2022年5月1日 「目を覚ましていなさい」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「目を覚ましていなさい」     (01/05/2022) [マルコ 13:32~37] ◆『その時』は、イエスも知らない [32~33節]   ・「世の終わりの予言」は数多くあるが、いずれも当たった試しがない。何故?それは、イエスが「その日は誰も(自分さえも)知らない」とおっしゃったから。恐らく御父さえも『いつ』とは決めておられないのでは?   ・イエスご自身も『その日』を知らないとは驚きである。彼も、私たちと一緒に『その日』を心待ちにしながら「目を覚まして」おられる。ここにも、主イエスが「私たちと共に歩みたいと願っておられる」という心が感じられる。 ◆私たちは「何を」待つのか? [36~37節] (イエスは「すべての人に」言っている!)   ・使徒パウロでさえ「『その日』は自分が地上にいる間に来るに違いない」と思っていた。それが何故まだ来ないのか?その理由を知る手掛かりも、やはりみことばの中にある。[Ⅰテモテ2:4,Ⅱペテロ3:9] では、遅ければ遅いほど良いのでは? ⇒ 結婚式を先延ばしにしたい新郎新婦はいない!   ・私たちが『終わりの時』というとき、「出来事」について考えがち。しかし実際に私たちが待ち望むべきは、様々な「終わりの前兆」ではなく、私たちを『花嫁』として迎えに来られる「主イエス・キリスト」。周囲の状況を頼りにして不安定な生き方をするのではなく、やがて必ず来られるお方を待ち望みつつ「目を覚まして」生きよう! ✰今日のみことば: ピリピ人への手紙 3章20節 ◎更に深い学びのために  ①様々な「世の終わり」の予言がことごとく成就しなかった理由は何でしょうか?  ②何故「世の終わり」がなかなか起こらないのでしょう? またその理由についてあなたはどう思いますか?  ③「世の終わり」を正しい姿勢で待ち望むために、私たちはどのような態度を心掛けるべきですか? Outline of the sermon         “Stay awake!”         (01/05/2022) [Mark 13:32~37] ◆No one knows when “the time” Read more…

(486) “わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。”

 『喜び』というものは、私たちの人生の「燃料」のようなものです。これが失われると、私たちはただ「生物学的に生きているだけの人生」を送るようになってしまいます。車を運転する時には、時々燃料タンクのメモリをチェックしながら「ガス欠になっていないかどうか」を随時確かめておく必要がありますよね?それと同じように、私たちの心の内に『喜び』が失われていないかどうかを日々チェックする必要があるのです。  イエス・キリストが多くのことを教えられたのは、「自分が持っている喜びが私たちの内に満ちあふれるためである」とおっしゃいました。キリストの地上での人生は決して楽しいことばかりではありませんでした。定住の地はなく、ほとんどゆっくりと休む暇もなく、敵もたくさんいました。けれども彼の内にはいつも「他の人に分け与えないではいられない喜びと愛」に満ちていたのです。一体その秘訣は何だったのでしょう?それは、いつも変わらずに彼と共におられた『父なる神との愛の関係』です。そしてイエス・キリストがいつも教えておられたことは、この「『父なる神との愛の関係に生きること』からやってくる祝福について」だったのです。  この世界が私たちに提供してくれる『喜び』もありますが、それらはいつも周囲の状況に依存した「一時的なもの」です。しかしキリストが私たちに提供してくださる『喜び』は上から注がれるものであり、周囲の状況にかかわらず私たちの心のうちに泉のように満ちて行くのです。それは永遠に私たちの内にとどまり、将来の不安や死に対する恐れさえも消し去ってくれるのです。  あなたもそのような『喜び』を心に満たして生きたくはありませんか?

