2016年8月14日 「聖書の教え 基礎の基礎」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「聖書の教え 基礎の基礎」     (14/08/2016) ◆私たちの神は『良い方』である ・イエスの証言 [マタイ19:16-17]   ・すべての良い贈り物は、この方から来る [ヤコブ1:17] ・天の父はすべてにおいて『良い方』で、私たちを決して見離さない。これこそ信仰の基礎の基礎である。 → だからこそ、悪魔はここを私たちに疑わせたい! ◆『良い方』とは? ・「良い」とは「気前がいい」とか「甘やかしてくれる」ではなく、「相手のポテンシャルを最大限に引き出すために    喜んで犠牲を払ってくれる」 ということ。  サタンは決してそんなことはしない! ・「良い賜物」は、時には『試練』という形でやってくる。[ヘブル12:7-10] *御父が良い方であることを疑いそうになったら、『イエスの十字架』を見よ! ◆『神のかたち』に造られた [創世記1:26-27] ・もはや「自分は生まれが悪い(ポテンシャルがない)」とは、誰も言えない! ・神は私たち1人1人を通して、ご自身の『良い性質』の一面を表現しようとしておられる。[エペソ 2:10] ・罪の故に死んでいたこの『神のかたち』は、御子イエスと共によみがえらされた。この「イエスにある救い」を受 け入れることによって、私たちは「神のかたちを抱く者」として新しく生まれた![ヨハネ1:12-13, Ⅱコリント5:17] ◆神主導の人生 ・私たちの役割は「がんばること」ではなく、「つながる」こと。この『良い父』にただ幼子のように信頼し、日々みこ とばの栄養を受け、主の足元にとどまっているなら、おのずと「成すべきこと」「立ち上がるべき時」が分かる。 [詩篇37:5]   Outline of the sermon       “Very basic teaching.”       (14/08/2016) ◆Our God is “A Good Read more…

(221) “ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み・・・”

私たちはしばしば「自分の行く手を阻んでいる障害」が自分の外にあると勘違いしていますが、実際はそれらのほとんどは『自分の中』にあるものです。私たちがそれまでに経験してきたこと(それらが喜ばしいものであれ、苦々しいものであれ)が、現在の私たちを形造っています。そしてそれらが、私たちが「今後直面する状況にどう反応するか」に大きく影響を与えていくのです。壊れた家庭環境で育った人が「自分は絶対に幸せな家庭を築く」という強い意志を持ちながらも家庭崩壊の一途を辿って行ったり、離婚を経験した人が「この人と再婚すれば決して別れたりすることはない!」と確信しながらも結局再度離婚に踏み切ったりしてしまうのも、これらの『自分の中にある苦々しい思い』に影響されてしまっているからです。 では、どうしたら良いのでしょう?私たちはどのようにしてこれらの「過去の苦々しい経験からの呪い」から解放されることができるのでしょう? 冒頭の聖書のことばは、イエス・キリストの使徒パウロによるものです。彼は新約聖書の約半分を書きました。そんなパウロに「忘れるべき後ろのもの」があったのでしょうか?実はたくさんあったのです。彼は元々はクリスチャンを迫害する者でした。彼は多くの信者を捕らえては牢に入れ、またある敬虔な信者を殺すことさえしました。もしパウロがこれらの「苦々しい過去」に捕らわれていたなら、これほどに神に用いられる器となることはできなかったでしょう。しかし彼は「イエス・キリストによる罪の赦し」によって過去をすっかり清算され、キリストにある『新しいいのち』に生かされることに徹しました。それによって人間わざとは思えないほどの働きを成し、多くの教会を建て上げたのです。 あなたの『過去』が生き延びることのできる場所は「あなたの記憶の中」だけです。そしてその『過去の記憶』があなた対して働かせることのできる「影響力の大きさ」は、あなたがそれを許可した範囲内に限られています。あなたが前に向かおうとする時に、その原動力を「過去の苦々しい経験を恨むこと」に求めるなら、同じ失敗が繰り返されるだけです。私たちが力を求める場所は過去にあるのではなく、あなたを『新しいいのち』『新しい人生』に生かしてくださる「創造主なる神」そして「よみがえりの主」であるイエス・キリストに拠り頼むことからやって来るのです!

