2020年9月20日 「『神の怒り』を免れた者」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『神の怒り』を免れた者」  (20/09/2020) ◆不義に対する神の怒り   ・以前に「キリストの十字架は『神の愛の象徴』であるだけでなく、『神の義の象徴』でもある」と学んだ。聖書には随所に「人間の不義に対する神の怒り」が描かれているが、私たちはただイエス・キリストの十字架の故に、この『神の怒り』を免れている。   ・私たちは「一体神はどれほどの忍耐をもって、この怒りを忍んでくださっているのか」を理解しない限り、この地において『神の国の祝福』を伝えて行くことの緊急性が分からない。[ローマ9:21-24] ◆神の怒りを免れた者として ― 次の2つのことが求められている。   ①神に倣い、『怒り』をコントロールする [ヤコブ1:19-20]    ・私たちがこの世において「神の似姿」を証しするのは、『怒り』によってではなく『赦しと忍耐』によってである。善意を踏みにじられたりして悲しみや怒りに覆われそうになった時、「上からの忍耐」を神に求めよう!   ②福音を宣べ伝える [ローマ1:16-18]    ・「『神の怒り』を免れる術」を先に知らされた者として、「いつでも・どこでも・誰にでも」福音を宣べ伝えよう! ✰今日のキーワード: 「神の怒り」の免除 ◎学びを深めるための質問  ①あなたは「私たちの不義に対する『神の怒り』」をどのように理解していますか?皆で分かち合ってみましょう。  ②何故「人の怒りは神の義を実現しない」のでしょう? 「怒りを抑える」良いアイディアを分かち合ってみましょう。  ③「あなたはどうして福音を伝えたいのですか?」と尋ねられたら、何と答えますか? Outline of the sermon    “The objects of God’s mercy.”   (20/09/2020) ◆Wrath of God.   ・There are many places in the Read more…

(407) “若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。”

何年か前に社会学者たちがある実験によって大変興味深い発見をしました。当時の常識では、児童公園などの周囲をフェンスで囲ってしまうと子供たちが委縮してしまって伸び伸びと遊べないのではないかと思われていました。そこで思い切って公園を取り囲むフェンスをすべて取り払って、子供たちがどのような反応をするか観察したのです。すると驚いたことに、子供たちは伸び伸びと遊ぶどころかかえって委縮してしまい、公園の中央付近に集まって不安そうな顔で周囲を見回しながら遊び始めたのです。そこで再びフェンスを張り巡らしたところ、子供たちは以前のように公園の端の方にまで走って行って、生き生きとはしゃぎ回り始めたそうです。 私たちは皆、適切な『境界線(ルール)』を必要としています。「これ以上向こう側へ行ってはいけない。このラインを越えてしまったら痛い目を見るよ。」と。 ある教育家たちは「そんなことをしたら、子供たちの創造性を摘み取ってしまう」と言うかもしれません。しかし実際は、明確な境界線が引かれていた方が子供たちの内にある『創意工夫』といった才能が正しく花開くのです。ですから、子育て奮闘中の親御さんたち、子育てのための適切な『ガイドライン』を作り、それをしっかりと子供たちに伝えてください。そして「このガイドラインに従わなかった時にはどんな悲しい結果を生むか」も、ちゃんと警告しておきましょう。このような一貫した教育は、あなたのお子さんたちを「正しい自制心と責任感」を持った優れた大人へと成長させてくれるのです。 こんなユーモラスな話があります。免許取りたての息子に自家用車をプレゼントする時に、父親がカギを渡しながら愛息にこう言ったそうです。「息子よ。実はね、この車には不思議な仕掛けがしてあるんだよ。」 「えっ?一体どんな仕掛けがあるの?」 息子は興味津々といった表情で尋ねました。父親は答えました。「うん、例えば、キミがたった1回でもスピード違反をしてしまったとするだろう?そうするとね、この車はキミの前から消えてしまうんだよ。」 私たちの『天の父なる神様』も同じです。彼は私たちを愛しておられるが故に、私たちに「聖書の教え」というしっかりとしたガイドラインを与えてくださり、私たちがそれに従って歩み、不必要なアクシデントや人間関係のもつれなどに巻き込まれないように守ろうとしてくださっているのです。

