神を信じている者であろうとなかろうと、自分に都合が悪いことが起こったり、理性や知性では理解できないような不条理に出くわしたりすると、私たちはつい、「神様、どうして?!」と叫んでしまうことがあります。あたかも「今自分がこんな目に合っているのは、神様のせいだ!」とでも言いたいかのように。

 では、実際はどうなのでしょう?神様はそんな意地悪な方なのでしょうか?または、私たち自身が、そんな災難を身に招くような悪行をした報いなのでしょうか?そんなことは決してありません!私たちがそんな風に考えてしまうのは、『神』という方を全然理解していないからです。

 神は、私たちに対するご自身の深い愛を、『ひとり子イエス・キリストの十字架における身代わりの死』という形で、誰にでも分かるようにはっきりと表現してくださいました。もはや神が私たちに「バチを当てる」とか、「意地悪をする」などと考える余地はないのです。神は私たちへの深い愛のゆえに、私たちに対して「最善以下のことはおできにならない方」なのです。

 では、「思いもよらない災いやアクシデント」に見舞われた時、私たちはどう考えれば良いのでしょう?少なくとも、そのような出来事が私たちの人生に起こることを「神が許された」ということは事実です。だとすれば、私たちは神に次のように問うことができます。「神様、あなたはこのことを通して何をなさろうとしておられるのですか?」 または、「神様、この出来事によって、あなたは私に何を教えようとしておられるのですか?」と。人生に起こる『困難』は、私たちを神から引き離す要素なのではなく、かえって神に引き寄せられる機会として用いられるべきなのです。

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