2016年8月7日 「ただひとつのこと」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「ただひとつのこと」     (07/08/2016) ◆マルタとマリヤ [ルカ10:38-42] ・イエスのために? or イエスとともに? ・イエスは「どうしても必要なことは、1つだけ」と言われた。 = イエスの足元で『みことば』に聞き入ること。 ◆イエスが与える『食事』 [黙示録3:20] ・主人は『私』ではなく、『イエス』。従って、食事でもてなしてくださるのも、主イエス。 ・イエスは私たち1人1人にちょうどよい『食事』を与えてくださる。[Ⅰペテロ2:2,マタイ4:4] *「食事」をするのは、何のため? ①生きるために必要だから  ②楽しいから  ③交わりのため ・マルタはイエスのために何かをしたかったが、いつの間にか喜びが失われた。自分のガンバリだけで 「霊的にからっぽ」では、何もできない。[ヨハネ15:5] ◆なぜ『食事』をしないのか? 『忙しい』? 『時間がない』? 『やらなきゃならないことが、たくさんある』? ― それはただの言い訳。 ・本当の理由は、「自分のことが最優先で、神様のことは『二の次』だから」。 ◆きちんと食事をすることから生まれる結果 [マルコ14:3-9] ・自分の結婚の準備のためにコツコツと溜めた「1年分の給料にも相当する高価な香油」を、マリヤは惜しみなく イエスに注いだ。一見愚かで無駄なように見えることを、なぜ・・・ マリアは、1つのこと(ひとりのお方)だけ、見ていた。そしてそのことは、マリアの心を豊かに満たしていた。       ◎あなたも、この『たった1つのこと』に心を満たされて生きたいですか?   Outline of the sermon      “Only one thing is Read more…

(220) “キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。”

すべての人は「幸せになること」を求めていると思いますが、つまるところ『幸福』とは何でしょうね?お金が十分にあって、何でも欲しいものが手に入ること?家族が仲良く暮らしていて、人間関係がうまくいっていること?仕事にやりがいを感じていて、成果を上げていること?健康で食欲もあり、日々の食事を楽しめること?どれを取っても「幸せを実感できる要素」に違いありません。ただ、これらのものがいつもすべて揃っているわけではないし、もし揃っていたとしても「いつ失われてしまうのだろうか?」という不安があるなら、結局本当の意味で『幸せ』とは言えないのかもしれません。すなわち「幸福の条件」を出来事や状況の中に見出そうとしている限り、私たちはいつまで経っても『不変の幸福感』を手にすることはできないのです。 『真の幸福感』というものを言葉に表現するとしたら、それは恐らく「永続的な平安」ではないでしょうか?人生の荒波に出会っても動じることなく、大切なものを失ってしまったとしても決して絶望させられることのない『不動の平安』。そしてそれは、真の神のみが私たちに与えることのできるものです。 私たちを取り巻く『平安』には3種類あります。①人間関係における平和 ②健全な自己愛による心の平安 ③神に完全に受容されているとの確信  これら3つのどれが欠けても、私たちは『真の平安』をもって生きて行くことができません。そしてこれらの平安は別々に起こるものではなく、互いに関連づいているもの、すなわち③→②→①の順に起こるものなのです。 私たちは、「創造主である神に完全に受容されている(神に対して後ろめたいところは何もない)」という確信を持てて初めて「私は生きていて良いのだ。私は『絶対的な価値』を持つ存在なのだ。」と実感することができ、「健全な自己愛(自分を価値ある者として受け入れ、大切にしようとする心)」を持つことを通して、「自分同様に他の人のことも受け入れ、尊重すること」ができるようになるのです。そしてこの神に完全に受容されているという確信は、「神がそのひとり子イエス・キリストを私たちの罪の身代わりに十字架におかけになった」という事実を信じることから生まれるのです。