2020年9月13日 「思い煩いからの解放」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「思い煩いからの解放」(13/09/2020) ◆思い煩わなくていい![Ⅰペテロ5:7]   ・「全てに優って力があり、恵みと憐れみに満ちた神」が、私たちを深く愛し、最善をなされる。一体何を思い煩うことがあろうか?『思い煩い』の原因は、これらのことに関する無知、または単なる不信仰。[マタイ6:25-32]   ・ある人々は「もっと物がいっぱい貯まったら、思い煩いは減る」と思っているが、それはむしろ逆! ◆神が私たちの味方 [ローマ8:31-32,詩篇118:6-7]   ・まず自分自身が、この「神が私たちを心にかけてくださっている」という驚くべき祝福を満喫する。肩の力を抜いて、主の前にへりくだり、主に委ね、『主の時』を待つ。[Ⅰペテロ5:6-7]   ・そしてこれを自分自身で体験的に学んだなら、今度はそれをまだ知らない(体験していない)人たちに知らせる。これが『天国人』に期待されていること。   ・クリスチャンたちは、心のどこかで「自分たちの携えているメッセージは、周囲の人々に受け入れてもらえないのでは?」と思い込みがち。大切なのは「受け入れてもらえるかどうか」ではなく、「私たちが受けた祝福は、他の人々にとっても大きな価値があるもの」だと気づくこと。全ての人は『心の平安』を求めている! ✰今日のキーワード: 神が私の用心棒 ◎学びを深めるための質問  ①『思い煩い』の源は何だと思いますか? 私たちはどうやってそこから抜け出すことができるでしょうか?  ②世の人々はどのように『思い煩い』から免れようとしていますか?何故その方法ではうまく行かないのでしょう?  ③『思い煩い』を抱えて悩んでいる人々に、あなたは『天国人』として、どのようにアプローチできるでしょう? Outline of the sermon        “Be free from anxiety!”      (13/09/2020) ◆Do not be anxious about anything![ⅠPeter 5:7]   ・Almighty God who is full of “power, love Read more…

(406) “たとえ死の陰の谷を歩むとしても…”

 神を信じて生きようとするか否か迷う1つの要因に、「もし神が本当にいるのだとしたら、何故……のようなことが起こるのか?」という問いがあると思います。『God is not dead』という映画でクリスチャンの青年に対し挑戦的な態度で応じる「無神論者」の哲学の教授は、敬虔なクリスチャンの母親に育てられながら、その母親が晩年に病で苦しみながら死んで行った様子を目の当たりにして、「神なんかいるものか!」と結論づけていました。私はキリスト教の牧師ですが、「神が本当に恵み深いお方であるなら、どうしてこのようなことが起こるのか?」と問わずにはいられない時が確かにあります。ある意味現在起こっている、この「コロナウイルスによるパンデミック」もその1つだと言えるでしょう。  ただここで忘れてはならないのは、聖書が私たちに教える『人生観』は、「…だから」の人生観ではなく、「…にもかかわらず」の人生観であるということです。神が私たちを愛されるのは、「私たちが愛らしいから」ではなく、むしろ「私たちには愛しにくい点が数多くあるにもかかわらず」愛されるのです。それは神ご自身のご性質が『愛』だからです。神は私たちが「良い人間」であろうが「悪い人間」であろうが、ひたすら私たちを愛さずにはいられないお方なのです。  聖書は「神は私たち人間を『神のかたち』に造られた」と述べています。私たちは本来、神と思いを共有させながら、神と「心を1つとされて」生きるべき存在なのです。ですから、もし神が「…だから」の神ではなく、「…にもかかわらず」の神であるなら、私たちも「こういうことが起こったから神を信じる」のではなく、「こんな状況であるにも関わらず神を信じる」という姿勢が期待されているはずです。  以前「神様、あなたはご自分のなさっていることが分かっておられるのですか?」というタイトルの本を読んだことがあります。その本の内容は、著者が直面した数々の困難や試練の経験が綴られていましたが、そこからは著者の神に対するあふれんばかりの純粋な信仰が感じ取れました。すなわち「神を信じるか否か」は、人生に起こる様々な出来事によって左右されるのではなく、「自分の心を神に向けようとするか否か」にかかっているのです。

