タイムマシン

私が子供の頃読んで面白かった本に『タイムマシン』というものがありました。ある少年・少女がタイムマシンで昔の世界や未来の世界へ旅をして様々なワクワクする体験をするというものです。子供心に「ボクが生きている間に『タイムマシン』が発明されるだろうか?」と夢見たものです。恐らく、誰もが1度は考えてみたことがあるのではないでしょうか?

ところが神様は私たちを『時間』というものの中に閉じ込めておられます。私たちは昨日に戻ることもできないし、明日に飛んで行くこともできません。私たちに与えられているのは『今』だけです。面白いことに『今・現在』という概念を表す英語は『プレゼント』といって、『贈り物』を表すことばと同じです。あたかも神様は『今』という時をかけがえのない『贈り物』として私たちに与えてくださっているかのようです。

私はほぼ毎朝飼い犬の散歩に出かけますが、今のような初春の時期はあちこちの庭に新しい花が咲いたり芽が出てきたりして、日々私の目を楽しませてくれます。しかしこれらの景色は、走っていたり車を運転していたりしては見出せません。同様に、過去のことについていつまでもクヨクヨしたり、将来のことばかり気にしていては、『今』を満喫することはできません。神様は私たちに『今』を大切な贈り物として与えてくださっています。ぜひじっくり辺りを見回してみてください。朝ごとに昇る朝日、鳥のさえずり、頬をなでる風、母親の腕の中でスヤスヤ眠る赤ん坊、そしてあなたのことを大切に思ってくれている人々… これらのささいなことを見出し感謝することができたなら、あなたの心の中に「生かされている喜び」が湧き上がってくるはずです。

「そんなことをいっても、すべてのものは過ぎ去り、変わって行ってしまう!」とあなたはおっしゃるかもしれません。そうですね。私たちの出会うものはある意味すべて一時的で、愛する人の心さえも変わってしまうかもしれません。しかし、神様と神様の私たちに対する愛は永遠です。そしてこの神様とつながっている限り、私たちはいつでも人生に新しい輝きを取り戻すことができます。私たちに『今』を与えてくださっている神様は、この『今』の中で私たちと出会ってくださるのです。

Categories: 聖書

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