聖書

(237) “わたしの目には、あなたは高価で尊い。”

ある古本屋さんのバーゲン品コーナーに紛れて1冊の古い聖書が置いてありました。これまでに何人かの人々が手にしてはペラペラとページをめくりはしたものの、かなり傷んでいたので購入するには至りませんでした。そのうちにある男性がやってきて、やはりその古びた聖書を手に取りしばらく眺めていましたが、やがて驚いたように息を呑み、その聖書を手に慌ててレジへ行って料金を支払い、急ぎ足に去って行きました。 一体何があったのでしょう?実はその聖書は『活版印刷術』を発明したグーテンベルグによって印刷された貴重な聖書の1冊であり、何億円もの価値があったのです!これまでに「その価値を見い出せない多くの人々」によって見捨てられていたものが、「その真価を知る人」の手に渡った時、その価値は見事に輝いたのです! あなたは自分がどれほど価値のある存在であるか知っていますか?「私は身の程をわきまえている。自分はたいした人物ではない。誰も自分に目を留めてくれる人はいない。」と決めてかかってはいませんか?あなたの真価を正しく評価できるのは1人だけです。それはあなたを形造られた創造主なる神です。彼こそはあなたがどれほど高価であるのかを知っておられ、あなたをご自身の許に買い取られるために、そのひとり子「イエス・キリスト」のいのちを支払われたのです。

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2016年11月27日 「神の国 vs この世」

メッセージをダウンロードして聴く ちよさんの証しをダウンロードして聴く ひろこさんの証しをダウンロードして聴く ひろみさんの証しをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神の国 vs この世」      (27/11/2016) *私たちがこの世において、本気で神の国を押し拡げようとするなら、必ず戦いに直面する。 今日はその戦いの性質と、勝利の秘訣について学ぶ。 ◆主を恐れること [箴言9:10] ・この『聖なる』という語は、「圧倒的・比べるものがない」の意味もある。 ・『真に恐れるべき方』を恐れることを知ったならば、もはや他の何ものも恐れる必要がない。 ・神は何度も「恐れるな!」と命じている。そして「恐れなくてもいい理由」も。[イザヤ41:10,ローマ8:31] ・『恐れる』 = 「顔色を伺う」 ― 最も喜ばせたい相手に対する態度。 ◆この世の支配者「悪魔」の策略 [ヤコブ4:4-7] *悪魔は主に次の2つの武器をもって私たちを惑わす ①恐れ(= 私たちが本来の力を発揮できなくする) ・悪魔は「この世のあらゆるもの」を用いて私たちを脅す。(神以外のものの顔色を伺わせる) ・悪魔は既に『敗者』。[ヨハネ16:33]  『脅す』ことしかできない![ヤコブ4:7-10] ②高ぶり(= 神の介入のチャンスを妨害する) ・「神よりも自分の方が上手くできる」「神より自分の方がよく知っている」「神なんか要らない」! これらは「単なる無知」or「勝利にのぼせてしまった」 → ちゃんと神を知るために「神に近づきなさい!」 ・神のみを恐れ(喜ばせようとし)て生きることは、「この世を敵とする」生き方。必ず患難がある。 しかし、「主が高くしてくださる」ことを経験できる! ✰悪魔の悪あがきにだまされないで、主の御顔をしっかり見つめつつ、正しい選択をしながら進もう! Read more…

聖書

(236) “滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。”