2020年9月6日 「生ける水」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「生ける水」 (06/09/2020) ◆いのちの水 ― この地上で生きるために、私たちにとって『水』は欠かせない。   ・私たちが『天国人』として地上にもたらす「神の国の祝福」の1つは、この『水』。天国にも『水』がある?![黙示21~22章]   ・そして主イエスも、「いのちの水」「生ける水」についてしばしば言及した。[ヨハネ4:7-15]   ・この世が提供するものは、どんなに魅力的だとしても「一時的」。しかし神が御子イエスを通して私たちに与えてくださるものは「永遠に保つもの・あふれるいのち」。それは「神のいのち」である『神の御霊』。 ◆生ける水の川 ― 聖霊。[ヨハネ7:37-39]   ・世が提供するものでは癒すことのできない『渇き』がある。そしてイエスはその『渇き』を癒すために来られた。   ・この「生ける水の川 ― 聖霊」は、私たちがこの世にあって受け、天国に持って行ける唯一のもの。しかし「この世」はこれを理解できない。[ヨハネ14:16-17]   ・神がご自身を遣わされたように、イエスは私たちを遣わされる。[ヨハネ20:21-23] それは私たちを通して「生ける水・聖霊」をあふれ流れさせるため。私たちが伝える福音は、相手の人生の『永遠』に影響をもたらす! 渇く者は、求め、受けなさい![黙示録22:17] ✰今日のキーワード: 生ける水の川 ◎学びを深めるための質問  ①この世が提供するものでは決して満たすことのできない『渇き』にどんなものがあるか、話し合ってみましょう。  ②イエスはどのようにそれらの『渇き』を癒されましたか?またあなたは同様の「渇きの癒し」を体験しましたか?  ③あなたは自分の内にある「生ける水の川」を日々実感していますか?していないとしたら、何が原因でしょう? Outline of the sermon        “Living water.”      (06/09/2020) ◆The water of life. ― “Water” is more than necessary Read more…

(405) “イエスは立ち止まって…”

 イエス・キリストとその一行がある町に向かっている途中、町外れで物乞いをしている盲人がいました。この盲人はイエス・キリストが近くを通って行くのを知ると、人々が止めるのも聞かずに声の限りにイエスを呼び求めました。イエスはこの声に気付いて立ち止まり、「自分の目を見えるようにして欲しい」という彼の訴えを聞き入れ、彼の視力を奇跡的に回復させてくださいました。  私たちには、このキリストのように『奇跡を起こす』ことはできないかもしれませんが、自分を必要としている人のために『立ち止まる』ことはできるのではないでしょうか?  現代は『スピード社会』と言われます。3分でできるカップヌードルや、1分で温められる電子レンジ、物事が分刻みで進んで行く世の中です。そのような社会で暮らしている私たちは、知らず知らずのうちに『待つこと』が苦手になり、いつの間にか歩くのも早足になり、他人に呼び止められても「自分のこと」で頭がいっぱいになっていて「立ち止まる」ことができなくなってしまっています。  ぜひもう1度、日々の自分の活動を振り返ってみましょう。「本当にどうしても今日中にこなさなければならなかったこと」が一体どれほどあったでしょうか?「できるだけたくさんの量をこなすこと」を目標にする代わりに、「できるだけ無駄なことを省いて『時間と心の余裕』を持つこと」を心がけてみてはどうでしょうか?そうすると、イエス・キリストが彼を求めている人々の必要に答えられたように、あなたを求めている人々(家族・友人とか?)の必要に答えることができ、もしかしたら『小さな奇跡』も体験できるかもしれませんよ。

