2025年9月28日 「罪の赦しを得させる悔い改め」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「罪の赦しを得させる悔い改め」  (28/09/2025) [ルカの福音書 3章1~20節] ◆ヨハネのバプテスマ(3節)   ・当時のユダヤ世界にはいくつかの『バプテスマ』が存在した。使徒パウロがエペソで宣教活動を行っている時  に、このようなやり取りがあった。[使徒19:1-5] では、ヨハネの行っていた「悔い改めのバプテスマ」とは何か? ◆「悔い改め」の本質(ルカ24:45~48節)   ・イエスは私たちを「罪の赦しを得させる悔い改め」を宣べ伝える証人だと言った。では「悔い改め」の本質とは?   ・ヨハネは彼からバプテスマを受けようとしてやってきた群衆に言った。(7~10節) 「『自分の父はアブラハムだ』という考え」とは、「『個人として』ではなく、『選ばれた民の1員として』神に認められよう」とする態度。今風に言えば「クリスチャン・ホームに生まれたから」「ずっと教会に行っているから」「神の存在を信じてるから」などなど…   ・「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか?」 ⇒ 次のような3つのステップを踏む。    ①生まれつきの自分は『罪人(ズレ人)』であり、神との関係から外れて「死んでいる」と認める → [方向転換]    ②イエス・キリストは神から遣わされた『神の子』であり、罪人である自分の代わりに十字架で死んだと信じる。    ③自分の努力で神に近づこうとせず、キリストの代償と神の恵みのゆえに、日々『神との関係』に生き始める。 今日の要点: 自分ではなく、キリスト ◎更に深い学びのために  ①ザカリヤの子ヨハネは、何のために神に遣わされた人物でしたか?  ②『悔い改め』とは、どんな意味ですか? 何故イエスを信じる前に、そのプロセスが必要なのでしょう?  ③あなたはこの『悔い改め』を経験し、神の前に「悔い改めにふさわしい実」を結んでいますか? Outline of the sermon  “Repentance for the forgiveness of sins.” (28/09/2025) [Luke 3:1~20] ◆John’s baptism. Read more…

(626) “すべてのことにおいて感謝しなさい。”

 最近、原因不明で治療法の無い『運動神経麻痺』に冒されてしまった1人の牧師の手記を読み、大変感銘を受けたので、その1部をここに抜粋したいと思います。  「現在の自分の体の状況を思う時、神に感謝できないことがたくさんある。まず、自分でシャツのボタンを留めることができない。分厚くて重い上着はもう着ることができない。そもそも服を着るために右手を頭の高さまで上げることさえできない。文字を書くこともできなくなったし、右手では食べることもできなくなった。仕方なく不器用な左手で食べているのだが、最近ではそれさえもおぼつかなくなってきた。そしてそのように『段々とできなくなってきている事』がたくさんあるのだ。それでは一体現在の私に、何か『神に感謝できること』があるだろうか?そう考えてみたら、実にたくさんあることが分かった!主よ、今朝も目覚めさせてくださってありがとうございます!まだ寝返りが打てることを感謝します!寝床から起き上がれることを感謝します!そしてトイレまで歩いて行けること、また何とか自分で歯を磨けることもありがとうございます!朝食を食べることができて、何とか自分で着替えることができること、そして自分で運転もできることを感謝します!歩くこともできるし、誰かとしゃべることもできるし… もうこうして挙げていったらキリがない!このような境遇に陥ったことで、神は私に『できないこと』ではなく、『できること』に思いを向けることを教えてくださった。神が与えて下さっている『小さな喜び』をたくさん見つけることを私は日々教えられているのだ。」  あなたが、今日「神に感謝できること」は、何ですか?

