(662) “うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし…”

 「後悔先に立たず」ということわざがありますよね?「物事が終わってから悔やんでも、取り返しがつかない」ということを表すのに用いられます。ではどうすれば良いのでしょうか?「全ての事に気を付けながら生きましょう」という事なのでしょうか?もちろんその通りではあるでしょうが、それはとっても大変ですよね?  私たちの子供たちがまだ幼い頃の我が家のモットーは、「Learning Experience」でした。「失敗を恐れるな。そこから何かを学べば良いんだから」ということです。子供たちが幼い頃に日本を離れ、様々な国々で暮らしていたので、その国の文化が分からず、家族でよく『失敗』しました。そんな自分たちを励ますための発想でしたが、お陰で我が家の子供たちはとても生き生きと育ってくれました。  聖書は、「イエス・キリストは私たちの罪の身代わりに十字架にかかって、それらの罪の代償を支払ってくださった」と教えます。もちろんこの『キリストの十字架』は、「『天地創造の神』と『私たち』との間を隔てていた『罪の壁』を取り除くため」であったわけですが、それと同時に「私たちが過去の失敗や不運な出来事に捕らわれず、いつも新たな心で前向きに歩むため」でもあります。イエス・キリストの代償の故に、もはや神は私たちの過去を問いません。ですから、「自分にはあんな過去があるからもうダメだ」などということは決してありません。  神は私たちの目を『前』にだけ付けてくださいました。私たちは「後ろ向きに生きる」ようには造られていないのです。ですから、イエス・キリストを信じることによって「うしろのものを忘れ」、明日を守り導かれる神様を見つめて歩んで行きましょう!

2026年7月19日 「1人のたましいの重み」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「1人のたましいの重み」   (19/07/2026) [ルカの福音書 8章26~39節] ◆何が起こっているのか?  ①嵐の中苦労してやっと「向こう岸」に辿り着いたのに、そこに滞在したのは恐らくわずか数時間!  ②誰にも制御できないでいた『問題児』を癒し、解決してくれたイエスを、ゲラサ人たちはサッサと追い出した!  ③この哀れな「悪霊から解放された男」の懇願を、イエスはあっさりと拒否された! ◆これらの出来事の意味  ①イエスはこの町で起こることを前もって知っておられただろう。それでもイエスは「たった1人の男」を救うためにこの地に来られた。それは「99匹の羊を置き去りにしても、1匹の『迷える羊』を救い出す「良き羊飼いの愛」。  ②ユダヤ人たちが忌み嫌う「豚の群れ」を飼っていたということは、このゲラサ人は異邦人または「霊的な世界に無関心な人々」。イエスに対し「畏敬の念を抱く」というよりも、「災いをもたらす存在」とみなしたのだろう。  ③通常イエスは、病を癒したり霊を追い出した相手に対し、「誰にも言うな」とおっしゃる。しかしここでは?(39節)神は『全ての人』が救われることを望んでおられる。イエスはこのゲラサ人たちさえも救われることを望まれた。そのためにこの男はこの地方に残る必要があった。「あなたを通してしか神と出会えない人」はいませんか? 今日の真理: 今のあなたの状況には、神の計画がある ◎更に深い学びのために  ①今日の箇所で、一見「えっ?」と感じるような内容には、どんなものがありますか?  ②「神の国の視点」から見ると、上記の出来事にはどんな意味がありそうですか?  ③神様が「あなたを通してしか届くことのできない人」は、誰ですか? あなたはその人に対して、どうしますか? Outline of the sermon    “Everyone is valuable in God’s eyes.”    (19/07/2026) [Luke 8:26~39] ◆What’s happening here?  ①Jesus and disciples stayed on the Read more

(661) “神の恵みを無駄に受けないようにしてください。”