2020年8月30日 「神に受け入れられた者として」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神に受け入れられた者として」(30/08/2020) ◆神との平和 ― 天国人である私たちには、『義なる神』との平和が与えられている![ローマ5:1]   ・私たちは完全に「神の愛の対象」。私たちの罪に対する神の怒りは全て「十字架のキリスト」にぶつけられた。― キリストの十字架は、「神の愛の象徴」であると同時に、「神の義の象徴」でもある。   ・私たちが神に完全に受け入れられているのは「私たちが良い子だから」ではなく、キリストを信じたことによって「キリストの内にいる」から。キリストは今日も聖徒たちのためにとりなしてくださっている。[ローマ8:34, 38-39] ◆神の国の祝福を地にもたらす ― 「互いに受け入れる」ということを通して。[ローマ15:7]   ・世には様々なタイプの人がいる。それは教会の中でも同様。私たちは「自分と違うタイプの人」をさばいたり見下したりしてしまいがちだが、天国人はそのような人々をも受け入れることができるようになる。それは「努力して自分の度量を広げることによって」ではなく、「自分がキリストの故にどれほどに神に受け入れられ、愛されているのかを十分に体験することによって」。[ローマ14:1-3]   ・このような「互いに受け入れ合う」というキリストの愛の性質がJCFの中で実現され、JCFが『神の国の祝福』で満たされて行くなら、それは必ずJCFの外へも自然に流れ出て行くようになる。 ✰今日のキーワード: カッコつけなくていい ◎学びを深めるための質問  ①『キリストの十字架』が単に「神の愛の象徴」ではなく「神の義の象徴」でもあるということを再度確認しましょう。  ②「神との平和」はどうやって与えられましたか? あなたはそれを日々どれほどに実感し、感謝しているでしょう?  ③「違ったタイプの人」を受け入れる根拠は何ですか? あなたはそれをどうやって実践していこうと思いますか? Outline of the sermon      “As God accepted us.”    (30/08/2020) ◆Peace with God. ― We have “Peace with God of Read more…

(404) “主が良くしてくださったことを何1つ忘れるな。”

 「私たち人間に対する『神のみこころ』って何だろう?」と考えたことはあるでしょうか?私はクリスチャンになりたての20代の頃、よくこのことを考えていました。そして『神のみこころ』とは、「どんな職業に就くべきか?誰と結婚するべきか?」などの『特別な決断』に関わることだと思っていました。しかし聖書を読んでいくうちに分かってきたことは、はっきりとした『神のみこころ』のうちの1つは「神に感謝すること」だということです。  子供が誰かからプレゼントをもらった時などに、そこに居合わせた親がその子に「ホラ、こういう時は何て言うんだっけ?」などと『お礼』を言うことを強制する場面を見たことはないでしょうか?どこの親も自分の子供に『感謝の心』を忘れない人間に育ってもらいたいと思っているようです。私たちの『天の父』も同様に、私たちが「感謝する人」になることを望んでいます。神様は決して私たちから遠く離れたところにおられる方ではありません。神はいつも私たちのすぐ側におられて、私たちの人生をご自身の良きもので満たしてくださっています。毎日太陽を昇らせ、酸素を与え、美しい自然で取り囲み、食物を与え、新しい出会いやきっかけを与え、1日の終わりに眠りを備えてくださいます。1人1人の日常に起こる細かいことを描写していたら、とてもこの紙面では書き切れません。  聖書は「すべてのことに感謝しなさい。それが神があなたに望んでおられることです。」と勧めています。私たちが『当たり前のこと』と言って見過ごしてしまっている物事の中に、実は「神のみわざ」が満ちているのです。「神様なんて存在しない!」と思っているアナタ、ぜひ今日1日よぉく目を開いて「感謝できること」を探してみてください。もしかしたら、いないと思っていた神様を見出すきっかけに遭遇するかもしれませんよ?

