2日「自分の願いではなく…」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「自分の願いではなく…」      (02/12/2018) ◆にせ預言者を見分ける[マタイ7:15-23] ・「にせ預言者」は見分けにくい[15節]が、『実』によって見分けることができる。 それは「社会的に良い影響を与えているかどうか」ではなく、「神のみこころを行っているかどうか」。 ・律法学者たちは『教え』を知っていたが、イエスは『神の心』を知っていた。 ◆イエス・キリストに似せられる[ヨハネ15:4-6] ・「イエス・キリストに似せられる」とは、行いや品性(外見)の猿マネではない!それは「キリストを通して御父を 知っていくこと」の結果として起こる、私たちの内面の変化。 キリストに似た者 = 「父のみこころが成し遂げられることが、自分の最大の願いとなっている者」[ヨハネ4:34] ・これは「自分に死んでいる(自分が無い)」というよりは、「『自分の願い』を相変わらず持ってはいるが、それ以 上に『父の心』を求めている」(そっちの方が良いものであると知っているから)ということ。[マルコ14:36] ◆今週の『暗唱聖句』: [マルコの福音書 14章36節・後半]   Outline of the sermon      “Not what I will, but …”      (02/12/2018) ◆How to distinguish “false prophets”.[Matthew 7:15-23] ・It is not Read more

(320) “明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。”

多くの人が「自分の将来」を知りたがります。そして様々な占いなどに頼って一喜一憂するわけですが、実際は占いの結果が良ければ良かったで「本当にそうなるのだろうか?」と心配したり、結果が悪ければ「そんなはずはない!」と言いながら、どうしても不安がぬぐい去れなかったりしてしまいます。結局不安な気持に陥るのであれば、占ったりしない方が良かったのではないでしょうか? 神様はどうして私たちに「将来を知る力」を与えなかったのでしょう?恐らくその理由は、私たちに『今』を精一杯生きて欲しかったからではないでしょうか。「将来を知りたがる人」というのは大抵「現状に満足していない人」です。きっと『今』を喜べないから『将来』に希望を見い出そうとするのでしょう。でも前述のように、確証のない未来を思い浮かべてみても、結局は「今を喜ぶ」という人生に至ることはできません。 私は「人の将来というものは、『今』の積み重ねによって造られる」と信じています。神様は私たち1人1人の人生を既に決めてしまっているのではありません。もちろん私たち1人1人のために『最高の計画』を立ててくださっていますが、それは「私たちがどんなに適当に暮らしていても成就する」という類のものではなくて、「私たちが神のみこころを捜し求めながら、日々自分が生み出し得るベストをささげて生きて行く」中で開かれて行くものに違いありません。そういう意味では、もしあなたが試練の中にあるならば、それはまさに「神から与えられたテスト」であって、神はきっとあなたがその試練の中で『逃げ腰』に生きるのか、それとも「神に助けを求めつつ『前向き』に進んで行こうとするのか」をご覧になっているのです。そしてそれら1つ1つの試練は、私たちが『更に優れた将来の自分』となれるようにと備えられた、神の愛の証なのです。