「驚くべき惑星 地球」という科学映画があります。この映画に描かれていることは2つあり、1つ目は「地球がいかに特別な環境に造られていて、ほんの少しでも環境が違っていたら決して生物は存在できなかった」ということ。そしてもう1つは「地球が全宇宙の中でいかに特別な位置に置かれていて、ほんの少しでもズレていたら決して他の天体を観測することはできなかった」ということです。すなわちこの映画が私たちに伝えようとしているのは、「人知を遥かに超えた何者かが、この全宇宙の壮大さを、別の知的存在に伝えようとして、地球を『特別な環境・位置』に形造った」ということなのです。

 聖書の冒頭にある『創世記』の第1章を読むと、そこには6日間で地球を含む全宇宙を創造し、6日目の終わりに私たち人類をお造りになられた神の創造のみわざが描かれています。それはあたかも、私たち人間を最終目的として、私たちが「与えられた知性・能力を最大限発揮できるように」と、そのための最善の環境を神があらかじめ整えてくださったかのようです。

 私たちは、壮大な天を見上げ、永遠に変わらず輝き続けているかのような太陽・月・星々を見ると、まず自分の存在のはかなさを思わされますよね?しかしそんなちっぽけな自分を目に留め、『かけがえのない存在』として顧みてくださる偉大な創造主である神を思い、神が自分に対して抱いておられる、人間の思いを超えた驚くべき夢やご計画に気付かされた時、私たちは畏敬の念を抱かずにはいられません。

 確かに私たちは「自分たちにはどんなことも許されている」かのように思い上がって、思い気ままに自然環境を破壊し、自分たちの欲求を満たそうと地下資源を浪費すべきではありません。しかしその反面「自分には何の取り柄もない。誰の役にも立っていない。こんな自分は生きていても仕方がない。」というように、自分の存在に価値を見出せないでいる人々に対して、聖書は『真の希望のメッセージ』を送っています。それは、この全宇宙を形造られた唯一偉大な神がおられて、その方が私たち1人1人に目を留めておられ、特別な計画を持っておられ、そしてそのプロジェクトを一緒に担って欲しいと今日も切に願っておられる、ということなのです!

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