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この日は、年に1度の日本人コミュニティによるビッグイベント『ジャパンデー』に参加しました。1万5千人にのぼる大群衆の中でJCFとしての出店を出し、主を賛美するのは最高の気分でした。写真は当日の様子のほんの一部です。
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礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「目から梁を取り除く」 (08/03/2026) [ルカの福音書 6章39~42節] ◆目の中にある梁 ・ここでの『盲人』と「目の中に梁がある人」は、同じタイプの人を指している。直接的には『律法学者やパリサイ人たち』であり、「自分たちこそ神のことを知っている」と自負して、他の人をさばく人たち。 ・また「師のようになる」とは、必ずしも「その『教え』や『わざ』において熟達する」という事に限らない。重要なのは『神との親密な関係』。「どれだけ『神の心』を汲み取り、またそれを実践する歩みをしているか」がカギ。目の中に「梁」があっては不可能。そのような生き方は「主イエスの歩み」の中にのみ見出せる。 ◆イエスの模範(ピリピ 2:3-8) ・主イエスは「神の御姿を捨てる必要」も、「人間と同じようになる必要」も、「死に従われる必要」もなかった。では何故そうなさったのか?それはただ「御父がそれを望まれた」から。 ・主イエスのこの模範に従うことをひと言で述べるなら、「『どうして自分がそれをしなきゃいけないの?』と言わない」ということ。無茶な話だが、主イエスはそれをなさった。これが『神との親密な関係』に生きるということ。私たちに求められているのは「立派な人になること」ではなく、ただ『主の御足について行くこと』なのである。 今日の真理: イエスはいつも完璧な模範 ◎更に深い学びのために ①私たちの「目の中にある梁」とは、何ですか? ②私たちにとって「十分に訓練を受けて、『自分の師』のようになる」とは、どういうことでしょう? ③あなたは主イエスの、特にどのような点を模範として歩んで行きたいですか? Outline of the sermon “Take the log out of your eyes!” (08/03/2026) [Luke 6:39~42] ◆The log in our eyes. Read more…
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「『恵みの生き方』の実例」 (01/03/2026) [ルカの福音書 6章37~38節] ◆さばかない(37節) ・「さばかない・不義に定めない・赦す」は、ほぼ同義。イエスはここで「この世における人間関係の秘訣」ではなく、「地上での人間関係における私たちの態度が、神との関係の親密さに影響を与える」ということを教えている。 ・私たちは「人をさばくため」には遣わされていない。主イエスでさえさばかなかった。[ヨハネ8:15] 『先走ったさばき』は危険。[Ⅰコリント4:5] かといって「いいよ、いいよ」と何でも見逃すべきでもない。『罪』は正しく指摘すべき。[マタイ18:15] 私たちの使命は、神と共に「建て上げる」こと。[ローマ14:4] 「『恵み』に生きる時、神と出会う」のである。 ◆与える幸い(38節) ・2週間前に「一時的な幸いは、真の祝福ではない」と学んだ。しかしここでの「与えなさい。そうすれば、与えられます」は、地上での人間関係における法則(一時的な幸い)ではなく、「神の性質の表現」であり、与えた後の喜びは「神の喜びと共鳴し合う『天の喜び』である。[箴言19:17,マタイ25:40] ・私たちは、神から地上で一時的に委ねられた「物質・お金・時間・労力」を喜んで『分け与える』よう召されている。だからドンドン分け与え、また(相手が祝福を受けるために)喜んで受け取って行こう! 今日の真理: 「与える喜び」は、『天の喜び』 ◎更に深い学びのために ①「先走ったさばき(早急な決め付け)」をしてしまって失敗した経験があれば、分かち合いましょう。 ①『恵みの生き方』には、どんな実例がありますか? どうしてそれらが『恵みの生き方』と言えるのでしょう? ②なぜ『与える幸い』は、「一時的な幸いではない」と言えるのですか? Outline of the sermon “Examples of ‘Merciful living’.” (01/03/2026) [Luke 6:37~38] ◆Judge not!(Verse 37) ・“Not judging, Read more…
礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ 「みこころの通りになるように」 (22/02/2026) [ルカの福音書 6章27~36節] ◆『恵み』の生き方(32~34節) ・ここでイエスが繰り返している「どんな恵みがあるでしょうか」は、「それらは『恵み』ではなくて、誰もがやってる『当然のリアクション』ですよ」の意味。私たちに対する神の「当然のリアクション」は『さばき』。しかし神は『恵み』 によって救ってくださった。「『恵み』による生き方」が身に付かなければ、神と心を揃えて生きることは到底できない。イエスがここで教えておられるのは、単に「敵を愛する」という行為そのものではなく、「『神の子』としてふさわしく生きて欲しい」という『神の願い』なのである。 ◆イエスのように(35~36節) ・今日の内容は、この2節に集約されている。私たちは驚くべきことに、既にこの『いと高き方の子供』としての特権が与えられている[ヨハネ1:12]が、実質としては未完成。そしてこれは「自分のガンバリ」によって身に付くものではなく、神ご自身が私たちの内なる聖霊の働きによって成就なさる。私たちはそのために「選ばれた」。 ・神がなさるならば、私たちは『無理』と言って拒むのではなく、マリアのように「あなたの望まれる通りになりますように」と明け渡して祈るべき。神は今日もそのような『キリストの心』をもって従う者を捜しておられる。 今日の真理: 「恵み」に生きる時、『神』と出会う ◎更に深い学びのために ①「恵みの生き方」とは、どんな生き方でしょう? あなたの知っている具体例を挙げてみましょう。 ②聖書が『預言的書物』であるとは、どういう意味ですか? ③私たちの人生を通して神がなさろうとしておられることが実現するために、私たちに何ができますか? Outline of the sermon “Let it be according to God’s will.” (22/02/2026) [Luke 6:27~36] ◆“Grace based” life. (Verses 32~34) ・Here Read more…






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