聖書

(309) “私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方”

聖書には『天地創造の神』について書かれてありますが、「創造主なる神を信じて生きる」ということは一体どういうことなのでしょう?ただ単に「神は実在すると信じている」ということとどう違うのでしょう? 私たちは『神』というと、何となく漠然と「大きな力ある存在」というイメージを抱きます。そしてそれが「恐れの対象」になったり「お願い事の対象」になったりするわけですが、あまり『個人的な関わり』を持って生きるなどということは考えません。しかしもしこの神が『創造主』であるならば、この方抜きで人生を生きることは「とてつもなく大きな損失である」ということがお分かりでしょうか? 私たち人間でさえ、何かを作る時にはそれなりにアイディアを巡らせます。意味もなく無駄になることのために時間や労を費やすことは虚しいからです。ましてや神が何かをお造りになるなら、そこには必ず「崇高で綿密な計画」があるに違いありません。そして神は人間とは違って『失敗作』を造ることもありません。ですから「創造主なる神を信じて生きる」ということは「神は私の人生に『崇高で綿密な計画』を持っておられる」と信じて、それを追求しながら生きることに他なりません。「神が自分のために備えておられる偉大な人生」を模索して生きることは、単に「神にお願い事をしてかなえてもらう人生」にはるかに優っているのです! 私は20歳の時にイエス・キリストを通して「神との個人的な関わりを持って生きる人生」へと導かれました。それまでもそれなりに恵まれた人生(家庭的にも、学生としても、友人関係においても)を送っていましたが、それ以降今に至るまでの人生は、私が学生時代に思い描いていたような「そこそこ成功を収めた人生」とはまるで違っています。分かりやすく言うならば「自分の人生がこんなにも喜びと満足と驚きに満ちたものとなるとは思ってもみなかった」という人生を送らせていただいているのです。 恐らく多くの人々は「自分は何故生まれてきたのだろうか?」「自分はどこから来てどこへ行くのだろうか?」というような疑問を1度は感じたことがあると思います。私はそのような方々に「『創造主なる神』を信じて生きることは、こんなに素晴らしいのだ!」ということを、ぜひとも体験していただきたいのです。『創造主なる神』に出会うことに「遅すぎる」ことは決してありません。私は99歳になってこの神と出会って人生を大きく変えられて、喜びをもって104歳で天国へと凱旋していった方を知っています。今この文章をお読みのアナタも、ぜひ「神との個人的な関わりを持って生きる人生」を求めて祈り始めてみませんか?

メッセージ

2018年7月15日 「わたしについて来なさい」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「わたしについて来なさい」       (15/07/2018) ◆わたしについて来なさい。[マタイ4:18-22] ― イエスの命令はいつでも「共に歩もう」との招き。 ・弟子たちは「~を捨てて従った」。では「イエスについて行く」とは、物や家族を捨てること? ⇒ そうではない![ルカ9:23-25] 「この世がもたらす魅力」「この世の神(悪魔)の支配下」から離れること。 ・現在この世において、『神の国』と「悪魔の国」との間で、激しい「人類争奪戦」が繰り広げられている。 ◆感覚に頼るな! ・(エデンの園以来)悪魔は人間の理性(感覚)に働きかけ、私たちがキリストについて行くことを阻止しようとする。 ・キリストに出会うまでの私たちは、言わば『この世中毒』。それ故「キリストに従う歩み」には違和感が伴う。かと いって「自分の感覚」に頼って逆戻りしてしまったら『中毒』は悪化する一方で、「この世の神」の思うツボ。 ・一旦キリストにあって踏み出したなら「真理による自由」を体験するまで振り返らずに信仰によって前進しよう! ✰たった1度の人生を、あなたは「無難に」生きたいですか?それとも『最大限に』生かしたいですか? ◆今週の『暗唱聖句』: [マタイの福音書 4章19節前半]   Outline of the sermon         “Come, follow me.”        (15/07/2018) ◆“Come, follow me”. [Matthew 4:18-22] ― Whenever Jesus Read more…