(638) “自分の日を正しく数えることを教えてください。”

 誰でも「Life changing experience(価値観を大きく変えられるような経験)」というものを1つや2つはお持ちではないかと思います。私もいくつかあります。しかし後述のデニスさんのような経験をされた方はあまりいないのではないでしょうか?  彼はある時、講師として招かれた講演会へと出向くために空港の通路を全速力で走っていました。乗るはずのフライトに遅れてしまいそうだったからです。彼がやっとの思いで搭乗ゲートに到着した時、ゲートはついさっき閉じてしまったところでした。デニスは事情を説明し、何とかゲートを開けてくれるように係員に頼みましたが、返事は「ノー」でした。彼は地団太を踏んで係員に対する怒りを表しながら、苦情を訴えるため、また別のフライトのチケットを何とかして手に入れるために受付カウンターへと向かいました。ところがカウンターには長蛇の列ができており、何分待っても少しも前に進む気配はありません。彼の怒りと不満は、まさにピークに達しようとしていました。そんな時、下記のような場内放送が流れたのです。  「場内のお客様にお知らせいたします。たった今離陸予定でしたロサンジェルス行きのフライト191便が、離陸途中で事故に遭い、誠に遺憾なことではありますが、乗客の中で生存者がいる可能性は絶望的な状況です。」  デニスは苦情を訴えることも、別のチケットを予約することもなく、そのまま帰途に就きました。彼の手には、自分が乗るはずだったフライト191便のチケットが握りしめられていました。彼はそのチケットを自室の壁に貼り、イライラした時やムッとすることがある度にそのチケットを見て、自分が今生きていることは決して偶然ではないことを思い巡らすようになったのです。  今あなたが生きていて、この2026年を迎えることができているのは、決して偶然ではありません。神はあなたに「生きよ!」 と命じられています。この新しい1年を、些細な事で気を悪くすることなく、「明日を守られる神様」を見上げて進んで行きましょう!

2026年1月4日 「神の国の真理」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ     「神の国の真理」     (04/01/2026) [テモテへの手紙 第1.2章4節] ◆真理は私たちを「不快」にする  ・神は私たちがまず御子イエスの血によって「救われること(神との関係の回復)」を望んでおられるが、その上で  更に私たちが神の御霊の働きによって「神の国の『真理』に生きるようになること」を切に望んでおられる。  ・[ヨハネ8:31-32] イエスは「真理はあなたがたを自由にする」と言われた。ならば誰もがこの『真理』を知りたいと思うであろう。しかし実際は、私たちが『神の国の真理』に出会うと、少なからず「違和感(不快感)」を覚える。何故なら『神の国の真理』はしばしば、私たちが安住している「この世の原理」に真向対立するから。 ◆『真理』が「信仰」と結びつく時、真の「自由」へと向かう  ・では何故イエスは「真理が自由にする」と言ったのだろう?よく文脈を見ると、イエスは「ご自分のことばにとどまるなら、弟子とされ、真理を知って自由にされる」とおっしゃった。イエスのことばに「とどまる」とは、「自分の考えとイエスのことばが違っているなら、イエスのことばの方に乗り換える」、すなわち「自分の悟りや信念」ではなく、『神のことば』に信頼して従うことに決める、ということ。そしてこの「『神の国の真理』に対する、単純な信仰による従順」が私たちを「地上における歩みの新しい次元」へと招き入れてくれるのである。 今日の真理: 「自分の考え」よりも「神のことば」の方が、いつも正しい ◎更に深い学びのために  ①何故『神の国の真理』は、しばしば私たちを「不快」にするのですか?  ②どのようにして「真理を知ること」が『自由』と結び付くのでしょう?  ③あなたは『神の国の真理』に根差して生きたいですか? それとも「現状維持の人生」を保ちたいですか? Outline of the sermon  “Truth of God’s kingdom.”   (04/01/2026) [ⅠTimothy 2:4] ◆Truth makes us uncomfortable.  ・God first desires us to be saved by Christ, Read more…

(637) “順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。”

 早いもので、今年もあと残すところ2日となりました。2025年は皆さんにとってどのような年だったでしょうか?聖書に「神が良くしてくださったことを何1つ忘れるな」という言葉があります。1年の終わりに「神の祝福」を1つ1つ思い起こしてみるのは素晴らしいことだと思います。私ごとですが、今年は3人目の孫が生まれ、今年の年末年始はその孫を連れて末息子夫婦がわざわざ日本から来てくれています。本当に感謝なことです。  ところで、神様は私たちの目を「前を見るように」付けてくださいました。もちろん過ぎたことを振り返って反省したり、良い思い出を懐かしんだりすることは良いことに違いありませんが、基本的に私たちは、常に『前向き』に生きて行くべきです。但し神様は私たちを「1秒先のことも分からない」ようにもお造りになりました。これは私たちが「明日のことを思い煩わずに、ただ神様に信頼し、委ねて生きるため」に他なりません。  創造主である神は、「永遠の存在」であり、また『良いお方』です。時空に捕らわれることなく、私たちを『最善の道』へと導いてくださる方です。来たるべき2026年も、このお方に信頼し、このお方を日々見上げつつ、雄々しく前進して行きましょう!

