(631) “すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。”

 ある人がこんなお祈りをしたそうです。「神様、どうか私に『忍耐』を与えてください。今すぐに!」  私は、この手のタイプの祈りはなかなか叶わないのではないかと思います。何故なら神様は私たちの内側に『忍耐』を育むための最善の方法をよくご存じだからです。それは私たちが『待つこと』を学ぶことです。  現代はスピード時代です。私が若かった頃と比較して、「待つこと」が格段に減っています。生活が便利になり、物事がスムーズに進むことになったのは良い面がたくさんありますが、かといって私たち人間が「1秒先のことも分からない」という事は少しも変わっていません。私たちは先を急ぎ過ぎることなく、与えられている『今』をもっともっと大切にするべきではないでしょうか?  神様は私たち1人1人に「ユニークで最適なご計画」(自分を最高に活かすための道)を持っておられ、私たちの誰よりも、私たち1人1人がそこに辿り着くことを望んでおられます。だから急ぎ過ぎたり焦ったりすることなく、神様が目の前に与えて下さっている課題に全力で取り組むべきです。私たちはしばしば順境の中よりも逆境の中でこそ多くを学びます。だから「どうして神様は私をこんな試練に遭わせるの?」と愚痴ることなく、「ここに神様の最善がある」と信じて、その試練を通して神様が学ばせようとしておられることをしっかり受け止めましょう。  私たちは様々なコマーシャルに踊らされて「より安くより簡単に」手に入れるようにと教育させられてしまう傾向にありますが、そうではなく『より長持ちする価値あるもの』を獲得するために、「神様は今私をどのような季節に置いてくださっているのだろう?」と問いながら、今日1日をじっくりと歩んで行きましょう。

2025年11月9日 「御国のわざへの召命」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「御国のわざへの召命」  (09/11/2025) [ルカの福音書 5章1~11節](ルカだけが記している記事) ◆「おことばですので…」(4~6節)   ・ペテロは別に「もしかしたら今度は魚が獲れるかも?」と思ったわけではない。ただイエスの顔を立てて「おことばですので」と網を下ろした。しかしおびただしい数の魚が獲れたことで、イエスに対する考えは大きく変わったに違いない。たとえ『疑い』を持っていても敢えてみことばに従うなら、「更に深い神との出会い」を体験し、少し   ずつでも『神にふさわしい者』へと変えられて行けるのである。 ◆人間を捕る漁師(10節)   ・これはペテロが漁師だったから使われた表現であり、医者なら「たましいを癒す医者」、教師なら「御国の知恵   を教える教師」などと言ったかもしれない。   ・イエスは私たちを「この世のことに終始する者」ではなく、「地上で神のわざを行う者」とするために招かれる。私たちの能力や環境・人間関係は、単に「自己実現」や「自分自身や社会の益」のためだけにある訳ではなく、   私たちがそれらを通して「神の栄光や神の国の輝き」を地上で表現するために与えられている。自分自身を神の御手に委ねる時、神が私たちと共に実現したいと願っておられる「自己最高の人生」へと進んで行くのだ! 今日の要点: 神の招きに応じる ◎更に深い学びのために  ①みことばによる招きを受け、応じたこと、また応じることができなかったことがありますか? 分かち合いましょう。  ②イエスがあなたを招くなら、どんな者にしてあげると言われたいですか? どうしてそう思うのですか?  ③あなたの周囲で「神の国の訪れ」が必要とされているのは、どんな分野ですか? あなたには何ができますか? Outline of the sermon  “Called for the works of kingdom.”  (09/11/2025) [Luke 5:1~11] ◆“But at your word…”(Verses 4~6)   ・Peter never Read more…

(630) “いつまでも残るのは、信仰と希望と愛です。”