2016年7月3日 「『キリストの御霊』の働き」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『キリストの御霊』の働き」     (03/07/2016) ◆「内なる聖霊」 = 「内なるキリスト」 ・『聖霊』と『内なるイエス』は、どう違うのか? → 実質的には同じ。[ヨハネ14:16-18,使徒16:6-7] ・ただ、「キリストの御霊」と呼ぶとき、そこにはある1つの特別な働きがある。[ローマ8:8-11] ◆『キリストの御霊』の持つ、「よみがえりの力」 ・私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストと共に生かされる。[ローマ6:8] *キリストは「私たちの身代わりとして十字架につけられた」だけではなく、 「肉にある私たちと共に十字架につけられた」。 ・私たちは、死ななければ「よみがえりの力」に生かされない。[ヨハネ12:24-25] 「自分のいのち」 ― 「自分にできる何か」を拠り所にして生きること。 → むしろ、「神が自分を通して何をなさろうとしているか」に目を向ける。 ・キリストの御霊は、「自分の欲(自己実現)のために生きる私たち」を十字架につけ、 「神の栄光のために生きる私たち(キリストの似姿)」へとよみがえらせる。[ガラテヤ2:20] ◆「神のみわざ」が現されるために ・パウロの「産みの苦しみ」 [ガラテヤ4:19] → 肉の力で(自分の栄光のために)神の働きをしようとしていた人たちがいたから。 ・神は「私たちの弱さ」を通して働かれる。[Ⅱコリント12:9-10]       ◎神の役に立つのは、「持って生まれたあなたの能力や才能」ではなく、 「こんな私で良かったら、どうぞ自由に使ってください」という、へりくだった献身。   Outline of the sermon      “Work of ‘the Spirit of Read more…

(219) “アリは力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。”

『絵に書いた餅』ということわざがあります。「たとえその計画がどんなに素晴らしくても、実現しなければ何の役にも立たない」というような意味です。良い仕事を成し遂げる人たちには、1つの共通点があります。それは「他の人たちがやりたがらないことでも積極的に取り組む姿勢」です。お金が欲しい人たちはたくさんいますが、重労働は好みません。皆健康なからだを求めていますが、規則的な食事や運動をしようとはしません。優れた人生を歩むために必要なのは「立派な計画」ではなく、それを「実行に移す行動力」と「最後までやりぬく忍耐力」です。 良い習慣を身に付けるために「新しく何かを始める」のは簡単なことではありません。私たちはせっかく優れたスタートを切っても、ついなんだかんだと理由をつけてあきらめてしまいがちです。それでは「優れた習慣を身に付けるため」にはどうしたら良いのでしょうか? ①『小さいことから始める』 「優れた習慣」に向かうために大切なのは、進む『速さ』ではなく『方向』です。たとえ時間がかかっても、まっすぐに目標に向かってさえいれば、やがて必ず到達します。慌てず、急がず、着実に前に進んで行きましょう。 ②『自分から始める』 周りの状況が整うのを待っていたら、いつまで経っても始まれないかもしれません。他の人々も「誰かが始める」のを待っているものです。それが真に「優れた習慣」ならば、あなたが始めることによって必ず『何か』が起こり始め、その『何か』が周りを動かし始めるのです。 ③『とにかく始める』 新しい習慣を始めない理由はいくらでも見つけられます。「取りあえず学校を卒業してから」「結婚してから」「仕事が忙しくなくなったら」「退職してから」「死んでから???」 一見大変そうなチャレンジでも、実際に始めてみると思ったよりも楽だったり楽しかったりするものです。後回しにし続けた後に残るものは「あ~あ、あの時に始めておけば良かった…」という後悔の念だけです。 神様があなたに与えてくださった「たった1度きりの人生」を『絵に描いた餅』にしないために、今日「優れた1歩」を踏み出しましょう!