(172) “神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。”

日本の昔物語に『彦一ばなし』というものがありますが、その1つに彦一が『隠れ蓑』を着ていわゆる「透明人間」になっていたずら三昧をするくだりがあります。いくらいたずらをしても何しろ姿が見えないわけですから、被害者たちは「目に見える周囲の誰か」を疑って互いに疑心暗鬼になってしまうわけです。 実は私たちの周囲にも同様に「私たちの目には見えないところで悪さをしている存在」がいます。それが聖書の教えるところの『悪魔』です。悪魔は何も「角がはえている黒装束の魔物」というわけでも「驚異的な力をもって私たちに襲い掛かってくる怪物」でもありません。むしろもっと巧妙に「思いの中に働いて私たちをだまし、私たちの自尊心や人間関係を破壊」しながら、私たちの心が『真の神』から離れていくようにと仕組んでいるのです。 では、そのような悪魔の巧妙な働きに対抗する術があるのでしょうか?もちろん、あります!そしてそのためには下記の2つのプロセスが必要です。 1.悪魔の存在を認める。 あなたが「『悪魔』なんてそんな馬鹿げたものはいやしない!」と言っている間はあなたは見事に悪魔の術中にはまってしまっています。透明人間に対して私たちがなす術を持たないように、悪魔の存在を認めない限り、あなたは悪魔のしわざに対して勝ち目はありません。 2.「キリストを通して現された神の愛」を受け入れる。 私たちがキリストを自分の救い主として受け入れるならば、キリストは私たち1人1人の内に住んでくださいます。そして聖書は次のように断言しています。「私たちのうちにおられる方は、この世のあの物(悪魔のこと)よりも力がある!」 この世ではいわば「神様と悪魔の勢力争い」が繰り広げられています。神は悪魔よりも優っている方ですが、私たち人間を「思い通りに操ろう」とはなさいません。あなたが『神の勢力』に入れられ、悪魔に対する勝利の人生を送るためには、あなた自身の決断が必要なのです。

2015年6月28日 「『内なる人』を強くされる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『内なる人』を強くされる」     (28/06/2015) [エペソ3:14-21] *この箇所から3回のシリーズで学ぶ ◆神から出た私たち [14~15節] ・神は私たちを『神のかたち』に創造し、「神の子(家族)」として「神との関係の中で」この地に満ちて行くことを望 まれた。しかし私たちが自分から神との関係を断ったので、私たちは『神のかたち』を失ったまま増え拡がった。 ・神はキリストを通して私たちを『この世の王(サタン)』から取り戻し、本来の「父から出た者」へと再創造される。 ◆『内なる人』 [16~17節前半]                                             [エペソ4:22-24] ・私たちは今、聖霊の働きによって、「父の豊かさ」に満ちた『内なる人(神の子らしさ)』を形造られている。この 『内なる人』は御霊によってのみ成長する。「私たちのガンバリ(外なる人)」はそれを妨げる。[Ⅱコリント4:16] ◆『外なる人』をどうするか? ・私たちの『外なる人(古い性質)』は「土の器」のようなもの。[Ⅱコリント4:7] 『内なる宝』の輝きが現されるため には『外なる人』を磨いたり強めようとするのではなく、かえって「神にささげ」なければならない。 ・この世は「急がせる」ことによって『外なる人』を誘惑する。しかし神は「信仰によって待つ」ことを求めている。   Outline of the sermon   “Grow in your ‘Inner being’.”   (28/06/2015) [Ephesians 3:14-21]  *We will study this paragraph next 3 Sundays. ◆We are from God. [Verses 14-15] ・God created us “in Read more…

(171) “苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。”

『発明王エジソン』は、単に「発明の天才」であっただけではなく、「失敗に対処する天才」でもありました。ある日彼の実験室で大きな爆発音が起こり、エジソンが慌てて駆けつけると、彼の弟子たちが申し訳なさそうに言いました。「先生、これでもうこの実験に何度失敗したか分かりません。」するとエジソンはこう応えたそうです。「諸君、それらを『失敗』と呼んではいけない。『学習』と呼びなさい。何故なら諸君は既に『こうしてはダメだ』といういくつもの方法を経験によって学んだのだから。」 何かに失敗してしまった時に私たちが問うべき質問は「何でこんなことをしてしまったんだろう…」ではなく「この状況にどう対処することが最善なのだろう?」という問いです。失敗を責めることはかえって新たな失敗を生むきっかけになります。しかしその失敗を前向きに捉え、解決の糸口を捜そうとする態度は、私たちを成長へと導きます。 『成長』とは「目標地点」ではなく「そこに至るまでの道のり」のことです。神はもちろん私たちが「目標地点に達すること」を私たちと共に喜んでくださいますが、それ以上に、つまずいたり途中で転んでしまいながらも「目標地点を目指して1歩1歩進んでいく私たち」を大いに喜び、共に歩んでくださるのです。聖書が教える神は「怒りっぽくてあきれ果てる神」ではなく、「忍耐と赦し、そして励ましに満ちた神」なのです。