 あなたにとって「生活必需品」とは何ですか?私が生まれた昭和の時代の「生活必需品」は、「テレビ・冷蔵庫・洗濯機」でした。恐らく今の時代「日々の生活で無くてはならないもの」と言えば、真っ先に『携帯電話』が挙げられるでしょうね。時代も変わったものです。  では、あなたにとって「人生に欠かせないもの」とは、何でしょう?これもやはり『携帯電話』だというなら、少々悲しい気がします。「人生に欠かせないもの」の多くは「目に見えないもの」です。『希望』『平安』『愛』『生きがい』など、人々の心を満たし、癒し、また元気づけるもの。「自分にはそれがある!」と確信を持って言い切れる人は幸いですが、そのような人は恐らくごく少数ではないでしょうか?  これらの「人生に欠かせないもの」は、お金や努力によって手に入るものではなく、『失われることのない確かなもの』とつながることによって生まれるものです。そしてその『失われることのない確かなもの』とは、この全宇宙を創造され、私たちをこの世界へと生み出してくださった『創造主なる神』です。このお方を「私の神」として人生に迎え入れる時、私たちは人生の本来の意味や目的を見出し、またその意味・目的を実現する力や励ましを受けながら生きることができるようになるのです。

2025年11月2日 「神の国の福音」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神の国の福音」    (02/11/2025) [ルカの福音書 4章31~44節] ◆権威あることば(32,36節)   ・イエスが人々を驚かせたのは、成し遂げた『奇跡』以上に、その「権威あることば」であった。当時は「悪霊の追い出し」というのが『メシアの証拠』と考えられていたため、イエスの登場と、権威をもって悪霊を追い出す様子は、益々人々の関心を引き付けたに違いない。 ◆神の国の福音(42~44節)   ・この時点ではまだ「十字架における贖いのわざ」は成し遂げられていないのだから、一体何が『福音』なのか?   ・マリアとヨセフが幼子イエスを初めて神殿に連れて行った時に、老人シメオンがイエスを見て神に感謝し、「私の目があなたの救いを見た」と証言した。当時の人々にとって「神がご自分の民を見放すことなく、約束通りメシア   を遣わされた」ということは、正に『福音』だったに違いない。そしてそれが「十字架におけるみわざ」を経て、私   たち異邦人に対しても「十字架による罪の赦しと永遠のいのち」という『新たな福音』となって行くのである。   ・主イエスには「御父がわたしを遣わされた目的を、何が何でも成し遂げる」という堅い決意(ヨハネ4:34)があったので、何ものにも引き止められることはなかった。同じ「福音宣教」の使命が、今日私たちにも与えられている! 今日の要点: 御国の権威によって『福音』を語る ◎更に深い学びのために  ①人々はイエスの何に関して驚きましたか? それはどうしてだと思いますか?  ②『神の国の福音』とは何ですか? それはユダヤ人、また私たち異邦人にとってどんな価値がありますか?  ③イエスは、どんな使命感をもって地上を歩んでおられたでしょう? それは私たちとどんな関わりがありますか? Outline of the sermon  “Good news of the kingdom.”  (02/11/2025) [Luke 4:31~44] ◆Word of authority. (Verses 32,36)   ・People were amazed Read more…

(629) “人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。”

 アメリカでの話です。ある会社の代表取締役が奥さんと車で地方を旅行していました。ガソリンが少なくなってきたので、道端にあったひなびたガソリンスタンドに立ち寄り、ガソリンを入れてもらっている間に店の中に入り用のものを買いに行きました。店から出て来ると、何やら妻がガソリンスタンドの労働者と親しげに話しているではありませんか。  車で走り出した後、夫が妻に「知り合いなの?」と尋ねると、妻は「実は学生時代にお付き合いしてた人なのよ」と答えました。そこで夫は「そうかそうか、じゃあ別れて良かったな。そうでなければ、キミは『代表取締役の妻』ではなく、ガソリンスタンドで働く男の妻になるところだったじゃないか!」と得意げに言いました。すると妻はあっさり次のように答えたのです。「あら、もちろんアナタと結婚したのは良かったけど、もし彼と結婚していたら、きっと彼が代表取締役になっていたと思うわ。」  聖書によると、神は初めにアダムという男性を造り、他の動物たちの中に彼のためにふさわしい助け手を見出さなかったので、敢えてエバという女性を造ったとあります。すなわち、女性(妻)以上に、男性(夫)にふさわしい『助け手』は存在しないのです。家庭においてしばしば「女性の最大の役割」は『母親』としてしっかり子育てすることのように言われます。確かにそれもとても大切ですが、「母親としての使命」よりも更に優れて大切なのは、『妻として夫を支え助けること』なのです。それは何も「男性の方が女性よりも優っている」というようなことではなく、「役割分担」です。男性は「神の前に、委ねられた使命を全うすること」によって最高級の喜びと満足を味わうことができ、女性は「『妻』として、夫が神から委ねられた使命を全うすることができるように、常に夫を支え励まし助けること」によって、やがて夫が神からの使命を見事に成し遂げることができた時に、夫と共に「この上もない喜びと満足」を経験することができるのです。  「神に造られた本来の目的に沿って生きる」。残念ながら、このような人生を送れている人は多くないように思いますが、これを読んでおられる方々が、(私がそうであるように)神から与えられた『自己最高の人生』に生きる喜びを体験することができるようにと、心からお祈りしています。