 多くの「宗教」は何らかの『救い』という概念を提供していますが、そのほとんどは「~からの救い」というものです。ところが聖書が教える『救い』は「~から」というよりは、むしろ「~のための救い」といった様相が強いように思われます。もちろん聖書の救いも「罪・死・さばき」からの救いという側面もありますが、それ以上に「それは神との関係が回復されるためであり、またそれによって私たちが地上で『神の栄光』を輝かせるためである」というのが聖書の中心的なメッセージです。  神は私たちを、ご自身の『栄光(素晴らしさ・偉大さ)』を地上で表現する存在としてお造りになり、またこの地上に置かれました。ところが私たちは神から離れて自分勝手な生き方へと走り、結果「神の恵みや祝福」を味わうことができなくなってしまっていました。そんな私たちを神は憐れんで、もう1度ご自分の許に取り戻すために、私たちの「罪の代価」を「罪なきひとり子イエス・キリスト」に身代わりに負わせることによって、私たちとの関係を回復してくださいました。ここまでがいわゆる「~からの救い」の部分です。そしてこの『救い』を受け取ることで甘んじてしまっている人もいるわけですが、それは「神の心を全然理解していない」というものです。  神は人間を、私たちが考えているよりも遥かに「尊く・優れた存在」として創造されました。私たちは神との関わりの中でまさしくイエス・キリストが歩まれたような「愛と力に満ち溢れた人生」を生きることができる者としてお造りになったのです。これを知らずに「~からの救い」だけに甘んじてしまうならば、それは「せっかく与えられている大いなる可能性にフタをして生きること」になってしまうわけです。  いわゆる「宗教」は、これらの『優れて偉大な人生』を「救いの条件」にしてしまって、「これこれの修行を積んだら救われる」とか「これだけのものをささげたら救われる」などと教えますが、それらは「救われたからこそ可能になる生き方」であって、自分の力で「救いの条件」を満たすことができる人は1人もいないのです。

2026年7月12日 「あなたの『信仰』はどこに?」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「あなたの『信仰』はどこに?」   (12/07/2026) [ルカの福音書 8章22~25節] ◆何が起こっているのか?  ・通常この箇所で私たちは「自然界さえも従える権威を持つイエス」にスポットを当てて考える。しかしこの箇所でそれ以上に注目すべきは、イエスの2つの言葉(「向こう岸へ渡ろう」と「あなたがたの信仰はどこにあるのか」)である。嵐に翻弄されていた弟子たちが慌てて「眠っていたイエス」を起こしたのは、イエスが嵐を治めてくれるのを期待したというよりは、「何をのんきに寝てるんですか!」という感じ。(マルコ4:37-38) しかし実際『眠っていた』のは「イエスご自身」ではなく、「弟子たちの信仰」だった。 ◆『信仰』はどこにあるのか?  ・私たちが日常生活の中で頼りにしがちなのは、①自分の考え ②周囲からの情報 ③気分 などであるが、これらはどれも移ろいやすい。絶対的な信頼を置くには、あまりにも危険すぎる。  ・では私たちは人生の拠り所をどこに置けば良いのだろう?それは「永遠不変のもの」、すなわち『神のことば』。(Ⅰペテロ1:23-25) ではこの場面で弟子たちは何を信じているべきだったのか?それはイエスの「向こう岸へ渡ろう」という言葉であった。預言者イザヤはこう預言した。(イザヤ55:8-11) あなたの信仰はどこにありますか? 今日の真理: 永遠不変の『神のことば』に信仰を置く ◎更に深い学びのために  ①主イエスはこんな嵐の中で、どうして眠っていられたのだと思いますか?  ②あなたは日常生活において大切な判断を下す時に、どんなものを判断基準として頼りにしていますか?  ③純粋に『神のことば』を自分の判断基準と定めるため、あなたが明け渡さなければならないものは何ですか? Outline of the sermon    “Where is your faith?”    (12/07/2026) [Luke 8:22~25] ◆What’s happening here?  ・In this paragraph we usually take Read more