2015年6月21日 「聖書と『御霊のことば』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「聖書と 『御霊のことば』」     (21/06/2015) ◆ことばに『力』がある ・ことばは私たちの『思考』をつかさどる。「ことば無しで考えること」はほとんど不可能。 ◆『御霊のことば』 ー 聖霊によって『力(いのち)』を与えられたことば ・聖書(みことば)と『御霊のことば』は、どう違うのか? 聖書は『武器庫』のようなもの。聖霊はここから自由に取り出して、適切に用いる。 それ故、聖書のことばを私たちの内にできるだけたくさん取り込んでおくことが重要。 ・みことばは『御霊のための滑走路』 - みことばのない所に聖霊の働きはない。 ◆『御霊のことば』を読み取る ・悪魔は「私たちの思い」の中に侵入し、私たちを邪魔して「祈りを盗もう」とする。私たちの力では勝てない。 ・「Do not think but Listen!」(神に思いを預ける) - しかし容易ではない。聖霊の助けが必要。 ・異言の賜物 [Ⅰコリント14:14] - 思いから『この世のことば』を追い出す。 ・『御霊のことば』は通常あまり長くはない。それ故聖書のみことばをコンファメーションのために用いる。   Outline of the sermon    “Bible & ‘Spirit-taught words’.”    (21/06/2015) ◆Words have “power”. ・Our “thoughts” consist of ‘Words’.  We can’t Read more…

(170) “この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。”

ある家庭や個人に立て続けに不運が襲ったりした時、それらの人々のことを評して「あの家庭(家系)は呪われているに違いない」などと言う人たちがいます。とても悲しいことですが、実際ある精神科医のグループの研究によると、暴力癖のある人々の90%は自分が以前に誰かの暴力にさいなまれていた経験があるそうです。すなわち「誰かから受けた心の傷が、その人の性質に同様の習性を養ってしまう」ということなのでしょう。ですから親が何らかの中毒症状(アルコール・タバコ・麻薬、その他)を持っていた人たちは、他の人たちよりもずっと同様の中毒症状に陥りやすい危険性を持っていると言えます。 恐ろしいことにある種の宗教活動グループは、このような人間の弱さや傾向性を逆手に取り、「あなたの家系は呪われているからOOをしなければならない」とか、「その呪いを断ち切るためにはOOを購入しなければならない」などと人々を脅して入信させようとしたり資金稼ぎをしたりしているようです。これらは許しがたい行為です。 これらの私たちの弱さに関して、イエスは全く違った見解を示されました。彼は「それらのあなたがたの弱さは、単に神の偉大な力が現されるための機会の1つに過ぎない」とおっしゃったのです。言葉を換えれば「その問題がたとえあなたにとって大きすぎて乗り越えられないとしても、神にとってはあなたのために解決できないほど大きすぎる問題など存在しないのだ」ということです。 使徒パウロは「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は『新しく造られた者』である」と言いました。イエスにとってあなたの『過去』がどのようであったかは問題ではありません。イエスはあなたに『全く新しい未来』を用意して、あなたが彼のところにやって来るのを待っておられるのです。

2015年6月14日 「心に書かれた『御霊のことば』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「心に書かれた『御霊のことば』」     (14/06/2015) *教会(私たち)が与えられた使命を全うするために必要不可欠なもの = 『聖霊』 ・イエスは言われた。[ヨハネ6:63]  では、「イエスの語られたことばが『霊』であり『いのち』である」とは? ◆『御霊のことば』[Ⅰコリント2:11-13] ・聖霊は、私たちが彼の働きに心を開くなら、イエスのことばを私たちに個人的に取り次ぐ。[ヨハネ14:26] ・この『御霊のことば』は、私たちの心に刻まれ、いのちをもって働きかける。[Ⅱコリント3:3, エレミヤ31:31-34] ◆この『御霊のことば』がどのようにして教会の中で働くのか?[Ⅰコリント12:7, 13, 27] ・「みなの益となるために」 ― 「個人の益」ではなく「互いの益」。すなわち「キリストのからだの益」のため。 ✯私たちの使命は、それぞれの心に書かれた『御霊のことば』をキリストとの親密な関係の中で読み取り、 「御霊が与える愛と自由」を通して大胆に表現して行くこと。   Outline of the sermon  “‘Spirit-taught words’ written in our hearts.”  (14/06/2015) *What is essential for us(church) to fulfill our mission? = “The Holy Spirit”. ・The words spoken by Jesus Read more…

