聖書

(142) “あなたの手に善を行う力があるとき、求める者に、それを拒むな。”

ある人が懐中電灯に新品の乾電池を入れたまますっかり忘れて引き出しの中に1年以上放っておいたそうです。ある時引き出しを整理しているときにその懐中電灯を見つけたのでスイッチを入れてみたら、電気がつきませんでした。念のため中身を確かめたところ、乾電池は中身の液体が染み出してしまっていて使い物にならなくなっていました。引き出しは暖かな部屋の中にあり、周りには害になるようなものは何もなかったにも関らずにです。 乾電池は「暖かくて安全な場所に放置されるため」に設計されてはいません。イザという時に『用いられるため・使われるため』にデザインされ、作られたのです。私たちの人生に関しても同じことが言えます。聖書は私たちのことを「神と人とに仕えるために生まれた」と表現しています。私たちは居心地の良い場所で安穏と過ごすようにはデザインされていません。互いに愛し合い仕え合うようにと『愛の神』の御手によって心を込めて造られたのです。ところが私たちはしばしば自分自身のことに夢中になりすぎてそのことをすっかり忘れ、周囲に私たちの助けを必要としている人がいても「私は今自分のことで忙しいから、誰か他の人に頼んで!」とすげなくあしらってしまいがちではないでしょうか? 神様から与えられている貴重な1日1日を「ごめん、今ちょっと手が放せない!」というようなことでいっぱいにしてしまわないようにしましょう。神様が助けを必要としている人をあなたの側に送られたとき、喜んで助けの手を差し出すことのできる人は幸いです。

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2014年9月28日 「イエス・キリストが中心」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「イエス・キリストが中心」     (28/09/2014) [コロサイ 1:24~2:5] *先週の『御子』ほどではないが、『苦』と『奥義』という2つの語が繰り返し出てくる。 ◆パウロの『苦しみ』とは?[24節] ・「キリストの苦しみの欠けたところ」とは、「キリストは『救いのみわざ』を完成できなかった」という意味ではなく その『福音』を「異邦人にまでも宣べ伝える」というわざをパウロに委ねられたということ。 ・パウロがもし「律法による救い」と宣べ伝えていたなら苦労はなかったし、また「ユダヤ人の中だけで」働いて いたなら、迫害を受けることもなかった。 ◆『奥義』とは?[27節] ・『奥義』 = イエス・キリスト。この方が私たちの内に住まわれる故に、すべての人は「ユダヤ人・異邦人の区 別なく、律法の行ないなしに救われる」という事実!私たちの救いは、ただこの方だけによる。[使徒4:12] ・教会(私たち)は「キリストが成し遂げられたわざ」のみに依存しているからこそ『キリストのからだ』と呼ばれる。 ◆イエス・キリストが中心 (主イエスを中心とした「3つの関係」) ①キリストを通して『神』を見る。[コロサイ2:9] ・「神とはどういう方なのか?」を知りたいなら、キリストを見ればよい。(毎日福音書を読もう!) ②キリストを通して『自分自身』を見る。[Ⅱコリント4:7] ・私たちはこの宝(キリスト)をお入れしているからこそ、尊い存在。この方を見失わないで![ヘブル13:5] ③キリストを通して『隣人』を見る。[ローマ14:1-3, 15] ・あなたにとって有益か否かではなく「主イエスが代わりに死なれたほどの人」だから。[ローマ8:33-34] ✯それほどまでにイエスが愛しておられるお互いのために、祈り合い、助け合って行きましょう!   Outline of the sermon   “Jesus Christ is the center!” Read more…

聖書

(141) “ことばが多いと愚かな者の声となる。”

