(138) “すべての点で自分自身が良いわざの模範となりなさい。”

「子供は親の教えたことには従わないが、親のすることはすぐ真似をする」と言われていますが、それは本当です。真の『しつけ』また『教育』とは、「正しいことを教える」ことではなく「生き様を通して模範を示す」ということです。『学ぶ』という言葉は本来「まねぶ」すなわち誰かのしていることを「真似る」ことから来ているのです。 あなたがオンラインでどのようなサイトを観ているのか、仕事や勉強にどのような態度で臨んでいるのか、家族や友人とどのように接しているのか、それらはあなたの周囲の人々に『真似』されて誇れるものとなっているでしょうか?また、あなたがあなたの配偶者を扱っている態度は、あなたの子どもたちが彼らの配偶者から受けてもらいたいような処遇となっているでしょうか? イエス・キリストはその生涯の中で数々の素晴らしい教えを残されましたが、その中の多くは「わたしがOOしたように、あなたがたも同じようにしなさい」というものでした。「わたしが愛したように・・・」「わたしが仕えたように・・・」「わたしが赦したように・・・」 イエスは、私たちが『ことば』からよりも『生きた模範』から多くを学ぶことをご存知だったのです。 現代の『インスタント時代』は私たちから多くの大切な習性を奪っています。「忍耐」「献身」「責任感」などなど。私たちは次世代に『便利さ』は残してやれるかもしれませんが、このままでは「卓越した人間性」を残してあげることはできません。今こそ私たちは、次世代に「真に豊かな人生」を受け継いでもらうために、「周囲の人々(少なくともあなたの子どもたち)のために『良き模範』になる」ということのために残りの人生をささげるべきではないでしょうか?

2014年8月24日 「神の国をもたらす生き方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「神の国をもたらす生き方」     (24/08/2014) ◆「天の御国」と「地上の国」 ・イエスが地上に来られたことは、「天と地の関係」に大きな変革をもたらした。[マタイ11:12] *サタンは以前以上に活発に攻撃をしかけている。 律法の時代 ― 罪責感    恵みの時代 ― 試練,この世の誘惑 ・それ故、バプテスマのヨハネとイエス・キリストの私たちに対する警告は共通している。[マタイ3:2,4:17] 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 ◆神の国と「私たちの日常生活」 *私たちの日常生活に『神の国』をもたらすための3つの方法。    ①祈り [マタイ6:9-10] (と行動) ・「神の国の支配が、自分の日常生活の1コマ1コマに及ぶように。」 ・基本的には、神はご自身の御国の拡大に関して、もはや私たちを通して以外は何もなさらない。    ②お金の使い方 [ルカ16:1-13]  *「神のために富を用いるか」 or 「富のために神を用いるか」! 第1のポイント:私たちは他人のもの(神の富)を預かっている。 第2のポイント:神は、預けた富を私たちが「どう使うか」に注目しておられる。    ③人間関係 [マタイ25:31-45] ― 「行いが天国行きを決める」というたとえではない! ・私たちは与えられたものを、手をこまねいていないで、信仰と愛に根差して惜しまずにドンドン使うべき。 ・今あなたが目の前の人の必要に応えることができるなら、イエスはその人を通してあなたを見つめている。 ✯神はあなたを通して、この地にご自身の御国をもたらそうとしているのです!   Outline of the sermon    “The kingdom of God.③”    (24/08/2014) ◆“The kingdom of God” Read more…

(137) “神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。”

『恐れ』という言葉を聞いてどんなことを思い浮かべますか?「お化け」「暗い道」「テロリスト」「高所恐怖症」…いろいろありそうですね。ある人は「失敗を恐れる」とか「何かを失うことを恐れる」などと言うかもしれませんね。 多くの場合、私たちは「今目の前に見ていること」よりも、「今は直面していないけど、もしかしたらやがて起こるかもしれないこと」を恐れるのかもしれません。「不治の病にかかったらどうしよう」「仕事を首になったらどうしよう」「破産してしまったらどうしよう」「愛する人に先立たれたら・・・」 可能性をあげていたらキリがありません。 聖書が私たち人間に教えている最も基本的な『恐れ』とは、「神を恐れること」です。もっともこれは「神様は怖~い方だから、怒らせないように気をつけなさいよ。」ということではありません。かえって『神を恐れること』は私たちを「その他の恐れ」から解放してくれます。 私たちは小さい時から、何かいたずらをすると「そんなことをしているとバチが当たるよ!」などと脅されてきましたから、「神様はバチを当てる方」という概念が刷り込まれてしまっているのではないでしょうか?しかし、悪いことをして悪い報いを受けるのは「神様がバチを当てたから」ではなく、「自分で蒔いた種を刈り取っている」だけです。これはある意味『宇宙の法則』なのです。そしてこの、自分ではどうしようもない『宇宙の法則』の故に、私たちの人生は休むことなく『恐れ』に付きまとわれているのです。 神の子イエス・キリストが十字架にかかられたのは、この「私たちが自分で蒔いた種」の刈り取りを、イエスが身代わりに刈り取ってくださったことを現しています。このイエスの身代わりの故に、神は今やイエスを通してご自身に近づく者を完全に赦し受け入れてくださるのです。「神を恐れる」とは、私たちのために神が差し出してくださっているこの『救いの道』を素直に受け入れて、神と和解することなのです。「神に受け入れられた者」として生きることができるなら、一体何を恐れることがありましょう。 私たちの力ではどうしようもない「起こるかどうか分からない将来への不安」に脅かされるのではなく、「真に恐れるべき唯一のお方」を見上げつつ、いつも顔を上げて歩んで行きましょう!