2025年9月21日 「たとえ理解できなくても…」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「たとえ理解できなくても…」  (21/09/2025) [ルカの福音書 2章41~52節] ◆「父の家にいる」(46~49節)   ・「お父さんお母さんは、心配して捜していた」の言葉に対し、「自分の父の家にいることは当然」と少年イエスは答えた。恐らくラビたちとの問答を通して初めて「自分が天の御父から遣わされてきた」と確信したのだろう。   ・私たちも、この『御子イエス』の贖いのみわざによって『神の子』とされている者であり、また主イエスによって「遣わされている」存在である。私たちもいつも「遣わしてくださっている方」の許にいるべき。[ヨハネ12:26] どこにいても、何をしていても、「主イエスの名によって成す」という意識を持とう! ◆マリアは心に留めていた(50~51節)   ・この時イエスの両親は、イエスの言葉の意味が理解できなかった。しかしマリアは「心に留めておいた」。それ   が後にイエスが公生涯へと旅立って行った時、彼を最後まで理解する大きな助けとなったことだろう。   ・昨日のリトリートでは「御声を聞く」というテーマで学び、また実践した。ある人は「聞いたけど、意味がよく分からなかった」という事があったかもしれない。でもその言葉を「心に留めて」おくべき。後に分かる時が来る。   ・『神のことば』は「神の時」に「神の方法」で成就する。「自分の力で成し遂げよう」としないように気を付けよう。 今日の要点: イエスと共にいる ◎更に深い学びのために  ①どのようにして、「主イエスと共に歩んでいる」という意識を保つことができると思いますか?  ②「みことばを聞いたその時には理解できなかったが、後で分かった」という経験があれば分かち合いましょう。  ③この出来事の後、イエスはどのような思いで30歳まで両親と暮らしたと思いますか? Outline of the sermon  “Even if I don’t understand.”  (21/09/2025) [Luke 2:41~52] ◆“In my Father’s house”(Verses 46~49)   ・Young Jesus said to his Read more…

(625) “天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。”

 日本ではようやく暑さの峠を越えた頃でしょうが、南半球のこちらクライストチャーチでは、桜が見頃を迎えています。  考えてみると、日本からニュージーランドに来て『創造主なる神』に気付く方々が多いようです。恐らくその大きな理由の1つは「美しく壮大な自然」に触れることが多いからではないでしょうか。ニュージーランドでの生活は、時間がゆったりとしているのに対し、レジャーがそこまで多くないので、そこらじゅうにある『遊歩道』や『自然公園』をのんびりと歩く機会が多く、そこで様々な美しい花々や小動物たちを見かけます。また、日本のように夜のネオンサインが激しくないので、星空も美しく、また車で1時間も走れば、壮大な山々や湖を眺めることもできます。それらの「神の被造物」を見る時に、『創造主なる神』を肌で感じ、またその神の美的センスや優しさを思い浮かべて、この方の御手に身をゆだねて生きて行きたい、という気持ちが芽生えるのではないでしょうか?  しかも聖書は、「神はこの天地を造り、そしてその中でも最高傑作品として、私たち人間をお造りになった」と教えています。これらすべての「美しい大自然」にも優る存在として、神は私たち1人1人を創造され、そして慈しんでおられます。自分を卑下したり、粗末に扱ったりせずに、「神に造られた傑作品」として1日1日を全力で生き、『神の栄光』を表現する人生を歩んでいきたいものです。