2匹のガチョウが南へ下る旅の準備をしていると、1匹のカエルが近づいてきて、自分も一緒に連れて行ってくれるように頼みました。ガチョウたちが「一体どうやってそんなことができるのか?」と尋ねると、カエルは答えました。「簡単だよ。キミたち2匹が1本の枝の両端をくちばしにくわえながら並んで飛んで、ボクがその真ん中を加えていればいいのさ!」 2匹のガチョウはその言うとおりにし、3匹が見事なチームワークで大空を渡っていると、下から見上げていた人々が感動のあまり言いました。「これはスゴイ!一体誰があんな名案を考え付いたんだろう?」 これを聞いたカエルは、つい調子に乗って大口を開けて叫んでしまったのです。「ボクだよ、ボク!」(この後カエルがどうなったかは、お分かりになりますよね?) ほとんどの場合『聞くこと』は『語ること』に優っています。聞く耳を持たずに話してばかりいる人からは最終的に人々が離れていきます。神は私たちに「耳を2つ」そして「口は1つだけ」お与えになりました。あたかも「語るより2倍聞くように」と命じておられるかのようではありませんか! 私たちの人生は日々が新たな学習です。しかしもし私たちがいつも「自分が何を話すか」ということにばかり思いを巡らせていたら、多くのことを学ぶことはできません。ほとんどのレッスンは『聞くこと』からやって来るのです。事実、その人の成熟度は「どれほどのことを教えることができるか」ではなく、「どれだけ人々に対して聞く耳を持っているか」で表されます。 神様はいつでも私たちの祈りを聞き、私たちの心の叫びに耳を傾けてくださっています。そしてまた、私たちが人々のつぶやき、そして神からの語りかけに耳をすますことを期待しておられるのです。

メッセージ

2014年9月21日 「『キリストにある者』の意味」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『キリストにある者』の意味」     (21/09/2014) [コロサイ 1:13~23]  ◆御子イエスの重要性 ― 単に「罪の身代わりに死なれた救い主」だけではない! ・万物は「御子にあって」「御子によって」「御子のために」造られた。[15~17節] 万物の『存在意義』の中心。 ・人間は万物の最後に造られたが、神は地上のすべてをこの人間の支配下に委ねた。[創世記1:26-27] ・人間はその自由意志の故に、神から離れることを選んだ。結果として地上の全ては悪魔の支配下に陥った。 旧約聖書は、人間をもう1度ご自分の許に引き寄せようとする神、そしてそれに抵抗する人間の罪の記録。 ◆神の究極のわざ [イザヤ43:19他] ・神の御子が人となられ、ご自分が造られ、悪魔の手に渡ってしまったこの地上に来られ、十字架で死なれた! ・「万物より先におられ、万物の存在意義そのものであられた方が死なれた」ということは、万物が神の前に その存在意義を失い、死んでしまったも同然であることを意味する。[Ⅱコリント5:14] ・そして神がこのイエスをよみがえらせたことは、イエスにあって新しく造り変えられた者だけが「神の前に 生きている者と認められる」ということを意味する。[ローマ6:8,Ⅱコリント5:17] ◆このことは現代の私たちにとってどういう意味があるのか? ①「キリストにある者」と、そうでない者との間には、決定的な違いがある。[Ⅰヨハネ5:12] ②「キリストにある者」の神に対する立場をはっきりさせる。 ・キリストこそが『かしら(生きる目的)』である。[18節]  ・聖く、傷なく、非難されるところのない者。[22節] ③「キリストにある者」に明確な使命を与える。[19~20節] ・『和解の使者』として、キリストの名によって「失われている人々」の間に遣わされている。[ルカ19:10]   Outline of the sermon   “Those who are ‘in Christ’.”  (21/09/2014) [Colossians Read more…

聖書

(140) “すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父(神)から下るのです。父には移り変わりや移り行く影はありません。”

