この前の日曜日は、クリスチャンの大きなお祭りの1つである『イースター(復活祭)』でした。イエス・キリストが十字架において死なれ、墓に葬られた後、3日目によみがえられたことを祝う「喜びの祝祭」です。今日はこの「キリストの十字架と復活」について少し考えてみたいと思います。

 聖書はまず「神が天と地を造られ、人間を(神のかたちに)造られた」と述べていますが、神が人(私たち)を造られた『第1の目的』は何だと思いますか?それは、神の最大のご性質である『愛』というものを、互いの『関係』の中で表現し合うためです。「愛の表現」が単に「セックスをすること」だけだとしたら、それは他の動物たちにだってできます。人間は「相手を思いやり、相手の最善を願って、自分自身を犠牲にしてでも相手をサポートする」という形で『愛』を表現することのできる、唯一の被造物です。

 ところが、『最初の人』であるアダムとイブが神に反逆して以来、神が意図しておられたこの麗しい「愛の関係」というものが、人と神の間においても、人間同士においても歪んでしまい、人は『関係』というものを「自己中心的に」用いるようになってしまいました。これが聖書の言うところの「人の罪とその結果」なわけです。

 神がご自身のひとり子『イエス・キリスト』を人間の姿でこの世にお送りになられたのは、「神の力とご性質をデモンストレーションするため」であると共に、この「壊れてしまった『関係』というもの」を修復するためでもあったのです。キリストは「人の神に対する反逆の罪」と、その結果である「歪んでしまった関係」の清算をするために、私たちの身代わりに十字架にかかって、そのいのちの代価によって全ての償いを済まされたのです。そして私たちがもう1度、最初に神が計画しておられた通りの、本来の豊かさと純粋さをもった「神との関係」そして「人間同士の関係へと再スタート(回復)することができるようにと、死を打ち破ってよみがえってくださったのです。私たちはイエス・キリストをこのような『救い主』として信じることによって、人生をもう1度新しく出発することができるのです!

Categories: 聖書

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