2022年4月24日 「真打ち・キリスト」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ  「真打ち・キリスト」 (24/04/2022) [マルコ 13:24~31] ◆終わりに起こること [24~27節]   ・「真の神を知らない人々が拝んでいた(希望を置いていた)もの」がことごとく崩れ去る。[24~25節] その時、真の権威を持つ『人の子(キリスト)』が「神の栄光」に満ちて現れる。[26~27節] その場面に居合わせる『選ばれた者たち』は歓喜の声を上げるに違いない!使徒パウロはこの時の様子を思い浮かべて、次のように書いている。[Ⅰテサロニケ4:16-17] ◆『その日』を迎える心構え [28~31節]   ・この章の始めの方では「産みの苦しみの始まり」という表現が出てきたが、ここでは「戸口まで近づいている」と言っている。しかし「これらのことがすべて起こるまで、この時代は過ぎ去ることはない」のだから、コロナ蔓延で「終わりが近い!」と騒いでいる人たちは、聖書を中途半端にしか分かっていない。   ・イエスは「天地は消え去る」とおっしゃった。それ故「やがて地上が天国のようになる」と教えている人たちは、大きく間違っている。『いつまでも残るもの』は「今目に見えている世界」ではなく、『キリストのことば』である。だから「終わりの時のために今できる最善」は、この『キリストのことば』をできるだけ蓄えることなのだ! ✰今日のみことば: コロサイ人への手紙 3章16節 ◎更に深い学びのために  ①「産みの苦しみの始まり」の出来事(5~8節)と「戸口まで近づいている」時(24~27節)とを比較してみましょう。  ②弟子たちと共に地上におられた時と、この時「偉大な力と栄光と共に来られる」イエスはどう違うと思いますか?  ③「決して消え去ることがないもの」は何ですか? どのようにそれらに根差して生きることができるでしょう? Outline of the sermon      “Christ, the Headliner.”      (24/04/2022) [Mark 13:24~31] ◆Christ comes with glory. [Verses 24~27]   ・All the temporary Read more…

(485) “見よ、わたしはすべてを新しくする。”

 この前の日曜日は、クリスチャンの大きなお祭りの1つである『イースター(復活祭)』でした。イエス・キリストが十字架において死なれ、墓に葬られた後、3日目によみがえられたことを祝う「喜びの祝祭」です。今日はこの「キリストの十字架と復活」について少し考えてみたいと思います。  聖書はまず「神が天と地を造られ、人間を(神のかたちに)造られた」と述べていますが、神が人(私たち)を造られた『第1の目的』は何だと思いますか?それは、神の最大のご性質である『愛』というものを、互いの『関係』の中で表現し合うためです。「愛の表現」が単に「セックスをすること」だけだとしたら、それは他の動物たちにだってできます。人間は「相手を思いやり、相手の最善を願って、自分自身を犠牲にしてでも相手をサポートする」という形で『愛』を表現することのできる、唯一の被造物です。  ところが、『最初の人』であるアダムとイブが神に反逆して以来、神が意図しておられたこの麗しい「愛の関係」というものが、人と神の間においても、人間同士においても歪んでしまい、人は『関係』というものを「自己中心的に」用いるようになってしまいました。これが聖書の言うところの「人の罪とその結果」なわけです。  神がご自身のひとり子『イエス・キリスト』を人間の姿でこの世にお送りになられたのは、「神の力とご性質をデモンストレーションするため」であると共に、この「壊れてしまった『関係』というもの」を修復するためでもあったのです。キリストは「人の神に対する反逆の罪」と、その結果である「歪んでしまった関係」の清算をするために、私たちの身代わりに十字架にかかって、そのいのちの代価によって全ての償いを済まされたのです。そして私たちがもう1度、最初に神が計画しておられた通りの、本来の豊かさと純粋さをもった「神との関係」そして「人間同士の関係」へと再スタート(回復)することができるようにと、死を打ち破ってよみがえってくださったのです。私たちはイエス・キリストをこのような『救い主』として信じることによって、人生をもう1度新しく出発することができるのです!

2022年4月17日 「終わりの日の『十字架と復活』」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ  「終わりの日の『十字架と復活』」 (17/04/2022) [マルコ 13:14~23] ◆終わりの日の苦難 [14~19(22)節]   ・「荒らす忌まわしいもの」は「偽キリスト・偽預言者」のこと。彼らは「目に見える魅力的なもの」によって人々を『真の神』から引き離そうとする。そんな「物欲への執着」を振り払い、『山』へ向かうように勧められている。   ・「これまでも、今後もないような苦難」が、なぜ起こるのか?1つはそれまでの人間の「神の被造物」に対する好き勝手なふるまいのツケが溜まった結果ということができるだろうし、もう1つは「終わりの時が近い」と察したサタンの最後の悪あがきではないだろうか。 ◆神の憐れみと真実 [20節]   ・「少なくしてくださいました」は完了形である。それはただ「ご自身の民への神の憐れみ」。私たちはこの「神の憐れみと真実」にふさわしい応答をしたい。それは、この『良いお父さん』に最後まで信頼すること。また「宣教の使命」を全うすることである。預言者ダニエルに示された『終わりの時』の幻に注目しよう。[ダニエル書12:1-4]   ・主イエスは『御父の真実』を固く握り、最後まで従い通した故に『十字架と復活』へと至った。私たちも「選ばれた神の子ども」として、御父の憐れみと真実に最後まで望みを置いて「与えられている使命」を全うしよう! ✰今日のみことば: ヨハネの福音書 20章21節 ◎更に深い学びのために  ①イエスが14~18節で与えている注意事項には、どのような意味があると思いますか?  ②自分が「選ばれた者だ」という自覚はありますか? その自覚はあなたの日々の歩みにどう影響していますか?  ③御父に信頼し「十字架と復活の道」を辿られた主イエスの歩みに思いを馳せつつ、イースターを過ごしましょう。 Outline of the sermon   “‘Cross & Resurrection’ at the end days.”   (17/04/2022) [Mark 13:14~23] ◆Tribulation at the end days. [Verses Read more…

