聖書

(260) “しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。”

私たちが生きている今の時代は、一見便利で豊かに見える反面、時代について行けない人を置いてきぼりにしたり、役に立ちそうもない人を切り捨てたりするむごい側面もあります。生産性・効率性を追求するがあまり「1人の人のためにじっくり待つ」という姿勢が愚かしく思われ、「他の人に頼むから、アナタはもういい!」と切り捨てられた経験からなかなか立ち直れない人も少なくないのではないでしょうか? このような時代であるからこそ求められるのは「誰のことば(評価)に耳を傾けるか?」ということです。自分勝手な視点からしか物事を見られない『人間の評価』なのか、それとも「あなたを形造り、あなたの真価をご存知である『創造主なる神の評価』」なのか、これが私たちの生き方(価値観)を大きく左右します。 『神の恵み』は、私たちの能力や才能によっては勝ち取ることができません。むしろ自分の弱さを認め、「神は良い方であり、決して私を辱めたり見捨てたりなさらない」という信頼の許に神に近づく者に注がれるのです。イエス・キリストは「もしあなたがたが私を信じるなら、あなたがたは『真理』を知るようになる。そしてその『真理』はあなたがたを自由にする」とおっしゃいました。人々のことば(評価)はその人の主観に基づいた一過性のものであって『真理』ではないのですから、恐れるには足りません。 人のことば(相対的評価)に振り回されるのはもうやめて、神のことば(絶対的・不変的評価)に耳を傾けつつ、あなたを通して働く神の豊かなみわざを待ち望む者になりましょう!

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2017年5月28日 「神の栄光を現す」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の栄光を現す」      (28/05/2017) *先週の復習:「キリストに遣わされている者」として生きるための3つの重要ポイント           ①父なる神の栄光のため  ②キリストにあって造られた   ③聖霊に導きに従う ◆「神の栄光」とは? ・神は「ご自身にしかできないみわざ」を成し遂げることによって、ご自分の栄光を現される。 (例:「天地創造のみわざ」[詩篇19:1]) ・この世(悪魔の王国)も様々な方法で「神的な栄光」を表そうとするが、神はそれをお許しにはならない。 [イザヤ42:8] ・イエスはいつも『神の栄光』を現すために、「神のわざ」を行うことを心がけた。[ヨハネ17:4,4:34,5:19] ◆「神のために」ではなく… ・人間的な知恵によっては、「神が望んでおられること」を悟ることはできない。 ・人間の力では、「神が望んでおられること」を行うことはできない。 ・正しい動機によって、「神を喜ばせること」はできるが、「神の栄光を現すこと」はできない。 ✰しかし、神は私たちを通して「ご自身の栄光を表現すること」を望まれる! 私たちのため、そして私たちの周囲の人々が神を知るため。 ◆キリスト者に必要な 『悔い改め』 ・「自分の計画を成し遂げること」ではなく、「神のわざが地上で成し遂げられるため」に自分自身を差し出す。 [Ⅰコリント6:19-20] ✰来週は「神の栄光を現す道」について   Outline of the sermon      “For the glory of God.”     (28/05/2017) *Review:3 important Read more…

聖書

(259) “ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。”

聖書は「人間は生まれながらの罪人である」と指摘します。そしてそれは人類の始祖『アダムとエバ』以来、私たちの人間性の中に「罪を犯す傾向性」として巣食っています。 『アダムとエバ』が最初に犯した罪は「禁断の木の実を食べたことである」と描写されていますが、そのことを神から指摘された2人は早速その罪性を「自分の落ち度を他人のせいにする」という行動によって表現します。私たち人間はこんなに昔から「自分の非を簡単には認めない」という頑なさを固辞しているのです。 私たちが神の愛を知るようになり「神に喜ばれる者になりたい」と思い始めると、神はまずこの私たちの『頑なな心』から造り変えようとなさいます。ところが神はいつでも私たちの『自由意志』を尊重される方なので、無理やり私たちの心の中に入り込んでくるようなことはなさいません。私たちが自分から心を開いて「神様、こんな私を憐れんでください」と助けを求める時、神は喜んで私たちの心を優しく修復してくださるのです。 私たち人間は、どういうわけか自分の落ち度を責められると、自動的に『自己防衛スイッチ』が入り、言い訳をしたり、他人に罪をなすりつけたりしようとします。神はその性質をよくご存知だったので、敢えて私たちの罪をまず「十字架におけるイエス・キリストの身代わりの死」によって帳消しにし、もはや責められるところのない者としてくださった上で、私たちが恐れずに「自分の欠点や弱さ」を神の前に素直に告白できるようにしてくださったのです。 実際は、神の前に隠すことの出来るものは何もないのですが、神は敢えて私たちが幼子のように素直になって抱えている問題を自分から素直に告白できるようになるのを待っていてくださるのです。ですからもはや自分を無理に飾ることなく、ありのままの姿で神の前に進み出て、心のありのままを告白し、神に喜ばれる者へと変えていただきましょう。