2025年9月14日 「キリストを待ち望んでいた人々」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「キリストを待ち望んでいた人々」   (14/09/2025) [ルカの福音書 2章21~40節] ◆キリストに気付いた人々   ①女預言者アンナ(36~38節)    ・『預言者』は、単に「神のメッセージを語る」だけでなく、「神と人とをつなぐ」存在。多くの戦いがある。   ②シメオン(25~28節)    ・「聖霊が彼の上におられた」。使徒の時代以前にも、選ばれた人々にのみ聖霊は注がれていた。   *これら2人に共通して言えることは、「心を尽くして神を求め、また自分の民のことを思っていた」こと。正に    主イエスがおっしゃった『最も大切な戒め(神を愛し、隣人を愛すること)』を体現していた。 ◆幼子の定め(34~35節)   ・この「立ち上がる」と訳されている言葉は、しばしば『よみがえり』に用いられる。ここではイエスが単に「ローマからの解放者」としてではなく、『たましいの救い主』であることが語られている。また「迫害」や「マリアの心痛」のことが語られると共に、キリストを前にして「人の心のうちの思いがあらわになる」とある。すなわち「キリストがはっきりと啓示されると、私たちは態度をはっきりせざるを得なくなる」というわけである。   ・『福音メッセージ』は、決して人々をComfortableにさせるものではない![使徒2:36] 今日の要点: 態度をはっきりさせる ◎更に深い学びのために  ①『預言者』について考えてみましょう? 彼らにはどのような戦いや困難があると思いますか?  ②シメオンはどのような思いでキリストを待ち望み、またどのような思いでマリアとヨセフに語ったと思いますか?  ③私たちは「神にふさわしく福音を語る」ために、どのようなことに気を付けるべきでしょう? Outline of the sermon “Those who were waiting for Christ.” (14/09/2025) [Luke 2:21~40] ◆People who recognized Christ.   ①Anna, a prophetess.(Verses 36~38) Read more…

(624) “すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。”

 「自分の性格を何とかしたい」という声を聞くことがあります。しかし実際問題「性格を変えること」は、ほぼ不可能と言えるほど難しいことですよね。でも良い知らせがあります。私たちの人生、また傾向性というものは、『性格』以上に、私たちの日常の『思考パターン』に大きく影響を受けるものであり、しかもこの『思考パターン』というものは、心がけ次第で新たに身に付けて行くことができるものなのです。  私たちの『思考パターン』に影響を与えるのは、私たちが日頃触れている情報や、周囲の人たちの態度や言葉です。そのうちには避けられないものもいくつかありますが、最近ではテレビや書籍、そして何よりインターネットから受ける情報が莫大であり、そしてこれらの情報は自分で取捨選択することができるものです。「オカルトや不倫」といった『恐れや猜疑心』を心に植えつけるようなものを避け、『積極的・肯定的』な内容のものを視聴することを強くお勧めします。  また、『聖書』には「肯定的なことば」「徳を高めることば」が満ちています。「神はあなたを愛している」「恐れるな、神が共におられる」「自分がしてもらいたいと願うことを、他の人にもしなさい」などなど、聖書を少しずつでも毎日読むことは、私たちの『思考パターン』を肯定的に保つために大いに役立ちます。  また、「イエス・キリストを人生のパートナーとして迎えること」は、何よりも私たちの生き方を「積極的で確信に満ちたもの」に変えてくれます。私自身、イエス・キリストという方を個人的に知る前は、他人の顔色を窺い、できるだけ目立たないように生きることを心掛けていました。(恐らく、クリスチャンになってからの私しか知らない人は、とても信じられないと思いますが…) しかし、イエス・キリストにある『救い』を知り、彼を人生のパートナーとして迎え入れて以来、(少しずつではありましたが)私は「確信に満ちあふれ、積極的に人々に働きかける存在」へと変えられて行きました。それは「自分がどんな失敗を犯したとしても、決して見放すこともあきれることもなく共に歩んでくださる方がいる」ということを知ったからです。  「聖書を読み、その価値観によって自分自身を建て上げて行く」、そんな生き方をぜひお試しください!