2025年10月26日 「『当然のこと』とは思わずに」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『当然のこと』とは思わずに」   (26/10/2025) [ルカの福音書 4章14~30節] ◆『メシア』としてのイエスの自己紹介(14~21節)   ・とてもエキサイティングな場面。イエスは故郷ナザレで安息日に会堂へ行き、イザヤ書の『メシア預言』に目を留められてそこを読み、「今日、この聖書のことばが実現しました」と言われた!さて、人々の反応は? ◆故郷での迫害(22~30節)   ・一体何が起こったのか?何故ナザレの人々はイエスに対して憤ったのか?   ・恐らくイエスを幼い頃から知っていた彼らは、「この子は優れているから、きっといずれ故郷に貢献してくれるに違いない」と思っていたことだろう。しかしイエスに裏切られたようなことを言われ、憤ったに違いない。   ・私たちは「当然こうあるべき」と期待していたことの当てが外れると、戸惑ったり怒ったりする。ユダヤ人たちもパウロが異邦人宣教へと向かったのを見て、怒り狂って迫害した。   ・これらの『当然』という意識は、しばしば「私たちと神様との関係」をなまぬるくする。[黙示録2:3-4,3:15] イエスが例を挙げた「旧約時代に神のみわざを体験した異邦人たちの信仰告白を見てみよう。[Ⅰ列王記17:24,Ⅱ列王記5:15]   ・あの「キリストと初めて出会った感動」を思い起こし、『初めの愛』に固く立ってこの週も熱く歩んで行こう! 今日の要点: 『初信』に帰る ◎更に深い学びのために  ①「神は当然この祈りに答えてくださる」と思ってたのに、そうならずガッカリしたり怒った経験をシェアしましょう。  ②自分が主イエスにある救いの素晴らしさを初めて真に体験した時と比べて、今はどんな点がどう違いますか?  ③日々『初めの愛』を保って生きて行くために、どんな工夫ができますか?アイディアを分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon  “Don’t take it for granted.”  (26/10/2025) [Luke 4:14~30] ◆Jesus revealed himself as “Messiah”. (Verses14~21)   ・It is very Read more…

(628) “何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。”

 『杞憂』という言葉をご存知でしょうか?「心配しても仕方ない事を思い煩うこと」を指して使います。古代中国の「杞の国」のある人が「もし天が落ちてきたらどうしよう?」と心配して夜も眠れなかったという出来事に由来しています。  考えてみると『思い煩い』のうちのほとんどは「心配しても仕方ない事」ではないでしょうか?そもそもそれらの多くは「自分ではどうしようもないこと」です。たとえ心配したところで、自分ではどうしようもないのですから、心配するだけ無駄です。むしろ『心配事』は時には私たちの健康さえ害するのですから、まさに「思い煩いは百害あって一利なし」です。  また、もしその『思い煩い』が「自分で何とかなること」(例えば「来週のテストをどうしよう…」とか?)ならば、思い煩っている暇があれば、適切な行動を起こせば良いのです。  イエス・キリストは人々に教えて、「咲いてもたった数日で枯れてしまうような野の花さえ、神はあんなにも美しく装ってくださるのだから、ましてや愛する人間たちに良いものを備えてくださらないはずがない」と教えました。言わば、私たちが「思い煩う」のは、私たちの心が『創造主なる神様』から離れてしまっているからです。  神は、ご自身と私たちとの「不信仰の罪によるギャップ」を、ひとり子イエス・キリストの十字架における代償によって埋めてくださいました。それほどまでに私たち人間を愛しておられる方が、私たちに良くしてくださらないわけがないのです。私たちに必要なことは「思い煩うこと」ではなく、「これほどにも愛してくださっている『父なる神』に信頼し、敬うこと」なのです。