(169) “あなたがたは世のものではなく、かえってわたし(イエス・キリスト)が世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。”

クリスチャンになったばかりのある方はこんな風におっしゃることがあるかもしれません。「せっかくキリスト教を信じたのに、少しも問題がなくならない。こんなことならば信じなければよかった」と。 聖書は私たちに「主イエスを信じたならば問題はなくなる」とは約束していません。いや、かえって問題は増えることが多いのです。何故なら私たちが聖書の原則に生きようとする時、それはしばしばこの世の流れに逆らうことを意味するからです。 『この世の流れ』は私たちに「できるだけ楽をして儲ける」ようにといざないます。しかし聖書は「たとえ自分が損をすることになっても、正義と公正を求めて生きるように」と勧めます。そこにはしばしば衝突が起こり、私たちは「何の疑いも感じずにこの世の流れに流されている人々」とうまく人間関係を保てなくなるのです。 では、イエス・キリストと共に生きることにどんな益があるのでしょうか?それは、そのような試練の真っ只中に「神が共にいてくださる」ということです。この世の流れに流されるというのは、すなわち「おのれを神とする」もしくは「この世を支配している悪魔の権威の下に生きる」ということを意味します。そしてそのような生き方には神は関与なさらないのです。神はご自身を歓迎し、喜んで彼に従って生きようとする者と共に、その人生を歩んでくださるのです。

2015年6月7日 「コイノニア」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ           「コイノニア」        (07/06/2015) ◆コイノニア(交わり) [Ⅰヨハネ1:3] ・ギリシャ語直訳の意味は、「何か共通のものを所有する。分かち合う。」 すなわち『共有する』こと。 では私たちは「だれと」「何を」共有しているのか? ①神との関係において [Ⅰコリント6:19-20] ・私たちは、私たちの『からだ』を神と共有している。この『からだ』をもって「人々に対する神の愛」を表現する。 ②クリスチャン同士の関係において [ローマ12:5] ・私たちは、「キリストのからだ」を共有している。[Ⅰコリント12:15-16, 26]  「互いのための『自分』」。 ・初代教会に見られる模範。[使徒2:44-47]  小グループによる「親密な交わり」の必要性。 スモールグループでの分かち合いのために ①『コイノニア』とはどういう意味ですか? 私たちは「誰と」「何を」共有するのですか? ②あなたがもっと神に近づくために「妨げ」となっているものは何ですか? 分かち合ってみましょう。 ③私たちが更に親密な関係に結ばれていくために、どんなことができるでしょう?   Outline of the sermon             “Koinonia.”       (07/06/2015) ◆Koinonia.(Communion) [ⅠJohn1:3] ・Original Greek word means, “a gift jointly contributed”.  Then ‘with who’ and ‘what’ are we sharing? ① With God. Read more…

(168) “夫は自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。”

インドに『タージマハル廟』という大変優れた歴史的建築物があります。これはインドのある王様が、愛する妻のために建てた『お墓』なのですが、その建設にまつわるこんなお話しがあります。 インドの王『シャー・ジャハン』は、その最愛の妻を失った時、彼女への思いを何とか形にして遺しておきたいと思い、彼女のために壮大なお墓を建てようと決意しました。王は妻の遺体をお棺に納め、広大な土地の真ん中に置き、そのお棺を中心にして大工事が始まりました。ところがこの大工事が進むにつれて、王の心は「妻を偲ぶ思い」から徐々に「この大プロジェクトを完成させること」へと夢中になっていきました。そして何年かが過ぎたある日のこと、王はこの工事現場を視察している最中に、1つの木箱につまずいて転んでしまいました。王は怒りに燃えて「誰だ!こんなところに邪魔な木箱を置いた奴は!さっさとどこか邪魔にならないところへどかして来い!」と怒鳴りました。この木箱が『最愛の妻の納められているお棺』だったことに王が気が付いたのは、何ヶ月間も後になってからだった、ということです。 どんな夫婦でも、最初は深く愛し合って結婚したことでしょう。しかし長い結婚生活の間に、それぞれの『大プロジェクト』(それは「子育て」だったり、「仕事」だったり、「マイホームプラン」だったりするかもしれませんが…)に熱中するがあまり、本来の目的 『結婚相手のことを最高に幸せにすること』 を見失ってしまっているかもしれません。 ぜひ今日もう1度あなたの妻または夫にこう尋ねてみてください。「あなたを最高に幸福にするために、私にして欲しいことは何ですか?」