私が子供の頃読んで面白かった本に『タイムマシン』というものがありました。ある少年・少女がタイムマシンで昔の世界や未来の世界へ旅をして様々なワクワクする体験をするというものです。子供心に「ボクが生きている間に『タイムマシン』が発明されるだろうか?」と夢見たものです。恐らく、誰もが1度は考えてみたことがあるのではないでしょうか? ところが神様は私たちを『時間』というものの中に閉じ込めておられます。私たちは昨日に戻ることもできないし、明日に飛んで行くこともできません。私たちに与えられているのは『今』だけです。面白いことに『今・現在』という概念を表す英語は『プレゼント』といって、『贈り物』を表すことばと同じです。あたかも神様は『今』という時をかけがえのない『贈り物』として私たちに与えてくださっているかのようです。 私はほぼ毎朝飼い犬の散歩に出かけますが、今のような初春の時期はあちこちの庭に新しい花が咲いたり芽が出てきたりして、日々私の目を楽しませてくれます。しかしこれらの景色は、走っていたり車を運転していたりしては見出せません。同様に、過去のことについていつまでもクヨクヨしたり、将来のことばかり気にしていては、『今』を満喫することはできません。神様は私たちに『今』を大切な贈り物として与えてくださっています。ぜひじっくり辺りを見回してみてください。朝ごとに昇る朝日、鳥のさえずり、頬をなでる風、母親の腕の中でスヤスヤ眠る赤ん坊、そしてあなたのことを大切に思ってくれている人々… これらのささいなことを見出し感謝することができたなら、あなたの心の中に「生かされている喜び」が湧き上がってくるはずです。 「そんなことをいっても、すべてのものは過ぎ去り、変わって行ってしまう!」とあなたはおっしゃるかもしれません。そうですね。私たちの出会うものはある意味すべて一時的で、愛する人の心さえも変わってしまうかもしれません。しかし、神様と神様の私たちに対する愛は永遠です。そしてこの神様とつながっている限り、私たちはいつでも人生に新しい輝きを取り戻すことができます。私たちに『今』を与えてくださっている神様は、この『今』の中で私たちと出会ってくださるのです。

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2014年9月14日 「主にある『理論』と『実践』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「主にある『理論』と『実践』」     (14/09/2014) [コロサイ 1:9~12]  *物事には「理論的な面」と、「実践的な面」とがある。キリスト者としての歩みも同じ。「真の知識(理論)」[9節]と「あらゆる善行(実践)」[10節]とがある。パウロはその両方がコロサイの教会に備わるように祈った。 ◆「真の知識」とは? ― 神のみこころに関する知識[9節] ・単なる『知識』は、しばしば人を高ぶらせ、神から離れさせる。[箴言1:7]  では『真の知識』とは… ①この天地を造られた神は「善い方」であり、私たち人間を愛しておられる。 ②神は私たちとの「愛の関係」を望まれた故、私たちに『自由意志』をお与えになった。 ③その『自由意志』の故に神から離れた私たちに、神は「和解の使者」としてイエスを送られた。[コロサイ2:3] ④私たちは、イエスを通して得られる神との深い関わりの中で生きてこそ、本来の「神の栄光を反映する 生き方」ができる。                                         ここまでは『理論』! ◆「あらゆる善行」とは? ― 神の心にかなった、あらゆる点で神に喜ばれる歩み[10節] ・『善行』というと、つい人間的な基準における「人助け・親切・慈善活動」が思い浮かぶが、それらは報われれ ば気持ちが良いが、報われなければ「おせっかい」または「徒労」に終わる。 ・ところが「聖書による善行の定義」は:[マタイ6:3-4] すなわち、相手にどれだけ喜ばれるかどうかに関らず、それが「神にあってなされたかどうか」が問われる。 ・この『善行』の目的は「事が成就されること」ではなく、「神との個人的な関係がより豊かにされること」にある。 *「神に関する知識」と「神にあってなされる善行」どちらがより重要ということはない。神のことを良く知らなければ、神がどのようなことを喜ばれるか分からないし、神と共に日々を生きていなければ知り得ない神の側面がある。     Outline of the sermon   “‘Theory’ and ‘Practice’ in God.”  (14/09/2014) [Colossians 1:9~12]  *Things Read more…

聖書

(139) “互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。”

レスリーは生まれつき思い肉体的・精神的ハンディを負って生まれてきました。養育能力のない母親の元に生まれた彼は、そのまま病院で保護されていましたが、6ヶ月になった時、ずっと彼を可愛そうに思っていた看護婦のメイは、5人の子育ての真っ最中であったにも関らずレスリーを引き取り、彼女の子供として育てました。 メイは「神様はきっとこのレスリーにも特別な才能を与えているはずだわ」と信じ、神に助けを求めつつレスリーに様々なことをチャレンジさせてみましたが、何1つうまくいきませんでした。 レスリーが13歳になったとき、メイは何とかやりくりして中古のピアノを購入しました。レスリーの前でいくつかの曲を奏でてみましたが、何の反応もみられませんでした。それでもメイは忍耐強くレスリーに関り続け、毎日ピアノを弾きながら大きな声で歌を歌ったり、美しいピアノ曲を聞かせたりしていました。 レスリーが16歳になったある日、彼はおもむろにピアノの前に座り、何といきなりチャイコフスキーのピアノコンチェルトを奏で始めたのです。しかも完璧に!まもなくメイは、レスリーが1度耳にした曲であればどんな曲でも譜面なしに弾くことができることを発見しました。やがてレスリーは世界じゅうを回ってコンサートを開くようになったのです。 英語のことわざに「夢を大きく持ちなさい。やがてあなたはその夢にピッタリ合う大きさに成長することができるでしょう」というものがあります。現代はあまりにも『現実主義的』であり、大きな夢を持つことは「愚かなこと」のように批判されがちです。そんな時代だからこそ、あきらめずに夢を追って生きる人々を育てる「大いなる励まし手」が必要とされているのです。「ここであきらめないで、あと1歩進んでみてごらん」と励ますことのできる者になりませんか?