(661) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

 多くの方々は「誰かの力になりたい。助けになってあげたい。」と思っておられると思います。ただ日本に住む日本人の方々は結構「出過ぎた真似はしたくない」という気持ちがブレーキになって、なかなか実際には『人助け』をできずにいるのではないでしょうか?  私の住むニュージーランド・クライストチャーチには、日本からの訪問者・留学生・ワーキングホリデーの若者などが毎年大勢押し寄せます。恐らく私が新しく知り合う人の合計は1年で100人近くいるのではないでしょうか?そんなわけでついついお世話をすることが多くなります。そんな中で気付いたのは、皆さん初めは「あまり知らない人に一方的にお世話になる」ということに抵抗があるようで、本音は「助けてもらえれば有難い」のに、「いやぁ、申し訳ないから…」とおっしゃるんですよね。そんな時に私がいつも申し上げることは次のことです。  「よく聞いてくださいね。現在ここクライストチャーチに住んでいる方々も、初めは皆さんのように『新参者』だったんです。でも当時既にクライストチャーチに住んでいた方々から親切にしていただき、『いつかは自分も後から来た人たちを同じように助けてあげよう』と感じていたんですよ。私もその1人です。ですから今は甘んじてその親切を素直に受け取って、やがて自分がこちらでの生活に慣れた頃に、新しくやってきた人たちを助けてあげてくださいね。」  私たちは皆、まず『愛されること』が必要です。そしてその経験が「愛したい!」という動機付けへとつながります。神は私たちがご自身に似た者(すなわち『愛する者』)となって欲しいと願いつつ、まずひとり子キリストを通して「愛して」くださいました。ですから、自分自身が『誰かの力になってあげられる存在』となるために、「誰かから助けてもらうこと」を遠慮なく受け取れる人になりましょうね!

2026年7月5日 「アウトリーチ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「アウトリーチ」     (05/07/2026) [『3つの関係』において成長する③] ・いわば『アウトリーチ』。(待っていないで、こちら側から働きかける) ◆『愛』のExtension.(ヨハネ13:35)  ・私たちが互いに愛し合うことが、まず『神との関係』に由来していたように、アウトリーチも、「神の家族の間での深い愛による結び付き」に基づいている。(使徒2:44-47)  ・アウトリーチの目的は「宣教」でも「奉仕」でもなく、『愛すること』。「救い」とか「成長」は、「結果(副産物)」に過ぎない。「活動そのもの」が目的になってしまうと『結果』に気を取られ「不満・落胆・挫折」に襲われる。しかし聖霊による『愛』に促されるなら、たとえ見えるところで事がうまく運ばなかったとしても常に『御霊による喜び』がある。 ◆アウトリーチの要素  ・アウトリーチには大きく分けて2つの側面がある。1つは「言葉による福音宣教」。そしてもう1つは「具体的な必要に仕える『愛の奉仕』」。ここでも「主キリストとの個人的な関係」がカギ。「アタマだけの信仰」で言葉を並べるのではなく、自分の内側に燃えている「イエス・キリストにある希望」を味わいつつ証しする。(Ⅰペテロ3:15)  ・またアウトリーチは「チームワーク」でもある。口が上手い人のためだけではない。『愛の奉仕による宣教』には「キリストのからだの各器官」が必要とされる。「介護・医療・料理人…」JCFはそんな人々で満ちているのでは? 今日の真理: 『アウトリーチ』の目的は「宣教」でも「奉仕」でもなく、『愛すること』 ◎更に深い学びのために  ①「神の家族以外との関係」において成長して行くために、私たちにまず必要とされることは何でしょう?  ②『アウトリーチ』とは、どのようなものですか? また『アウトリーチ』の根本的な目的はどんなことでしょうか?  ③『アウトリーチ』の主な要素は何ですか? それらを実践するためには、どのような実質が必要とされますか? Outline of the sermon      “Outreach.”       (05/07/2026) [Grow in “3 relationship”②] ・We call this “Outreach”. Not just “waiting for them” but “going out” to reach them! Read more

(660) “主はあわれみ深く、情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである。”