2014年8月17日 「『神の国』に生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『神の国』に生きる」     (17/08/2014) ◆『神の国』はどこにあるのか?[ルカ17:20-21]       私たちの内にある! ・『国』というと「領土」を思い浮かべるが、ここでの『国(バシレイア)』は、「王権,王の統治・支配」のこと。 ・イスラエルの民にとっての「王のイメージ」 [Ⅰサムエル8:19-20] *私たちの王はイエス・キリスト = 私たちの戦いを代わりに戦い、勝利を取ってくださった方。 ◆神の国に生きる ― イエスを王として生きるとは?[ローマ14:17]   ①神の義 [Ⅱコリント5:21] ・イエス・キリストが私たちの代わりに『罪』とされた故、私たちはイエスにあって『神の義』(罪なき者)とされた。 ・今やサタン(訴える者)の私たちに対する最大の武器(罪責感)は打ち壊された![ローマ8:1]   ②神との平和 [ローマ5:1] ・私たちの不信仰や裏切りに対する「神の怒り」はすべて十字架で終わった。もはや神は私たちに対して 怒ってはおられない。神は生涯私たちの味方である。恐れることはない。[ローマ8:31]   ③聖霊による喜び [ガラテヤ5:22-23] ・一体どんな喜びなのか?     イエスが持っていた喜び[ヨハネ15:11] ・では「イエスの喜び」の源は?[ヨハネ15:9-12] = イエスの愛の中にとどまること。 *『愛』とは? ― 相手の最善のために犠牲を惜しまないこと。 *『愛し合う』とは? ― 相手が自分にしてくれていることが最善であると信じて、それに全力で応えること。 ここに喜びが生まれる! この喜びがイエスの歩みの原動力だった。[ヘブル12:2] ✯あなたは、この「神の国」の国民として生きていますか?   Outline of the sermon    “The kingdom of God.②”    (17/08/2014) Read more…

(136) “いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産の中にあるのではない。”

1923年のある日、シカゴにある高級ホテルに、当時世界で最も成功を収めていた7人の人々が滞在していました。鉄鋼業界最大の収益を上げていた会社社長、最大の公益事業を営んでいたグループの代表、小麦相場を総括していた資産家、ニューヨーク証券取引所の所長、大統領顧問、国際社会福祉銀行の頭取、そして世界最大の専売公社代表の7人です。まさに当時の世界を動かしていた人々と言っても過言ではありません。 さて時間を少し早送りして、25年後を見てみましょう。これらの人々はどのような幸せな生涯を辿ったのでしょうか?何と驚いたことに、この7人のうち3人は自殺をし、2人は刑務所に入り、残りの2人のうち1人は多くの借金を抱えて死んだそうです。どうやら富や財産は必ずしも私たちに幸福や平安を約束しないようです。 では「経済的に豊かになること」は『悪』なのでしょうか?決してそんなことはありません。私たちの神は私たちを経済的に祝福することがおできになります。但し、神はあくまで私たちが「経済的祝福そのもの」に心を奪われることなく、『祝福してくださるお方』に注目すること、そしてそれらの富を「自分自身の利益のために使う」のではなく、神の愛に基づいて「それらを真に必要としている人々やプロジェクトのために使うこと」を求めておられるのです。 「お金に振り回される人」ではなく、『お金を正しく使うことのできる人』になりましょう!

2014年8月10日 「『神の国』への招き」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『神の国』への招き」     (10/08/2014) ◆神の国 ― イエスが地上を歩まれた時の中心話題 ・何故?  ①使命[ルカ4:43]  ②良く知ってた[ルカ13:28-29, 18:16]  ③イエスと共にあった[マタイ12:28] ・『神の国』と「この世の常識」は違うので、イエスは人々に理解させるのに苦労した。[マルコ4:30, ルカ6:20, マタイ18:1-4] ◆『神の国』に関する様々なたとえ話    ①「からし種・パン種」のたとえ ー 初めは目に付かないほど小さいが、やがて大きく成長する。    ②「隠された宝・真珠」のたとえ ー 見つけた者は、全てを投げ打ってでも手に入れようとする。    ③「ぶどう園の主人・王子のための披露宴」のたとえ ー 主人がいて、誰もが招かれているが、拒む者たちがいる。    ④「地引網・毒麦」のたとえ ー 招き入れられない者たちは、捨てられる。 *どれも1部の特徴しか描写されていない。総合して考えてみると…      「神の国には、絶対的主権者である神がおられ、私たちの思いを超えたその方の豊かさの中に生きる喜び       を味わっていると、他の何物も無価値に思えるほどだが、多くの場合周囲の人々には理解されない。」 ◆神の国に入るカギ―何故皆が入ろうとしないのか?[マルコ1:15] ⊚『悔い改め』 = 方向転換 ・私たちに対して常に「愛と真実」を尽くしてくださる神に対し、それまでは無関係に(背を向けて)生きていた 態度の向きを換え、この神に対して常に「まごころと真実を尽くして生きる」と決心し実行すること。 *でも、どうやってその「神の愛と真実」を知ることができる? ・パウロのメッセージ [使徒20:20-21] ―「神に対する悔い改め」と「主イエスに対する信仰」             イエスの十字架におけるみわざを知ることが、私たちを「悔い改め」へと導く   Outline of the sermon    “The kingdom Read more…