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2014年9月7日 「望みに基づく信仰と愛」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「望みに基づく信仰と愛」     (07/09/2014) [コロサイ 1:1~8]  ◆[1~2節] ・パウロはコロサイを訪れたことはなく、この教会は「福音のことば」が伝えられたことによってのみ生まれた。 ◆[3~4節] ・健康な教会の主要素 = 「キリスト・イエスに対する信仰」と「聖徒たちの間の愛」 [Ⅰヨハネ3:23] ◆[5節] ・『天に蓄えられた望み』(希望)に基づく「信仰」と「愛」。 言い換えるなら、「私たちの信仰による愛の労苦が、天の祝福を地上に呼び起こす」という希望。 ◆[6節] ・福音の力は、私たちが「神の恵みを聞き、それを本当に理解した時」にこそ発揮される。 ・福音とは『イエス・キリスト』。神は「私たちの良い行ない」ではなく、「私たちの内におられるキリスト」の故に ご自身のすべての祝福を私たちに注がれる。[ローマ8:32] ・別の言い方をすれば、神は「イエスを避けて神に近づこうとする者」には目を向けない。神は私たちの『努力』 にではなく、ただ「イエスに対する信仰」にのみ心を動かされるのである。 ◆[7~8節] ・コロサイの教会はパウロに会ったことは1度もなかったが、彼らにも「生きた模範」はいた。 = エパフラス ・どんな教会にも「生きた模範」が必要。「良い行いにおける模範」ではなく、ぜひ「イエスの御顔をいつも慕い    求めること」において生きた模範を示す者となりましょう!   Outline of the sermon   “Faith and Love Read more…

聖書

(137) “彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。”

親しい友人を失ったジェーンさんの手記からの抜粋です。 「ある冬の夜、凍える寒さの中、私は残された友人の家族の許へ食事を届けるために車を走らせていた。忙しい仕事と家事の合間だというのに、通りはひどい渋滞。そしてやっとの思いで辿り着いた友人宅は留守であった。自己憐憫に陥りつつ、忙しさの中わざわざ食事を届けに来たことを伝えるため、携帯電話で留守番電話にメッセージを残そうとした時、私は驚きのあまり声も出なくなった。 そこには、生前の友人が録音したままの留守電メッセージが鳴り響いていた。『コートを羽織って、お気に入りの帽子をかぶって、さあ出かけましょう。すべての思い煩いは玄関口に置き去りにして。外に出て、日の光の中を歩くなら、気分はついつい浮き浮きしてしまうものよ!』 とても懐かしい声だった。乳癌を患っていた彼女は、予想を超えた痛みと長期治療の中でも常に笑顔を絶やさず、愛する夫と幼い3人の子供たちを遺していく悲しみをも不屈の精神力で乗り越えていた。彼女は知っていたのだ。今しばらくの苦しみは、神の恵みによって益と変えられ、やがてその永遠の光の中に招き入れられることを。 生前の明るさそのままの彼女の声を聞きながら、私は神が死んでしまった彼女を通してさえ私を励ましてくださったことを知った。私は自分の情けない我儘さの赦しを乞い、もう1度神の光の中を歩ませてくださるように願った。」 神はこの地上にあっても私たちを助け導いてくださいます。しかし、私たちの希望はこの地上にはとどまりません。それは死を超えて常に明日の光を待ち望ませることのできる希望なのです。