『友情』と言えば、人生を豊かにしてくれる重要な要素の1つということができると思います。ところで、あなたには『真の友』と呼べる人が何人くらいいますか?毎日多くの時間を費やしている仲間の多くは、『真の友』と呼ぶにふさわしい人々でしょうか?それとも「単なるその場しのぎの相手」でしょうか? そもそも『真の友』とは一体どんな人たちのことをいうのでしょう?「ピンチの時に助けてくれる人」「自分の幸運を一緒になって喜んでくれる人」「大きな悲しみに直面した時に、ただ黙って側にいてくれる人」など、いくつかの要素が考えられますね。 最近ようやく「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」の映画三部作をすべて見終えました。この物語に登場する主人公のフロドと危険な旅を共にする『サム』という青年の友情に大変感銘を受けました。サムは何度かフロドに誤解され、罵倒され、見捨てられますが、最後までフロドを支え、見守り、助け続けます。最後にはフロドもサムの真実の友情に気づき、到底達成が無理と思われていた使命を共に果たすことができるのです。 実はこの作品の原作者であるトールキンは敬虔なクリスチャンです。おそらく彼はこの作品を通して「人には誰でも『神から与えられた固有の使命』がある。そしてそれを全うするためには必ず私たちが互いに協力し合わなければならない」ということを伝えたかったのではないかと思います。そしてその「神から与えられた固有の使命」を達成するために相手を信じ、「徹底的に自分を相手にささげていくこと」こそ『真の友情』と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか? このような『友情』は一朝一夕で生まれるものではありません。まず自分自身がそのような『友』となれるよう、「自分が望んでいるものをまず相手に与え」「自分が期待している誠実さを相手に表現し」「自分の実現したい目標が相手の人生において達成されるために」与えられている時間や能力をフル活用してみようではありませんか!

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2016年11月20日 「『神の国』は『人』と共にある」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『神の国』は『人』と共にある」    (20/11/2016) ◆『神の国』は『人』と共にある [ルカ17:20-21] *それ故、「神の国を押し拡げる」ために、次の2つのことを理解する必要がある。 ①その目的は、『人々』を「サタンの支配下(束縛・ウソ)」から「神の光の中(真理・解放)」へと招き入れること。 ②神はこの働きを、「私たち1人1人」を通して行われる。 ・神はいつも『人』を捜しておられる。[Ⅱ歴代誌16:9] ◆「思いの一新」が必要 ・「自分を通して『しるしや奇跡』が起こるなんて信じられない。だいいち突拍子なさすぎる!」と思う人たち。 でもあなたは既に「もっと突拍子もないこと(恵みによる救い)」を信じたのでは? ・「神の国のわざ」に参加するには、まず「心(思い)の一新」が必要。[ローマ12:2] この世の考え方に順応しすぎていた『思い』のリハビリが必要。 ― 第1歩は「幼子のような信仰」 [マルコ10:13-15] ◆「神に従うこと」の意味 [マタイ8:5-10] ― イエスはこの信仰に感銘を受けた ・「権威に従う者」だけが「権威を用いる」ことができる。 ・聖書が「神に従うこと」を強調し、「神に従う者は、神を愛する者」とまで書いているのは、「従うこと = 愛する こと」ということなのではない。天地創造以来の神の切なる願いは「この地に神の国の支配をもたらすこと」。 だからこそ「神を愛する者」はこの神の夢をかなえるために自らをささげないではいられないのである。   ✰あなたを通して神の国がこの地に拡げられて行くか否かは、 「あなたの神に対する態度」にかかっているのです!     Outline of Read more…

聖書

(235) “悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。”

その存在を信じているいないに関わらず、誰でも『天国』という言葉を1度は聞いたことがあるでしょう。そしてきっとそれなりのイメージも持っていることと思います。「雲の上にある」とか「三途の川の向こうにある」「死んだ後に行くところ」とか「ピカピカ光っている」などなど。 ある人が面白いことを言いました。「天国でも地獄でも、食事の時に長~いお箸が使われているんだよ。けれども天国の人たちは皆健康に太っているのに対して、地獄の人たちは全員やせ細っているんだ。どうしてかっていうと、地獄の人たちはその長いお箸を使って何とか食べようとしているけど、自分の口が箸の先に届かないので食べられないのに対し、天国の人たちは皆他の人たちとお互いに上手に食べさせ合っているからさ。」 私も個人的にはまだ『天国』というものを自分で見たことはないので確かなことは言えませんが、『天国』のこの世との大きな違いの1つは、きっと「お互いに対する深い思いやりに満ちていて、しかもそれが何も妨げられることなく実践されている」ということではないでしょうか? イエス・キリストは「天国が近づいたから、悔い改めなさい!」とおっしゃいました。『悔い改める』の原語直訳の意味は「向きを換える」です。「この世と調子を合わせる生き方」「自分中心の考え方」から向きを換えて、「神を求める生き方」「他の人を顧みる生き方」へと進んで行くなら、『天国』は単に「死んでから行き着くところ」ではなく、今まさにこの世にいながらにしてその片鱗を体験できるものとなるのではないでしょうか?

