
私は毎週日曜日の教会の集いの時に聖書のお話をさせていただいていますが、その冒頭に必ず言うことばがあります。それは、「私たちの天の父は『良いお父さん』なので、そのご性質上、愛する子供たちのために最善以外をなさることはできません」というものです。これは聖書の言葉そのものではありませんが、聖書全体から汲み取ることのできる重要な真理です。
私たちは「人間としての性質上」意地悪もできますし、子供たちに最善を施したくても「経済的・能力的限界」のゆえに必ずしも与えてあげることはできません。しかし私たちの『天の良いお父さん』である神は、私たちの思いを超えた次元でいつも『最善』を施してくださるのです。「ホントかな?」と疑う方もおられるかもしれませんが、それは『神』という方をよく知らないからです。この方を知れば知るほど、上記の言葉が「間違いない!」と信じられるのです。
かなり無理があるのですが、1つのたとえを考えてみましょう。大抵の方には「とても大切な人」という存在が1人くらいはいると思います。そして恐らくあなたはいつもその人の『最善』を望んでいる事でしょう。ところがあなたには能力的にも経済的にも限界があり、またその人と「いつも一緒にいてあげること」もできません。時には意見の食い違いから口論になり、心に苦々しさが残って、「ちょっと意地悪してやろうかな」と思うかもしれません。けれどもなかなかその機会がなく、そうこうしているうちに仲直りし、意地悪をしないで済んだことに胸を撫でおろすことでしょう。
私たちの神は、ご自分のひとり子イエス・キリストを私たちの罪の身代わりに十字架にかけられるほどに、私たちをこよなく愛してくださっている方です。そしてご自身の望む通りのことを、何の限界もなく実現することのできる方です。そして私たちの将来を見通され、決して後悔などすることなく、1番良いタイミングで1番良いものを提供することができる方なのです。それ故「最善以外はなさらないなんて嘘だ!」などと考える方がおかしいのです!
仮に「実は神はそんな方ではない」ということだったとしても(そういうことは決してないのですが…)、「神は私にいつも最善を施してくださっている」と本気で信じることに、どんな不都合がありますか?不都合がないなら、ぜひそう信じて日々を精一杯生きて行きましょう!
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