2020年8月23日 「天国人が目指すもの」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「天国人が目指すもの」    (23/08/2020) ◆天国人の役割 ― 「天の御国」と「この世」とをつなぐ『架け橋』として生きる。  *『架け橋』の2面性 ⇒ ①神の国の祝福をこの世にもたらす ②この世において神がたたえられるようにする。   ・『神の国の祝福』とは? = 永続的なもの。(神との生きた関係,状況に左右されない喜び・平安など) これらのものをこの世にもたらすために不可欠な資質。= 「この世のもの」に執着しない。[Ⅰヨハネ2:15-17] ◆天国人の存在意義 [マタイ5:13-16]   ・『塩』は「味付け」や「防腐剤」のために有用だが、どちらの場合も「よく混ざらなければ」ならないし、また「その異質さを保たなければ」ならない。― 「純粋による埋没」。   ・私たちが『天国人』であることの証は、「自分はクリスチャンだ」と宣言することによって表現されるのではなく、「世にありながら、世とは異質である(聖い)こと」によってこそ現される。   ・「人々が私たちの良い行いを見て、天の父をあがめる」ようになるのは、その『良い行い』の動機が『天の父』に向けられたものだから。そのためには「人との関係」以上に「神との関係」がより親密である必要がある。 ◎注目されるべき存在は、アナタではなく、天の父なのです! ✰今日のキーワード: 「異質さを保つ」 ◎学びを深めるための質問  ①私たちが地上で『天国人』として生きる時に、「この世」と「天の御国」それぞれにどのような益をもたらしますか?  ②あなたにとって「地の塩として生きる」ということは、具体的にどのように生きることだと理解していますか?  ③どうすれば「私たちの良い行い」を通して、『私たち』ではなく『天の父』があがめられるようになるのでしょう? Outline of the sermon      “What are we aiming for?”    (23/08/2020) ◆Role of “citizens of heaven”. ― Read more…

(403) “自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。”

 20世紀初頭に大変活躍した「マリアン・アンダーソン」というアメリカ人女性歌手がいました。彼女は世界中を股にかけて活躍し、ルーズヴェルト大統領の時代にホワイトハウスに招かれて歌ったり、イギリスのエリザベス女王の前で歌ったりもしました。そんな彼女が、ある時の記者会見で「あなたの歌手人生の中で、もっとも光栄に感じた瞬間をお聞かせください」と問われ、記者たちが固唾をのんでコメントを待っていると、彼女は顔を輝かせながらこう答えたそうです。「歌手として最も光栄に感じた瞬間、ええ、それは今でもはっきりと覚えています。それは私がオーディションに合格して、歌手としてスタートできると分かった時に、自宅まで走って行って、『お母さん、もう明日から他の人たちの洗濯物をしなくてもいいのよ!』と伝えた時です。」  私たち人間は皆、基本的に『自己中心的』です。まず自分自身の状況が整ってから、ようやく他の人の事を考え始めるものです。しかし実際は「他の人のために役立っている」と感じられる時の方が、自分の事ばかり考えている時よりもずっと喜びと充実感を得られるのです。そして「生まれながらの性質」を改めるためには、それなりの『訓練』が必要です。元来の臆病な性質を変えたければ、訓練によって勇敢さを身に付けなければなりません。生まれつき否定的に物を考えてしまう人は、肯定的な考え方ができるよう意識の変革が必要です。同様に「自己中心」な私たちは、他の人の事を思いやることを意識的に学ばなければ、いつまでたっても自己中心なままになってしまいます。  キリストは「神のご性質」を持った存在であったにもかかわらず、人の姿になって現れ、それだけではなく、私たちの間で『仕える者』のように振舞われました。それは本来私たちも「他の人の最善のために仕えること」を喜びとするように造られていることを思い起こさせるためだったのです。神が私たちに『自己最高の人生』を送ることができるように助けることを喜びとされているように、私たちも「他の人が必要としている助けを与えること」を通して、より大きな喜びや満足を経験することができるのです。  ぜひ今日から「自己中心な自分」を「他の人の必要に仕える存在」へと変える訓練を、イエス・キリストと共に始めてみませんか?