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2016年11月13日 「神の国の福音」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神の国の福音」     (13/11/2016) ◆『神の国の到来』 = 『神のみこころの成就』 [マタイ6:9-10] ・「主の祈り」は、イエスが「こう祈りなさい」と教えてくださったのだから、この上なく重要な祈りのはず。 ・「御国が来る」と「神のみこころが起こる」は同義。すなわち『神の国』とは「神の願っておられる通りのことが、隅々まで行き渡っているべき場所(状態)」。そして「神のみこころ」とは、私たちが考えているよりずっと単純! ・「神の国にあるもの(神のみこころ)」は、『健康』『平和・安心』『愛と親しさ』『自由・解放』などなど。 ◆神の国の福音 ・『神の国の福音』は、「たましいの救い」だけではない。「地上で神のみこころが成し遂げられていくこと」。 すなわち「人の罪につけこんできた悪魔からの悪影響からの具体的な解放」。[マタイ4:23,10:7-8] ・『病のいやし』は間違いなく「神のみこころ」である。 [マタイ8:2-3] ・イエスは、この「神の国の到来」「悪魔は今や神の国の前に打ち破られたこと」が人々の前に明らかになる ことを望んでおられる。[Ⅰヨハネ3:8,ルカ13:10-17] ・私たちも『神の子』として、イエスが始められた「神の国の現れ」を継続するために選ばれた![マルコ16:15-20]   ◎神は現代においても、ご自身の子供たちを通して「神の国のしるし」をもって ご自身の支配を広げようとしておられる!   Outline of the sermon    “The good news of God’s kingdom.”    (13/11/2016) ◆”Coming Read more…

お知らせ

クリスマス礼拝2016

早いもので、もう11月。来月にはJCF恒例の「クリスマス礼拝」が行われます。詳細は下記の通りです。 日時:12月11日(日)午後2時~3時半 主な内容:クリスマスキャロル,子供たちによる歌とダンス,寸劇,クリスマスクワイヤなどなど 例年通り「入場無料」で、しかも礼拝の後には「豪華アフタヌーンティー」を楽しめます。どうぞふるってご参加ください!

聖書

(234) “人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし、主は人のたましいの値打ちをはかられる。”

最近「高台家の人々」という、漫画を実写版映画化した作品が流行りましたよね?(実は私自身はまだ見ていないんです!)『高台ファミリー』は「人の考えていることが分かってしまう」という特別な能力を持つ家系。その長男と恋に落ちてしまう『夢見る乙女』というのが登場人物の設定なわけですが、恐らく「相手の心の中が読めたらなぁ」というようなことは、誰でも1度は夢見たことがあるのではないでしょうか?まあ「相手の心の中が読める」というのは、必ずしも良いことばかりではないかもしれないし、逆に「相手に自分の考えていることが知られてしまう」なんて、考えただけでもゾッとしてしまいますが・・・ というわけで、私たちが人の考えを理解するためには、その人の『行動(または言動)』から推し測ることが限界なわけです。ですから私たちはある程度「ふりをする」ことによって相手を欺くことができますし、もしかしたらすっかりそのような振る舞いに慣れてしまっているのかもしれません。 聖書は、私たちが「ふりをする」ことによってはだますことのできない存在があることを示唆しています。それは私たちの肉体と共に「心や思い」をも造られた創造主なる神です。たとえ友人や親兄弟をだませたとしても、この方だけは決して欺くことはできません。神は私たちの心(内面)を探られます。それは私たちを糾弾するためではなく、私たちに『誠実さ』を求めるからです。神は私たちに「神の前にも、人の前にも」誠実に生きて欲しいと願っておられるのです。 「自分を偽ること」「相手を欺くこと」に慣れすぎてしまう前に、「真の神を恐れること」そして「神と人との前に誠実に生きること」へと方向転換しませんか?