 聖書の神を表現することばで、よく『恵み』とか『あわれみ』とかが用いられますよね?どちらの言葉からも「優しくて寛容」といった印象を受けますが、一体この2つの言葉には何か違いがあるのでしょうか?実は厳密に言えば、あります。  『恵み』というのは、別の言い方をするならば「無償の」という意味で、更に深い意味を付け加えるならば「本来受けるに値しない人が受けることができる」という祝福です。ですからある意味私たちが不完全な者でありながら神様から受ける祝福はすべて『恵み』と呼ぶことができるわけです。この世に生を受けることも、太陽や酸素が与えられていることも、日々活動する力や知恵が与えられていることも、全て「神の恵み」によっているわけですね。  一方『あわれみ』というのは、「本来私たちが受けなければならない罰や災難を免れる」という祝福です。いうなれば「見逃してもらう」ということですね。これはしばしば『弱者』に対して注がれるものかもしれませんね。生活保護であったり、被災地支援だったり、子供や孫の無邪気ないたずらを大目に見たりなど、私たちも日常で経験することがあるのではないでしょうか?きっとこれらは「神のかたちに似せられて造られた」という人間に潜在的に備わった性質でもあるのかもしれません。  そしてこの神の『恵み』と『あわれみ』が最も顕著に表されたのが、「イエス・キリストの十字架」です。神に対する私たちの不信仰や不従順、そして神がこよなく愛しておられる『人々(自分自身を含む)』を不当に扱ったり、傷つけたりしてしまう私たちが、当然受けるべき『罰』をキリストが代わりに受けてくださったことによって、私たちは神の前に「赦された者」となり『神の子』として受け入れられる。これこそ究極的な『恵み』であり、神の『あわれみ』の表現です。  人間が作り上げた『宗教』のほとんどは、「自分の力や努力・修行によって『救い』を勝ち取る」というものです。しかし聖書は「人がそのようにして『救い』を勝ち取ることができるなら、そのような人は必ず、神が最も嫌う『高慢』に陥る」と警告しています。本来『救い』というものは、神の『恵みとあわれみ』によって一方的に与えられるものなのです。

2026年6月28日 「コイノニア」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「コイノニア」     (28/06/2026) [『3つの関係』において成長する②] ・『人間関係』は最も大切かつ難しい。神の助けが不可欠。(Ⅰヨハネ4:19) ◆イエスによる「新しい戒め」(ヨハネ13:34-35)  ・「新しい戒め」と呼んだのは「古い戒め」があったから。それはイエスが『律法の中で最も大切な戒め』として指摘された「神を愛すること」。そして「神を愛する」とは「神が愛しているものを、神が愛しているように愛すること」である。では「神が最も愛しておられるもの」とは?それはご自身の子供である『私たち』である。(Ⅰヨハネ5:1-3)  ・イエスは正に「神が愛するように私たちを愛して」くださった。そして「イエスが愛されたように互いに愛し合う」とは「互いのために命を捨てる」ということ。(Ⅰヨハネ3:16-18) ◆神の家族との関係(コイノニア)  ・「命を捨てる」とは「相手のために死ねばよい」という事ではなく、「相手の最善のために、自分の持っているものを惜しみなく与える」ということ。そして「人間にとっての『最善』」とは、「神に近づくこと」に他ならない!  ・1つのギリシャ語を紹介しよう。それは『コイノニア』。いわゆる『交わり』を指すが、それ以上のもの。すなわち「互いの喜びや痛みを分かち合い、具体的に時間その他の犠牲を払って支え合う親密な関係」(箴言17:17)。 J・C・Fの『F』(fellowship)は、お互いが更に神に近づくために、この『コイノニア』を表現するものであって欲しい。 今日の真理: 神の願いは、私たちが深く愛し合うこと ◎更に深い学びのために  ①何故イエスがおっしゃった『新しい戒め』が、「律法の中で最も大切な戒め」を包括するものとなるのでしょう?  ②「イエスが愛されたように愛し合う」とは、具体的にどうすることですか? あなたにはどんなことができますか?  ③JCFが「神の望まれる『コイノニア』」に近づいて行くために、どのような点で成長する必要があるでしょう? Outline of the sermon      “Koinonia.”       (28/06/2026) [Grow in “3 relationship”②] ・“Relationship” is so important but very hard.  God’s help is necessary!(ⅠJohn 4:19) ◆“New Commandment” by Read more

