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礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「信仰の3段階」 (22/03/2026) [ルカの福音書 6章46~49節] ◆『家』の評価 ・家はどんな基準で選ぶべきか?ロケーション?間取り?見栄え? ⇒ 大切なのは『地盤』。 ・この箇所でイエスは私たちの人生を『家』にたとえているが、ここから「3つの信仰の態度」を見ることができる。 ◆信仰の3段階 ①神に願いを叶えて欲しい(46節) ・「主よ」と呼んではいるが、実際は神に自分の要求を押し付けている。「ご利益がなければダメ」という信仰。 ②自分の益になりそうなみことばだけ実践する(47節) ・クリスチャンであるなしに関わらず、「キリスト教は良い教えだ」と思っている人は多い。しかし「耳障りの良い教え」には耳を傾けるが、従うためには犠牲を要するようなみことばには気付かなかったふりをするもろい信仰。 ③すべてのみことばに聞き従う(48節) ・これは「みことばそのもの」よりも「それを語っておられる方」に対する愛と信頼。[ローマ10:11] ・「どんな家を建てるか(人生でどんな成果を上げるか)」以上に、「家をどう建てるか(どんな原則に従うか)」が大切。 今日の真理: みことばは、行うためにある ◎更に深い学びのために ①イエスは、どんな意図をもってこのたとえを話されたのだと思いますか? ②「私は神を信じます」と言っている人たちの中には、どのような信仰が含まれていると考えられるでしょう? ③「イエスのことばを聞いて行う者」となりたいですか? そのためにあなたに必要とされているのは何ですか? Outline of the sermon “3 Levels of Faith.” (22/03/2026) [Luke 6:46~49] ◆How Read more…
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「『良い実』を結ぶために」 (15/03/2026) [ルカの福音書 6章43~45節] ◆『良い』とは? ・今日の箇所には『良い』という語が何度も登場するが、実際には「良い方」は『神』だけであり、すべての良い物は神から来る。私たちが「クリスチャンなんだからガンバって『良い事』をしなきゃ!」と精一杯努力しても、せいぜい行き着く先は「ダメな自分に打ちのめされる」か、もしくは「高慢になって神から離れる」かのどちらかである。 ・気を付けなければいけないのは、この箇所は「良い事をすること」を教えているのではなく、「良い木になるための勧め」だということ。そして『良い木』とは主イエス・キリストのことであり、私たちはその『枝』に過ぎない。 ◆『良い実』を結ぶために(ヨハネ15:5) ・『枝』である私たちは『実』を結ぶが、その条件は唯一「『木』にとどまっている」ということ。では私たちはどのようにして「主イエスにとどまり、実を結ぶ」のか?それは「枝に徹すること」によってである。次に2点に注目しよう。 ①「自力では実を結べない」と自覚し、ひたすら「木であるイエス」から栄養(みことば)を受け取り続ける。 ②「自分を喜ばせる」のではなく「他の人を建て上げること」を念頭に置き、自分ではなく主イエスに注目させる。 ・「実を結ぶ」のは神のわざ。神は私たちへの愛の故に、それを「私たちを通して」成就なさる。 今日の真理: 私たちは『木』ではなく「枝」である ◎更に深い学びのために ①神の国の視点で考える時、「良い物」とは、どのようなものだと思いますか? ②神が私たちを通して結んでくださる『良い実』には、どのようなものがあるでしょう? ③私たちが「枝に徹するため」に変えなければならないのは、どんな点でしょう? 皆で話し合ってみましょう。 Outline of the sermon “How to bear good fruits.” (15/03/2026) [Luke 6:43~45] ◆What is “good”? Read more…
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「目から梁を取り除く」 (08/03/2026) [ルカの福音書 6章39~42節] ◆目の中にある梁 ・ここでの『盲人』と「目の中に梁がある人」は、同じタイプの人を指している。直接的には『律法学者やパリサイ人たち』であり、「自分たちこそ神のことを知っている」と自負して、他の人をさばく人たち。 ・また「師のようになる」とは、必ずしも「その『教え』や『わざ』において熟達する」という事に限らない。重要なのは『神との親密な関係』。「どれだけ『神の心』を汲み取り、またそれを実践する歩みをしているか」がカギ。目の中に「梁」があっては不可能。そのような生き方は「主イエスの歩み」の中にのみ見出せる。 ◆イエスの模範(ピリピ 2:3-8) ・主イエスは「神の御姿を捨てる必要」も、「人間と同じようになる必要」も、「死に従われる必要」もなかった。では何故そうなさったのか?それはただ「御父がそれを望まれた」から。 ・主イエスのこの模範に従うことをひと言で述べるなら、「『どうして自分がそれをしなきゃいけないの?』と言わない」ということ。無茶な話だが、主イエスはそれをなさった。これが『神との親密な関係』に生きるということ。私たちに求められているのは「立派な人になること」ではなく、ただ『主の御足について行くこと』なのである。 今日の真理: イエスはいつも完璧な模範 ◎更に深い学びのために ①私たちの「目の中にある梁」とは、何ですか? ②私たちにとって「十分に訓練を受けて、『自分の師』のようになる」とは、どういうことでしょう? ③あなたは主イエスの、特にどのような点を模範として歩んで行きたいですか? Outline of the sermon “Take the log out of your eyes!” (08/03/2026) [Luke 6:39~42] ◆The log in our eyes. Read more…
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