(484) “心に満ちていることを、口(舌)が話すのです。”

 病院へ行って、お医者さんに「は~い、ベロを出して~」と言われたことはありませんか?私は何度かあります。どうやら東洋医学では、舌の色や形を見て体調を知る『舌診』という診断方法があるそうです。『舌』は粘膜で覆われ多くの血管が集まっているので、血液や体液の状態が反映されやすいので、体質や内臓の様子を映し出す「鏡」とも言われているそうです。  面白いことにイエス・キリストは、身体の健康のみならず「心の健康」も『舌(人が話すことば)』に反映されるとおっしゃいました。偉そうなことばかり口にする人は、実は心に不安や劣等感を抱えており、いやらしい言葉を連発する人は不純な思いに満ちており、人の批判ばかりする人は、心がプライドや怒りに冒されてしまっています。「あの人のあの時のあの言葉に深く傷付けられて以来、私の人生はメチャメチャになってしまった…」などという告白を聞いたことはありませんか?  しかし『舌(ことば)』というものはそのような「否定的な力」だけではなく、人を励まし、勇気付け、悩みや混乱から救い出す力も持っています。正しいタイミングに正しい方法で語られた正しい言葉は、何にも代えがたい力を発揮するのです。但し、そのためには、まず私たちの「心の状態」が健康に保たれていなければなりません。そのためにも、『神のいのち』に満ちた聖書のことばを豊かに心に満たしておくように心がけましょう!

2022410 「終わりの前兆と聖霊の働き」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「終わりの前兆と聖霊の働き」    (10/04/2022) [マルコ 13:9~13] *今後起ころうとしている「福音宣教の前進」と「迫害」。 ◆福音宣教(聖霊による) [9~11節]   ・この時の弟子たちは、まだ『聖霊』と聞いてもピンと来なかった。そこでイエスはよみがえられた後にも、再度弟子たちに「宣教の働きは『聖霊』によるのだ」と強調した。[使徒1:8] 10節の「宣べ伝えられなければならない」は、私たちがあれこれ考えてやり遂げるのではなく、「神が(聖霊によって)成就させる」ことを意味している。   ・「頭の信仰」はふるいに掛けられる。論理的に「こうあるべき」的な信仰は、その論理に合わない出来事に直面すると「神様どうして?」と揺るがされる。このような時、『断食』が助けになることが多い。 ◆主イエスと共に迫害を乗り越える [12~13節]   ・「わたしの名のために(13節)」は、主イエスがご自身に従う者たちをご自身と『同一視』しておられることを表している。[ヨハネ15:18] 「迫害を乗り越える力」は、聖霊による「キリストとの親密な関係」から生まれる。   ・聖霊は私たちの内に『キリストの心』を形造る。これは喜ばしいことでもあると同時に「キリストの味わわれた孤独感・屈辱」を共有する特権であり試練でもある。『この世』から理解されなくなるからこそ、『神の家族』の中で互いにサポートし合うことがとても重要。JCFの指針でもある「3つの関係に成長する」を思い出して欲しい。 ✰今日のみことば: マタイの福音書 24章12~14節 ◎更に深い学びのために  ①「終わりの時」には、何故より一層「聖霊の働きに敏感であること」が必要とされるのでしょう?  ②「迫害に直面すること」と、「キリストとの親密な関係に生きること」との間には、どのような関係がありますか?  ③「3つの関係における成長」は何故 1.神との関係 2.神の家族との関係 3.それ以外の関係 の順なのでしょう? Outline of the sermon   “End days require power of the Spirit.”   (10/04/2022) [Mark 13:9~13] *Here Jesus Read more…

(483) “世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。”