(135) “大ぜいいる私たちも、キリストにあって1つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。”

ちょっとした寓話をご紹介しましょう。いつもメガネをかけている人の顔の部分同士の間で言い争いが起こりました。鼻が目に対して文句を言ったのです。「このメガネは目のために必要なのであって、ボクには全然関係ないのに、どうしていつもボクに負担をかけるんだい?こっちは毎日重たくて仕方ないよ!」 これを聞いて目は心から申し訳なく思って言いました。「分かったよ。今まで迷惑をかけてごめんね。今日からはもうメガネは外すことにするから、どうか許してね。」 さて、メガネを外したこの人は、前方がよく見えないため、しょっちゅう壁にぶつかるようになりました。そしていつも初めにぶつけるのは、顔の中で1番突き出ている『鼻』でした。鼻はたまらなくなって言いました。「分かった、分かった。頼むからもう1度メガネをかけてくれ。もう文句は言わないから。メガネがボクのためにも役に立っていることがよぉく分かったよ。」 『十人十色』という言葉があります。「人はそれぞれ皆違っている」という意味ですよね。互いが違っているために、相手を受け入れたり理解したりするのが大変な時が多々あります。「どうして私と同じように考えてくれないんだろう?」「どうしてあんなやり方しかできないんだろう?」などなど。でもちょっと立ち止まってよく考えてみましょう。互いが違っているからこそ、役に立つことがたくさんあるはずです。違っているからこそ、私たちは時には互いに補い合い、また時には思いもよらなかった新しいことを学ぶことができるのではないでしょうか? 聖書は「私たちは1つのからだのようなもの、そして互いが1つ1つの器官のようなものである」と教えています。そして1人1人がそれぞれの持ち味を生かし、愛と思いやりによって結ばれて、私たちをお造りになられた神のご計画に従って生きるとき、この地上において大いなる神のわざが現されるのです。 あなたは、からだのどんな部分を担うように招かれているのでしょうね?

2014年8月3日 「私たちは戦いの中にある」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「私たちは戦いの中にある」    (03/08/2014) *最後の『大原則』は、「私たちは戦いの中にある」ということ。[ピリピ1:30] ・この戦いは「信仰の歩み」に関係がある。[Ⅰテモテ6:12] ・キリストが既に勝利を取ってくださった。[ヨハネ16:33] ◆私たちの敵は「人」ではなく、『悪魔』 [エペソ6:12] ・悪魔の手口はエデンの園の事件以来変わっていない。(『3つの関係』を壊そうとする) ・悪魔はいつも『出来事』や『人』の背後で働く。だまされてはならない![ガラテヤ5:15,エペソ4:26-27] ・イエスは「仲間割れすることの危険性」について警告された。[マタイ12:25-26] 悪魔に決して妥協してはならない! 誘惑に気付いたら、はっきり「No」と言いなさい!! ◆『イエスの勝利』を行使する。[エペソ6:13-18]   1「真理の帯」「正義の胸当て」「平和の福音の備え」を着けて、しっかりと立つ。[14~15節] ・「しっかりと立つ」(主動詞)とは、『自分の考え』ではなく『神』に従うという確固たる決意。[ヤコブ4:7] ・『真理』とは、イエス・キリストのこと。自分の悟りではなく、キリストのことばに頼る。[箴言3:5-6] ・『正義』 = 「罪の赦しの確信」。これも自分から出たものではなく、キリストの身代わりの死による。 ・『平和の福音の備え』。私たちは「神の和解の使者」としての使命を委ねられている。[Ⅱコリント5:17-21]   2「信仰の大盾」「救いのかぶと」「御霊の剣」を取る。[16~17節] ・『信仰』とは、「神がYesと言うことにYesと言い、神がNoと言うことにNoと言うこと。」 ・『かぶと』は「所属」を示す。「神の国の国民」とされていることの証拠。 ・『剣』は、他の武具を着け終わるまで持てない。信仰と共に用いる時のみ、闇の勢力に打撃を与える。   3御霊によって祈る(とりなす)[18節]  Before God for People, Before People for God. ・祈りの中で誰かのことが思い浮かんだら、とにかくその人の祝福と守りのために祈ろう! ◆何故神は私たちを敢えて『戦い』の中に置くのか?[申命記4:35]   Outline of the sermon    “We are in the spiritual battle.”    (03/08/2014) Which is related to Read more…