2025年10月19日 「イエス、悪魔の試みを受ける」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「イエス、悪魔の試みを受ける」  (19/10/2025) [ルカの福音書 4章1~13節] ◆3つの誘惑   ・「御霊に導かれて荒野に行き、悪魔の試みを受けた」ということは、この出来事は『神のみこころ』であったと言える。では何故、神は御子イエスを敢えて『悪魔の試み』へと追いやったのか? ⇒ 私たちへの『模範』のため。   ・ここに登場する「3種類の誘惑」は、天地創造以来の悪魔の常とう手段。[創世記3:6]    ①食べるのに良さそう(食欲) ②目に慕わしい(全ての国々を「見せて」) ③賢くしてくれる(人々の注目) → [Ⅰヨハネ2:15-16] ◆「あなたが神の子なら(なのだから)…」   ・この直前にイエスはバプテスマを受け、御父から「あなたはわたしの愛する子」と呼びかけられたばかり。そして悪魔はその呼びかけを受けて、「あなたが本当に神の子だと言うのなら…」と挑戦している。   ・旧約聖書には「メシアに関する約束のことば」も数多くあるので、イエスは『神の子』としてそれらを引用できたはず。しかし「私たち」にも適用させるため、イエスは敢えて一般の人々に語られた箇所を引用したのだろう。   ・悪魔は私たちに対して「神の子としての権利」に注目させようとするが、イエスはむしろ『みことば』(神の子としての使命や責任)を固持した。私たちも『神の子』として「父なる神のみこころ」の真っ只中を生きて行こう! 今日の要点: 神の子としての「特権」と『使命』 ◎更に深い学びのために  ①何故御霊はイエスを「荒野における悪魔の誘惑」へと導いたのでしょう?  ②悪魔は主に、私たちをどのような点で誘惑しますか? 自分が誘惑に惑わされやすい点と比較してみましょう。  ③神の子としての「特権」と『使命』がぶつかり合った経験があれば、互いに分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon  “Jesus was tempted by the devil.”  (19/10/2025) [Luke 4:1~13] ◆3 temptations.   ・God led Jesus Read more…

(627) “自分の日を正しく数えることを教えてください。”

 ある人がこんな夢を見たそうです。目の前に天使が立ち、「神様が毎朝あなたの銀行口座に1440ドルを振り込んでくださいます。あなたはそれを好きな事に使うことができます。但しそれは貯めておこうとしても翌日まで持ち越すことはできないので、その日のうちに使わなければなりません。そして翌朝にはまた新しく1440ドルが振り込まれます」と言われたのです。  この人は不思議に感じながらもとても喜んで、翌朝目が覚めると自分の銀行口座を確かめてみました。ところがそのような金額は全く振り込まれた形跡がなく、ガッカリして神様に祈りの中で文句を言ったそうです。すると神様からお答えがありました。「1ドルを1分に換算してごらん。わたしはあなたに毎朝24時間、すなわち1440分を与えている。あなたはこの時間を自分の好きなように使うことができるんだよ。」  私たちはそれぞれ、能力や姿かたち、財産などは1人1人異なっていますが、時間だけは全員に等しく1日1440分ずつ与えられています。私たちはこの1440分を自分の好きなように使うことができます。こんなことを言った人がいます。「『時間』というものは、神様から私たちへの素敵な贈り物である。そしてその『時間』をどう使うかによって、私たちは神様へ素敵な贈り物を捧げることができるのだ」と。