2025年9月7日 「『喜びの知らせ』を告げ知らせる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『喜びの知らせ』を告げ知らせる」   (07/09/2025) [ルカの福音書 2章1~20節] ◆ついに『時』が来た!(10~11節)   ・アウグストゥスは「メシアがベツレヘムで生まれる」という預言のことなどもちろん知らずに、本籍での住民登録を命じた。神は私たちの思いを超えて働かれる。また羊飼いたちは、この住民登録から除外されるほどに身分が低かった。そんな取るに足らない者たちに、御使いたちはビッグニュースを伝えに来た!   ・御使いたちは「この民全体のため」に良い知らせを告げに来たが、『幼子』のための場所はなかった。[ヨハネ1:11-12] しかし今日、このメシアのために「場所を用意する者」には、『神の子ども』とされる特権が与えられる! ◆証人となる(15~20節)   ・羊飼いたちは、ただ単純に「自分たちに告げられたこと」を知らせた。彼らは現代の『キリストの証人』である私たちのモデルと言えるのではないか?彼らが通ったプロセスは…      ①聞く ⇒ ②信じる ⇒ ③行動する ⇒ ④体験する ⇒ ⑤喜びに満たされる ⇒ ⑥証人となる   ・私たちがキリストを証するのは、「誰かにそう言われた」とか、「そうしないといけない」とかではない。内側から溢れ出るものである。もっともっと『キリストにある喜び』に満たされよう。その秘訣は「神のみことばを聞く」ために静まり、聞いたみことばを「単純に信じて実践」し、神が自分を通して働かれるのを「体験する」ことである! 今日の要点: 動機は、「喜び」 ◎更に深い学びのために  ①『メシア誕生』という歴史的出来事のため、「住民登録」「羊飼い」「飼葉桶」はどんな役割を果たしましたか?  ②「救い主イエスのために場所を用意する』という事は、どういうことですか? またどんな祝福があるでしょう?  ③「キリストの証人となる」ということと、「私たちの心の『喜び』」とは、どのような関係性がありますか? Outline of the sermon   “Bring Good News of great joy.”   (07/09/2025) Read more…

(623) “あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。”

 子供が生まれる前と生まれた後とでは、『夫婦の関係』は大きく変わるものです。子供が生まれる前は、夫婦はお互いの顔だけを見つめていれば良いわけですが、子供が生まれるとどうしても「自分では何もできない弱い存在」である子供が生活の中心となり、いつの間にか夫婦はお互いを「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになりますよね?  さてここで気を付けなければならない事があります。それは、「父親と母親とでは、子供に対して抱く思いが異なる」ということです。まず母親に関して言うならば、「子供はいつまでも子供でいて欲しい。いつまでも自分を必要としていて欲しい」と考えます。それは女性というものがそもそも「小さくて可愛らしい存在に惹かれる」ということから来ています。  ところが父親は、これと全く違います。父親は子供が生まれた瞬間から、「コイツが大きくなったら、こんなことやあんなことを一緒にしよう」と思うのです。また、父親は子供が一人前になり、独り立ちする日を待ち望みます。すなわち「頼もしい存在」になって欲しいと望むのです。なので、しばしば子供に厳しく当たったり、重荷を負わせたりすることもあります。「可愛い子には旅をさせよ」ということわざは、恐らくそんな父親が最初に言い始めたのではないでしょうか?  それでは、私たちの『父なる神』はこれらのどちらなのでしょう?『父』というからには「父親と同じような性質」なのでしょうか?聖書を読む限りでは、確かに父親的な面が多くみられますが、母親のように「いつも自分に頼って欲しい」という部分もあります。私たち人間にはできないことが、神にはできます。当然私たちは、ある分野では神に頼るべきです。と同時に、神は私たち1人1人に「ユニークな才能」を与えておられます。神は私たちがそれぞれその「才能(聖書では『賜物』と呼んでいる)」を見出して(親がその助けをする場合もあるかもしれません)、その分野で才能を開花し、その人でしかできないような素晴らしい成果をあげる人生を送って欲しいと願っておられます。  私の妻は「子育ての中で『神様の心』について多くを学んだ」と言っていました。「神様と私たちの関係」と、「親と子供の関係」には密接な関りがあるのです。