 『勇気』という言葉を聞くと、「敢えて危険に向かって行くヒーロー」などを思い描いてしまいそうですが、実際私たちが『勇気』を必要とするのは、そのような大それた状況ばかりなわけではありません。むしろ「正しいと分かっていることを、臆せずに成し遂げること」は『勇気』の最も日常的な形であり、誰もが必要としているものです。では何故、そのような日常的な出来事に私たちは『勇気』を必要とするのでしょうか?それは残念ながら、誰もが必ずしも「正しいことだけを行おう」としているわけではない」からです。  「人目を気にする」日本人は、更にこのような『勇気』を必要とする場面が多いのではないでしょうか?「長い物には巻かれろ」といったことわざが横行する日本では、これから自分がやろうとしていることが「最善ではない」と気付いても、大勢が同意してくれないならば方向転換するのは非常に困難です。そして真の『勇気』が必要とされるのは、まさにこういう時なのです。  イエス・キリストは、ご自身が十字架において成し遂げる「罪の贖いのみわざ」を受け入れる人々が、やがて「この世の流れ」に抵抗しながら生きるようになることをご存知でした。だからこそ予めそれらの人々に冒頭のような励ましを送られたに違いありません。イエス・キリストを通して神との関係に生きるようになると、『真に正しいもの』が見えてきて、更に「正しく歩みたい!」という強い願いが起こされるようになります。そのような生き方のために無くてはならないものが、この『勇気』なのです。そしてこのように「神に向かって正しく生きるために『勇気』を奮い起こそうとすること」を『信仰』と呼ぶのです。

2022年4月3日 「産みの苦しみの始まり」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「産みの苦しみの始まり」       (03/04/2022) [マルコ 13:1~8] *今週から5回に渡って「終わりの前兆」について学ぶが、この後まもなく起こった『エルサレム滅亡』と、未だ起こっていない『終わりの日』についての記述が混在していることに注意が必要。 ◆「目を魅了するもの」に心を奪われるな! [1~2節]   ・壮麗なエルサレム神殿に魅了される弟子たちに対し、イエスは「形あるものはいつか壊れること」を指摘した。   ・『目に見えるもの』に必要以上の信頼を寄せていると、それらを失った時に大きく揺るがされてしまう。人生の信頼を置くべき唯一のものは、『神ご自身とそのみことば』。[Ⅰペテロ1:23-25] これらに信頼する者は決して失望させられはしない。またイエスは、「人手に寄らない神殿」に注目するようにも呼び掛けた。[ヨハネ2:19-21] ◆『人』に惑わされるな! [4~5節]   ・弟子たちが「終わりの前兆」について尋ねた時、イエスはまず「人に惑わされるな」とおっしゃった。これは「キリストを名乗る者に惑わされるな」という意味と共に、「自分の信仰を『人頼み』にせず、日々『神との親しい関係』の中に生かされるようになれ!」ということ。   ・終わりに「産みの苦しみ」という語[8節]が出て来る。『終わりの前兆』は「大きな試練」であると同時に、「やがて訪れる至上の喜びの前ぶれ」でもある。それは「キリストと顔と顔を合わせ、永遠に共に過ごす始まり」なのだ! ✰今日のみことば: コリント人への手紙 第2.4章18節 ◎更に深い学びのために  ①弟子たちは何故エルサレム神殿に魅了されたのでしょう? イエスが警告しているのはどんなことですか?  ②『終わりの前兆』に関して、イエスがまず「人に惑わされるな」とおっしゃったのにはどんな意味がありますか?  ③私たちの思いを「目に見えない永遠の希望」に留めておくために、どんなことを心がけていればよいでしょう? Outline of the sermon   “Look to the things unseen.”   (03/04/2022) [Mark 13:1~8] ◆Guard your heart from things attract your eyes. Read more…

(482) “主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。”

 『回復』という言葉は、正常の状態からどこか具合が悪くなってしまった後に、そこからまた元の正常な状態に戻った時に使いますよね。そして聖書は、私たちがイエス・キリストを信じることによって神から受け取る祝福を『救い』と呼ぶと同時に、『回復』とも呼んでいます。すなわち聖書は、キリストを通して神と出会うまでは、私たちは生まれつき「正常ではない状態にある」というのです。それは一体どういう意味なのでしょう?  聖書の神は『創造主なる神』です。彼が私たちの『創造主』であるならば、当然私たちの人生の「最善の使い道」はこのお方が1番よく分っています。そのことを忘れて「自分勝手に人生を浪費してしまっている状態」のことを、聖書は『罪(的外れ)』と呼んでいます。神は私たちをこのような状態から『回復』させたいと望んでおられるのです。キリスト教が教えているのは、何か私たちの人生を「様々な教えや宗教的ルールでがんじがらめにすること」ではなく、「私たち人間(聖書は「神の最高傑作品」と呼んでいる)を『宝の持ち腐れ』状態から、フル機能を発揮できるようにすること」なのです。これこそ、まさに聖書が呼ぶ『回復』なのです。  イエス・キリストがこの地上に現れたのは、「私たち人間の心を『創造主なる神』に向けさせるためである」と聖書に書かれています。この『聖書』という私たちの人生の取扱説明書を通して、『創造主なる神』という人生の「力と知恵の源」とつながることを通して、私たちは「神による回復」を体験することができるのです。