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2017年5月21日 「父が私を遣わされたように」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「父がわたしを遣わされたように」   (21/05/2017) ◆父なる神が御子イエスを遣わされたように [ヨハネ20:21] ◎御父と御子との間で交わされた会話(あくまで想像) *私たちも同様にして遣わされている。その全貌は明らかにされていない。 しかしイエスはいつも私たち1人1人と共におられ、その1歩1歩を聖霊によって導かれる。 ◆3つの重要ポイント ①父なる神の栄光を現すため [イザヤ43:7,ヨハネ17:1,4,マタイ5:16] ・「自分のガンバリ」ではどうしようもない。(『神の栄光』とはなり得ない) ・「どれだけ明け渡すか」がカギ。 ②キリストにあって造られた [エペソ2:10,ローマ8:28-29] ・『改善』ではなくて、『回復(復元)』。 ・家族が似てくるのは「努力」によるのではなく、「DNA(聖霊)の働き」 と 「一緒にいるから」。 ③聖霊によって歩まなければならない [ヨハネ16:14-15,ガラテヤ5:16-17, 24-25] ・御霊の賜物(力)と 実(品性)によって歩む。 ― いつも『選択』を迫られる。 ・イエスの地上での歩みに『十字架』が不可欠だったように、私たちも十字架の道を通る。 ✰来週からはこれらの内容を更に深く学ぶ   Outline of the sermon     “As the Father Read more…

聖書

(258) “平和を求め、それを追い求めよ。”

すべての人が欲しているものの1つと言えば、それは『心の平安』ではないでしょうか?どんな状況の中でも変わることのない平安を保って生きる、果たしてそんなことが可能なのでしょうか? 「平安を保つ」ためにまず私たちが知らなくてはならないのは、「何が私たちから平安を奪っているのか?」ということです。悪魔が私たちを脅かすのにはいくつかの共通した方法もありますが、多くの場合、私たちは1人1人違った理由によって平安を奪われます。例えば、ある人は「やらなければならないことがいくつもある」という状況に陥ると途端にイライラしますが、別の人は「こんなにたくさんのことを委ねられている!」と逆に元気が出るかもしれません。私たちは1人1人違うのです。だからこそ「自分の弱点を知る」ことが必要です。悪魔は私たち1人1人をよぉく観察しており、どこを突けば良いのかを熟知しているのです。 ある聖書の専門家がこんなことを言っていました。「私は疲れてさえいなければ、大抵のことは順調にこなすことができる。ということはつまり、悪魔は私が疲れ切ってしまうのを待っているのだ。このことに気づいて以来、私は決して疲れ果ててしまうまで仕事をしないように気を付けている。みすみす悪魔に付け込む隙を与えないためだ。このような『自分の傾向性』に気付くまでは、「平安を保って生きる」なんて到底無理である。」 皆さんにお勧めします。イライラしたり、ガックリ落ち込んでしまった時は、その時のことをできるだけ詳しく書き留めてみてください。そして「一体何が原因で『心の平安』を失ったのか?」を探ってみましょう。自分の弱みが顕わにされることを恐れないで、正直な気持ちでこのことを行ってください。そしてその原因となるものをできる限り自分の生活から取り除くように心がけるのです。 イエス・キリストは、十字架上の死からよみがえられた後、まず弟子たちに「平安があるように」と語りかけられました。失われた平安は、必ず取り戻すことができるのです。死にさえ打ち勝つことの出来る方があなたと共にいてくださるからです。  