2025年12月28日 「2025年総括」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「2025年総括」    (28/12/2025) ◆神様の恵みを思い起こす(詩篇103:2)   ①第3回全国日本人クリスチャン・カンファランス in Wellington.(1月) ― 『御霊による一致』というものを味わうことのできた、至福の時でしたね。 ⇒ 次回は2027年1月にネルソンで!   ②Protostars春夏秋冬 ― 年の初めと今とでは、メンバーが大きく違う!   ③オークランド賛美集会(7月) ― 4年前の『ワンボイス・カンファランス』を彷彿とさせる、素晴らしいひと時でした。   ④レディース・ディナー(8月) ― JCF初の試みでした。いやぁ、美味しかったですねぇ!   ⑤ハリス&ハナ結婚式(11月) ― JCF内で誕生したカップルは、これで何組めなのでしょう???   ⑥3回の洗礼式 ― 合計4名の方々が洗礼をお受けになりました。誰だったか覚えてるかな? ◆2026年に向かって(マタイ6:34,伝道者の書7:14)  ・神は私たちの目を、「前を見るように」と前向きに付けられた。後ろの事は「思い出」や「今後の参考」にはなるが私たちは絶えず前に向かって進んで行くように求められている。と同時に、神は私たちに「1秒先さえも分からな  い」ようにもお造りになった。それは私たちに、常にご自身に信頼して歩んでもらいたいから。  ・神様は来年のために「新しい恵み・祝福」を用意してくださっている。『天の良いお父さん』に信頼し、ワクワクしながら、一緒に歩んで行きましょう! 来たるべき新しい年の1人1人の歩みの上にも、神様の豊かなあわれみと祝福がありますように! ◎グループでの分かち合い  ①2025年を振り返って、「神様が良くしてくださったこと」を思い起こし、互いに分かち合いましょう。  ②今年経験したことで、今後の参考になりそうだと思われることに、どんなことがありますか?  ③来たるべき2026年に、どのようなことを期待していますか? Outline of the sermon    “Overview of 2025” Read more…

(636) “この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。”

 心理学者たちの調査によると、私たちの『自己尊厳性(自尊心)』は「自分が最も重要視している人物が自分のことをどう思っているか」に最大の影響を受けるそうです。すなわち通常子供たちにとっては『親』ということになりますよね?既婚者であれば『配偶者』、社会人であれば『職場の上司』、また「大切な友人」や「先生」だったりするかもしれません。  残念なことに、人間は完全ではないし、時には悪意に動機付けられることもあるので、私たちを落ち込ませたり、悩ませたり、深く傷付けたりすることがあります。しかし『良い知らせ』があります!私たちを形造られた『創造主なる神』は、私たちを愛し、また私たちの『真価』を知っておられるので、私たちがこの方を「自分の人生において最も大切な存在」とする時、私たちは「正しく健康な自己尊厳性」を持って生きられるようになります。「神が私のことをどう思っておられるか」ということを基盤に自意識を築いて行くのです。  人生に間違いや失敗は付き物ですが、私たちの周囲の人々は私たちの失敗に対して批判したりこき下ろしたりすることが多々あるので、しばしば私たちは『不健康な罪責感』に陥ります。しかし創造主なる神はこう言われます。「わたしはあなたの失敗や過ちを知っているが、それをわたしの『憐れみの目』で見ている。もう1度立ち上がって前に進んでごらん。今度はきっと前よりも上手にできるようになるから」と。  聖書は私たち1人1人を『神の傑作品』と呼んでいます。『作品』は『製品』のように大量生産で製造されたものではなく、「世界にたった1つしかない、ユニークで貴重な存在」です。神はあなたのことをいつもそのようにご覧になっているのです。そして、あなた自身にも自分のことをそのように感じて欲しいと願っておられるのです。

