どんな人でも『傾向性』というものを持っています。「物事を良い方向に取るか、悪い方向に取るか」「冒険を好むか、現状維持を好むか」「高いセルフイメージを持っているか、自分を低く見積もることが多いか」などなど。どちらが優れているかということに関係なく、これらの『傾向性』というものは長い年月をかけて培われたものなので、変えたいと思っても簡単に変えられるものではありません。しかし同時に「これは自分の性格なのだから、変えようがない!」とあきらめてしまう必要もありません。神はイエス・キリストを通してご自分に近づく者を、『新しく造られた者』としてご自分にふさわしい姿へと造り変えてくださるのです。

 聖書は私たちが神を信じて生きて行く様子を「信仰による『歩み』」と表現しています。言うまでもなく『歩み』というのは、移動手段の中でも最も「ゆっくりな」方法ですよね。神様は私たちを飛行機に載せて運ぶようなことをしないで、「一緒に歩もう!」と言ってくださるのです。では、神と共に歩む「新しく造られた者としての歩み」とは、どのようなものなのでしょう?

 私たちの『性格・傾向性』というものは、「自分に対して強い影響力を持っていた人々」、また「いつも触れていた情報」によって育まれてきました。それらの多くはきっと「自分で選択する余地がなかったもの」だったのではないでしょうか?ですからこれからは自分の『思い』を切り替えることによって、「神からの語りかけである『聖書の言葉』」、そして「同じ神を信じて『歩んでいる』人々」と触れる時間を多く持つようにするのです。衣服の頑固な汚れを落とす時に「漂白剤に浸して」おくように、私たちの『思い』を「神のことばである『聖書』に浸しておくと、おのずと神が私たちに望んでいることが身に付いて行き、肩の力を抜いて『新しい目標』を目指して歩んで行けるようになるのです。

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