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2017年5月14日 「『救い』と『良い行い』

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『救い』 と 『良い行い』」   (14/05/2017) ◆『私』 ではなく 『キリスト』 [Ⅱコリント5:21] ・私たちの『救い』は、「私たちの良いわざ」ではなく、「キリストの良いわざ」に基づいている。 ・この世界は『業績』を重視する。(律法学者たちと同じ) ⇒ 悪魔の思うツボ。 ・クリスチャンたちでさえも、「せっかくイエス様が救ってくださったんだから、頑張って報いなきゃ!」 と考える。 しかしこのような動機に基づいた善行は、結局「自己満足」か「自責の念」をもたらすことになりがち。 ・私たちが『自分』に頼っている限り、悪魔にスキを見せている。『神の権威』の許に立ち返れ![ヤコブ4:7] ・神が救ってくださったのは、「私に見込みがあったから」ではないことを、肝に銘じておこう。 ◆聖霊による「キリスト主導」 [エペソ2:8-10] ・『信仰』 = 「神は良い方である」という深い信頼。神は決して「裏切ったり、見捨てたり」はなさらない。 『良い方』が造られた作品は、力まずにこの『良い方』にただ従って行けば、必ず『良い実』を結ぶ。 ・私たちは「キリストにあって」造られたのだから、徐々に「キリストに似せられて」行く。[Ⅱコリント3:18] ・カギは「イエスの名によって」私たちの許に送られた『聖霊』。そしてそれは『改良』ではなく、『回復』のわざ。 イエスはこの地上に『まことの人』として来られた。イエスが「力あるわざ」を行われたのは、その歩みを 全く聖霊に依存していたから。そして私たちも同様の歩みをするために選ばれ、遣わされている! [ヨハネ20:21-22]   Outline of the sermon     “Our salvation & good works.”    (14/05/2017) Read more…

聖書

(257) “思いの一新によって変えられなさい。”

人生って「楽しいこと」ばかりじゃありませんよね?神を信じているか否かに関らず、困難や試練は容赦なく襲いかかってきます。ところで知っていましたか?それらの『人生の試練』に屈してしまうかどうかは、「その試練の大きさ」や「その人がどれだけ強いか」にかかっているのではなく、「その試練に立ち向かう態度」すなわち『心の持ち方』次第だということを。 ある人々は、人生の試練に直面すると「これはとても自分には乗り越えられない」とか「もしもう1度同じようなことが起こったら、あきらめるしかない」などと決めてしまって、ある意味困難が襲いかかって来る前に、既に『敗北宣言』をしているのです。私たちの『思い』のうちにある「あきらめムード」こそが、私たちを打ちのめす最も強力な敵なのです。 私たちはこのような『敗北に向かわせる傾向性』の代わりに、むしろ「この困難は私をより強くさせるための神からの訓練である!」「試練が大きいほど、それを乗り越えさせる神の助けは更に大きい!」というような『肯定的・積極的な心の態度』を培うべきです。そしてそのような心の姿勢は「神のことばに従って『自分の思い』を一新させること」からやってくるのです。

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2017年5月7日 「『義と認められる」ということ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『義と認められる』 ということ」   (07/05/2017) ◆神のご性質 [詩篇116:5] ・神のご性質をひと言で言うなら、それは「愛と義」。これはイエスの内にも満ちていた。[ヨハネ1:14] ◆姦淫の女とイエス [ヨハネ8:2-11] ・この最後のひと言は、まさに今日もイエスが私たち1人1人に語りかけておられる言葉。       「わたしもあなたを罪に定めない。これからは決して罪を犯してはなりません。」 ・ところで、何故ここで「自分には罪なんかない!」と主張する者が1人もいなかったのか? → 目の前に「真に罪のない方」がおられたから。 ◆イエスこそ 『神の義』 ・人は、イエスと出会うまでは、真の意味で『自分の罪』が分からない。 『罪』とは、「誤った行為」ではなく、「神からズレていること」 ・イエスは「神の満ち満ちたご性質の現れ」であった。私たちがイエスの前に立つなら、自分がいかに神を無視 し、その主権を認めず、自分勝手な生き方をしているかを思い知らされる。 ・しかし、イエスはそんな私たちを「罪に定めない」とおっしゃる。何故なら彼は、それらの罪を「罪のないご自 身」の肩ですべて負われるために来られたから。[Ⅱコリント5:21]   ◎イエスは、私たちの罪を「指摘するため」に来られたのではなく、私たちがそれに 「自分で気付き、神の前に悔い改め、赦しを受けるため」に来られたのです。   Outline of the sermon       “Our righteousness.”      (07/05/2017) ◆The Deity. [Psalm116:5] ・If we describe Read more…