2025年8月31日 「『救い』の鼓動」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「『救い』の鼓動」   (31/08/2025) [ルカの福音書 1章57~80節] ◆バプテスマのヨハネの誕生(57~66節)   ・『ヨハネ』は、「主(ヤハウェ)は、慈しみ深い」の意味。   ・ここで、天使ガブリエルの預言(20節)が成就した。そしてザカリヤの口から賛美と預言が溢れ出た! ◆ザカリヤの預言(67~80節) ― 「私たち」に関して語られている部分と、『幼子』に対して語られている部分がある。   ・「アブラハムに誓われた誓い(73節)」は、直接的には[創世記22:16-18](『子孫』は単数形=主イエス)を指している。また、「敵の手からの救い(71節)」の『敵』とは、悪魔のこと。私たちの『敵』は、「一緒に住んでるあの人」でも「自分を迫害する人」でもなく、「神に敵対する『サタン』」である。騙されてはならない!パウロも自分が福音宣教の召された時のことをこう証ししている。(使徒26:17-18)   ・主イエスは、この「悪魔のしわざを打ちこわすため」に来られた。(Ⅰヨハネ3:8) そしてバプテスマのヨハネは、その道を備え、「罪の赦しによる救い」を宣べ伝えるために生まれた。   ・神が何千年も待ち望んでおられた「人類の救いの計画」、そして「憎むべきサタンのしわざを打ちこわす時」が  迫っていた。この『救いの鼓動』の興奮を一緒に味わいながら、引き続き「ルカの福音書」を読む進んで行こう! 今日の要点: 神のことばは成就する! ◎更に深い学びのために  ①やっと口が利けるようになったザカリヤから飛び出してきたのが賛美と預言だった事は、何を表していますか?  ②[68~75節]は、「私たち」に関して、また「神様」に関して、私たちにどのようなことを教えていますか?  ③[76~80節]は、「幼子」に関して、何を語っていますか? またそれは人々にどんな励ましを与えたでしょう? Outline of the sermon   “Beating of ‘Salvation’.”   (31/08/2025) [Luke 1:57~80] ◆Birth of John the Baptist. (Verses 57~66)   ・The meaning of Read more…

(622) “様々な試練に遭う時はいつでも、この上もない喜びと思いなさい。”

 「『神は良いお方だ』というなら、なぜ人生には試練が襲ってくるのだろう?」と考える方がいらっしゃるのではないでしょうか?確かに「好きな女の子につい嫌がらせをする幼い男の子」でもなければ、わざわざ大切な相手を辛い目に遭わせることはしないはずですよね?  ただ、ここでちょっと考えてみたいのは、『良い出来事』を「良かった」と感じられるのは、『辛い出来事』も経験したことのある人だけではないか?ということです。毎日『良い出来事』ばかりを経験していたとしたら、それが当たり前になってしまって、それらの『良い出来事』を「良い」と感知することがなくなってしまうのではないでしょうか?ですからある意味「試練がある」ということは、「当たり前の事」になりがちな平穏な日々を改めて感謝するため、ということができるかもしれません。  また、「試練は人を成長させる」という面もあります。今も行われているかどうかは定かではありませんが、私が子供の頃、農家の方々は『麦踏み』ということを習慣的に行っていました。成長途上の麦の苗の上を踏んで歩くことによって、1度踏んづけられた麦が更に強く育つようにするためです。我々人間も同じように、試練を経験することによって更に強く成長することができます。私は鎖骨を骨折したことがありますが、聞いたところによると、1度折れた骨は、もう1度を同じ部分が折れることはほとんどないそうです。それはその骨折部分の周囲を補強するような形で新しい覆いが形成されるからです。私たちも人生の中で『痛み』を経験すると、後に同じような痛みを経験している人を慰めたり支えたりすることができるように成長するのではないでしょうか?  最後に、『試練』は私たちに、「人は1人で生きるようにはできていない」ということを思い出させてくれます。日本人はしばしば「自分の弱さや問題を他の人に打ち明けるのは『恥』」と考えてしまいがちですが、苦しい状況に陥った時は、必ず周囲の人々の助けを求めるべきです。神が私たちに最も求めておられることは「互いに愛し合い、励まし合うこと」です。私たちがそれを学ぶために、神様は時に私たちが「1人では乗り越えられない試練」に遭うことを許されます。苦しい時には、独りで我慢しようとはせずに、家族や友人に分かち合って、支え合いましょう。