聖書

(297) “悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。”

こんなお話があります。 ある賢い老人と孫娘が田舎のガソリンスタンドで一緒に座ってくつろいでいました。そこに1人の旅人風の男が車でやってきて、ガソリンを入れながら老人に尋ねました。「オレはじっくり腰をすえて住むのに良い場所を捜して旅をしているんだが、ここはどんな所だい?」老人は答えました。「そうだなぁ、そういうお前さんが前に暮らしていた所はどんな所だったんだい?」男は言いました。「いやぁ、嫌なところだったよ。人々は批判的で、お互いにそれぞれのあら捜しばかりしていてさ。あんな所には2度と戻りたくないね。」老人は申し訳なさそうに答えました。「そうかい、それは残念だったねぇ。実はこの町も、その町と全く同じようにひどい所なのさ。」男はガックリして車に乗り込み、去って行きました。 しばらくすると、1組の家族がそのガソリンスタンドに車を停め、運転していた父親が老人の所にやってきて尋ねました。「失礼ですが、この町は暮らすのに良い場所でしょうか?」老人は答えました。「そうだねぇ、ところでアンタたちが前に住んでいた所はどんな所だった?」父親は言いました。「いやあ、素敵なところでしたよ。町の人たちは皆親切で、仲が良くて、困った人がいるといつも助けの手を差し伸べていました。本当に去りがたかったんですが、都合でどうしても引っ越さなければならなくて…」老人はニッコリして答えました。「安心しなさい。この町もまさに同じような所だよ!」 この家族が車を出発させた後、ずっとこれらの様子を聞いていた孫娘が尋ねました。「ねぇ、おじいちゃん。どうして初めの人には『ここはひどい所だ』って言って、後の人には『ここは素敵な所だ』って言ったの?」老人は孫娘の瞳をじっと見つめて言いました。「なぁに、人間どこに引っ越して行ったって、いつも『自分』を連れて行くもんさ。そして引っ越して行った先がどんな町に見えるかは、その『自分』の態度次第なのさ。」 人生は『人任せ』にはできません。「人生に対するアナタの態度」があなたの人生を決めるのです。周りの状況に左右されることのない、神様から注がれる「内なる平安と喜び」があるならば、どこに行ってもそこは『地上の楽園』となり得るのです。

メッセージ

2018年3月25日 「永遠のいのちなるキリスト」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「永遠のいのちなるキリスト」    (25/03/2018) ◎今日のトピックは「イエス・キリストは変わらない」ということ。[ヘブル13:8] ◆イエス・キリストは『永遠の祭司』 [ヘブル7:24-25]  『祭司』は、罪のためにいけにえをささげ、とりなす存在。 ・人間には決して『罪の代価』を払い切ることはできなかった。[詩篇49:7-8] ・しかし、主イエスはご自身を「完全な永遠のいけにえ」としてささげ、贖いを完成された。[ヘブル10:12-14] これは旧約聖書においてずっと以前から啓示されていた『神の永遠の愛』の成就。[イザヤ54:10] ◆イエス・キリストは『永遠のいのち』 [ヨハネ3:16] ・「この世にあるもの」「目に見えるもの」は、すべて永遠には存在しない。(『神の国』には持って行けない) *永遠に続く唯一のもの = 『神との関係』 これぞ私たちに与えられた「永遠のいのち」! ・私たちは主イエスによって「神との永遠の交わり」へと招き入れられた。[Ⅰヨハネ1:1-3] ◆今週の『暗唱聖句』: [Ⅰヨハネ 5章20節]   Outline of the sermon      “Christ, our eternal life.”     (25/03/2018) ◎The topic today is Read more…

聖書

(296) “喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。”

『パーソナリティ』にはそれぞれいろいろな違いがありますが、その中でも1つの大きな違いと言えば、それは「人間重視(people oriented)」か「任務重視(task oriented)」かでしょう。『人間重視』の人は「やらなければならないこと」を多少後回しにしてでも「人との関係作り」のために時間を割きます。一方『任務重視』の人は多少人間関係を犠牲にしてでも「やるべき任務」を成し遂げようとします。あなたはどちらの傾向が強いでしょうか? 歴史を振り返るならば、恐らく日本は元来『人間重視』の文化を持っていたと思います。あまりアクセクと働くよりも『義理人情に厚い人間』として生きることが美とされていたのではないでしょうか?それがいつの間にか(高度経済成長の頃から?)『生産性・効率性』が重視されるようになり、『義理人情』などという言葉は古臭いものとして片付けられ、会社員たちは「自分たちの任務に献身」させられるようになってしまったような気がします。 話は変わりますが、私の母は現在87歳で、蕎麦を食べるのが大好きです。ですから私が一時帰国するたびに一緒に母の自宅から200メートルほどのところにある蕎麦屋へ歩いて行くのが習慣なのですが、母の歩行速度は年々遅くなってきています。今ではまるで「ウサギがカメと一緒に歩いている」かのように感じてしまいます。はっきり言ってものすごくじれったいのですが、ある時ふと「自分と共に歩んでくださっている神様」のことに思い当たりました。『全知全能の神様』にとっては、私たちのような人間と共に歩むことは「超じれったい」ことに違いありません。でも神様はきっと少しもイライラすることなく、むしろ微笑みながら共に歩んでくださっていることでしょう。そんなことを思いながら、母と共に200メートルの道のりを30分掛けて歩くのもなかなか風情があります。 クリスチャンであっても、中には「神のための働き」に熱心なあまり、身近にいる人々が目に入らなくなっている時もあるかもしれません。でも神様は私たちが「どれだけのことを成し遂げたか」よりも「人々にどれだけ心を注いだか」を評価してくださるのではないでしょうか?

