さて、正直に答えてみてください。最も最近『不平』を口にした(または感じた)のはいつでしたか?「あまりに昔で思い出せない」という方はまずいないと思います。大抵の人は「ついさっき」と答えるのではないでしょうか?私たちは何て「不平不満の種」を見つけるのが上手なのでしょう!まあ考えてみれば、それは人類創生から始まっていました。アダムとエバは理想的な環境に置かれながらも、たった1つだけ禁止されていた『禁断の木の実』に興味を持ち、「どうして神様はこんなにケチなんだろう!」(と聖書には書いてはありませんが…)と不平を持つことでそれを食べてしまって、自分自身に災いを招いてしまったわけです。

ベトナム戦争時代に空軍の指揮官として戦った『ロビンソン・リスナー』は、捕虜として8年間北ベトナムにある独房に収容されていました。彼がこの厳しい環境の中で生き延びることができたのは、独房の床下から生え出ていた1本の草のお陰でした。すべてが希望を失わせるような状況の中で、時折差してくる陽の光によって青々と伸びて行くたった1本の草を日々じっと見つめることで、リスナー将軍は「忍耐して待っていれば、必ず神様が道を開いてくださる」と希望を持ち続けることができたのです。

物事が思うように進まない時、私たちは「何を見つめて生きるか」を選ぶことができます。「絶望か、希望か」「問題か、解決か」「己の力の限界か、限界の無い神の力か」。そしてこの「状況を超えて働かれる神の力」に信頼を置いて生きる時、私たちは問題のド真ん中にあって平安を持ち続けることができるのです。

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