聖書

(256) “神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。”

誰でも「問題のない人生」を望みます。しかし実際は「生きている限り問題に直面する」というのが現実です。ですから私たちの問うべき質問は「自分の人生にも問題は起こるだろうか?」ではなく、「問題が起こった時に、どう対処するべきだろうか?」なのです。 あなたの人生に問題が生じた時、あなたは誰に頼るのでしょうか? 親?友だち?それとも自分自身? 聖書は私たちにもう1つの、そして他の誰よりも確かに信頼できる存在を紹介しています。それはこの天地万物を造り、今も支配しておられる『創造主なる神』です。そしてこの『神』は、「私たちがご自身の許に身を避け、信頼を寄せる時に、私たちを苦しみから救い出してくださる方である」と証言しています。 しばしば聖書は私たちに「試練を喜ぶように」と勧めています。常識的に考えれば愚かしく聞こえます。何故なら、この世の価値観は私たちに『安全』や『問題のない人生』こそ善であると教えるからです。しかし私たちをこよなく愛しておられる神様は、私たちをご自身の許に引き寄せるためであるなら、人生の問題をも用いることが出来る方なのです。 神と人々とを憎んでいる悪魔は、私たちが恐れたり悲観的になったりするのが大好きです。しかし私たちが試練の中でも神に信頼し喜んでいる姿を見ると、なす術を失うのです。すなわち私たちが、周囲の状況や己の限られた能力に頼るのではなく、「神に深く信頼することによってのみ得られる真の平安」を見い出しその中に憩うとき、悪魔が張り巡らしている「この世の奴隷とする呪縛」から完全に解放されることができるのです!

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2017430 「よみがえられたイエスとの交わり」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「よみがえられたイエスとの交わり」  (30/04/2017) ◆[ルカ24:13-32] エマオの途上での出来事 ・「イエスの死」によって完全に希望を失っていた弟子たちが、『復活の主』と出会って変えられた。私たちの 信仰生活も『十字架』ではなく、この『よみがえられたイエス』によって支えられるべき。 ◆「イエスのよみがえり」は、何を意味するのか? ①イエスは「父なる神のみこころ」を完全に成し遂げた。[使徒2:24] ・イエスが「罪なき生涯」を送られたからこそ、サタンは『死』の力によってイエスをつなぎとめることができなか った。父なる神は、このひとり子の生涯に満足された。[イザヤ53:10-11] ②罪の代価はすべて支払われた。 ・イエスが死を打ち破り、よみがえられたことは、もはやサタンが人間を「罪と死の力」によって支配すること ができなくなったことを証明した。[ローマ8:1] ・私たちの過去・現在・将来の罪の代価すべては、主イエスの十字架の死によって『支払い済み』となった。も はやサタンは私たちに何も要求する権利はないし、「死の恐怖」によって脅すこともできない。[ヨハネ11:25] ③私たちは今や「自分自身」ではなく、『神』に頼って生きるべき。[Ⅱコリント1:9] ・もはや人に弁明したり、自分を正当化したりする必要はない。神は知っておられ、公平にさばかれる。 ・私たちがしばしば試練に遭うのは、このことを思い起こさせるため。   ◎ 使徒たちのメッセージの中心は「イエスはよみがえって、今日も生きて働いておられる」 だった。  それは、今日も同じ! [使徒4:10-13]   Outline of the sermon     “Fellowship with risen Jesus.”    (30/04/2017) ◆[Luke 24:13-32] An Read more…