聖書

(295) “自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。”

「イエス・キリストによる救い」を得た人々は、死んだ後も『天国』に行ける約束が与えられていますが、神様から与えられた体をキチンと管理していない人は、自分が望んでいるよりも少し早めにそこに行くことになってしまうかもしれませんから、気を付けましょう。今日は「自分の体の自己管理」のお話です。次の3つの点を心がけましょう。 1.食生活の改善 ・実に多くの人が「不健康な理由」によって食生活を左右されてしまっています。ストレス、退屈さ、疲労感、怒り、憂鬱さ、劣等感などなど。また、日常に食べるものもかなりのかたよりがあります。ファストフードやインスタント食品、スナック菓子などを取り過ぎて、新鮮なフルーツや野菜、そして繊維食品をあまり食べない人が多いようです。それでは体が悲鳴を上げてしまいます。ぜひ自分の食生活の傾向性をもう1度よく検討し直してみてください。  2.運動不足解消 ・突然「毎朝1時間のジョギングを始めよう!」などとは思わないで下さい。「少しずつ着実に」が継続のコツです。例えば「エレベーターの代わりに階段を使う」とか、「車を駐車するときに、いつもよりも目的地から離れた所に停めて歩く」とか、「テレビやパソコンに向かう代わりに子供とキャッチボールをする」などなど。神はあなたの体を「1日中座って過ごす」ようには造りませんでした。「週に3日30分の運動」だけで、私たちのストレスや高血圧などはずい分解消されるはずです。  3.早めに床に就く ・人間はたとえ大人であっても『8時間の睡眠』が必要だそうです。「自分はそんなに寝なくても十分やっていける」と多くの方々は言うかもしれませんが、「やっていける」のと「健康に生きること」には大きな違いがあります。「私は床に就くのは夜中過ぎだけど、毎日昼まで寝ているから大丈夫」という方もいるでしょうが、統計によると「夜中の12時より前の『1時間の睡眠』は、12時過ぎの『2時間の睡眠』に相当する効果がある」のだそうです。昔からよく言われているように「早寝早起き」は確かに健康な生活の基本なのです。 信仰深い方々はしばしば「神のみこころにかなった人生を歩みたい」と思うようですが、それならばまず、上記の3つのことに留意しながら『自分のからだをもって神の栄光を現す人生』を、ぜひ今日から始めてください。

メッセージ

2018年3月11日 「イエス・キリストは『神との平和』」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「イエス・キリストは 『神との平和』」    (11/03/2018) ◆キリストのもたらす『平和』 ・真の『平和』とは、単にうわべだけの「争いのない状態」ではない。イエスはこうも言われた。[ルカ12:51] ・私たちはイエスによって神と『和解』され[ローマ5:1]、 神の前に『義(完全に正しい者)』とされた。[Ⅱコリント5: 21] これは「私たちの努力で勝ち取られたもの」ではないので、私たちの「弱さや失敗」で失われることもない。 ・真の平安(シャローム)は、ただ「神との正しい関係」からやってくる。[ローマ8:31,ヨハネ14:27] ・神は、ご自身の子どもたちが、この平安を心に満たして生きることを望んでいる。[コロサイ3:15] ◆『和解の使者』として ・神は「私たちとの間の平和」が、他の人々との間にも及ぶことを切に求めておられる。[マタイ5:9] ⇒ [Ⅱコリント5:17-21] ✰まず自分自身の内に「キリストの平和」を満たし、その上で『和解の使者』として人々の許へ遣わされて行こう! ◆今週の『暗唱聖句』: [イザヤ書 26章3節]   Outline of the sermon      “Jesus is ‘the peace with God’.”     (11/03/2018) ◆God offers Read more…

聖書

(294) “御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。”

我が家の長男の妻はニュージーランド人ですが、ラーメンが大好きです。私たちの住むクライストチャーチにもいくつか「それなりのラーメン」を出すお店はありますが、当然「日本にある美味しいラーメン屋」には到底及びません。2年ほど前に同じ時期に日本を訪問したことがあり、そのとき私たち夫婦が知っているとっておきのラーメン屋に連れて行ってご馳走してあげたら、彼女はこう言いました。「お父さん、お母さんの意地悪!こんなに美味しいラーメンを食べてしまったら、もうクライストチャーチのラーメン屋さんには行けなくなっちゃうじゃない!」私たちが『本物』に触れたとき、もはや私たちは「まがい品」では満足できなくなってしまうのです。 神は私たちを「この世が提供するもの」によってではなく、「神ご自身からしか受け取ることのできないもの」によって生きるようにお造りになられました。ですから私たちは本来「この世にあるもの」では真の満足を体験できないわけなのですが、神から離れて生きている私たちは「本物が与える真の満足」を知らないので、ある人々は「まがい品が与えるそれなりの満足」にごまかされ、またある人々は常に「物足りなさ」を感じているのです。 上記の聖書のことばに出てくる『御霊』とは、人が不信仰によって神から離れてしまう前に神から与えられていた(すなわち、本来人間が生まれつき持っているはずだった)「神ご自身の霊」です。『御霊』は私たちを「神の愛」「神の喜び」「神の平和」へと導き、まさに「人間が本来歩むはずであった人生」へと私たちを導いてくれるのです。「御霊によって歩む人生」が私たちに与えてくれる『満足』を味わったなら、もはや「この世が提供する満足」では物足りなくなるのです。 イエス・キリストは、地上におられる間まさにそのような人生を生き、そして私たちと神との致命的なギャップを埋めるために私たちの代わりに十字架にかかられ、そして今私たちはこのイエス・キリストの身代わりの死を『自分のこと』として受け入れる時、神からの賜物としてこの「神の霊である『御霊』」を与えられ、それまでとは全くレベルの違った平安や喜びを抱いて生きることができるようになるのです!