2025年12月14日 「新しい皮袋になる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「新しい皮袋になる」    (14/12/2025) [ルカの福音書 5章33~39節] ◆パラダイム・シフト  ・「古い皮袋」は弾力性がないので、発酵に伴って膨張する「新しいぶどう酒」に対応することができず破れてしま  う。同様に「人間的な律法解釈」で長年凝り固まってしまったパリサイ人たちは、主イエスが語る「神の口から出る生けるみことば」に適応できなかった。  ・私たちも「自分勝手なみことば解釈」に縛られず、マリアのように「おことば通りになりますように」と従う姿勢(パラダイム・シフト)が必要。考えすぎず、幼子のように「分からないことは主に委ねる」という信仰の姿勢を育もう! ◆信仰による「自発性」(33~35節)  ・これはいわば「オレたちはこんなに信仰深く生活しているのに、お前は弟子をちゃんと躾けてない!」と言っている。確かにパリサイ人たちは外面的には「敬虔な習慣」を身に付けていた。  ・「習慣的に行う」ということは助けにはなるが、徐々に「初心を忘れ、心が伴わなくなる」という危険性も含んでいる。ここでイエスが話されたのは、「習慣によって」ではなく、「内側からこみ上げてくる心に動かされた(自発的な)断食」のこと。これは『神との個人的な関係』に基づいて日々成長して行くもの。 今日の要点: 「アタマ」ではなく、『御霊』 ◎更に深い学びのために  ①断食したことはありますか? それはどんな理由からでしたか? 結果としてどのようなものを得られましたか?  ②信仰生活の中で「習慣的になってしまって、あまり心が伴わなくなっている」と感じる分野はありますか?  ③上記の分野をリフレッシュさせるために、どんな工夫ができると思いますか? Outline of the sermon   “Be a fresh wineskin!”   (14/12/2025) [Luke 5:33~39] ◆Paradigm shift.  ・“Old wineskin” is inflexible so that it cannot contain “the Read more…

(635) “主によって、人の歩みは確かにされる。”

 英語の「prepared(整えられた、準備された)」という語は、もともと古代の王様が「自分が出向こうとしている目的地に、事前にしもべを送って下準備をさせておく」ということに用いられた言葉だそうです。もちろん人間には足りないところや、能力や経済に限界があるので、必ずしも『王の到着』にふさわしい準備ができないこともあるわけで、そんな時はしもべたちは王の怒りに触れて、罰を受けたり、時には殺されてしまうこともあったでしょう。  さて、このことに比べると私たちの『王の王』である神様は、ご自分のしもべである私たちに先立って「行く道を整えてくださる」というのですから、全く驚くべきことです。しかも私たちの神様は全知・全能であり、愛に満ちておられます。古代の王のしもべたちのように、考えが足りなかったり、準備が不十分だったりすることはありません。全てが完ぺき(私たちが期待する以上)なわけです。  もちろん私たちは、神が私たちの将来にどのようなことを備えてくださっているのかを知らないので、人生の途上で不安に襲われたり、たじろいだりしてしまいます。時には人生を投げ出したくなってしまうことがあるかもしれません。そんな私たちに対して神様が望んでおられることは「優れて立派な人間になること」ではなく、ただ単純にご自身に信頼することなのです。

(634) “私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。”

 『神』という方は「感情を持たずに機械的に物事を運営する存在」というように考えている方がいるかもしれません。しかしそれはとんでもない間違いです。聖書は「神は人をご自身に似た者としてお造りになった」と述べています。ということは、神様は私たちの想像以上に「情緒豊かな存在」に違いありません。但し、私たちのように「感情的になり過ぎてつい失敗を犯す」というようなお方でもありません。もしそうだとしたら、恐らく人類は今日まで生き残れなかったことでしょう。  神は私たちの『喜怒哀楽』を楽しまれます。そのような存在として私たちを創造されたのですから。神は私たちが喜び踊っている時、共に心を躍らせておられます。私たちが悲嘆に暮れている時、共に心を痛めておられるのです。時には私たちは苦しみのあまり、神をののしったり暴言を吐いたりするかもしれません。そんな時も神様は、じっと私たちを見つめて、その思いの丈を受け止めてくださっているのです。  神にとって最も辛いことは、私たちからののしられることではなく、『無視』されることです。ですから、たとえ私たちが神様を「怒りのはけ口」のように扱ったとしても、私たちを歓迎し、それらの思いを受け止めてくださるのです。そして、もし私たちが神への信頼の故に自分の「悲しみ・苦しみ・嘆きや思い煩い」を携えて御前に近づいて行くなら、神ご自身にしか与えることのできない「慰め・癒し・平安」を注いでくださり、またそれらの試練を乗り越えて生きる力を与えて下さるのです。