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2016年11月6日 「最初の2つの命令」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「最初の2つの命令」      (06/11/2016) ◆人類にとっての最初(第1)の使命 [創世記1:27-28] ・「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。」 ― 永遠不変の命令 ・「初めの人・アダム」は『エデンの園』から全地に拡がって行くはずだったが、悪魔にだまされ阻止された。 ・人類は増え拡がりはしたが、それは『神の国(神の支配)』の外でのこと。言わば「人類に対する神のみこころの 成就」は延期された。(しかし、キャンセルされたわけではない。神に『心変わり』はない!) ◆更新された『最初の命令』 [マタイ4:17] ・「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 『悔い改める』 = 方向転換。 すなわち「この世の価値観(悪魔の支配)」から『神の国(神の支配)』へと向きを変える。 ◆御子イエスと共にやってきた『神の国』 ・父なる神は、御子イエスを遣わされたことを、この上なく喜んだ。[マタイ3:16-17] イエスは、アダムがだまされた「悪魔の誘惑」に勝利された! → [マタイ4:17]の宣言へ ・イエス(神の国)は今度こそ真の意味で(神との深い関係の中で)増え拡がり始めた![ヨハネ15:16]   ✰神のご計画は、ご自分の子とされた人々(私たち)を通して、ご自身の御国(支配)が この地に押し拡げられて行くこと。(地に満ち、従えて行く)   Outline of the sermon        “Very first 2 commissions.”    (06/11/2016) ◆Very first Read more…

聖書

(233) “わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。”

世の中には「すぐにはっきりした結果を見たいタイプの人」と「すぐに成果が現れなくても、自分のしていることに確信を持って継続できるタイプの人」とがいます。実際にこの世の出来事には「すぐに結果に現れること」と「なかなか成果が見られなかったり、答えが見つけられなかったりすること」の両方が存在します。そして『重要』と思われることほど、この後者であることが多いのではないでしょうか? 『科学』を崇拝する人々は、「十分な時間とデータさえあれば、この世の事象はすべて科学的に証明できる」と言いますが、本当にそうでしょうか?世の中には、私たちの理性や知性では納得できないことがあまりにも多すぎます。「なぜある家族は不幸な出来事に襲われ、別の家族にはそれが起こらないのか?」「なぜ有り余る食べ物を日々捨てている地域があり、別の地域ではその日食べる物にも事欠いているのか?」「なぜ罪もない前途有望な若者が不治の病や突然の事故などで尊い命を奪われるのか?」などなど。これらの疑問に対して自分の存在があまりにもちっぽけなので、できるだけ考えないようにしようとするのですが、時に応じて再び心に上ってきて私たちを悩ませるのです。「現実主義者」と呼ばれるうちのある人々は、この時とばかりに「ほら見ろ、神も仏もあったもんじゃない!」などと口走ったりします。 それでは、聖書はこれらの問題に関して何と言っているのでしょうか?聖書のある箇所では「隠されていることは神のもの、現されたことは私たちの物」と書いてあります。これはあたかも、神が私たちにこう語りかけておられるようです。「どんなに考えても調べてみても解決されないことは、私に信頼し、私の手にゆだねなさい。そして既に明らかにされていること、また与えられているものに目を向け、それらを喜び、また最大限に活用することによって幸福を得なさい。」と。