(659) “わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。”

 通常ある活動や役割に長く携われば携わるほど、その活動や役割において熟練し、自信が付き、他に頼らずに自分で切り盛りできるようになるわけですが、面白いことに『クリスチャン』として生きる人生においては、その逆である場合があります。どういうことかと言うと、『クリスチャン』として「神との関係」の中で生きることが長くなればなるほど、自分の弱さに気付かされ、また「正しさや愛情深さ、そして聖さにおいてもっと成長したい」という願いも強まるにつれ、「自分の力では無理!神様の助けがもっと必要!」というようになって行くわけです。  神様を知らずに生きる人生においては、「向上心の目安」は大抵『自己満足レベル』、またはせいぜい「周囲に満足されるレベル」なわけですが、クリスチャンにとっての『向上心』は、「神に造られた作品としての完成レベル」を目標としています。クリスチャンになったばかりの頃はこのイメージはぼんやりしていますが、神様との歩みを重ねて行くに従って明らかにされて行き、ついには「これは自分の力ではどうしようもない。でも神様はこの『ご自身のご計画』を成し遂げられるために力を与えて下さる方だ!」という信仰が与えられ、自分自身を神の力強い御手に明け渡し、『自分を通して現される神のわざ』を体験する者とされて行くのです。  神はこのような「自分自身の真の『弱さ』に気付いた者」を通して、ご自身のみわざを現されるお方なのです。

2026年6月21日 「神との正しい関係」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神との正しい関係」    (21/06/2026) [『3つの関係』において成長する](①神との関係 ②神の家族との関係 ③神の家族以外との関係)  ・[ヨハネ13:33-38] この箇所には『3つの関係』のすべてが登場しているが、今日はこのペテロに注目しよう。彼はイエスを深く愛しており、どこまでも付いて行こうと決心していたが、果たせなかった。イエスは「あなたは今は付いて来られないが、後には付いてくる」とおっしゃった。『後に』とは、聖霊が臨まれた後のこと。  ・[マタイ7:21-23] 「イエスの名によって悪霊を追い出し奇跡を行うこと」は当然『神のみこころ』だと思ってしまうが、それは違う。『神のみこころ』の主役は「わざ」ではなく、『神ご自身』。そこに『私』が混入するとズレてしまう。 ◆『自分主導』と『神主導』(ヨハネ7:6)  ・『神のみこころ』は、「私たちが行うもの」ではなく、「神の主導で成就されるもの」であり、それを成就なさるのは「神の御霊(最高の賜物)」である。また御霊が私たちを通して『神のみこころ』を成就なさるためには、私たちの側の準備が整っている必要がある。それはペテロのような「主に従おうという強い思い」ではなく、「あなたが望む時・望む方法でこの身をお使いください」という『明け渡し』である。これこそが「『神との関係』に生きる」ということ。  ・ここで大切なのが「神は良いお方で、最善以外はなさらない」という確信。これを正しく信じていないために私たちはつい「自分のことは自分でやった方が…」と独りよがりに先走ってしまう。『最良のお方』に明け渡して歩もう! 今日の真理: 神が注目されるのは『明け渡された心』 ◎更に深い学びのために  ①私たちが成長すべき『3つの関係』とは、どのようなものでしたか? もう1度「JCFの目標」を復習しましょう。  ②『神のみこころ』に関してどんな思い違いをしがちですか? 「みこころの成就」のためにどうすれば良いでしょう?  ③「神との正しい関係に生きる」とは、どういう事ですか? そのためにあなたに必要な変化は何ですか? Outline of the sermon   “Proper relationship with God.”   (21/06/2026) [Grow in “3 relationship”] ①Relationship with God. ②Relationship in God’s family. ③Relationship outside Read more