人間生きていれば、「やるべきことをちゃんとやっているのに、どうしてこんな虚しさに襲われるのだろう?」というような日々を味わうことがあります。そんな時ついつい自分自身を責めたり、周りの誰かのせいにしたりしたくなりますが、そんなことをしても何の解決にもなりません。そのようなやるせなさに襲われることがあるのは、単に「この世界が完ぺきではない」からです。善意の人もいれば、そうでない人たちもいます。もっと言うなら、人は基本的に『自己中心的』であり、「自分よりも他の人の幸福のために一生懸命になれる人」は、ほとんどいないからです。

 しかし、希望があります。それは「全地・全宇宙の創造者である神」が、今日も私たちに対して心を配ってくださるからです。聖書の中で最も有名なくだりの1つに『詩篇23篇』というダビデ王によって詠まれた詩がありますが、そこでこの『創造主なる神』について2つのことが書いてあります。

 ①「主は私を緑の牧場に伏させる」

  ・『緑色』は「新鮮さ・フレッシュさ」を象徴しています。私たちは朝ごと・日ごとに神の前に出て、祈りや聖書のことばを通して、自分の心を「リフレッシュ」していただく必要があるのです。私たちの造り主である方は、私たち自身も気付いていない私たちの内面的な必要を満たすことのできる方です。

 ②「主は私を憩いの水際に伴われる」

  ・『憩いの水際』は私たちの心を「静けさと深い思慮」へと導きます。この世の生活(特に日本において)はとかく忙しすぎます。スピードと生産性が重視され、私たちの心はしばしばそれらに追い付いて行けません。そしてそれらに振り回されている間は、私たちの心は神様から遠く離れてしまっているのです。私たちは『静まった心』でいる時にこそ神と出会い、また真の自分自身を取り戻すことができるです。

Categories: 聖書

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