ちょっとこんな朝を想像してみてください。どういうわけか目覚ましに気が付かず朝寝坊をして会社に遅れそうです。こういう時に限って車のエンジンがかかりません。やっと仕事場に到着して席に着くと、今度はパソコンが起動しません。イライラしながらコーヒーを淹れに行くと、何と午前中いっぱい断水とのこと。ついにあなたは我慢しきれなくなって叫びます。「一体アタシが何をしたって言うの!?」

 このような出来事や状況は確かに起こり得るし、また私たちをイラつかせます。しかしご存知でしょうか?これらにイラつくかどうかは、私たちの『選択』によって決めることができるのです。私たちは必ずしも「状況や出来事」に支配される必要はありません。もちろん中には事前に防ぐことができるものもあるでしょうが、多くの場合私たちはその日その日の出来事を選ぶことはできません。しかし「起こったことに対する態度」は選ぶことができるのです。そのためには、日々朝ごとに「新しい1日を神様の全能の御手の中にお任せする」ということがとても役に立ちます。

 ある牧師がこんな手記を残しています。「地上での人生は実に短い。その短い生涯を『過去に起こった出来事それが20年前であろうが、20分前であろうが…)』によって台無しにされてしまうのは、何ともったいないことだろう。だから私は1つ1つの出来事を『楽しむ』ことにした。何か失敗を犯すこともあるだろうし、思い通りに事が進まないこともあるだろう。がっかりさせられることもあるだろうが、それによって『私の喜び』を盗まれたりはしない。私は朝ごとに宣言する。『父なる神よ、今日もあなたが造られた素晴らしい日です。あなたが私の心を守ってくださって、私が1つ1つの事に良い決断を下すことができるようにしてくださることを感謝します。昨日は成すべきことで成し遂げられなかったことがあったかもしれませんが、その「昨日」はもう過ぎ去りました。今日も新たな気持ちであなたと共に歩みます!』

 車のバックミラーは普通フロントガラスよりもずっと小さいですよね?これは「後ろを見ることは、前を見ることほどは重要ではないこと」を象徴していないでしょうか?だからたとえ「望んでいないこと」が起こっても、それであなたの大切な『喜び』を失われることなく、前へと進んで行きましょう!

Categories: 聖書

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